第2話 はじめの一歩
珍しく三人称に挑戦
寮の外は静寂に包まれていたが、室内に入るとやはり、とでも言うべきか騒がしかった。
「お邪魔します…」
控え目に呟いて、立派な入り口を踏み出す。寮と聞くともっと質素な建物を想像していたのだが、さすがは名門校。
とても綺麗にされていて、シンプルだが品がありわりと洒落ている。どちらかと言うと、マンションやアパートみたいだと遥は思った。
これなら生徒もみんな良識のある人が多いのでは、と少し安心する。まぁ、気休程度だけど。
寮生だろうか、たくさんの人達がいる。部屋に入っていく者、廊下で騒いでる者、独りで本を読んでいる者など。
…当然だけど、全員男。遥にとっては目をそらしたい現実だ。
さて、決意とは程遠い諦めの気持ちで入ってきたのはいいが、これからどうすればいいか判らない。部屋に行くべきなのか、だけど場所が不明。それとも寮長に会うべきなのか、しかし場所が不明。
「……最悪」
ついてくると言った父を振り払った事を、遥は猛烈に後悔した。素直に従えばまだ助かったかもしれない。
「──ん?」
そこで遥は気付いた。明らかに自分に向かっている多くの視線に。不思議に思い周りを見れば、寮生がみんなこちらを見てる。
――そこまで挙動不審だった?
それならば、話しかけるなりなんなりすればいいのに、と遥は悪態をつく。
「ねぇ、どうしたの?」
遥の気持ちを悟った様に、一人の男が話しかけてきた。遥は、やったと言わんばかりに瞳を輝かせその男を見上げる。
――わぁ……
すらりとした長身、服の上からでも分かる締まった体。少し長めの紺の髪には赤いメッシュがいれてある。切長の目に整った輪郭は、老若男女問わず、誰しも美形と言える容姿で。
もちろん遥も例外ではなく、暫しの間みとれてしまった。
「おーい、聞いてる?」
「え? あ、はい! あの実は……」
声にハッとし、頬を薄紅色に染めながら、遥は事情を目の前の男に話した。
「なるほど、転入生ね。それなら俺の部屋だよ。聞いてるかな? うちの寮は二人部屋なんだ」
陽気にそう笑う男に、遥は『え?』と目を丸くする。もちろん二人部屋という事は知っていたが、ルームメイトにこんな早く会うとは思ってもいなかったからだ。
「丁度良かった。部屋まで案内するよ」
「うわ!」
いきなり腕を引っ張られ、半ば強引に引きずられる様に連れてかれる。
「俺、日向来斗、同い年ね。ライでも来斗とでも呼んで。君の名前は?」
てっきり年上だと思った遥は、上目で自分を引っ張る本人を一瞥して、密かに驚いた。
「……石井遥」
掴まれた腕をみつめながら、質問の答えを告げる。
「はるか? じゃあハルって呼ぶね」
「はぁ……」
ずいぶんフレンドリーな人だな、と遥は思った。初対面でいきなりニックネームを決められるなんて。
その気さくさが本当は女の遥に、吉と出るか、凶と出るか…。
――そういえば、視線が二倍になったような。
廊下にいる人のほとんどが、わざわざ振り返り遥等を見る。
聞いていいのか迷いチラチラと日向を見てると、それに気付いたのか日向は目を合わせず言う。
「視線、気になる?」
「まぁ、ちょっと……」
遠慮がちに頷くと、日向は足は止めずに振り向き
「ハルが可愛いから、みんな見てるんだよ」
と、笑顔で言った。それを聞いて遥は固まる。
女なら可愛いと言われて嬉しくないはずないのだけど、ここは男子校。そんな目で見られるのは複雑だった。それに───
「あの、俺女に見える?」
そう、男装してるのにそれじゃ意味が無いからだ。しかし日向はハハッ、と笑い立ち止まる。
目の前にある部屋のドアを開けたので、自分の部屋に着いたと分かった。
「大丈夫大丈夫! ハルは女っぽいとか、そういう可愛さじゃないよ。なんていうか、可愛い男の子みたいな?」
――それはそれで悲しいんだけど。
心の中で小さくため息を吐く。
日向に入って、と促され、自分の部屋となる所に足を踏み入れる。思っていたより片付いていて、清潔感があった。
「もっと汚いと思った?」
にっ、と子供っぽく笑い尋ねてくる日向に、内心ギクッ、としながらも、そんな事ありません、と言っておいた。
それからは、色々と説明された。そっちがハルのスペースだの、普段の外出禁止や、食堂の使える時間。時々美化委員が来るから、こまめに掃除もしなきゃいけないらしい。
それと風呂は各部屋に必ずついてるけれど、ほとんどの者が大浴場を利用する事など。
――じゃあ風呂の事は平気か。部屋の使ってればいいもんね。
と、悩んでいた事が案外簡単に解決して、遥はホッとした。
「あ、それからこれだけは特に注意して。前は結構あったルール破り、今は重い罰があるからやる奴はあまりいないんだけど……」
急に真剣な声を出して、顔の影を濃くする。遥はその威圧感に後退りながら、何?と聞いた。
「女の連れこみ絶対禁止!!」
「お、女の連れこみ?」
思わずオウム返しする遥に、日向は大袈裟に首を縦にふる。
「前にある生徒が彼女を部屋に入れてね、寮長にバレたり教師にバレたりで大変だったんだよ。その生徒は一週間謹慎になった。この学校は完全女人禁止制だからね」
「き、謹慎…完全……」
それを聞いて、遥はゾッとした。もし自分が女とバレたらどうなるだろう。いくら学園長が事情を知ってると言っても、退学せざるをえないはず。
――ゆ、油断できない。
遥はゴクリと唾を飲み込む。
「そういえば、ハルは今日、寮に来ただけ?」
「ん、とりあえず挨拶と荷物をね。明日から学校に転入するんだ」
「一緒のクラスになれるといいね」
大人っぽい顔に似合わず、無邪気に笑う。遥はその笑顔を見て、この人なら上手くやっていけるかも、と思った。
「あ、それから念のため忠告するけど───」
「え?」
日向がなにか言いかけた時、閉めてあるドアにノックの音が響いた。
「あ、常磐先輩かな」
日向はそう呟いて、ドアに向かう。
――ときわ?
遥はその様子を、首を傾げ、黙って見ていた。
ガチャリ、そんな音がしたと思ったら、日向がドアを開けて『やっぱり』、と言う。遥は誰か気になり、座ったまま首を伸ばす。
そんな遥に気付いたのか、日向は振り返り、手招きをした。
――来いってことかな?
そう解釈し、ドアの方に小走りする。
「あ……」
日向の隣にいる人物を見て、遥は無意識に声を漏らした。
「初対面だよね? 紹介するよ、この人朱龍学園の生徒会長」
「常磐琉衣です。なにかあったら、僕に相談してね」
サラサラの茶髪、白い肌、物腰柔らかそうな雰囲気。優しい笑顔に、銀縁のメガネ…。
遥は思わず息を飲んだ。
それはきっと、なにかの予感