第19話 許されない踏み込み
遥は迷っていた。目の前の疾風の寮室を睨んでは、ため息をついて背を向ける。かと思えば、扉の前でうろうろし、ノックしようと手をあてて。そして再びふりだしに戻る。どっからどう見たって、挙動不審だ。
「……よし!」
しばらくそれを繰り返したのち、決意したようにドアノブに手をかけた。そして開こうとした瞬間
「はや──ぶっ!」
いきなりドアが開く。節理に従い、遥の顔面に扉が叩きつけられた。
「あれ? 何やってんのお前」
扉を開けた張本人疾風が、赤い鼻を擦っている遥を見て、不思議そうに問う。
「……水泳やってるように見えるか?」
恨めしそうに睨み、そう答えた。
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その後部屋に入れてもらい、もてなしをされた遥(飲み物を出す程度だが)。
ルームメイトの事を聞くと、出かけてる、と簡素な答えが返ってきた。
「んで、どうしたんだ?」
正面に座り、コップの中の紅茶をすすりながら、疾風は遥に聞いた。彼の瞳は、なにか用があったんだろ? と尋ねている。
遥はバツの悪そうな顔をし、煮えきらない生返事をした。それに疾風は『ん?』と、先を促す。
「実は……」
結局悩んだ挙げ句、遥は口を開いた。つむがれる言葉は、昨夜のこと。そう、遥はそれを聞きに疾風のもとを訪れたのだ。
「喧嘩──ねぇ…」
話を聞き終えた疾風は、小さく呟く。
「なんかすごい険悪なムードでさ。日向はなにも言ってくれないし」
不貞腐れたかのように、口を尖らせる遥。
――まぁ、そりゃそうだろうな。来斗が話すわけないし。
心の中で相槌をうつ。
「疾風ならなんか知ってるだろ? 中等部から一緒なんだし」
ずい、と身を乗り出して、疾風に迫る。
「あまり他人の深いところを探るもんじゃないぜ?」
「探るって……ただ気になるから」
「だったら尚更。興味本意程度の気持ちなら止めとけ」
疾風はそっけなく言い放ち、コップを傾け中身を飲み干した。苦い、と文句をもらして、眉根を寄せる遥を一瞥する。
「疾風……冷たい」
幾分か低い声でこぼし、不機嫌な表情をする。そんな遥を見て疾風は面倒そうにため息を吐き、それがまた遥を苛立たせた。
「そんなこと言われたってさぁ。俺がお前に話したって知ったら、日向と東条、二人に俺怒られるし」
「怒られればいいじゃん」
ケロリと返す遥に、疾風はお前なぁ…と、またため息をつく。
「簡単に言うけど、結構きついんだぞ? だって来斗、キレると殴るんだもん」
「……日向が?」
パチリ、と音がするくらい、まばたきをする遥。
「衝動的になー。普段穏やかだから、反動がすごい」
「……」
――確かに、昨晩は別人のようだったけど。
やっぱり想像できない、と声には出さず呟く。
「それに比べ、タケもやだ」
「タケ…ああ、東条ね」
名前で呼んでたっけ? と疑問に思ったが、遥は体して気にとめない。
「あいつは口きかなくなる」
「……なんかどっちも子供」
小学生じゃあるまいし、と付け足す。
「だから、余計なことに首突っ込むな」
わかったな、と念をおすように、びしっと指さす疾風。遥はうっ、と言葉を詰まらせるが、表情は納得していない。第一、あんな場面見せられて気にするなというのは無理がある。
明らかになにか知ってる疾風。なのに教えてくれない。遥は堪らなく苛々した。情緒不安定なのかもしれない。
「俺、そんなに物分かり良くない」
疾風が眉をひそめる。だけど、遥は続けた。
「ちゃんと納得させてよ」
「…………」
暫しの間黙っていた疾風だったが、観念したように肩をすくめた。遥はパッと瞳を輝かせる。
「俺が話したって言うなよ?」
「言わない! 口が裂けても言わない!」
こくこくと頷く遥に、疾風は一息ついて口を開いた。
「中等部の頃、来斗と俺とタケはいつもつるんでた。当時寮生だったのは俺だけだったんだけど、あまり関係なかったな。しょっちゅう部屋に呼んでたし。まぁ、そのくらい仲良かったんだ」
だけど、と言葉を遮る。遥はなに? と目で訴えた。
「急に、壊れた。タケも、豹変したし」
疾風は瞼を伏せながら、一言一言噛み締めるように話す。
「……なんで」
大きな黒曜石の瞳で真っ直ぐに見つめる。疾風は気まずさに視線をはずし、赤茶の髪をかきあげた。
「実は、中三の時──」
そう言った疾風の声は、ガシャン! と響いた騒音に掻き消される。
――え……?
二人は驚いて振り向く。
「そういうことは、俺達に直接聞いたらどうだ?」
そこに立っていたのは、一度見たら忘れない程インパクトのある容姿の持ち主だった。
疾風が『ゲッ』と濁った声をこぼす。
「聞いたところで、あいつははぐらかすだろうけどな」
あいつ──。
それが自分のルームメイトを指している事と遥はわかった。
「タケ、お前ノックぐらいしろよなー」
脱力して腕を床につく疾風。そんな疾風の言葉には耳を貸さず、東条は横にいる彼女に話しかける。
「遥」
「……なに?」
嫌そうに顔を歪ませる遥に、東条は人相悪く微笑む。
「あの後来斗に聞いただろ?当然教えてくれなかったはずだ」
「だったらなに?」
苛々し、遥は不機嫌に語尾をきつくさせた。
「おい、お前等俺を無視するな」
しかし、二人の視界に疾風は入らない。
「教えるはずがない。お前は無関係だからな。それにあいつはいつまでも過去を引きずってる」
「…意味が判らない」
「あのさ、ここ俺の部屋なんだけど。シカトとかマジきついから」
東条は壁に背をあずけ、翠の瞳を細める。嘲笑うかのように鼻を鳴らし、こう言った。
「知りたいなら、俺に聞け。なんでも教えてやる」
その言葉に遥はきゅっ、と口を引き結ぶ。溜った唾を喉に流しこんだ。
「あと疾風」
「!! なに!?」
やっと話をふられ、瞳を輝かせ食い付く疾風。
「お前も、余計なことするな」
たった一言告げて、彼は踵を返した。疾風のキラキラと輝かいていた目から、ふっと光が消える。
「……引きずってるのは、お前のほうじゃないか」
言われた者は既に消えていた。遥はなんとも言えない表情をし、疾風は切なく瞳を細める。なにしに来たんだ、とため息をつきながら。
遥は疾風のその言葉に呟く。
「東条、寮生になったって」
「ふーん……ってえっ!?」
疾風はバッ、と勢いよく遥を見る。だけど、遥は彼が閉めたドアを見つめ、こうもらすのであった。
「寮長の話ってこれ……?」
疾風は首をかしげた。
所詮は他人。踏み込んでいい範囲なんて、本当にわずか