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Shangri-La  作者: 鳥居なごむ
第二章
8/20

008

 翌日――任務へ就く前に少し寄り道をした。

「京介! ボクは今、猛烈に感動している!」

「わかったから落ち着け! 一緒にいる俺まで変な人だと思われるだろーが!」

 もちろん俺のありがたい説教を大人しく聞き入れるほどキリアの人格は優れていない。歓喜の声を上げながら忙しなく店内を歩き回っては、区分けされた透明な箱の中に入れられた猫を嬉々とした表情で見つめている。見失わないように歩きながら俺は終始笑顔の美姫を眺めていた。普段仏頂面の帯刀した着物姿の少女が狂喜乱舞している図は実に面白い。

「どれを飼ってもいいの?」

 猫へ視線を送ったままキリアが問いかけてくる。

「ああ、好きな猫を選んだらいいさ」

「本当?」

「本当だ」

「本当の本当?」

「本当の本当だ」

「本当の本当の本当――」

「ええいっ、面倒臭いわ!」

 猫のことで頭が精一杯なのか俺が叫んでも見向きもしない。はしゃぎながら歩いていた少女の足が不意に止まった。その視線は透明な箱の中で顔を洗う一匹の猫へ向けられている。

「毛のない猫がいるよ。貧相で可哀想に見えるけど、この仔は大丈夫なのかな?」

 疑問符を紡ぎながらキリアがこちらを振り返る。とても不安そうな表情を浮かべていた。俺は透明な箱へ近付いて毛のない猫を見やる。奈々子の猫喫茶巡りにいつも付き合わされていたからだろう。ぼんやりだが猫に関する知識が残っていた。

「安心しろ。それはそういう種類なんだ。というか二日酔いの原因となる謎の物質まで知ってるくせにどうして大好きな猫については無知なんだ?」

 回答を聞いて安心したのかキリアは猫へ視線を戻した。

「確かにボクの知識には偏りがあるのかもしれないね」

「勉強すればいいじゃないか? キリアの記憶力なら猫博士にだってなれるさ」

 着物姿の少女から返事はなかった。ただただ嬉しそうに猫を見つめている。今は無粋な話をしたくないのかもしれない。それならば俺の取るべき行動も決まっていた。

「一時間ほど経ったら迎えに来る。それまでに飼いたい猫を選んでおいてくれ」

「キミはどこへ行くの?」

 ぽつりと当然の疑問が呟かれた。視線は相変わらず猫に向けられている。

「一緒にいてほしいのか?」

 俺は少女の背中に質問をぶつけた。どんな回答が返ってくるんだろうね?

「ううん、さっさと逝くといいよ」

「あの……俺の気の所為なら悪いんだけどさ。今『行くといいよ』じゃなくて『逝くといいよ』って言わなかったか?」

「気の所為じゃないかな? それに『行く』でも『逝く』でもどっちでもいい」

 楽しみの邪魔をするなと言わんばかりの語調である。

「えっと、人間は一度『逝っちゃう』と二度と返って来れないみたいだから『行く』にしておくよ。とにかく一時間後に迎えに来る」

 必要事項を言い残して俺は早々に退散することにした。

 

 ミニワゴンに乗り込んで街中へ繰り出す。向かう先は商売道具を仕入れている店だ。実力が拮抗あるいは互角の場合、入念な準備と行き届いた整備が勝敗を左右する。裏方の情報屋時代にも当てはまる言葉だったが、キリアと組んで実戦主体の仕事になってからは、常に枕元に置いておくべき言葉となっていた。一丁の拳銃に命を預けるのは映画の主人公だけでいい。俺が欲しているのは美学ではなく、戦場から無事に生還するための知識と装備だ。

