第8話 良いも悪いもタイミング
203号室、そこが私と日向の部屋。そこには今、私が一人で居た。片付けられた部屋に、制服を脱ぎ散らかす。ブレザー、ネクタイ、ベルト……。
「日向がいないうちに着替えなきゃ…」
ため息混じりに呟きながら、風呂に行ったルームメイトの帰宅を恐れて手早くボタンをはずす。女であることを隠している私は、着替えるのも一苦労だった。部屋では日向の存在、体育の授業ではクラスメイトの目がある。いつだってこの時間は、私にとってひやひやするもの。
「よいしょ…と」
ややシワのあるシャツをゆっくりと脱ぐ。その途端、空気に晒される身体。といっても、紅葉の散るこの季節、部屋には暖房設備抜群なので、上半身裸の今の状態はむしろ気持ちの良いものだった。
「……ホント面倒くさい」
白いさらしの巻かれた、たいして膨らみを主張できていない胸を見て、私は一言こぼす。さらしで潰しているため、もうほとんどペタンコだ。まな板だ。板チョコだ。
――心なしか、前より減ってるような…
そう思うと、余計に悲しくなってくる。まさか女に戻れないのでは、と不吉な考えまでよぎる。
「──あれ?そういえば、俺いつになったら女に戻れるんだ?」
すっかり板についた男言葉。バカ親にこの学校に入れられたところまではいいのだが(いや全然よくないが)、いつまで、なんて聞いていない。
「まさか無期限じゃないだろうな…!」
あの人達なら充分有り得る。また引っ越すまでか、それとも卒業までか……。
――というか、この際女ってバラして退学しちゃえば良くない?
本気でやろうかな、なんて思いながら、私は夜着に手を伸ばす。それを身体に纏おうとした時、コンコン、と扉を軽く叩くノックの音が響いた。
――日向…じゃないよね、ノックなんかしないし。疾風かな?
頭に?マークを浮かべながら、結局は男なのだろうだから急いで服を着ようとした。が、
「来斗、遥ちゃん居る?」
優しい澄んだ声。私は夜着を投げ捨て、ドアへとマッハで駆け寄った。
ガチャ、バタン!
派手な騒音をたて、私は勢いよくドアを開ける。目の前にいたのは、やはり予想通りの人物。
「どうしたんですか会長!!」
「あ、遥ちゃん。………え」
「もしかしてメガネの相談ですか!?私は換えないことをおすすめします!銀縁メガネこそ会長にぴったりです!あ、でも次は黒縁も見たいなぁ…なんて!!───あれ?」
私一人highになってさわいでいたら、会長が私に寄りかかってきた。いきなりの展開に、跳ねる心臓。私の肩口に顔をうずめる会長をなんとか支え、
「か、会長!?」
と、呼びかけてみるが反応なし。雪のように白い肌した顔を、そっと覗いてみた。
――え?
ややメガネがずりおち、あの穏やかな瞳は伏せられている。僅かだが、頬が淡い桃色に染まってた。
「…気絶してる」
え、なんで?とか、どうして?とか疑問詞が次々浮かぶ。そしてやっと気付いた、己の格好。下は制服のズボン、上はさらしだけ……。
「──────ッ!!!」
声にならない叫びを、絶叫した。
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「ご、ごめんね。取り乱して」
意識が戻った会長は、困ったように笑ってそう言った。会長が気絶してるうちに着替え終わった私は、あーや、いえ…など、曖昧な返事を返す。だって他になんと言えばいいんだろう。憧れの人にとんでもない姿見せて……!!
