第13話 本当の邪魔者はだれ?
昼下がり、遥は図書室へと来ていた。さすが私立の名門校だけあって、そのスケールはすごい。
「いっぱいあるなぁ……。っていうか、広すぎ!本棚大きくて届かないし」
思わず見上げてしまう。まるでひとつの図書館のようだ。遥は本棚の間をあてもなく、キョロキョロ見渡しながら歩く。
「あーあ、暇潰しになんか読もうとしたけど、何が何処にあるか分かんないし。誰かと来れば良かったな。疾風は……うん、ダメそう。図書室に来るがらじゃない。会長なら詳しそうだな。それから日向は────」
そう独り言を言いかけたところで、遥は足をとめた。しばらく自分の爪先を見つめていたが、ため息をひとつついて、高い天井に伸びる本棚に背中を預ける。
未だに、日向と遥の間には距離感があった。時間が経てば経つほど、お互いの溝は深まる。何を謝ればいいのか、むしろ何がいけなかったのか、二人は日々考えていた。だけど答えは見つからなくて、声をかけることもできない。
「やっぱ近寄るなって言ったの怒ってるのかな。でも俺だって女の子なんだし、ああいう事があったらさぁ……」
ああいう事───。
遥はあの日のことを思い出して言った。
「ああー、もう!」
イライラしたのが目に見えるように、遥はがしがしと頭を手荒く掻く。環境のせいか、仕草まで男の様になってきた。
――どうしろって言うんだ
眉間にシワを寄せて、参ったというように頭を振る。
「……なんか気分転換になる本ないかな」
そう呟いて、遥は本棚の角を曲がった。
トンッ
その瞬間、軽くだが遥は顔に衝撃を感じた。ぶっ、と変な声をもらして、何かにぶつかったと理解する。
「ん?お前──」
上から降ってきた聞き覚えのある声に、遥はおそるおそる顔あげた。
――!!
目の前の人物を見た途端、声には出さないものの、めいっぱい口を開き表情を歪め、回れ右をした………が、それは失敗に終わる。
「逃げるなよ」
「は、放せっ……!」
もがく遥を、片腕つかんで拘束する男。それは遥が今会いたくないランキングぶっちぎり一位の者だった。
「人の顔見て逃げるなんて失礼だろ」
「あんたみたいな不良に礼儀を請われたくない!」
遥はそう叫んで力の限り腕を振り払い、目の前の男を睨みつける。そう、東条健を。
東条は、逃がさないとでも言うように遥に詰め寄った。遥はじりじりと後退るが、背中に本棚があたる。前にも、後ろにも、逃げ場は無い。
「ちょっと、待って…」
東条は焦る遥を見て笑みをこぼし、両手を遥の顔の横につけた。自然と近くなる距離。やや下から怯えた目つきをむけてくる遥に、東条は緑の瞳を光らせて、黙ったまま愉快に笑う。
視線を泳がせ、顔を青くする遥。遥の黒い前髪と、東条の金髪が触れ合う。
「近いんだよバカ……っ」
「今日は一人なんだな」
――うわ、無視かよ
この男の自分勝手さに呆れた。
「なにさ、俺が一人でいるのがそんなにおかしい?」
「……ずいぶん強気だな」
――そうでもしなきゃ、声が震えるんだよ!
