episode8
教室に入った瞬間、視線が絡みついてくる。
「あの……ありがとう」
「おう」
百合川は、申し訳なさそうな顔で自分の席へ向かい、俺も自分の席へ座った。
竹本が前の席から振り返って、声を潜めた。
「お前さ、またなんかあった?」
「別に」
「別にって言い方が一番怪しいんだよなー」
「お前まで…なんなんだよ…」
竹本はニヤニヤしながらも、俺の顔色を見て少しだけ表情を引き締めた。
「百合川、大丈夫そう?昨日も俺が部活行った後、大変だったんだろ?」
「……知らねぇよ。なんで俺に聞くんだよ。お前が守ってやれば?」
「俺は、ナイトには向いてね~もん」
(何言ってんだか、馬鹿らしい)
始業のチャイムが鳴り、先生が入ってくる。
授業が進む。板書。ノート。あてられた生徒の声。
全部、いつも通りのはずなのに、俺の意識はずっと斜め前に引っ張られている。
百合川の背中。
肩甲骨のあたりが少し緊張していて、息をするたびに小さく上下する。
その動きが、妙に気になる。
俺はペン先でノートの端をなぞりながら、必死に視線を板書に貼り付けた。
教師の声は単調で、教室の空気はぬるい。
気になる。気にしてる。
そんなの、俺には似合わない。
紫苑がいた頃だって、俺はこんなふうに誰かを助けるなんて器用な真似はしてなかった。
……いや、正確に言えば、俺の方が紫苑に助けられてたと思う。
そう、あの頃からずっとーー。
***
昼休みのチャイムが鳴った瞬間、教室が一気に騒がしくなる。
椅子を引く音、弁当箱の蓋を開ける音、購買へ走る足音。
「朔ー」
ふいに、明るい声が頭上から落ちてきた。
「昼、どーする?購買行く?俺さ、今日カツサンド狙ってんだけど!」
竹本が、すでに財布を握りしめている。
百合川を見ると、また何人かに取り囲まれていた。
「百合川」
呼ぶだけで、何人かが『またかよ』という顔をした。
「昼、行くぞ」
「……え」
百合川が驚いた顔をする。
俺は、呆然としている竹本に声をかける。
「竹本」
「ん?」
「お前、購買行くんだろ。行ってこい」
「え、え、何?お前は?」
「俺は百合川と食うわ。ほら、早く行けよ。カツサンドなくなるぞ」
竹本は一瞬ぽかんとして、次の瞬間には笑った。
「昨日も俺仲間はずれだったのに!わかったよー!」
竹本は不貞腐れたような顔をしながらも、クラスのやつに声をかけて何人かで出て行った。
「百合川、行こ」
「……うん」
「……こっち」
「……はい」
人気のない、屋上近くの階段の踊り場。
そこに、すでに見慣れた二人がいた。
「朔、昼来るなら連絡しろよー」
「……なんでここにいんだよ」
俺が言うと、時雨が顔を上げて笑う。
笑うけど、その目は俺の後ろを見て、一瞬だけ真面目になる。
百合川が、踊り場の入り口で足を止めていた。
蓮が、すぐに状況を理解したみたいに目を細める。
「例の転校生?」
百合川が小さく身体を強張らせるのがわかった。
(……やっぱり、人が怖いんだな)
俺が先に答える。
「ああ、同じクラスの百合川」
百合川が小さく頭を下げる。
「……百合川 依織です……」
時雨が立ち上がり、わざと大げさに両手を広げた。
「うわ、本物だ。ねえ、今度サイン――」
「やめろ」
俺が即座に遮ると、時雨は「はいはい」と両手を上げた。
「冗談冗談。わかってるって」
ヘラヘラっと笑いながら、時雨は言葉を続ける。
「はいはい、緊張しなくていーよ!俺は藤白 時雨で、こっちの無愛想なのは芹沢 蓮!よろしくね!」
蓮も軽く会釈する。
百合川は一瞬迷ってから、深く頭を下げた。
「……よろしくお願いします」
「……てか、百合川君さ、朔にくっついてると大変じゃない?」
「おい」
俺が睨むと、時雨は肩をすくめる。
「だってさ、朔って怖いじゃん。特に…顔!」
「黙れ」
百合川が小さく笑った。
「……桐生君は……怖くないです」
百合川の反応を見て、時雨が茶化してくる。
「うわ!朔照れてる~!」
「おい、黙れって」
俺は百合川を見る。
「昼、こいつらも一緒でいいか?」
百合川が少しだけ驚く。
それから、迷っているのがわかる。
「嫌なら嫌って言っていいんだぞ」
蓮が低く言う。
その言い方はぶっきらぼうなのに、不思議と逃げ道を残していた。
百合川は顔を上げて、蓮を見る。
その目には、怯えよりも戸惑いが浮かんでいた。
「……嫌じゃ、ないです……一緒がいいです!」




