第24話 信じていたあの頃
──中三の夏──
「うわ……また派手にやられたな、ライ」
来斗の真っ赤に腫れた頬を見て、哀れむように健が言う。来斗はムスッとした顔で、その左頬を手の甲で押さえた。
「遊んでばっかいるからだよ、色男。今回は誰に殴られた? 1組の里美か? 他校の麗奈か?」
その隣でからかうように、疾風が来斗をつつく。来斗は茶化すなよ、と言い、疾風の手を振り払った。
「……愛美。前に街で逆ナンされた女だよ。メール見られて、浮気者!ってビンタされた」
付き合ってなんかないのに、とぶつぶつ零す。それに健はわざとらしいため息をついた。
「……なんだよタケ」
「いや、自業自得だろって思ってさ。明らかにお前が悪い。どうせやるならもっと巧くやれよ、女タラシ。そのうち刺されるぞ」
「ご忠告どーも。でもタケはもっと俺を見習ったほうがいいよ?」
「……どういうことだ?」
怪訝な顔をする健に、来斗は見目麗しく微笑む。そして、自分より少しだけ背の低い親友の額に中指をあて、恥ずかしげもなく言い放った。
「真面目なのもいいけど、ちょっとは刺激求めたら? どうせ佳奈とだって、小学生みたいなキスしかしてないんだろ?」
「バッ! うぜーよ!」
甘い声とその内容に健の顔がいっきに赤く染まる。それを見て来斗は吹き出し、腹をかかえて笑った。
遊び慣れた来斗にとって恋愛沙汰は、純情な健はおもちゃ同然である。
疾風も一緒になって笑うものだから堪らない。
「お前等……」
健の怒りが頂点に達しそうになったとき、並ぶ三人の背後から聞き慣れた声がした。それに彼等は振り返る。
「遅れてごめん──って、お兄ちゃんほっぺ腫れてる!」
「またやられちゃった。慰めてよ、愛しの妹」
そう言って来斗は駆け寄ってきた妹、【日向佳奈】にギュッと抱きついた。佳奈はそんな兄に、呆れた視線を送る。
だけど当の本人は抵抗しないのをいい事に、何度も頬擦りして。見かねた健がべりっと剥がした。ゲンコツをおまけして。
「いった〜。首から上はやめろよ!」
「佳奈に似た綺麗な顔が変形したら困るもんな」
「バカ、佳奈が俺に似て綺麗なんだ」
不毛な争いを続ける来斗と健。来斗の重度なシスコンは今に始まったことではないので、佳奈は諦めていた。それに、佳奈自身ややブラコンでもある。
そして健は、片想いの末やっと付き合うことのできた大事な彼氏。溺愛されることはむしろ嬉しい。……度が過ぎなければ。
「佳奈も大変だなー」
のんびりとした口調の疾風に佳奈は、もう慣れました、と返した。
「愛されすぎるのも、考えもんだね」
「そういう疾風先輩はどうなんですか? 彼女いますよね」
「心配無用。ラブラブ中です」
えへん、と胸を張る疾風に、佳奈は小さく笑う。兄に似た紺色の髪がふわりと揺れて、甘い香りが疾風の鼻をくすぐった。
――こんな可愛いんだったら、そりゃシスコンにもなるよな。
疾風は佳奈の笑顔を見て、改めて思う。
同じクラスの来斗、疾風、健。そして来斗の妹で健の彼女であるひとつ年下の佳奈。
四人は大抵よく一緒にいた。性格はてんでバラバラな彼等だったが、喧嘩するほど仲が良いとはいったもので。
「あ、佳奈! 明日の映画のことなんだけど……」
「え! タケたち明日デートするの!? いいか佳奈。お前はまだ中学生なんだから、6時までに帰るんだよ? 何があっても朝帰りなんて」
「な、なに言ってんのお兄ちゃん!」
ふしだらな発言をする来斗に、佳奈は真っ赤になって反論する。
――っていうか、来斗だって中学生じゃん。
疾風はそう思ったが、とりあえず黙っておいた。
「バカップルにダメ兄貴……。なんだかなぁ」
言葉とは裏腹に、疾風の表情は穏やかなものである。
俺たちは、信じてた。ずっとこうやって笑い合えるって、信じてたんだ。
そう、あの事件が起きるまでは────
◇
疾風から話を聞いた遥は、何度もまばたきを繰り返した。そんな彼女に疾風は苦笑をこぼす。
「日向がシスコンのうえ遊び人だったことに驚くべきか、あの東条が純情だったことに驚くべきか、佳奈という女の子の存在に驚くべきか……」
「とりあえず全部に驚いておけ」
「…はぁ…」
抜けた返答を返す遥。疾風はいつもの無邪気な笑顔ではなく、憂いを帯びた笑みを浮かべた。
思い出という一言でまとめられれば、どんなに楽だろう。だけど、そんな簡単なことではない。楽しかったあの日々さえも、今では心が苦しくなるだけで。
もう戻らない。戻らないんだ。そんなこと、疾風は分かりきってる。いや、疾風だけではなく、きっと彼等も。
「疾風?」
黙りこんだ疾風に不安を感じたのか、遥が顔をのぞきこむ。はねる心臓を抑えて、彼はごめん、と謝罪を述べた。
謝られた理由がわからず、遥の眉間に縦皺がよる。
「そんなふくれた面するなって。可愛い顔が台無しだぞ」
「日向みたいなこと言うな」
そう言って遥は触れてくる疾風の手を振り払った。
「ああ、わりぃ。…思えば来斗がキザなこと言うのも、あの頃の名残だろうな」
「は?」
「今じゃ真面目になったけど、時々ドキッとする仕草するだろ?」
遥は今までの事を思い返し、確かにと頷いた。
――なるほど、天然だと思っていたあれは、昔のくせか。
そう彼女は解釈する。
「でも疾風」
「あん?」
「日向はともかく、東条が純情だったっていうのは、信じられないんだけど」
だってあのエロ魔王が。
と付け足すと、疾風は、ははっと笑った。
「あり? でもなんでエロいって……お前なんかされたの?」
その言葉に、遥の顔にボッと熱が集まる。これでは何かされたと言ってるのも同じだというのに、遥はぶんぶんと首を振った。
――絶対なんかあっただろ……。
だけど疾風は、あえて深くつっこまなかった。
「で、そんなに仲良しだったのに、なんで今はあんな状態?」
ゴホン、と咳払いして遥は尋ねる。
「……それは」
疾風の表情が苦痛に歪んだ。遥はそれにハッとして、また自分は余計なことを言ったのではと口唇を噛み締める。
遥がなにか言おうと口を開いたとき、疾風は哀しみに染まった声で言った。
「事故ったんだ。佳奈とタケ」
楽しかった。楽しかったよ。あの惨劇が起きるまでは……。
ぼくらは信じていたんだ。永遠ってやつを