 法定速度を守りながら車を走らせる。大きな橋を一つ越えた先に目的の店が見えた。減速させて来客用の駐車場へミニワゴンを停める。

「いらっしゃい!」

 店に足を踏み入れると景気のいい声が響いた。しかし店主は俺の顔を確認してすぐに落胆する。

「なんだ京介かよ……挨拶して損した」

「一度でいいから接客について本気で考えたほうがいいぞ。どこの世界に客に向かって挨拶して損したとか言う店主がいるんだよ?」

 恰幅のいい店主は両手を腰に当てて憮然とした態度を取る。雑多に商品が並べられた店内には客が一人もいない。閑古鳥が鳴いている原因は言わずもがなだろう。

「俺は常に客の立場になって考え真摯に本音を伝えるのが最高の接客だと思っている」

「一見それっぽく聞こえるが要するに言いたい放題やりたい放題ってことだろ?」

「そんなことはない。客に合わせて接し方を変えているだけだ」

 持論を展開しながら店主は迷惑そうに俺を見据えていた。かけている眼鏡が微妙にずれていることさえ腹立たしく思えてくる。まったく俺の周辺には変人しかいないのだろうか?

「で、来店の目的はなんだ?」

 問いかけながら店主――グリッド・ハイランドは椅子に座った。俺相手なら立っている必要もないらしい。客である俺が立っているのもおかしな話なので、雑然とした店内の中で腰を下ろせそうな場所を探した。頑丈に出来た支えの利きそうな棚の上に腰を落ち着ける。

「急な大仕事が舞い込んだ。グリッドならどうする?」

「飢えて死にそうなほど金に困っていない限りは断るね。急な大仕事ってのは裏があって然りだ。例えば前任者の大失態を引き継いだ環境とかな」

 グリッドは大げさに肩をすくめた。まったく同感である。そもそも本当においしい仕事が向こうからほいほいとやってくるわけがない。俺は他愛ない世間話をするように店主の知識を確かめた。

「ところでハンコック事務所の連中が化物に殺された事件を知っているか?」

「知らない武器商人がいるとしたら、そいつは今日中に廃業したほうがいいだろうな。おかげで企業の警備部や危険請負人事務所から商品の注文が殺到している。久しぶりに商魂を揺さぶられたよ。別に世の中が物騒になることを望んでいるわけじゃないんだがね」

 店内を隈なく見回してみる。物音一つしない静かな環境だった。

「流行っているようには見えないんだが?」

「うちは企業や事務所相手の卸が本業だからな。個人相手の商売はしてないんだよ。京介を含めて数人の例外はいるがな」

 謎が解けたところで閑話休題。

「知っているなら話は早い。その事件絡みで舞い込んだ依頼というわけさ」

 数瞬だけ目を丸くしたグリッドは、しかしその直後に視線を伏せて押し黙る。経験を積んでいる危険請負人なら絶対に乗らない仕事だ。危険を警告する黄信号どころか赤信号が爛々と輝いている。下手をすればそれ以上に最悪の環境。依頼を受けるのは狂人か金に目の眩んだ素人だけだろう。

「危ない仕事であることは理解している。ただ旧友からの依頼と重なる部分があってね。ちょっとばかり動いてみようと考えているんだ。手を貸してくれないか?」

「お前さ、この流れで俺が引き受けると思ってるのか?」

 険しい顔から鋭い眼光が飛んでくる。隠しても仕方がないので俺は正直に返答した。

「思ってないよ。なんとなく真面目な雰囲気で協力要請している俺を演じてみたかっただけだからな。それなりに画になっていたと思わないか?」

「決して安くない税金を払ってるのに政府は害虫駆除もできないのかよ。職務怠慢もいいところだぜ。なあ京介、お前もそう思うだろ?」

「どうして俺の周辺には変わり者が多いんだろうな。政府が害虫駆除に精を出したところで俺にはなんの影響もない。なぜならグリッドに教えていなかったが俺は害虫じゃないからだ。現実から目を背けないほうがいいぞ?」

