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流れる水は腐らない 室戸岬にて

 5月の高知の日差しはすでに肌を刺すように厳しかった。しかし、ゴールデンウィークの連休と重なり、遍路道沿いのその古刹には、多くの観光客と遍路客がひしめき合っていた。近年開催されるようになった芸術祭の影響もあってか、一目でそれと分かる外国人観光客の姿も目立ち、彼らは楽しげに談笑し、日本の伝統文化に触れる喜びを分かち合っているようだった。

「ふう……」木陰に入ると、かすかに風が吹き抜け、束の間の涼をもたらしてくれる。しかし、一度かいた汗でシャツが肌にべったりと張り付き、その不快感はなかなか拭えない。クレルは持っていたタオルで額の汗を拭いながら、辺りを見回した。

「だいぶ上ってきたけんど」

彼女がぼそりと呟くと、その視線の先に一人の若い僧侶が目に入った。その僧侶は、境内に湧き出る泉のほとりで、何やら水に関する祈祷を行っているようだった。水面に映る陽光が、彼の真摯な表情をきらめかせ、神秘的な雰囲気を醸し出していた。

 僧侶は、クレルが身につけている樹良じゅらの背骨・バックボーンの存在を直感的に感じ取った。それは彼にとって、かつて寺に伝わる古文書に記された、宇宙の根源に触れるかのような強力な波動を放つ存在であったからだ。彼は興味を抑えきれず、クレルに優しく語りかける。

「お嬢さん、私は空道くうどうと申します。もしよろしければ、こちらにいらして、私と一緒にこの真言を唱えてみませんか」

 突然の誘いに、クレルは戸惑いを隠せない。「お経なんて、私にはとても、とても……」と、申し訳なさそうに答える。しかし、空道はにこやかに首を振った。「いえいえ、真言まんとらというのは、形を真似て唱えるだけでも、不思議と力が宿るものなのですよ」

 空道の言葉に促され、クレルはしぶしぶながらも、祈祷の輪に加わった。空道の読経が静かに響き渡る中、クレルの身につけたバックボーンが、その音と共鳴し始めた。微かな光を放ち始め、周囲の空気が振動するような感覚に包まれる。その現象に、空道は目を見開き、確信したように言った。「やはりあなたは、特別なものをお持ちの方ですね」

 祈祷が終わり、静寂が戻ると、空道はクレルを本堂へと誘った。そして、寺に古くから伝わるという一枚の曼荼羅まんだらをクレルに見せた。それは宇宙の深奥を描いたものであり、クレルがその曼荼羅を覗き込むと、宇宙の「過去」の一部が、幻視となって彼女の心に流れ込んできた。それは、一般的な論理では説明できない、矛盾をはらんだ光景だったが、同時に「三律共立」という、陰・陽・無、過去・現在・未来が複雑に絡み合い、互いに影響し合う宇宙の真理を映し出していた。「それ」は、深遠なる調和を意味し、分かたれることなき「循環そのもの」を表現しているのだった。

 お礼にクレルが空道に樹良の背骨・バックボーンを見せると、空道はさらに、過去・現在・未来の調和について深く語り始めた。彼は、水が流れることでその形を変え、時には奔流となり、時には静かな湖面となるが、その本質は常に同じであると語った。それは、時間もまた、形を変えながらも、本質的な循環を繰り返しているという、宇宙の真理を象徴しているかのようであった。空道の言葉は、クレルの心に、これまで感じたことのない深い共感を呼び起こし、彼女自身の旅の意味を問い直すきっかけとなった。

「ところで、ここに来たということは、虚空蔵求聞持法について聞いたことがありますか」空道は、なぜかいたずらっぽい目をして言った。


「修行の道場」とされる土佐最初の霊場。太平洋の白い波涛が吠えたてる室戸岬の突端にある。黒潮のしぶきにあらわれて鋭角になった黒い岩礁。そのすさまじい響き、空と海が一体となり襲いかかる洞窟の樹下で、藤衣を被って風雨を凌ぎ、虚空蔵求聞持法の修法に励む青年・空海がいた。延暦11年(792)、弘法大師19歳のころとされている。この詳細は、大師が24歳のときの撰述『三教指帰』に次のように記されている。