口には出せないから、心の中で叫ぶ。強く手の平を握り過ぎて、伸びた爪が食い込み痛い。自分はどうしてこんなにも目の前の男を恐れているのだろう、と遥は頭の片隅で思った。
「一人になりたい気分だったか?」
「あんたには関係ない!」
「──お前が独りになるのは自由だ。だが、周りに星がいないと、月がさみしいと泣く。その上、ただでさえ眩しい月が、星屑が消えることで普段の倍目立つ」
「……は?」
いきなりの天文学に、遥の思考はついていかない様子。けれど東条は続けた。
「輝きすぎる月は、夜が飲み込むからいけない。満月なんて尚更だ。太陽を隠すのが雲なら、月は闇に喰われる」
「あんた、なに言って……」
「それが怖いと、月が泣いてる」
いつのまにか笑みが消えて、儚げな表情でそう言う。東条が喋る度に息が顔にかかって、遥は身体を更に固くさせた。
言葉のひとつひとつを必死に理解しようてするが、比喩的表現に頭がついていかない。言いたいことが、遥にはよく判らなかった。
――こんな風貌で、ロマンチストってことは無いよね……
似合わない、と言葉にはせず呟く。
「だから、俺みたいな闇夜に目をつけられる」
「そんな眩しい頭した人が闇夜ですか?っていうかあんた、髪染めたりカラコンいれたり、日本人捨てすぎ」
やや話が脱線している。いや、遥がそうしたのだが。だけど東条は遥のおどけているのか真剣なのか際どい発言に、真面目な口調で答えた。
「人は誰しも無いものねだりだ。持ってないと欲しいと嘆くくせに、手に入った途端興味が失せる」
――少しわかるかも……
思わず共感してしまう遥だったが、直ぐに頭をぶんぶんと振り
「そんな事どうでもいいから、早くどけって!」
「嫌だな」
「はぁ!?」
粋狂な返事に、大声をだす。そんな遥に、いちいち叫ぶな、と表情をしかめる東条。
ムッ、と唇を引き結ぶ遥に、東条は満足気に笑みを浮かべ、言い放った。
「お前は、面白い」
――……褒めてるのか、それ
どちらとも取れない言葉に、表情を曇らせる。
「興味がわいた」
「……女にしか興味ないんじゃないっけ?」
初めて会ったとき聞いた言葉を、言ってみる。だけど彼は相変わらず薄笑いしたまま
「だからだ」
と、一言呟いた。そして──
「ひゃあ!?ちょっ、何やって……!」
遥の制服を捲った。ブレザーのボタンを乱暴に外し、Yシャツの中に手を忍ばせる。遥は身の危険を感じ抵抗するが、所詮は女の力。両腕をまとめて頭の上に押さえこまれてしまった。
ギリギリと握られる腕。まるで鉄の輪っかをはめられたようにびくともしない。恐怖から逃れるように、ぎゅっと目を瞑る。
「は、放せ……!」
そんな遥の訴えもむなしく、ひんやりとした手が背中をそろそろと這う。きつく彼女の腕を押さえる右手とは裏腹に、くすぐったいくらい優しくなでる左手。
まるでガラスを扱うような手つきに遥は身をよじった。触れてくる手は物凄く冷たいのに、身体の芯が熱くて苦しい。
「あっ……」
東条の手が、さらしに触れた。
――やば、ばれる?
そう思い、片目だけ開けて彼を見上げる。
「……お前は」
東条はそうもらして、視線を遥にむけた。目が、あう。
翡翠の瞳に、頬を紅潮させた自分が映る。遥はそれがやけに恥ずかしくて、けれど目を逸らせなくて、中途半端に開いた口から吐息がこぼれた。
「やっぱり……」
「え、やっぱりって」
なにが、と問う前に、彼が遥の肩口に顔をうずめた。器用にYシャツの襟元を口で広げ、鎖骨が見える。
突然外気にさらされた肌に、東条の熱い息がかかって、遥は身震いした。
首筋に、軽く唇が当たったのを感じた。たったそれだけで、全身を電撃がはしる。彼の表情が見えないことが余計に怖い。
「や、やめ――!」
そう遥が叫びかけたとき
「はいはいストーップ」
なんとも抜けた声が……。
二人して、声のした方向にふり向く。瞬間、拘束する手が緩んだ。その隙に腕をふり払い、東条から逃れる。
けれど東条は大して気にかけず、不機嫌な顔で突然の邪魔者を睨んだ。
「いけませんよー、ここは神聖な図書室。そういういかがわしいことは保健室でしましょう!もれなく尚子さんの鉄拳がついてきます♪あ、それともこのドキドキ感に燃えているのですか?」
「星影……」
「あら、健くんじゃないですかー」
その星影と呼ばれた男は、右手を小さくあげて、東条にお久しぶりです、と微笑んだ。
――誰?
