第27話 雨と風の旋律
私はフラフラとした足取りで、あてもなく歩き始めた。夕飯を食べ終わったのだろう、周りがざわついてくる。
何人かの寮生に話しかけられたけど、明るく返す気力はなくて。必死に張り付けた作り笑いは、不自然なものだったかもしれない。広い寮。彷徨いながら、私はたくさんの疑問を抱いていた。
何処へ行けばいいの?
誰を探せばいいの?
私、どうすればいいの?
答えのない問題は、いったい誰が解くのだろう。正解にたどり着くまで考えるの? 答えがないのに? 私には、できない。真実なんて導けない。
「雨が降ってきたね」
にわかに。背後から降る穏やかな声。その声が誰のものかすぐに分かったのに、私は動くことができなかった。
「今夜は荒れるかな」
その言葉の通り、雨が窓を叩いている。ぽつぽつと不規則なメロディを奏でていて。次第にそれは、速く強いものへと変わっていった。風雨が揺らす。
「でも、朝にはきっと晴れているだろうね」
気配が近付いてきた。優しく、肩に触れる。私はゆっくりと振り返った。
「……会長」
「どうしたの? 遥ちゃん」
泣きたくなるくらい、温かい笑顔。
心の奥がキュッ、と絞まった。甘えちゃダメ。だけど、全てを受けとめてほしいと、寄りかかりたいと思ってしまう。
私は手の平をまるめ、握り拳をつくった。緩む涙腺を必死に締める。
「会長、私は、酷い人間です。助けたいと言う癖に、傷つけてしまうのです。かさぶたを剥がして、傷をえぐって、言いたくないようなセリフを言わせてしまう、えげつない人間なんです」
私が余計なことしたから、日向も東条も、あんな苦しい顔して。
会長は何も言わない。私はうつ向いたまま、たまらない罪悪感にかられる。
「…遥ちゃん」
そっと、会長の手が私の頭を撫でた。あやすような、優しい手付き。柔らかい声色に、不思議と肩の力が抜けた。
「本当に酷い人間なら、助けたいなんて思わない。こんな風に、落ち込んだりしないよ」
ぬくもりが、私を包む。抱きしめられた。きつくなく、されど温度を感じる距離。なんて心地好いんだろう。
「遥ちゃんは、優しいね」
「……っ」
その言葉。
記憶のなかの、思い出。
いつも泣いてる私を撫でてくれた。
いつも優しくしてくれた。
……お兄ちゃん。
途切れ途切れの、鍵。
似てると思った。雰囲気や笑みが。あくまで似てる、だけれど。
「…私は、私のしたことは間違っていたんですか? 私が口出しするのは、余計なことですか? ……っ優しくなんか、ない。私は優しくなんかないんです」
「……。もうすぐ、消灯時間だね」
会長の返事は、まったく関係のないものだった。背中を撫でる手は止まらない。私は彼の胸板に両手を沿えた。雨は更に強くなっている。
「今日は、僕の部屋で寝る?」
一瞬、思考が停止した。
「……え?」
「ルームメイトはいないし、部屋広いから。あ、誤解しないで。変な意味はないよ」
私は少し押し黙る。会長の人柄はよく知ってる。きっと気遣ってくれてるんだ。
それに、正直今は、日向のいるあの部屋には戻りにくい。話しあいたいと思う。何より会いたい。だけど、また傷つけてしまいそうで。
「…お願い、します…」
そう答えた。
会長は淡く微笑み、私の手を優しくひく。男の人と、しかも私を女と知ってる会長と。
でも、会長の手は温かくて。側にいたいと思った。ただ隣にいるだけで、安心できる。彼の纏う雰囲気が、たまらなく優しいから。
◇
部屋に戻ったら、ハルがいなかった。まだ疾風と一緒にいるのだろうか。安心半分、落胆半分。顔を合わせにくいのは本心。だけど、それと同時に会いたい気持ちも強くて。
「おかしいよね」
苦笑がこぼれた。
もう消灯時間がすぎてる。このまま、帰ってこないつもりなのか。少しショックだ。追い掛けてくると、図々しい期待をしてたから。だけど、どうやら勘違いみたい。
(日向、痛い……)
(バカな女だったんだろ)
(お兄ちゃんなんか嫌い!)
頭痛がする。
愛しい妹。大好きだった。可愛くて可愛くて、しょうがなかった。ケンカしたまま、佳奈は東条と出かけて。行ってらっしゃいって、言えなかった。
だから余計、許せなかったんだ。東条が、──タケが、佳奈を殺したわけじゃないのに。
もう声も聞けない。
顔も見れない。
触れることもできない。
「もう、二度と会えない…!」
ケンカだって。仲直りだって。もう、できないんだ。
恨むべきは、飲酒運転のドライバー? じゃあ、そいつが死んだなら、誰を恨めばいいんだ。この怒りを、誰に向ければいいんだ。
(お前が死ねば良かったのに)
絶対に言っちゃいけない言葉を、俺はタケにぶつけた。だけどあいつは、顔色ひとつ変えなかった。
風が窓を揺らす。
雨が、強さを増した。
傷付いて、傷付けて。癒すことができない私は愚かな道化