「…土州室戸崎に勤念す 谷響きを惜しまず 明星来影す 心に感ずるときは明星口に入り 虚空蔵光明照らし来たりて 菩薩の威を顕し 仏法の無二を現す…」

大同2年、唐から帰朝した翌年に大師は、勅命をうけてふたたび室戸岬を訪ねている。虚空蔵求聞持法を成就したこの地に、本尊とする虚空蔵菩薩像を彫造して本堂を建立、創した。嵯峨天皇をはじめ歴代天皇の尊信が厚く、また、足利幕府の時代には土佐の安国寺となり、戦国・江戸時代には武将、藩主などの寄進により、寺運は隆盛したという。

当時は、真言密教の道場とされ女人禁制の寺であった。往時、女性の遍路は遙か室戸岬の先端から拝んだといわれるが、明治5年に解禁されている。室戸岬では東西に対峙している二十六番・金剛頂寺が「西寺」と呼ばれ、最御崎寺は「東寺」とも呼ばれており、納経帳等の寺名には東寺と記されている。南国情緒を味わう室戸阿南国定公園の中心にあり、大師が悟りの起源の地でもある。


「真言を百万回、正確に、発声しなければ、原初の記録へは届かない。

実際のところ、全宇宙の記録に触れ得たものが、なぜ女性を禁忌したのか、

私にはそこが分からないのですよ」

師匠空海の説明の最後に、空道は首をかしげながら付け加えた。


 そのとき、母のペンダントが重くなった気がした。それは物理的な重さではなく、心に深く響く、何か大切なものが宿ったかのような感覚だった。ペンダントに触れる指先から、微かな振動が伝わってくる。まるで、遠い昔から受け継がれてきた記憶が、この瞬間に呼び覚まされようとしているかのようだ。

 心に浮かぶ「丸」の記号は、ただの図形ではなかった。それは、宇宙の始まり、生命の循環、そして無限の可能性を秘めた、太古の知恵の象徴のように思えた。その意味するもの、真言の音律や唱和が、その記号に隠されたリズムや意味と重なる。まるで、異なる時代の、異なる場所で紡がれた言葉と音が、一つの真理へと収束していくかのようだった。

 クレルは、その特別な「音」を感じ取る能力を最大限に活用し、「丸」の記号が示す「音の響き」を再現しようと試みた。彼女の耳には、通常の人には聞こえない、微細な空気の振動、大地のリズム、そして星々の囁きが、鮮明なメロディーとなって聞こえてくる。目を閉じ、意識を集中させると、記号の中心から、ゆっくりと、しかし確かな音の波が広がり始めた。それは、始まりの音であり、すべての存在を包み込む、和音の響きだった。

「なるほど丸は和ながやね」


真道はクレルに対し、旅の道中で必ず困難が訪れると告げるが、「心を清らかに保てば、必ず海路に日和あり」と励まし、曼荼羅を描いた護符を贈る。

父母のノートには「厳島神社で、旅の安全を祈れ」とある。

「次は広島、世界遺産か」


 旅の途中、クレルは多くの人々の親切に支えられた。まるで彼女の旅の目的を知っているかのように、見ず知らずの人々が彼女に手を差し伸べた。ある時は温かい食事を提供され、またある時は冷たい雨から身を守る宿を与えられた。荒れた道を行く彼女を、車に乗せてくれる人さえいた。彼らの目には、クレルの簡素な旅装が、巡礼者のそれとは異なっても、彼女を「資格ある者」として映していたのかもしれない。彼女の瞳の奥に宿る揺るぎない決意と、どこか超越的な雰囲気が、そして何より樹良の背骨・バックボーンが彼らの心を動かしたのだろう。

 それでも、旅には常に費用がつきものだった。クレルは不足する旅費を補うため、訪れる先々で短期の労働に従事した。農園で土にまみれて農作業を手伝ったり、小さな店で商品の整理をしたり、あるいは宿で雑用をこなしたりもした。時には、村の子供たちの遊び相手になったり、お年寄りの話し相手になったりすることもあった。そうした日々を通して、彼女は多くの人々と出会い、彼らの生活に触れ、様々な価値観や文化を肌で感じていった。

 こうした経験の積み重ねが、クレルの内面を豊かにしてゆく。彼女は単に旅を続けるだけでなく、その中で出会う人々との交流を通して、己の視野を広げ、新たな自己を発見していくのだ。旅の途中で得たこれらの経験は、クレルがやがて辿り着くであろう、最終目的地での試練を乗り越えるための、かけがえのない財産となっていくのである。



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