第17話 まどろむ意識
遥は、ニコニコと微笑みを絶やさない目の前の男を、ひたすら睨んでいた。
「あの、先輩……」
「そう緊張しないで下さい。自分の部屋のように寛いでいいんですよ」
パチン、とウィンクを飛ばされて、遥は固まる。今時そんなのするなんて正直寒い。だけど違和感がないあたり、なんだか複雑な心境になった。それに
――東条のこと、寮長に聞きそびれちゃった。
大きなため息を吐くと、星影はおや、と首を傾げる。それがまた胡散臭くて、遥は怪訝な目で見つめた。
「ため息は幸せ逃げますよ〜?なにか悩みごとでもあるんですか?」
――白々しい。
気付いてるだろうに、そんなことを言う。ほとほと呆れた。
「酷いですねぇ」
「!? ひ、人の心読まないで下さい!」
そんなことしてません、と言う星影の笑顔に背筋が凍る。どこか油断できない人だ。
――いや、別に油断とか問題じゃないんだけどね。あ、でも正体ばれるのはまずいか。
考えてる事は読めない上、無駄に鋭い。遥はあっさり部屋までついてきたことを──本当は抵抗したが──後悔した。
「そんな風に眉を寄せて……プリティフェイスが台無しです」
そう言って、星影は遥の眉間を軽くつついた。だけど原因は間違いなく、彼なのに。
「ふふ、悩みごとならどーんと吐いて下さい。ついでに身体もばーんとくっつくて♪」
さあ、とでも言うように、大きく両手を広げる。遥はそれを冷めた視線で返し、後ろのベッドに背を預けた。ずっと緊張してるのも疲れる。
「無反応とは手厳しいですね」
――じゃあなんて反応すればいいのさ……。
突っ込み所が満載過ぎて、言葉ひとつでない。遥は心の中でそっと悪態をついた。
沈黙が流れる前に、星影が口を開いた。どうにも先程から彼ばかり話している気がする。
「そうですねぇ、透相談室は一先ず置いておき」
――透?あぁ、そんな名前だっけ。っていうか、一先ずってことは次回あるわけ?
「猥談でもしま「帰ります」
「あぁ!冗談ですって〜」
腰を浮かせた遥の腕を、やんわりと掴み留めた。優し気な、だけど有無を言わせないそれに、遥はしぶしぶ再び座りこむ。
「逃げないで下さいよ。なにも捕って食おうという訳でもないですから」
「当たり前です!」
顔を歪める遥に星影は人の悪い笑顔を浮かべる。
あぁもう!なんなんだその表情!ニッコニッコニッコニッコ……ニコニコハウスかぁー!!
「いや、待って。我ながら意味わからないよこの突っ込み」
遥はため息をつき、額に手をあててふるふると頭を振る。
そんな遥を見て、星影はくすりと笑いをこぼし、そっと彼女の頬に手の平を沿えた。
「──っ」
びくりと肩を揺らす。彼の仕草があまりに自然過ぎて、一瞬気付かなかった。身体が、強張る。いつのまにか星影の顔が至近距離にあった。
「ねぇ、そんな表情固くしないで下さい。私可愛いものが好きなんです」
耳に心地好い甘い声。淡い香りが彼から漂う。だんだんとまどろむ意識。遥はぎゅっと目を瞑った。
「俺、男だし……」
必死に声を絞りこむ。
「男の子でも女の子でも、人でも物でも関係ありません。可愛いものをいつでも側において、綺麗に着飾って。ね、すごい素敵でしょう?」
瞼を伏せているけれど、耳元で囁かれているのが気配で分かった。
「例えば一年でしたら、純くんとか可愛いですよね。愛玩人形みたいで」
遥は純の容姿を思い浮かべる。きらきらと光るブロンド、空色の瞳。どれも本物で、日本人にはない愛らしさ。
――二流アイドルよりずっと可愛い。
大いに理解できる。
「あとお気に入りは、タケちゃんですかねぇ」
そこは頷けない。
「あれって、可愛いのか……?」
「なんかこう、いつもいっぱいいっぱいな感じがいじらしいと思いません?」
「思いません」
遥は即座にそう答えた。あの余裕な男のどこがいじらしいんだ。
あら、と言う声が上からかかる。ゆっくり瞳を開くと、視線がぶつかった。
「遥さんは誕生日いつですか?」
「……は?」
いきなりの話題転換に思考がついていかず、間抜けな声をだす遥。
「身長は?出身地は?家族構成は?初恋は?」
「な、なんでそんな事……」
あまりの質問責めにたじろぐ。すると星影は瞳をスッと細めた。
「遥さんのことが知りたいからです」
そう言って、息がかかる程近かった顔を遠ざける。頬に沿えていた手は頭に乗せ、ゆるゆると優しく撫でた。
慈愛の瞳で遥の髪をすく。遥は気持ちよさに、瞼が重くなっていた。今にも夢に堕ちてしまいそう。
――スキンシップ好きだなこの人……。
まどろむ意識の中、遥はそんなことを思った。
「可愛い人。甘え方を知らなくて、意地っ張りで、不器用で、繊細で、とても不安定。支えられなきゃ立てないのに、必死に自分の足で歩こうとする。可愛さ余って、思わず100倍憎みそうです」
瞳を閉じ、自分に寄りかかる遥にむかい、星影は薄笑いを消さないまま呟く。
「私、独占欲が強いんです。だけど、本当は幸せ願っているんですよ?」
そう言いながら、遥の瞼をなぞった。
――遥さんは、髪が短いですね。せっかく綺麗なのにもったいない……。
私ぐらい伸ばせばいいのに、なんてもらす。
ああ、なんて愛しい人。
「…遥………」
呼ばれた姫は、夢の中。
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「んぁ……」
遥は舌っ足らずにそうこぼして、瞼を震わせた。目を開ければ、見慣れた風景。そう、正真正銘203号室。
「あ、起きた?」
上体を起こしつつも、焦点のあってない遥に話しかける彼。
「日向……」
――あれ?なんで俺…ベッドの上?
そんな遥の疑問に答えるように、日向が口を開いた。
「なんかハル寝ちゃったみたいで、ここまで星影先輩が運んできたんだ。あ、ついでに今夜の八時」
じわじわと、だけど確実に思い出す。気付かぬ間に寝てしまったのだ自分は。
――なんか、良い夢見てた気がする。
夢なんか曖昧で、時間が経てば忘れてしまう。もどかしいけど、嘆くことなんてない。
「ハル星影先輩と仲良いの?」
「………」
遥は黙って首を振った。
覚めない夢は、幸せですか?