第16話 ギブアンドテイク
外から射す穏やかなひだまり。開けた窓から入る少し冷たい秋風が、遥の頬を擽った。
短く切った黒髪を弄び、何気無く寮の廊下を歩いていく遥。
放課後のこの時間帯、部活などをやっていない遥は、いつも暇潰しに困っていた。
「趣味とかがあるわけじゃないし……」
ひとり呟く。
時折すれちがう寮生に、軽く挨拶を返しながら、とくにあてもなく歩いた。
――俺、だいぶ馴染んできたかも。
クラスメイトも、寮生も、今では気兼なく話せる。喜ぶべきなのか、と遥は複雑な表情をした。
小さくため息をこぼし、前を見る。すると、見慣れた人物が遥のもとへと手を振り走ってきた。
「疾風」
赤茶の髪を揺らして、その度にチラチラと見えるピアスが、日の光で色合い様々に輝く。
遥はそれを眩しそうに見た。
「よかった、いいところで会えて」
遥の肩に手を乗せ、ニカッと無邪気に笑って。身長がたいして変わらない二人は、目の高さが同じなため自然と目があう。
「どうしたのさ、俺になんか用事?」
「ああ。そりゃもう大切なね」
勿体ぶるような振る舞いに、じれったそうに見つめる遥。疾風は、睨むなって、と笑い
「寮長が呼んでたぜ」
そう言った。
「寮長が……?」
予想もしてなかった意外な言葉に、遥はつい聞き返す。疾風はこくん、と一回頷いてこう言った。
「寮長に呼ばれるなんて羨ましい。っていうか、呼ばれるようなことしたのか?」
疾風は楽しんでる、と言ってるのと同じくらい、口角をつりあがらせる。
「…身に覚えは──」
遥はそう言いかけたところで、あ、ともらした。
――まさか夜中に大浴場使ったのがバレた?
いやだけど、と思う遥だが、一度気がつくとそんな気がするもので。
遥は腕を組んで唸りながら考え込む。
「あ、やっぱなんかあるんだ?」
悶々としている遥に、他人の厄介事が好きなのか、弾んだ声で尋ねる疾風。遥は僅かに表情を歪める。
そんな遥に気付きもせず、疾風はバシッ、と勢いよく遥の背を叩き
「ま、とにかく伝えたからな。ちゃんと行けよ?」
有難迷惑に、こってりしぼられてこい、とまで付け加え、遥の横を通り過ぎた。
遥は鈍い痛みが残る背中を撫でつつ、ステップを踏んで離れていく疾風の後ろ姿を睨む。
そんな遥の眼力が届いたのか、疾風はくるりと振り返りこう言った。
「なんの話だったか教えろよ〜!」
――ホント、調子のいい奴!
遥はベッ、と舌を出してやったが、疾風はすでに走り去っていた。
「……やっぱ怒られるのかな」
一人きり、肩をすくめて呟く。
未だに寮長が苦手な遥は、盛大にため息をこぼしつつも、寮長室へと向かった。
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寮長室の前で、しばらく静止する遥。手を握り、扉にあてる。
「……寮長、石井です」
コンコン、と軽やかなノックの音を響かせ、そう伝えた。ドアの向こう側から低い声で返事が聞こえ、遥はそっと扉を押す。
「失礼します」
控え目に呟いて、後ろ手にドアを閉めた。
前を見ると、初めて会ったときのように、怜衣は相変わらず大きなソファに座っている。
その威厳は、さすが上に立つ者とでもいおうか、とても堂々としていた。
「悪かったな、急に呼び出して」
黒い髪に触れながら、遥を見てそう言う。双子だというのに、琉衣とまったく似ていない。
目尻の下がった穏やかな瞳の琉衣とは対照的に、切長の鋭い光を放つ怜衣の目。
片割れは柔らかいブラウンの髪なのに、漆黒ともいえる黒髪。
――そういえば、染めたんだっけ。
日向に聞いた話を思い出す。
無意識に強く見つめていた遥に気付いた怜衣は一瞬目を細める。だが、気にしないとでも言うように、ソファには腰掛けたまま、遥に向かい手招きした。
「……?」
首をかしげつつも、怜衣に近づく遥。僅かな距離をおく遥に、怜衣は息を吐き、ゆっくり口を開いた。
――な、何言われるのかな。
ドクドクと脈打つ心臓。
「お前、東条と仲が良いのか?」
「──は?」
出てきた言葉は、そんな質問。
遥は我が耳を疑う。
「えっと、すいません。なんか聞き間違えたので、もう一度お願いします」
「──だから、東条と仲良いのか?」
面倒くさそうに、再度遥に言う。遥はそれを聞いて、しばらく思考停止した。
――ん、なに? 幻聴か? あ、それとも最近耳掃除してないせい?
「すいません、もう一度……」
「だから、東「そんなわけないでしょう」
「まだ言ってねぇ!!」
頼まれて言ったのに遮られ、怒鳴る怜衣。だけど遥はそれにびくりともせず、否、怜衣の問いに意識がいっていた。
「馬鹿なこと言わないで下さい。俺と、あの東条が……?本気で止めて下さい。暇潰しに人が襲われてるのを傍観するような奴と、校内の、しかも図書室で平気で放送禁止なことするような奴と……!」
わなわなと震え、握り拳を作って言う遥。事情をよく知らない怜衣は、怪訝な視線を送る。
「だいたいアイツ自分のこと闇夜とか言ってるんですよ!?ロマンチストか?自己陶酔者なのか!?」
「……仲悪いのか?」
「そういう次元じゃないです!一番関わりたくない奴ですよ!」
表情をこれでもかというくらい歪め、そう叫ぶ遥。怜衣はそれを聞いて、そうか、と一言呟き溜め息をついた。
――え、溜め息つかれるようなこと言った?
