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根本の大塔で彼我をさけぶ 高野山にて

6次元に響く音に感情というものがあれば、それは明らかな失望だろう。

・・・進歩がないな

まさかそこまで力を蓄えているとは・・・

・・・弁明か?

   ・・・

・・・次回は必ず自分でなんとかしろ、アブラクサス


 宗像大社が建立されたとされる時代、都がどこにあったかは明確ではない。しかし、奈良あるいは京都、またはその周辺が当時の日本の中心地であったことは間違いないだろう。クレルはそう結論付け、とりあえず東へ向かうことを決意した。これまで母に関する確かな情報は得られておらず、焦っても事態が好転するわけではないと悟っている。新幹線ではなく、あえて在来線を乗り継ぐ旅を選んだ。車窓を流れる風景をぼんやりと眺めながら、うつらうつらと微睡まどろむ。両親が残したノートを読み返すと、都に関係する記述として「京都の北向山不動院」が挙げられている。京都市内に位置するその場所までは、一体あと何時間かかるのだろうか。


 その時、クレルの脳裏には、沖ノ島での体験が鮮明に蘇った。あの時感じた、ざらりとした違和感を伴う「反女神」による妨害と、厳しく守られていた女人禁制との関連性。改めて思い返せば、そこに何か重要な手がかりが隠されているような気がした。


 ふと、空道くうどうから授けられた、曼荼羅が描かれた護符を取り出してみる。その瞬間、クレルは驚きの声を上げた。なんと、全く同じ曼荼羅が、車内広告に大きく掲げられているではないか。「金剛峯寺」――真言宗の総本山であり、期間限定の公開がされているという。「真言・宇宙の息」というキャッチフレーズまでも添えられている。どうせ同じ東の方角だ。クレルは高野山へと行き先を切り替えることを即座に決めた。JRで大阪まで移動し、そこから南海高野線、そしてケーブルカーと乗り継ぎ、高野山へと向かう道のりを辿った。


 秋の高野を訪れる人は大勢居る。四国遍路の最後に訪れる人や外国からの観光客、また修学旅行の学生たちで賑わっていた。根本大塔のシンメトリーに圧倒されながら見入っていたクレルのバックパックを、トントンと誰かがつついた。振り返るとそこに居たのは鶴音つるねの晩に居合わせた、不思議な女性、八代 真魚まおだった。「あれから元気だった?」明るく、しかし、答えは知っているかのような顔つきで浅い度の眼鏡越しに笑む。

「やっぱり宇宙に引き寄せられたのかな」

 クレルはちょっと当惑する。「何か用ぜよ」

 しかし真魚はクレルの態度も気にしない。「私の友達が伝統について論戦をしに来てるんだけど」

「興味あるかと思って、女人禁制の歴史」そう、それなが。クレルは心の中で呟いていた。もしかして「反女神」が何かを「遠ざけて」いたいなら、それは「何」から「何を」なのか。そう、宇宙の真理に近づこうとすれば、なぜ「女性では駄目」なのか。

「今晩の善竜ぜんりょう和尚との問答、聞いてみない?」

意図の分からぬ真魚だが、悪い人物ではなさそうだ。


 闇に包まれた金剛峯寺の堂内は、灯明の揺らめく光に照らされ、静寂に満ちていた。その中で、年老いた僧侶、善竜と、凛としたたたずまいの女性山伏、白蓮びゃくれんが向き合い、静かに座している。外からは虫の音だけが響き渡り、堂内の空気には張り詰めたような緊張感が漂っていた。彼らの影に隠れるように、クレルと真魚もまた、息を潜めてその場にいた。


 善竜は、千年の長きにわたりこの山に受け継がれてきた掟について、静かに、しかし揺るぎない口調で語り始めた。

「この山は、千年のあいだ女人を遠ざけて守られてきた。女神であろうと、女人であろうと、ここに近づけば本来の聖域の均衡は乱れる。時代に合わずともそれが真理だと、わしは信じておる。」彼の言葉には、古の教えを守り抜く者の、揺るぎない信念がにじみ出ていた。


 しかし、白蓮は感情的になることなく、淡々とした口調で反論した。

「わたしは出羽の山で男に変わらぬ修行をした。その時も女神の気配はいつも山と共にあった。均衡を乱すのは女ではない。掟そのものが、山の声を封じているのだ。」彼女の言葉は、善竜の言葉を正面から否定するものではなく、「体験」と「確信」に基づいたものであり、その言葉の裏には、この山に宿る女神の息吹が感じられた。彼女は、女神の存在が山と一体であることを静かに主張し、女人禁制という掟が、かえって山という大地の真の姿を覆い隠しているのではないかと問いかけた。


 二人の対話が織りなす余韻の中、堂内には淡い霧が立ち込め始めた。その霧の中に、クレルは二つの異なる囁きを感じ取った。一つは「掟を守れ」と命じる声、もう一つは「掟を超えよ」と促す声。彼女は胸の奥で、女神の言語とその響きを重ね合わせ、その強力な意思をもって霧を払いのけた。霧が晴れると、堂内の空気は再び澄み渡った。


 長い沈黙の後、善竜はわずかにうつむき、独り言のように呟いた。「もし真に女神がここにおわすならば…わしらの戒めは、果たして何を守ってきたのか…。」その言葉には、千年の歴史の中で固く信じてきたものが揺らぎ始めた戸惑いと、深い思索が込められていた。


 白蓮は、静かにクレルに一礼すると、堂内を後にした。彼女の去り際に、クレルは善竜に問いかけた。

「なんで宇宙の知恵は女性には狭き門ながよ?」クレルのぶしつけともとれる物言いに、善竜の表情はわずかに緩んだ。

「そうやなぁ、なんでなんやろうなぁ・・そやけど決まりやさかいなぁ」

彼の言葉には、伝統と、それに従わざるを得ない人間の葛藤が表れていた。掟は、それ自体が持つ強固な信念によって成り立っているのだ。


 一方、白蓮は、未来の可能性を体現しているかのように、淡々と女神の存在を語り、掟の空虚さを示していた。クレルは、善竜と白蓮、この二つの異なる「真理」の間に立ち、女神の言葉をもって霧を祓った「調停者」として、その役割を果たしただけだったのだろうか。月光を浴びた庭に出ると、クレルは一瞬、「ウィッシュボーン」の逆三角形を幻視したように思えた。それは、彼女が進むべき道を示唆しているかのようだった。


「何かが私たちの邪魔をしようとしていることだけは確か」真魚は諦め顔だったが、その眼光だけは決して弱ってはいなかった。彼女の言葉は、この先の旅路に待ち受ける困難を予感させるものだった。


 善竜と白蓮の静かな対話の後、堂内の明かりがゆっくりと落ちていった。月明かりだけが、仏間の曼荼羅を淡く照らし出す。クレルがその曼荼羅をじっと見つめると、曼荼羅の模様がかすかに揺らぎ始めた。曼荼羅の中心に描かれた「不動明王」の周囲が淡い光に包まれ、その背後に描かれた炎の文様が一瞬、「北を指す矢印」のように形を変えた。その炎は、曼荼羅から外へと広がり、空間には「寺院」のシルエットが浮かび上がった。クレルにはそれが、女神の言葉による、次なる目的地への指し示しだと直感された。この寺院こそが、女神が示す新たな道への入り口なのだろうか。北向き、不動明王、やはり父母のノートには間違いはないようだった。



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