見知らぬ人物に、遥は首をかしげる。無意識に見ていたせいか、ぱちっと目が合う。 すると彼は少し屈んで遥にむかい手招きした。
どうしようか迷った遥だが、よく知る悪者より、希望のある赤の他人。小走りで東条から離れ、その男のもとに駆け寄った。
「ふふ、可愛い人ですね」
彼はそう呟いて、遥の腕をひく。突然引っ張られバランスを崩した遥を、星影が支えた。
「はい、捕獲♪遥さんは私が貰いましたので、ケダモノの健くんは直ぐ様立ち去ってくださぁい」
星影は遥を覆うように後ろからやんわりと抱きしめ、微笑んだまま挑発するかに言い放つ。
「……」
しばらくの間睨んでいた東条だが、不機嫌な表情はそのままに無言で背を向けた。
――なんか、すごい恐い顔してる。いつも無表情なのに……
そんな遥の思いを掬うように、後ろにいる男が東条に声をかける。
「ちゃんと授業出なきゃ駄目ですよー」
「余計なお世話だ」
「つれないですねぇ、タケちゃん」
…タケちゃん!?
「その呼び方やめろ!」
……なるほど、東条はこの人が苦手なのか。
珍しく声を荒げる東条を見て、不機嫌な表情に納得する。
東条は舌打ちをして、図書室から出ていった。
「健くんは照れ屋さんですねぇ」
とろんとした声にハッとして振り向く。今まで意識していなかったが、遥は今彼に抱きしめられている状態だ。
「〜〜っ!」
自分のおかれている状況を理解して、勢いよく後退る。案外、簡単に抜け出せた。
「初々しい反応ですねぇ。なんだかいじめたくなっちゃいます」
「な、なにを…っていうかあんた――」
数メートル離れた位置から、どもりつつも彼を指さす遥。
そんな遥を見て男はくすりと妖しい笑みをこぼした。
「ふふ、自己紹介遅れました。私、3―Bの星影透といいます。どうかごひいきに、遥さん♪」
――なんで俺の名前……
「可愛いくて有名ですから」
! 今、心読んだよね!?
大きな瞳をぱちくりさせながら、ダラダラと汗を流す遥。目の前の男、星影はそんな遥を愉快そうに見つめる。
「そんな恐がらないで下さいよ。私、可愛い子には優しいですよ〜」
「いやいや、なんかめっちゃ怪しいんですけど!?」
ひどいですねぇ、とわざとらしく目頭を押さえる星影。口調からして、胡散臭いと遥は思った。
「しかし、あの健くんが真面目に学校に来てるなんて理解不能でしたが……」
そう言って、一歩遥に近づく。反射的に遥も後退った。
「そうですか、なるほど納得しました」
なんのこと、と聞く前に、星影がいっきに間合いをつめる。
そのあまりの不意打ちに、今度は遥も動けなかった。
「お目当てが、いたんですね」
にっこりと微笑む彼に、なぜか悪寒を感じた遥。
そのくらい、笑顔が妖艶だったのである。
「……それにしても、あの人が三日連続で学校に来るなんて笑っちゃいます。愉快すぎてお腹と背中がくっつきそうですよ!今なら私、空も飛べる気がします♪」
表情をくずして、ケラケラと笑う。
……どこからつっこめばいいんだ。
色々とおかしい発言に、唖然とする。
そんな遥に気付いたのか、単に笑うのに飽きたのか、星影はさて、と言って笑うのをやめた。
やっぱり微笑み(むしろ薄笑い)をはりつけたまま。
「お姫さまも助けたことですし、退散しますね」
そう言って、肩よりやや長めの黒髪をなびかせながら、遥に背をむけた。
「え、ちょっと待……」
ハッとした遥が思わず彼を呼びとめたとき、星影はなにかを思い出したようにぴたりと止まり、振り返る。
「あまり一人にならないほうがいいですよ。ガラスの靴を拾うのが、王子様とは限りませんから」
ふわりと綺麗に笑って、今度こそ図書室を出ていった。
――どういう意味?
いまいち分からず、首をかしげる。
遥はもう誰も立っていないドアを見た。
「俺、あの人と初対面だよね……」
淡くて優しい残り香は、どこか懐かしいにおいをただよわせていた。
読めない心、フィルターをはずして