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第32話 エメラルド悲恋歌



 背中のコンクリートはこの陽気のためか、わりと温かい。だけどやっぱり固くて、痛みがなかったわけじゃない。ただ、悲鳴をあげる間もなかったんだ。

 わたしの手首を掴む彼の腕は、力を込めているつもりなんだろうけれど、震えているため全く意味を成していない。

 ――泣いてる?

 空が見えない不安より、彼の翡翠が金糸に隠れたもどかしさの方が大きいんだ。


「……佳奈」


 彼が呟いたそのたった二文字が、どうしようもなく私の胸を締め付ける。風に東条の前髪が揺れて、目が合った。



 なんて、悲しい。



 彼は私を見ていない。もういない彼女を瞳に映している。ねぇ、まだ探してるの?

 ちゃんと此方を見て。口に出せない思い。誰も代弁なんかしてくれないと分かってるから。


「……君は、まだ想ってるんだね」


 彼が目を見開く。その隙に私は彼の身体を押し、起き上がった。

 本当は、謝るだけのつもりだった。今日は和解して、その後にケアしたいと思ってた。

 でも、もう止められない。


「東条、もう許していいんだよ。いつまで、自分を苦しめ続けるつもりなんだ?」

「……黙れ」

「誰もこんなの望んでない。これ以上、最悪のシナリオに向かっちゃ駄目だ。だって、こんなのみんな不幸じゃないか」

「……だま、れ、黙れ黙れ黙れ」

「ねぇ、東条」

「うるさい、黙れ……!」


 髪を掻きむしる音が痛々しい。私は彼の手を掴み、顔を近付けた。カチリ、と合う視線。

 おびえた目をしてた。すべてを拒絶しようと、だけど救いを求めている目。



 お願い、もう傷つかないで。



「………ばか」


 私は膝立ちになり、東条の頭を抱きしめた。ビクリと揺れる、彼の肩。


「……駄目なんだ、俺」


 東条の声色はひどく弱々しかった。初めて会ったときとでは考えられない声である。あんなに嫌いだったはずなのに。ああでも、私はずっと彼を気にしてたんだ。

 意味深な言葉と、瞳に色付く読めない感情。ずっと知りたいと思ってたの。

 私は彼の髪を撫で、次の言葉を促す。


「女を見ると、重なるんだ。全然見た目や雰囲気が違っても、どうしても佳奈に見えて仕方ない」

「……東条……」

「だから、ベタベタ触られるとたまらなくなる。誘われたら、どんな女でもそのまま押し倒してた。抱いている間は、快感の波に溺れて、何もかも忘れられたから。でもその後、後悔が押し寄せて、苛々して。もう、視界に入るもの全てを壊したくなる」


 そう言って私の肩口に頭を埋める東条の腕は、震えていた。らしくない彼に、余計切なさが募る。

 ――なんて、不器用なんだろう。

 そう思った。


「バカだよ……」

「…ん。俺、馬鹿なんだ。ストレス解消のために煙草吸ったり、酒飲んだり、誰かれ構わず殴りとばしたり……」


 口調まで変わってる。いや、もしかしたら今私の目の前にいる彼が本当の彼で、私が今まで見てきた彼は偽りだったのかもしれない。

 どうしようもなく混乱して、すっかり豹変してしまった、可哀想な人。


「その内、どんどん来斗とも険悪になって、気付けば疾風とも話さなくなった。……俺ひとり、仲間はずれ」

「───それは」


 口を挟んだ私の声を遮って、彼はため息混じりにこう言う。


「わかってる。嫌われて当然なんだ。わかってるのに、傷付いて。それにまた、苛々して……」


 キュッ、と私の背中に回した手を握る東条。あんなにすれてて、怖かった人が、今ではこんなにも弱々しい。


「あんた、可哀想すぎる……」

「はは、知ってる」


 顔をあげて、儚げに微笑む。無理矢理張り付けた笑顔じゃない。心から笑ってる、とは違うけど、偽りじゃなくて。笑うしかない、って感じだ。

 切なくて、胸が締め付けられる。苦しい、苦しいよ。そんな風に、笑わないで。


「ねぇ東条」

「……」

「間接的にとはいえ、佳奈さんを死なせてしまったのはあんたかもしれない。でも、佳奈さんは東条をかばったんだろ? それは間違いなく佳奈さんの意志だよ。東条を好きだから、助けたかったんだよ」

「違う。やめてくれ。佳奈が死ぬくらいなら、俺はどうなってもよかった。俺が死んだほうが……」


 私はつづく言葉を遮るように、彼の頬に手をそえた。翠の瞳。硝子のように綺麗で、だけど作り物みたい。

 不安気に見つめてくるその瞳が、とても切なく感じた。


「佳奈さんの気持ちを無駄にするなよ。俺が死ねばよかったなんて言ったら、死んだ彼女はどうなるんだ? 死に損じゃないか。そんな悲しいこと、もう二度と言わないで……」


 捲し立てるように一息で言えば、翡翠の瞳が揺れる。雫が目尻に溜まって。

 彼はまたうつ向き、私の背中に回した手に一層力を込めた。肩が震えているのが痛々しい。

 私はサラサラの金糸に手を差し込み、ゆっくり撫でた。


「泣いてよ。今、思いきり泣いて」


 涙は誰かのために流すのでしょう?

 それはきっと弱さじゃなくて、優しさだから。


「……ッ…」


 小さく鳴咽をはく彼が、幼い子供に見える。わき上がる感情は、言わずもがな。

 誰かが許して、初めてその罪は報われるならば。懺悔よ、どうか救われて。悲しみをこれ以上重ねないで。


 いるかも分からない神に祈った。




 ―――バンッ!



「!?」


 私は物音に振り向いた。まるでドアを思いきり閉めたような、荒々しい音だった気がする。誰か……いた?

 ――まさか、ね。

 わざわざ休日に屋上へ来る変わり者など、滅多にいない。私だって、星影先輩に言われなければ、来なかったのだから。


 振り返った視線の先、寂れた扉は無情にも閉まっていた。

 それがあるべき姿なのに、こんなにも気にかかるのは何故だろう。





賽は投げられた。

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