第30話 終わらないシーソーゲーム
朝食を食べ終わり、遥は琉衣にお礼を言い彼の部屋を出た。琉衣は少し心配してたようだったが、笑って遥を見送った。それを知ってか知らずか、遥はもう一度お礼を言う。
そして彼女の向かう先は、そう。203号室。自分と日向の部屋である。正直遥は、未だに不安でいっぱいだった。
なにを言えばいい?
どんな顔すればいい?
絶えない疑問。答えなんかあるのかも分からない。それでも遥は、決意した。口唇を噛み締め、手を握る。今はただ会いたい気持ちを優先して。逃げたりなんか、彼女はしたくなかった。
――また傷つけたりしないようにしなきゃ。
これ以上、誰かの痛々しい傷を化膿させてはいけない。
「遥さん」
名前を呼ばれると共に、耳に触れる息。
「───ッ!」
遥は耳を押さえ、後ろを振り返った。このデジャブな感覚。そこに立っていたのは、遥の予想通りの人物。
「……星影先輩」
「隙だらけですよー♪」
にこやかに笑う星影。遥は半ば反射的にため息をついた。
「星影先輩、今度の今度は本当に勘弁して下さい」
「? なんのことですか?」
「あなたが出るとギャグになるでしょ」
「いいじゃないですか。最近シリアス続きで疲れたでしょう? 息抜きも大切ですよ」
ね?と彼は微笑む。遥はしばらく呆れた目で見ていてが、すぐにハッとした。
――こんなところで道草くってる場合じゃない。
そう思い、星影に背をむけようとした。だが、
「お待ち下さい遥さん!」
「うわぁ!!」
後ろから肩を掴まれる。その勢いに、後ろにふらつく遥。何とか踏ん張り、転ぶことは免れたが。
「なんなんですか!?」
「何処へ行くのです遥さん。あなたが行くべきは屋上ですよ」
「……また屋上ですか」
いつかの事を思い出す。しかしそれは、意味のあることだった。もしかしたら、今回もなにか考えがあって言ってるのかもしれない。
そう思った遥は、彼と向き直る。星影は相変わらず淡く笑んでいるだけで、なにを考えているかよく分からない。
ジッと見つめてくる遥に、彼はにっこりと笑った。聞く気があると認識したのだろう。そして遥の頭に手をのせ耳元で囁いた。
「綺麗事はいけません。大切なのはあなたらしい優しさですよ」
と。
――それが、今回のラッキーアドバイス?
つくづく思う。彼は何者なのかと。しかし今は、それについて考える時間は彼女にない。
「信じて、大丈夫ですか?」
「もちろんです。私は嘘はつきませんよ」
にこやかに笑う彼の意図は掴めない。だが、疑う理由はなかった。
遥は星影に小さくお辞儀して、屋上へと走る。きっといるであろう人物を頭に描いて。
「可愛い人」
星影がそう呟いたのは、誰も知らない。
#
屋上の重い扉の前、遥は取っ手を握りながらも躊躇っていた。以前と同じパターンなら、扉の向こうにいるのは東条だろう。
――でも
思い出すのは、どうしてもあの場面。無意識に彼女は片手で口唇に触れていた。
「って、うわー! キモいよ俺! あのことは忘れるんだ! アイツは寝惚けてたんだし、カウントに入らないッ」
よって俺のファーストキスは守られた!なんて叫ぶ遥。必死に言い聞かしつつも、頬から熱がひかない。遥はそんな事実から思考をそらすように、勢いよく扉を開けた。
途端、突風が顔に襲いかかり、彼女は反射的に目をつぶる。風がやむのを確認し、ゆっくりと瞼を開いた。
久しぶりの屋上。以前と同じように、手を浸したくなるような青が惜しみなく広がっている。
――さて、と。
遥は後ろ手にドアを閉め、辺りを見渡した。そして、彼を見つける。前とは違い起きてるようだ。彼も遥をその緑の瞳で見つめる。
「……東条」
口からこぼれた声はとても小さく、だけど彼はしっかりと反応した。
遥はやや早い歩調で、フェンスに寄りかかる東条のもとへ歩みより。彼は指で挟んでいた煙草をコンクリートに押し付け火を消す。
遥が目の前まで来たのを見ると、直ぐに目をそらした。
「東条」
彼女はもう一度、彼の名前を呼ぶ。その声には、いったいどんな感情が込もっているのだろう。
遥は自分を見ない東条を見下ろしながら、昨夜のことを思い出した。
(俺が佳奈を殺した!)
痛々しい叫び。今こそその瞳は完全に冷めきっているが、涙を溜めたのだ。そして、そこまで傷つけてしまったのは紛れもなく自分。
遥はしゃがみこみ、東条と視線の高さを合わせる。彼はそんな遥を鬱陶しそうに見つめ返した。
「……東条、俺」
「なんなんだよ、お前は」
彼女の弱々しい声を遮る。その声色は、僅かに苛立ちがみえた。つい遥も怯んでしまう。
「お、俺…謝りたくて。昨日酷いこと言ったから。謝って済むようなことじゃないけど、謝る以外思いつかなくて……」
「やめろ。どうせお前も俺を哀れんでるんだろ? 鬱陶しいんだよ。同情ならたくさんだ」
「同情じゃない!」
青空に、遥の声が響く。訴えかけてくるその表情に、東条はつい目をそらした。
「……ただの同情だったら、こんなところまで来ないよ」
震えた彼女の声。胸の奥が鷲掴みされたような痛みを、東条は感じた。
イライラする。
その目もその声もその表情も
苛立ちが抑えられない。
「……んで…」
うつ向く彼から、発せられた声。小さな小さな呟き。
「…なんで、放っておいてくれないんだ。俺のことなんか、なにも知らないくせに。なのに、なんで……そんな風に、言えるんだよ」
金糸のような髪を掻きあげながら、彼は途切れ途切れに言う。遥は口唇を噛み締め、そっと東条の肩に触れた。ビクリと彼の身体が揺れる。
「──ッ、触るな!」
東条が叫んだ瞬間、遥の視界が反転した。
瞳に映るは、清々しく晴れた青空と、苦しげに表情を歪める彼。
絆創膏じゃ足りない。包帯でその傷は癒せますか?