第37話 シンメトリー
日向視点。
たまらなくなって部屋を飛び出した俺は、途中で疾風にぶつかった。色々なことが頭の中で回り、半ばパニック状態の俺だったが、疾風はそれ以上に混乱していて、そのせいか俺は少し落ち着けた。
疾風がどうしてこんなに混乱しているのか、詳しいことは分からないけれど、大方タケ絡みだろう。いつも悩みなんかありません、って顔で笑っているから、泣きそうな疾風を見るのは久しぶりだ。
――最後に泣き顔を見たのはいつだっけ。
覚えていない。いや、正しくは忘れたのかもしれない。
「……おい、着いたぞ」
いきなりかけられた声にハッとする。前を向けば、確かにそこは203と書かれたプレートがついた扉があった。
「ごめん、ぼーっとしてた」
俺は苦笑しながら、疾風に謝る。疾風はバーカ、と笑い、俺の横をすり抜けドアを開けた。後を追うように俺も室内へと入る。
部屋のなかは当たり前だがしんとしていて、少し肌寒かった。カーテンを閉めているせいで日光が遮断されているため、それが更に引き立てられている。
俺は窓に駆け寄り、紺青色の分厚いカーテンを開けた。差し込む光が眩しくて目を細める。少しだけ、室内の温度が上がった気がした。
窓の外に見える空は手を伸ばしたくなるくらい済んだコバルトブルーで、それがなぜか切なくもある。……彼等は、まだこの青空の下にいるのだろうか。二人で、流れる雲に見つめられているのだろうか。
「ライ」
後ろからの声に、肩がはねる。振り返れば、疾風がベッドの上に座りこちらを見上げていた。ギクリとした。睨むような、それでいて不安げな目をしていたから。
――普段は“ライ”だなんて呼ばないのに。
心臓が再び忙しく働き始める。疾風が先程より落ち着いたぶん、俺が緊張している。立ち尽くす俺に、疾風は眉間にしわを寄せた。
「――やっぱり、気になってるんじゃねえか」
「え……」
「なあ、本当にいいのかよ。お前はあいつらの所へ行く途中だったんだろ? だったらこんな所で俺と話してる場合じゃ」
「疾風!」
たまらなくなって叫んだ。いきなり大きな声をだしたせいか、疾風が怯む。
だけど、声を挟まずにはいられなかった。だって聞きたくなかったんだ、その言葉の先を。
俺は手を握りしめ、疾風の目の前にどかりと座って上目に見る。彼を見上げる機会は滅多にないから、なんだか新鮮だった。
「疾風はさ、誤解してるよ」
落ち着いた声を出したつもりなのに、震えた。情けない。ああでも、疾風の前ではそんなの今更だ。
「確かに俺は、気になってるよ。ハルと、…タケのこと。だけど、俺はあの二人に会いに行こうと走ってたわけじゃない」
先輩の言葉に耐えきれず逃げただけだ。
「正直言うと、今だってあの二人が何を話しているのかすごい気になる」
「……」
「だけど、疾風にも聞いてほしいし言ってほしい。このままじゃ駄目だってわかってる。俺は今、お前と話すべきなんだ」
噛み締めるように言って、疾風を強く見つめる。疾風は俯けていた顔をあげた。その瞳はしばし揺れていたが、意を決したように真摯な眼差しを俺に向ける。その真っ直ぐさに怯みそうになった。
それでもここで目をそらしたらすべてが駄目になってしまう気がして、俺は半ば睨みつけるように瞳を見返した。
口を開く。話さなければ。
……でも、何から? どんな風に? いや、そもそも何を?
再び頭が混乱する。開けっ放しの口は何も役目を果たせないまま、結局閉じた。
――こんなの、全然俺らしくない。
俺はもっと、スマートに生きているつもりだったのに。
「俺さ」
不意に響いた声に、俺はひどく驚いて肩が大きく揺れた。声の主は、そんな俺を見て笑う。
「結構、流されて生きてると思うんだよね。痛いのも辛いのも悲しいのも嫌い。だから、どんどん楽なほうへと逃げる。ここに通ってるのだって、初めての彼女ができた時だって、深く考えずにまあいいか、なんてさ」
マジだせー。そう自嘲するように呟いた疾風は、いつもの表情からは想像も出来ないくらい切ない笑顔を浮かべていた。
「だから、あの時も俺はお前に逃げた」
あの時。その言葉に、心臓が嫌な音をたてせわしなくなる。
あの時、それは言わずもがな、佳奈が事故に遭った日。
ああ、痛い。思い出しただけで、全身を針で刺されているような感覚に陥る。
「本当はわかってたんだ。タケがどんな奴か、どんな気持ちでああ言ったのか。なのに俺、気付けなかった。その上、タケと距離つくった。あの時、それが一番やっちゃいけない行動だったのに。まるでただの顔見知りみたいに接して、あいつの気持ち理解しようともしなかった。駄目なんだよ、このままじゃ。このまま一生話せなくなるなんて嫌だ。俺は、今の生活も楽しいって思ってるけど、やっぱり前みたいに戻りてえよ。来斗とタケとまた馬鹿やって笑い合いてえよ」
疾風は一息にそれらの言葉を並べた。今にも泣きそうな顔で。
――バカだ、俺。
何もわかっていなかったのは俺だ。俺だって、タケのこと好きだったよ。佳奈が大好きなタケのこと、嫌いなわけがない。だけど、だからこそ大嫌いになった。佳奈を奪った。そう思って。だけど、そもそもそれが間違いだったんだ。
「……俺もだよ」
俺は、疾風にそう一言返すだけでいっぱいいっぱいだった。
あの子と笑ってる君が好き。