第20話 屋上での事故
ルームメイトのいない部屋は、本当に静かだ。だけど、今の私にとってそれは助かる。
「うーん……」
ベッドの上、あぐらをかきながら私は唸った。腕を組んで、考え中ポーズ。悩みの種は、もちろん彼等のこと。
聞きたい、というのが正直な気持ち。けれど、それは正しいのだろうか。
誰にだって踏み入れたくない事はある。そこをずかずか土足であがるのは、傷つけることになるはず。
「日向、話したくないみたいだったし……」
声に出せば、鉛のような重さが胸に落ちた。気になるから知りたいなんて、私のエゴだろうか。
女の私が不安だらけでやって来たこの男子校。初めて声をかけてくれたのは、他の誰でもない日向だった。初めての友達。優しいルームメイト。今度は私が助けてあげたい、という理由じゃ足りない?
(興味本意程度の気持ちなら止めとけ)
……違う。そんなことない。興味心だけなら、こんなに悩まないから。
「そんな貴方は、屋上に行くべき〜」
「!?」
首筋にあたった生暖かい吐息。悪寒が電気のように全身をはしった。おずおずと振り返ると、そこには笑顔満面の
「ほ、星影先輩……」
「はい♪ 困ったときに、星影透。星影透をよろしくお願いします」
なんのフレーズだっ!
そう心の中で突っ込みつつ、私は座ったままざかざかと後ろに後退った。そりゃもう、物凄い速さで。
「逃げないで下さいよー」
「な、なんで此処に──っていうか、いつから……!?」
壁に背をつけながら尋ねる。知らず知らずのうちに声が震えた。気配なしなんて、いったいどこの忍だ。
「私、人を驚かすの大好きなんです」
キラキラとした光を飛ばしながら、爽やかな笑みを向ける先輩。なんて無茶苦茶な性格だ。第一答えになっていない。
「さぁさぁ遥さん! そんなことより早く屋上に行くのです」
「はい? なんで屋上!?」
「青春の一ページです」
……何しに来たんだこの人。
私が冷ややかな視線を送ると、先輩は、そんなに見つめないで下さい、と頬を染めた。疲れる。はっきり言わなくても疲れる。
「ほら、早く行かないと間に合いませんよー」
そう言い、ぐいぐいと私を引っ張る先輩。
「ちょっと、なんなんだよ! それに屋上って……いちいち学校に戻るの面倒ですよ!」
私が必死に反論しても、本人は涼しい顔して私を部屋から引きずり出す。女の力じゃ足りないという事を思いしらされたようで、ひどく不愉快だった。
「はい、では頑張ってください♪」
ぽん、と背中を押され、ため息が勝手にこぼれる。私は能面の先輩を下から睨みつけてやったが、先輩はニコニコと笑いながらこう言った。
「キーポイントはギブアンドテイクですよ、遥さん」
またギブアンドテイクか……。なんの駆け引きをしろと言うのだろう。
「あの、先輩」
「それでは、アディオース」
彼は私の言葉を遮り、黒い長髪を揺らして去ってしまった。
「変な人」
ぽつりと呟く。私は二度目のため息をついて、仕方なしに寮の隣の学校へ向かうことにした。わざわざ言う通りにする辺り、自分も相当変かもしれない。
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とうとう来てしまった。我ながらなんて良い子。私は屋上の重いドアを、ゆっくりと押した。
開いてる。名門校というのに、なんてセキュリティだ。私が前に通っていた公立校でさえ鍵がしてあったのに。
「わっ……」
扉を開けば、眩しい日差しと冷たい風が私を襲った。
見渡せば、とても広く、高いフェンスに囲まれている。安全面から見て当然なはずだが、どこか閉塞感が拭えない。
「さて、と……」
とりあえず辺りを見渡した。星影先輩があんなに勧めたのだから、何も無いはずは───
……あるかもしれない。あの人はいまいち理解不能なところが多々あるから。
「まさか俺をからかう為に……いやいや、まさか」
そんなはずない、と自分に言い聞かせる。
しかし、此処は多少広いとはいえ殺風景そのもので、なにか私に関係あるものなんてどこにも
「!!」
あった……。今私が探してたもの。ううん、人。なんで気付かなかったんだろう。すぐ隣にいたというのに。
その人は壁に寄りかかり、いつもは鋭い視線を送る瞳も今は伏せていた。そっと近づくと、微かに寝息が聞こえる。
「東条……」
彼の名前を呼んでみる。反応は、ない。本当に寝てるらしい。
「………」
そりゃ、確かに屋上は不良の溜りスポットかもしれないけれども。風だって充分冷たいのに、寝たりしたら風邪ひくのではないか。
――別に、俺が心配するようなことでもないけどさ。
だけど、普段は憎たらしいこいつの顔、今はすごい無垢だ。
