第二章
雲ひとつない、晴れ渡った空の下、さまざまな観客の前で感謝披露演が開演されていた。
演者たちの適度な緊張感は、これから始まることへの決意でもあった。
時は文久。天高くのぼりが立つ下で、大きな歓声が沸いた。
「うわっ、やるね、深津ちゃん」
「ほんと、ほんと。よくあんなことができるね」
藤原深津ちゃん―別名〝東洋の魔法使い〟。彼女は私たちの同僚で、座長が昔西洋で習った、俗に、まじっく、と呼ばれるものを披露する。娯楽として楽しむ分にはとても面白い。その反面、失敗するととても怖いことが起こる、と彼女は言っていた。彼女は失敗したことがないそうだけれど、本当に失敗したら彼女はどうなるのだろうか?
「次はわたしたちの番ね」
緊張というよりも、これから舞台へ上がれることのうれしさで雅ちゃんの言葉の語尾が震える。
「頑張れ、見世物小屋の看板娘たち!」
「ありがとう。でも、私は看板娘じゃないよ」
確かに、私たちはこの見世物小屋では、一か二を争うほどの評判がある。しかし、それだからと言って看板娘になれるわけではない。
「あ、戻ってくるよ、深津ちゃん」
雅ちゃんの声で私は演技場の方に目を向けた。
見ると、割れるような観客の歓声と拍手に、笑顔を作りながら片手をあげて応えている深津ちゃんの姿があった。
やがて彼女はこちらに向かってゆっくりと歩いてきた。
「お疲れ様!すごかったわよ、演技」
雅ちゃんがはしゃいだ声を出す。それに応じて、紅色に彩られた唇がほほえみに代わる。
「次はあなたたちの番ね。頑張ってね」
最高と言える演技を披露し終わった同僚は、満足の笑顔とともに私たちを励ました。
それにこたえるように、私たちは演技場へ走って行った。
瞬間、観客から物凄い拍手が起こる。
ちらっ、とそれを目の端で捉えてから、私は一気に用意されていた軽業用の綱に飛び乗る。
綱は大抵、足の親指と人差し指の間に食い込ませるようにしてわたる。
しかし、わたしたちのやる共同演技は難易度が高く、非常に困難な技もある。だから、それに耐えられるように足全体で綱に乗る時もあるのだ。
わたしは綱の向こう側に居る雅ちゃんに無言で合図を送る。
もちろん向こうもそれがわかっているので、演技はスムーズに進んだ。
綱の上でお互いに向かって走る。
雅ちゃんがわたしに向かって手を差し出す。わたしも同じようにして手を差し出し、一気に相手の手をつかんで回転する。
雅ちゃんは、一間ほど上に用意されているもう一つの綱をつかむ。
手のひらで綱に着地した私は、そのまま綱をつかみ、揺れる形で回転する。
そして勢いをつけて、綱の上に手のひらで垂直に静止。
(こんなことは着物を着ていたら絶対にできないだろうな)
私はこの演技をしているときはいつもそう思う。
そのままゆっくりと両足を綱の上に乗せてまた静止。
ずっと練習してきたからだろうか。
わたしはこの演技をたびたびするが、今までに怖いと思ったことは一度もなかった。
緊張しないと言えばうそになる。
しかし、私は終わった時のこの大きな歓声と盛大な拍手のために、いつもすべてをかけてもいいと思った。それは私だけではなく、他の芸子たちだって同じだろう。
私は、賭ける、と言っても、自分にさほど自信があるわけではない。ただ、自分は絶対に賭けに負けない自信がある。
それは賭けに勝つ、という意味ではない。あくまで負けないというだけだ。
負けたらどうなるか?それはわからない。でも私と軽業はつながっている。それだけは言える。
観客の割れるような拍手と歓声にこたえるように綱の上で手を振りながら歩いてから、私は地面にすとっと降りた。
そのまま、私は休憩所へ向かった。
「やったね。大成功じゃん、二人とも」
「いや、参った。俺、あんなの一生かかってもできないわ」
芸子たちは帰ってきた私たちにさまざまな感想を浴びせる。
それに応じながら、私は流れ落ちる汗を手ぬぐいでぬぐった。
「二人ともやっぱりすごいね。尊敬しちゃうよ」
そう言って冷たい水を持ってきてくれたのは、同僚の深津ちゃん。
「ありがと」
そう言って、私は水を受け取った。そのまま喉へ流し込む。枯れていた喉が水で潤い、歓喜の叫びをあげている。
演技をするのが好き。
人前で演技をし、歓声や拍手を聞くと、私はいつもそう思う。
軽業は私の生きがいだ。
これはまんざら嘘でもないだろう。