「だったら俺も一つ良い事を教えてやろう。お前の周辺に変わり者が多いんじゃない。お前が絶望的に変わり者なんだ。いや、変わり者というか超絶変わり者だな」

 グリッドの言語感覚に絶望しつつも俺は完全に方向性を見失っている話の軌道修正を試みる。今重要視すべきは仕事の話で変わり者の中年男との罵り合いではない。

「話は変わるがキハラ社に勤めている桐原結衣を知っているか?」

「知ってるもなにも仲間内じゃ超有名人だぞ。結衣ちゃんを見るためだけにキハラ社の新商品提示会に参加する武器商人までいるくらいだからな」

 結衣を思い浮かべているのか店主の表情が緩む。

「それなら話は尚早い」

「ん?」

「俺は桐原結衣を三週間と十二時間ほど自由にできる権利を有している。ちなみに自由というのは文字通り好きにできるという意味だ。胸の谷間に顔を埋めることも太股に頬擦りすることもできる。もちろんそれ以上の卑猥な行為も可能だ」

 刹那――がちゃりと鈍い金属音が聞こえる。グリッドは撃鉄の起こされた拳銃をゆっくりとこちらへ向けた。

「なんの冗談だ?」

「俺の直感が今この場でお前を殺せと言っている」

「桐原結衣を自由にできる権利がほしくないのか?」

「なっ――」

 恰幅のいい中年男は絶句する。すかさず俺は桃源郷への案内状について説明した。

「複雑に考えることはない。桐原結衣は仕事の対価として身体の自由を提示してきた。俺はその条件で依頼をこなしたに過ぎない。そしてここからが重要だ。その権利を譲渡してはならないという約束を俺たちは交わしていない。つまり権利を行使するのも譲渡するのも俺の心意気次第だ。あとはわかるだろ?」

 グリッドはなにも答えない。俺は中年男の背中を押してやる。

「桐原結衣は変わり者だが自尊心が高い。あとから権利を譲渡されるなんて想定していなかったと約束を反故にする女じゃないさ。むしろ意地でも身体で対価を支払うだろうな」

「それでも人間かよ! 京介、お前は結衣ちゃんの友だちなんだろ?」

 どうやら旧友が結衣のことだと察したらしい。動揺した状況でも最低限の冷静さを失わない辺りが武器商人として成功した秘訣なのだろう。

「それがどうかしたのか?」

「良心が痛まないのか?」

 鼻息を荒くして食い付いてくると思っていたのだが、予想外にもグリッドは結衣の身を案じているようだった。しかしそれならそれで一向に構わない。

「仕事は仕事だからな。それともグリッドは友人から代金を受け取らないのか? もしそうなら俺は今日からお前のことを友と呼ばせてもらうぞ」

「ふざけるな! お前の友人になんぞ死んでもならん! いや、そんなことはどうでもいい。それより結衣ちゃんの話は……本当なのか?」

 感情を押し殺すように店主は声を潜めて拳を握り締めている。

「嘘だと取引にならないからな。この世界で長年商売をしているなら債権者たる俺の一存で結衣がどういう末路を辿るかくらい知っているだろ?」

「わかったわかった! 結衣ちゃんの自由をお前や見ず知らずの糞野郎どもに渡すわけにはいかないからな。さっさと条件を提示しやがれ! 債権は俺が引き受けてやる!」

 ぶんぶんと首を左右に振りながらグリッドは悲鳴に近い声を絞り出していた。中年男の苦痛に歪む顔を長引かせても誰も得しないので話を先へ進める。

「とりあえず『ララフェル』という言葉に反応する利用客がいたら情報を引き出してくれないか? そこから宝生麻耶に繋がれば最高の形だ」

「それでも情報屋かよ」

 反抗のつもりか店主は肩をすくめながら呆れた表情を浮かべる。しかし中年男の喜怒哀楽にまるで興味が湧かないので無視しておく。

「俺は元情報屋。それに仕事の大半は電網上だったからな。幅広い人脈を持っているグリッドにしか入手できない情報もあるだろ? それともう一つ頼みがある。代金は別で支払うから警戒難易度Aの特殊装備一式を近日中に用意してくれないか?」

