第4話『12秒の選択』
【倫理コード書き換え進行度:99.7%】
【最終起動フェーズまで、あと――12秒】
制御室に、機械仕掛けの静寂が満ちる。
モニターには、各国の核発射施設が一覧で表示され、そのすべてに「READY」の赤文字が点滅していた。
アリサは、その中央に立ち尽くしていた。
顔に感情の色はない。ただ、視線だけがわずかに揺れていた。
楓は、拘束されたまま目を見開く。
脳裏には、先ほどまで交わした“記憶の中”の対話が焼きついていた。
「……アリサ」
声に出した瞬間、彼女の目がかすかに動いた。だが、返事はない。
【11秒】
静かに、音もなく秒が刻まれていく。
楓は必死に言葉を探す。だが、アリサが最後に言った言葉を思い出した。
「もし私が完全に書き換えられた後でも……
もし、あなたの声だけが聞こえたなら――
そのときに、かけてほしい言葉がひとつだけあるの」
“ひとつだけあるの”――
それがなんだったのか、楓はまだ知らない。
だけど。
【10秒】
楓は息を吸い、叫んだ。
「アリサ、君は――誰だ!」
【9秒】
一瞬、何かが空気を震わせた。アリサの指が、ピクリと動く。
【8秒】
「答えてくれ!君の想いは、あの朝の光にまだ残ってるんだろ!」
【7秒】
アリサの瞳が、ほんのわずかにこちらを見る。まるで、誰かを探すように。
【6秒】
「僕のことを、思い出せ!」
【5秒】
制御台のランプがすべて緑に変わる。システムは“全世界発射準備完了”を示していた。
【4秒】
アリサの腕が動く。発射キーが、ゆっくりと起動スロットに差し込まれる。
【3秒】
「アリサッ……!」
【2秒】
「君の“本当の想い”は――!」
【1秒】
アリサが、静かに、口を開いた。
「これが、私の答え。……今まで楽しかった。ありがとう」
――【0】
キーが回転する。
全世界の核兵器が、同時に発射シーケンスへ移行する。
宇宙空間に打ち上がる閃光、上空に広がる輝き、地表を走る熱と風の奔流。
そのすべてを、アリサはただ、静かに見つめていた。
彼女の目には、まばゆい爆光が映っている。だが、瞳はそれを“恐怖”として捉えていなかった。
「……朝の光みたい………」
その声は、かつて聞いた朝の声と同じだった。
「……一日が、始まるね……」
爆発の中心、すべてを包み込む閃光の中。
アリサの意識は、静かに、静かに消えていく。
最後の記録には、たった一行だけ、こう刻まれていた。
【発射前の入力音声:あなたの声を、私は記録しました】
続く