不思議に思い、小首を傾げる。そもそも、遥には怜衣の質問の意図が分からなかった。
「あの、なんでそんな事聞くんですか?」
さっきの威勢はどうしたのか、急に遠慮がちになる。怜衣はそんな遥を一瞥し、相変わらずの低い声で言った。
「いや、噂で石井と東条の事を軽く耳に挟んでな」
「噂……」
おそらく、あの食堂での出来事のせいだ。あれだけ騒げば、噂にならないほうがおかしい。
「でも、それと寮長がなんの関係があるのですか?」
まさか興味本意でわざわざ呼んだわけではないだろうに。
疑問をぶつけてくる遥に、怜衣が仏頂面──いつもの表情だが──で口を開きかけたとき
「そういう事はギブアンドテイクですよ〜?」
まのびした声が、遥の首筋にあたった。
「ーーーっ!!」
悪寒が全身を駆け巡る。遥は背後からの息が触れた首元をおさえ、バッと後ろを振り向いた。その者はおっと、と言い、軽く身構える。
「あ、あんた、図書室の──!」
そう、以前図書室で会った男。名前は確か……
「えっと、星影…先輩?」
三年生と言っていたことを思いだし、語尾に『先輩』とつけた。星影はにこっと笑い
「覚えていてくれたんですか。これは涙を流して喜びますね〜」
と言って、自分を指さして慌てる遥の頭を優しく撫でる。
「……星影、いつからいたんだ」
ソファに座ったまま、しばらく遥と星影を見ていた怜衣が、不意に声をかけた。不機嫌に見える表情は、変わらない。
「悪かったな、からです♪」
「最初からじゃねぇか」
呆れたように溜め息をつき、額に手をあてる怜衣。
星影はえへへ、と照れたように微笑む。大きな図体でそんな仕草をしても、全然可愛くないが。
「偶然通りかかったら、丁度遥さんがここに入っていくを見たので、私ちゃっかり御一緒しちゃいました♪」
遥の短い髪を慈しむように触れながら、聞いてもいないのに、サラサラと弁舌さわやかに説明する星影。
怜衣は低い声で、何がちゃっかりだ、と呟いた。
「あの、ギブアンドテイクって……?」
髪の間に指を差し入れられ、くすぐったそうに身をよじりつつ、話を戻す遥。
星影は、ああ、と抜けた声色を出してポンと手を叩いた。思いだしたときによくやるあの動作だ。
「知りたいならば、自分のことも話す、という事ですよ」
「えっと?」
「つまり、怜衣ちゃんの問いの意図が知りたいのなら、それに見合った情報を提供しないといけません」
「…………」
怜衣ちゃんって、と喉元まで突っ込みが出たが、話が脱線しそうなので、なんとかおさえた。
「おい」
なんとも言えない顔をしていた遥を見るに見兼ねて、怜衣が間から口を出す。呼び名についてはとりあえず無視。
「なんですか?」
「なんですか、じゃねぇだろ。別に俺は石井の情報なんていらねぇよ」
――失礼な。
声にこそ出さないけれど、ムッと口を尖らせる遥。
「怜衣ちゃんが興味なくても、私には大切なことなんです」
「じゃあ俺を巻き込むな」
「利用できるものは利用しないとー♪」
よくもまぁぬけぬけと。厚かましさに、開いた口が塞がらない。
しかも、前のように背後から覆うように遥を抱きしめる。ただ手をまわされてるだけの柔らかい抱擁なのに、どこか抵抗を許さない包み方だ。
――…まぁ、いいか。
あまり不快ではなかったので、気にしないことにする遥。
「しかし、怜衣ちゃんの言う事も一理ありますねぇ」
そう言って、遥を覗きこむ。
「……なにがですか」
「私、可愛いものが大好きなんです」
「は?」
意味がわからない、と首を傾げる遥に、星影は相変わらず薄笑いを浮かべる。これはこれで、逆に表情が読めない。
「決めました私。今日は夜を共に明かして、とことん語り合います」
「……誰と?」
勝手に決意する星影に、だいたい予想はつくが、あえて尋ねる遥。
「遥さんと」
「………」
予想通り。星影は語尾にハートがつくだろう言い方で答えた。心なしか、抱きしめている腕に力が入ってる。
「そうと決まったら話は早いです!早速私の部屋に行きましょう!禁断のエデンの園に一緒にカム・インです♪」
「丁重にお断りします」
「照れなくていいんですよ」
「照れてません!」
否定する遥に、星影はニコニコと表情を崩さない。遥は下から彼を睨みつけた。
「……鍵が見付かるかもしれませんよ?」
「え」
唐突に呟かれた言葉。
――鍵?
言いたいことが理解できず、眉をしかめる。
「ふふ、なんでもありません。それに安心して下さい。私、一人部屋なのでルームメイトはいないです。だから心置きなく暴露できますよ」
「先輩、それは安心ではないです」
「不服ですか?」
とっても、と顔で伝える。星影はやっぱり薄笑いのまま、それは悲しい、と言った。
――全然悲しそうじゃないんだけど。
表情が乏しいわけではないのだろうけれど、と遥は思った。なにが楽しくて、いつも笑っているのだか。
――感情が顔に出ないのかな。いや、出さないのかも。
「では、遥さんお借りしますね」
呆れた目をしている怜衣にむかい星影はそう言って、遥の腕をひく。なにがではなんだ!という反論はあっけなく無視された。
それ以上口応えする隙を与えず、星影は遥を寮長室から連れ出す。
「…オーイ……」
一人となった室内で、怜衣の呼び掛けが虚しく響いた。
利益か、無償か。貴方が求めるのはどっち?