――絶対バレた。いくら私の胸が男より胸囲ないといってもさすがに気付くはず。っていうか、気付かなかったらそれはそれで泣けるよ
「あの、遥ちゃん……」
!! きたっ
お互い正座で向かいあって、額に汗を溜め緊張した面持ちをする。会長がその口から発する言葉は、一体どんなものだろう。私の頬はひきつっていて、会長も同様、うつ向き加減で眉が八の字に下がっていた。落ち着けない私は何度も正座し直したり、自分の肩の位置の黒髪をいじったり。
「遥ちゃんは本当は「ごめんなさい!」
会長の言葉を遮り、大きな声で謝罪の言葉を言い放った。会長がえっ、と目を丸くする。私はそんな彼を前に、頭を床につけ、生まれて初めて男の人に土下座した。そりゃもう、頭を床に擦りすぎて毛根が死んでしまうくらいに。
「ちょ、ちょっと遥ちゃん!顔あげてっ!」
手を顔の前でぶんぶんと振り、慌てた様子で私を止める。さすがに何度も床に叩きすぎ、額が痛くなってきた私は、目だけそっと会長にむけた。
「かいちょ──」
「遥ちゃん、ごめんなさい、は違うよ。大切なのは謝ることじゃない。僕が知りたいのは、理由だから」
「……はい」
子供を諭すような、優しい落ち着いた声で言う会長に、私は頷く以外できなかった。会長の手が私の頬に触れ、ゆっくり上を向かされる。メガネ越しの瞳と視線が絡まって、頭の奥がチリチリした。
「話してくれる?」
保育士とか、司祭みたいに穏やかな微笑みが私に甘すぎて、私は小さく首を縦にふった。
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とりあえず簡潔に事情を述べた私に、会長はそっか、と一言呟いた。思ったより薄い反応。
「まったく、酷い親ですよ」
「でも仲良さそうだね」
頬を膨らませる私に、会長はくすっと笑った。確かに私はお母さんのこと大好き。お父さんも邪険に扱うけど、まぁ一応好き。身寄りのない私を、引き取ってくれたんだから。…って、今はそんな場合じゃない。
「あ、あの、会長。この事なんですけど…」
身を乗り出しつつも、遠慮がちに口を開く。そんな私を見て、会長はまたさっきみたいに微笑をこぼした。
――あ…
なぜだか私は、その笑みを見てひどく安心した。心の奥の私が、この人なら大丈夫って言っている、そんな気すらした。そして、その通り会長は優しい表情で
「大丈夫、ばらそうなんて思ってないよ。だって遥ちゃんは、大切な生徒だからね。学園長も許可してるみたいだし」
私の頭を優しく撫でながら、そう言った。私の感動は最高潮。この時、私には会長が天使に見えました。
「でも、そっか。男の子にしてはすごい可愛いなって思ってたよ」
納得、納得と呟きながら、すっきりした顔する会長。
「──って、可愛い!?俺がですかっ!?」
「うん、なんだか妹みたい」
「あ…妹……」
がくっ、とうなだれる私に会長は笑顔のまま、欲しかったんだ妹、と更なる攻撃をしてくる。この人きっと天然だ。
――できれば、ちゃんと女の子として、恋愛対象にしてほしかった
なんて乙女みたいな事を思いつつ、さっきとは一変、小悪魔に見える彼をチラリと横目で見て、その笑顔にやっぱり胸ときめいた。
「重症だ……」
「ん?」
「な、何でもないです!」
首をかしげる会長に、私は気付かないふりした。この気持ちは、まだ知られなくていい。
「あ、そういえば、この事来斗は知ってるの?」
ふと思い出したように会長は言う。私はその質問に首をふり
「いえ、知ってるのは学園長と会長だけです」
そう答えるとともに、私の頭を一瞬よぎったあの人、あの言葉。
(またな、お嬢さん)
翡翠みたいな瞳、太陽に輝く金の髪、飄々とした雰囲気。私が襲われかけたあの日、耳打ちした言葉の意味は―…
「遥ちゃん?」
数秒思考がとんでいた私を、癖なのか、会長が覗きこんできた。近い整った顔に胸が高鳴る。
「あ、す、すいません」
たじろぎながら、私はサッと顔をそらした。
――考えすぎ、だよね…。女顔だからそう言っただけかもしれないし
次から次へと不安要素、なくす術なんてわからない。
「会長、この事はどうか内密にお願いします。…日向にも」
これ以上、重荷は勘弁。嘘をつくことが罪ならば、それでもいい。だって知らぬが仏、じゃん?
「いいけど…大丈夫なの?」
「ルームメイトが女って知られたら、きっと気まずくなりそうですし」
ニコッ、と笑って言うと、会長は少しだけ寂しい表情をしたけれど、鈍い私はその僅かな感情に気付かなかった。
「でも、遥ちゃん。女の子だと色々大変だろうから、なにかあったら直ぐに相談してね?」
栗色の髪を揺らし、心配そうに私に言った会長。本当に優しい。あの恐い寮長と双子なんて信じられない。私は嬉しくて、『はいっ!』と威勢よく返事した。
その後、会長は戻ってきた日向と一緒にどこかへ行った。もともと日向に用があって、部屋に訪れたらしい。一人になった私の心は、例えようのない幸福感と切なさでいっぱいだった。
――そうだ、そうだよ。私がこの学校を出ていきたくない理由あったじゃん
「メガネ会長ラブ……♪」
生憎突っ込んでくれる人はいなかった。
運命なんて気まぐれだろう?