第五章
身請けをすると決めたその次の日の夜明け前、見世物小屋の芸子たちと簡単な送別会をした。
(あの人が待っている)
そのかすかな思いと共に、拒み続けていた請け出しを受け入れた。
そんな私の行動に芸子たちは驚きを隠せなかった。
「お千ちゃん、身請けってどこにするの?」
「千ちゃん、どうして身請けしようって決めたの?あんなに嫌がっていたのに」
芸子のみんなは私にそんな質問をしてくる。
「うん。ちょっといろいろあってね」
そう言葉を濁し、私は座長の方へ足を向けた。
「座長」
「どうしましたか、お千」
「あの、今まで育ててくださって、本当にありがとうございました!」
私は一気に言って座長に頭を下げた。
そうしないと涙があふれて止まらなくなりそうだったからだ。
「ここはあなたの家です。好きな時に帰ってきていいですよ」
座長のやさしい言葉は、ぴんっ、と張り詰めた私の心の糸を、優しく包み込んで緩めてくれた。
「はい・・・」
私は座長にこう返事をすると玄関へ向かった。
何人もの芸子が私に涙を流しながら別れの挨拶をしてくれた。
別れの挨拶は見世物小屋を出るまで。
私はそう心に決めていた。
いつまでも名残惜しいがために縋っていると、別れが他の芸子にとっても自分にとっても、とてつもなくつらいものになってしまうからだ。そうなると、私も決心が揺らいでしまう可能性もある。
私は皆の別れの言葉に笑顔で応じてから、夜明けの京都の街へと足を踏み出した。
その踏み出した一歩で、私はもう戻れない領域に来ていることが自分でも判った。それでも、私は今までのすべてを捨てても、あの〝夜〟という人の存在を知りたかった。
少し歩くと、後ろで駆けてくる足音がし、十数年見続けてきた親友の姿が私の眼に映った。
「待って、お千ちゃん!」
「雅ちゃん!どうしたの?」
「引きとめて・・ごめんね。渡したいものがあって」
雅ちゃんは肩で息をしながら懐からおもむろに何か取りだした。
「はい、これ」
黒素材に金の花模様をあしらった、長さ一尺ほどの短刀だった。
「どうしたの、これ?」
「うん。京の町は何かと物騒だし、それにお千ちゃん、結構狙われやすいでしょ?だから、万が一のために護身用にと」
そう言って彼女は短刀の刃を見せてくれた。
柄の美しい飾り模様とは対照的に、鋭く研ぎだされた刃は、夜明けの光を浴びて鈍く光っていた。
「これを懐にもっていれば少しは安心でしょ?」
雅ちゃんは私にそう言って笑いかけると、その短刀を握らせた。
「じゃあ、私行くね。元気でね、お千ちゃん」
雅ちゃんはわざと笑顔を作り、私に背を向けた。その背中は僅かに震えていた事を、私は気が付いていた。
彼女の手のひらの温もりが残る短刀と共に、彼女がよく身に着けていた匂い袋の香りがほのかに漂っていた。その香りは何処か懐かしく、忘れ去られた記憶を呼び覚ましているように感じた。
今、この瞬間から私は十数年歩き続けてきた道を外れた。
彼女は私たちが元歩いていた道を歩き続けるだろう。
これは直感に過ぎない。
しかし、私は妙に確信があった。これから何かが起こる。止まっていた歯車がまた動きだす。
私は人のいない早朝の道を走り、約束の場所へと足を速めた。