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セレナーデ  作者: 桔梗


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episode9

時雨が「おおー」とわざとらしく声を上げ、蓮が視線を逸らす。

俺は、何も言えずに、ただ百合川を見ていた。


「じゃあ決まり!ほら、二人とも座って!」


時雨がパンの袋を掲げる。


「今日はパン祭りでーす!はい、百合川君、何食べる?」


「……え……」


百合川が戸惑ってる。

そりゃ誰だって、こんなに大量のパンが入った袋を急に見せられれば驚くわ。


「百合川、時雨の奢りだから遠慮しなくていいぞ」


俺は百合川に言う。


「こいつんち金持ちなんだよ。今日はとか言ってるけど、だいたいいつもパン祭りな」


蓮が冷たく言い放つ。


「そうそう!遠慮はいらないよ~」


百合川は戸惑いながらも袋を覗き、メロンパンを一つ、そっと取った。


「……これで……」


「お、甘党?」


「…まあ、そんな感じです…」


百合川が恥ずかしそうに俯く。


「こいつ、野菜嫌いなんだってさ」と俺が揶揄うように言うと、「桐生君…!」と百合川が珍しく大きな声を出した。


「なんだよ、誰だって好き嫌いくらいあるだろ」


「……だけど…なんか…野菜嫌いって子供みたいで、恥ずかしくて……」


「かわいいじゃん!」と時雨。


「時雨、百合川で遊ぶな」と蓮がいうと、と蓮が言うと、時雨は口を尖らせた。


「遊んでないし~、距離縮めてるだけだし~」


蓮は相手にしない。

俺は、百合川の横顔を見る。


百合川は、メロンパンを小さくちぎって口に入れた。

噛むたびに、少しだけ頬が動く。

それが、妙に安心する。


(……こいつ、小動物みたいな食い方してんな)


昼の光が、踊り場の床に細く差し込んでいた。

その光の中に、四人の影が並んで落ちる。


「ねえ、百合川君さ」


「……はい?」


時雨はパンの袋を膝に置いたまま、軽い調子で言う。


「もう、歌わないの?」


空気が、一瞬だけ止まった。


百合川の指が、メロンパンの上で止まる。

俺は思わず、時雨を睨んだ。


「おい――」


「いや、気になっただけなんだって。ほんとに」


時雨はすぐに続ける。

いつもの軽さの中に、ほんの少しだけ慎重さが混じっている。


「たださ。昨日、百合川君が歌ってる動画を見てね。なんか、勿体無いなあって思ってさ」


百合川は、少し視線を落としたまま、ゆっくりとパンを置いた。


「……歌う、こと自体は……嫌いじゃない、です。むしろ好きです」


「へえ」


時雨が目を細める。


「でも……」


百合川は言葉を探すみたいに、一度息を吸った。


「……あれは、“自分の歌”じゃないから……」


「自分の歌じゃない?」


蓮が静かに問い返す。


百合川は、小さく頷いた。


「NEBULAにいた頃は……ただ、求められてた歌を歌っていただけで……」


言い方は曖昧なのに、重みがあった。


「……ファンのみんなが好きなのは、“百合川依織”じゃなくて……IORIっていう、作られた人で……だから……」


俺の胸が、少しだけ締まる。


紫苑も、似たようなことを言っていたことがある。


『朔が好きなのはさ、俺であって……俺じゃないのかもね』


あの時、俺は紫苑になんて言ったんだっけーー。


「……今は?」


時雨が、優しく聞く。


百合川は、少し考えてから言った。


「……今は……」


目線が、俺のほうをかすめる。


「……IORIじゃないから……」


それは、自嘲でも悲嘆でもなく、

ただ事実を言うみたいな声だった。


「……だから、少し……楽、みたいです」


時雨が、少しだけ笑う。


「そっか!」


「……なんか、よくわからないこと言って……ごめんなさい」


「ほら、また謝ってんぞ」


俺はすかさず百合川に言う。


「あ……」


「まぁまぁ」と、時雨が代わりにパンを一つ口に放り込む。


「とにかくさ、ネットって神様ごっこ大好きだよねー。お前誰だよ、赤の他人だろ!ってね」


「……」


「でもさ、俺たちは、神様なんかじゃないし、百合川くんの人生の“正解”とかさ、誰にも決められないし、決める権利なんてないんだからさ。もっと胸張ってなよ!」


時雨の言葉は、珍しくまっすぐだった。


「いつか、聞かせてよ。“百合川依織の歌”」


時雨の言葉に、依織は微笑む。


「俺もーー」


「……え?」


「俺も、お前の歌が聞きたい」


(あれ、俺今何言った?)


一瞬自分が何を言ったのか理解できなかったが、蓮と時雨のあっけに取られた顔を見て理解した。


「……あ…その…今のは違くて……」


俺は言葉を探して口を開く前に、百合川がふっと笑った。


「……うれしい、です」


その声はとても小さかったけれど、嘘じゃない響きがあった。


「……誰かに……百合川 依織としてみてもらえたの……久しぶりで……」


目を伏せたまま、そう言う百合川の横顔は、アイドルでもIORIでもなくて、ただの十七歳の少年だった。


時雨が、わざとらしく咳払いをする。


「はいはい、急に空気重くならないでよ~。ほら、パン食べよパン!まだあるよ~」


「時雨」


「なに?」


「さっきの、悪くなかったぞ」


蓮がぼそっと言うと、時雨は一瞬きょとんとしてから、にやっと笑った。


「でしょ?俺って実は深い男なんだよ?」


「はいはい」


二人のやりとりに、百合川がくすっと笑った。

その顔を見て、俺は胸の奥底で何かが動く音がした。


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