「寝顔は可愛いのに、目が覚めたらまたあの凶悪顔になるのか」
残念、と呟いてみる。
太陽の光に反射して輝く東条の金髪。キラキラして、不覚にも綺麗だと思った。吹きぬける風が、彼の髪を揺らし、長い前髪が瞼にかかる。
そのせいで東条が嫌そうに表情を歪めたから、私は手を伸ばし、それを払おうとした瞬間、
「…かな……」
「え? ──んっ!?」
突如腕をひかれた。抵抗する間もなかった。口を塞がれたと気づいたときにはもう、離れていて。
「な、にするんだよ!」
つい反射的に彼の鳩尾に蹴りをいれてしまった…。直ぐ様ヤバイと思ったが、時既に遅し。静寂に包まれていた屋上に、鈍い音が響く。無意識にかなりの力を込めたらしい。
「……ぅ…」
彼は私に蹴られた部位を押さえ、小さく唸った。そして、ゆっくりと開かれていく、翡翠の瞳。
――ああ、やっぱりその色の目は苦手だ。なにもかも見透かせれているようで、怖い。
「お前……」
「な、なにさ!」
声が裏返った。いったい何を言われるのか。だが、東条の言葉は私の予想範囲外であった。
「こんなところで、何してるんだ?」
――え? 何してるって……。
開いた口が塞がらない。完全に油断していた人にキス──と呼べる程ロマンチックじゃないが──しておいて、それは無いだろう。
まさか寝惚けていたとでも言う気か。殴りたい衝動に襲われる。
そんな現実にはできないことを考えていたら、東条は座り直し、おもむろにポケットから煙草を取り出した。流れるような手付きで、それを吸う。慣れているのが一目でわかった。
澄みきった空気に吐き出される有害物質。青い空が汚された。
「当たり前のように持ってるんだ」
「あ?」
それ、と彼がくわえているものを指さす。すると東条は、悪いか? とでも言いたげに私を睨んだ。
悪いに決まってるだろ、とは恐くて言えなかった。ああ、情けない自分。
「あんたさ、よく退学ならないよね。金髪、カラーコンタクト、ピアス、煙草……。かの有名な朱龍学園が黙ってるとは思えないんだけど」
「教師なんか、成績良ければ何も言ってこない。日向だってメッシュいれてるだろ?」
なるほど、と理解すると同時に、意外という二文字が思い浮かんだ。
この人が頭良いとは思えない。あまり授業に出ていないらしいし、机に向かってる姿なんか想像できないから。
「──前のテスト、学年で何位だった?」
「8位」
「はっ……!?」
――10位以内かよ。
日向よりいいじゃないか。
他愛もない会話。なんだかむずがゆい。日差しは強いのに、冷たい風が頬を濡らして、少し肌寒かった。
「星は、哀れだ」
「へ?」
唐突に東条が呟く。一瞬思考がついていかず、まぬけな声がこぼれた。
「とても近くにいるのに、怖くて動かない。動けないんじゃなくて、動かない」
……また天文学の始まり。
「輝く月に片想い。月は気付かない。何故なら太陽に恋こがれているから。太陽も月が愛しい。だけど互いは触れ合わない」
指先に挟まった煙草は、ずいぶんと短くなっている。
「当然だ。太陽が月を追い掛ければ月は消え、月が太陽に手を伸ばせば太陽は隠れる。ずっとそれの繰り返し。愚かな巡回」
彼が吐き出した煙は、風にさらわれた。私はその様子を黙って見つめる。
「その間にも、太陽は雲に覆われて、月は闇夜に呑み込まれる」
パチリと、目があった。哀しい色を帯びていた。今にも泣きだしそうな。
なんで、そんな瞳をするの。
「……俺、あんたの言ってることよく分からない」
そう告げると、ふい、と視線をそらされた。それがなんだか、無性に気に入らない。
「──もう、寮に戻れ」
「なんでっ」
「いいから」
否定を許さない言い方をし、私の背を荒々しく押す。優しくない。全然、優しくない。
無理矢理屋上から追い出され、ドンッと強く突き放されて、少しよろけた。
「東条!」
振り返った時には、扉は閉まりかけていて。
僅かな隙間から見えたのは、みとれるような晴空でもなく、寂れたフェンスでもなく、サラリと揺れた金髪だった。
重いドアの閉まる音が、一際大きく響いた気がする。
「ばか……」
口唇にそっと触れて呟いた。触れて離れただけのくちづけ。なのに、思いだしただけで熱を帯びる。
――初めてだったのに。
悪態つくが、当の本人は寝惚けていたのだから、やりきれない。
(…かな……)
手をひかれるコンマ一秒前、彼がもらした名前。夢でも見ていたのだろうか。
「誰と間違えたのよ──」
久しぶりに、女言葉がこぼれた。ずるずると扉に寄りかかる。
ドア越しに彼と背中合わせであったことは、私も彼もきっと知らない。
太陽じゃ眩しいのに、月明かりじゃ寂しいだなんて、ただの我儘