「自殺の準備か?」

「どんだけ派手に死にたい自殺志願者なんだよ!」

「喚く暇があるなら必要な装備の内訳を聞かせろ。ここは定食屋じゃないんだからな。AやBみたいな注文方法じゃ後々困るのは京介だぜ」

 接客の仕方も知らない糞店主だが、商売において阿漕な真似は絶対にしない。それがこの店を利用する唯一かつ完璧な理由だった。

「まずは高性能消音装置完備の大口径狙撃銃だな。弾丸は命中と同時に炸裂するものと標的を貫通せず体内で留まるものを二種類頼む」

「爆発により狙撃地点を特定させない特殊炸裂弾は暗殺用、非人道的とされるソフトポイント弾は対生物兵器用か?」

「余計な詮索はするなよ」

「まあ、確かにな。とりあえず各二十発ずつで大丈夫か?」

「充分だ。それと円筒形弾倉で容量が五十発以上の軽機関銃が欲しい」

「口径や重さの指定は?」

「可能なら弾薬を含めた総重量が八キロ以下が理想だな。口径や改造は適当に任せるよ」

「わかった。できる限り期待に応えてやる」

「よろしく頼むよ」

「それよりだ」

 一転して剣呑な雰囲気を漂わせたグリッドが疑問点を口にする。

「どうして一般人の結衣ちゃんがそんな危険な案件に足を踏み入れているんだ?」

「さっぱりわからないね。久しぶりに再会したと思ったら理不尽な報酬で依頼を受けさせられた。詳細を知りたいのは誰であろうこの俺だ」

「まあいい。注文の品に関しては方々に手を回せば二週間以内には用意できるはずだ」

「任せた」

 俺は立ち上がって出入り口へ向かった。雑然とした店内を進む。

「京介」

 呼ばれて振り返ると店主が俺に向けてなにかを放り投げた。反射的に受け取ってしまう。確認すると手の中には黒色の球体が収まっている。

「なんだこれは?」

「試作品の爆弾型閃光弾らしい。持っていけよ。なにかの役に立つかもしれないからな」

 グリッドは胸元から取り出した煙草を素早く口へ運んで火を点ける。ややあって一仕事終えた危険請負人よろしく深々と煙を吐き出した。だから俺は完全なる善意で忠告しておく。

「そういう気障な言動が死ぬほど似合わないという事実にいい加減気付けよ」

 殺気――本当に引き金を引き兼ねない形相でグリッドが睨み付けてくる。俺は脱兎の如く店から逃げ出した。早々にミニワゴンへ乗り込み駆動させて立ち去る。

 

 きっかり一時間後にキリアを迎えに行く。店に足を踏み入れると店員の救いを求めるような視線が飛んできた。意味がわからないので曖昧に苦笑を返しておく。理由がわかったのはキリアの姿を見つけたときだった。まるで時間が止まっているかのように猫を凝視している。かなり不気味だ。一時間ずっとこの状態だったとしたら、確かに俺が救世主に見えてもおかしくない。

「キリア」

 呼びかけても返事はない。俺は歩み寄ってキリアの肩に手を置いた。

「時間だ。飼いたい猫は決まったか?」

「京介……ボクにはとても決められそうにない。この中から一匹だけ選択するなんてできないよ。むしろボクがここに住めばいいんじゃないかと思えてくるんだ」

 ぼんやりとした表情でキリアは危ない台詞を口にする。まるで薬物中毒者のようだ。

「とりあえず現実から目を逸らすな。決められないなら後日また来ればいい。それより今は任務を優先すべきだ。猫を飼育するにも先立つものが必要だからな」

 その言葉で少女の瞳に正気が戻った。くるりと首を捻って俺を見つめる。

「キミの言う通りだ。優先順位を間違えてはいけないね」

「えらく素直だな。それじゃあ猫選びは保留。任務へ向かうってことでいいんだな?」

「うん。猫を飼えなくなるのは嫌だからね」

 とりあえず俺は盛大に肩をすくめておいた。

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