第33話 哀しいもしもの話
屋上からの階段を一本抜かしで下りる日向。休日のせいだろう無人の校舎を駆け、外へと飛び出す。それでも足は止めず、彼は寮へと向かった。
門を抜け、ぶつかるように扉を押し開ける。どこに向かうかなど考えていなかった。ただあの場から離れたかっただけで。しかし、確実に彼は自室203号室へ向かっていた。
全速力で走っていた日向を偶然見つけた怜衣は注意したが、彼に謝る余裕はない。
――嫌だ嫌だ嫌だ。
何がなんて分からない。でも、聞いてしまった。見てしまった。頭から離れない、遥と東条の会話。
日向は203号室に転がるように入り、自分のベッドへと倒れ込む。
(……君は、まだ想ってるんだね)
(俺ひとり、仲間はずれ)
(だって、こんなのみんな不幸じゃないか)
(俺が死んだほうが……)
流れこむ言葉。哀しみを帯びた声色、震えていた肩。包みこむ遥と、泣く東条。
「……なんだよ、それ」
ふざけるな、ふざけるな。日向は頭をかかえ呟く。そんなの聞いてない。そんなの知らない。悲しみや怒り、戸惑いが彼のなかで渦巻く。
日向は髪に指を差し入れ、荒々しくかきまぜた。なにかに耐えるように、唇を噛み締める。
虚無な室内には億劫とした空気が漂っていて、それが更に日向を苦しめた。
――だって、だってこれじゃあ……。
ギュッと拳を握り締める。
「俺、かなり悪い奴じゃん……!」
一人で怒って憎んで言葉だけに捕われて、被害者ぶっていた。目の前で恋人が殺されて、ショックじゃないわけないのに。豹変しちゃっても仕方ないと考えれば解ったのに。
ギリ、と爪を髪のなかに食い込ませる。痛みが走るけど、そんなのこの胸の痛みに比べればなんてことない。
許す許さない。
戻る戻らない。
進む進まない。
問題は、それだけだと思っていたのに。しかし遥と東条の会話を聞いた今、日向はそんなのどうでもよくなってきた。ただただ、混乱している。
――聞かなければ良かった。
もしあの二人じゃなかったら。もし屋上に行かなければ。もし星影先輩が来なければ。
もし、もし。仮定の話は過ぎた今どんなに考えても意味がない。それでも止められなくて。もしも、もしも。
もしも、遥と出会わなければ。
「泣いているのですか?」
うずくまっている日向に声をかける男。日向は今度はもう、驚かなかった。顔を上げずに、ぎゅっと膝を抱く。そんな日向に、彼は薄く笑った。
――可哀想な人。
男、星影は日向の顔を覗き込む。びくりと反応する彼。
「なんで……」
「はい?」
「なんで、俺を行かせたんですか?」
質問に男は答えない。能面のような緩やかな笑みを浮かべるだけだ。相変わらず、何を考えているのか分からない。何も言わない星影に日向は顔をあげ、目の前の男を睨む。怒りと悲愴がにじんだ瞳で。
「なんであんなこと俺に言ったんですか! 貴方には関係ないでしょう!? なんで、なんで……!」
まくし立てる日向に、星影はやはり表情を崩さない。それが更に彼を苛立たせた。
頭の片隅では分かっている。こんなの、八つ当たりでしかないと。しかし理性で抑えられないくらい、感情が高ぶっていて。
――嫌だよ。
日向は乾いた口唇を噛み締めた。皮が破れ、ピリッとした感覚と血の味が舌を刺激する。
「……どうして、そんなに怯えているのです?」
「…怯えてる…?」
「怯えているでしょう? 自分が悪者になるのを」
「―――っ!」
日向は息を飲んだ。やめてくれ。心の奥で叫んでいるのに、声にならない。
「彼の本心を聞けたのだから、後は許せばいいだけ。なのに貴方は躊躇っている。彼より、貴方のほうが酷いと分かってしまったから」
やめろ。
「今までのようにはもういきません。甘えているのは、誰ですか?」
やめてくれ。
「私は貴方をいじめたいのではありませんよ。ただ、見てるにあまりに焦れったい」
聞きたく、ない。
「さぁ、立つもうずくまるも、貴方次第」
耳をふさいだ手は、意味を成してくれなかった。
悪魔の顔した天使か、聖者の顔した道化師か。