020
自身が怪我人であることも忘れて、俺は病院内の大部屋を見回っていた。生還したハンコック事務所の連中が寝台を占拠している。軽症から重症まで随分と幅広く揃っていた。そのうちの一人に俺は言葉を投げかける。左足を吊られ両手も固定されている、明らかに絶対安静状態な全身包帯塗れ野郎だ。
「ああいう気障ったらしい行為に及んだんなら、とりあえず死んでおいたほうがよかったんじゃないか? 俺が逆の立場なら恥ずかし過ぎて自殺してるぞ」
「心の傷に土足で踏み込んでくるなよ。そもそも京介の所為なんだからな」
重症のくせに口だけは元気である。
「俺の所為? 責任転嫁の天才かお前は?」
「お前からもらった爆弾の所為だからな」
グリッドからもらった爆弾型発光弾の記憶が蘇る。それを俺がルザフに譲渡したのだ。
「あの試作品か?」
「そうだよ」
ルザフは苦々しく吐き捨てる。俺は頭の上に疑問符を浮かべた。
「確か内臓されていた記憶素子には『轟音と衝撃波に合わせて実際の爆弾が炸裂したような立体映像を展開する。従来の発光弾に比べて標的を混乱させる効果が高く、また指揮系統の建て直しを大幅に遅らせる効果がある』と書いてあったな」
そこで理解する。
「本物の爆弾だと思っていたわけか?」
「そうだよ! 生物兵器を巻き込んで自爆しようとしたのに爆発しなかったんだ!」
「それはかなり悲惨だな」
「でもまあ、効果はあった。結果的に標的の動きを止めることに成功して、ルルイエさんに助けてもらう時間が稼げたわけだからな。はあ……しかしミシェルと会うのが気まずい」
盛大に溜め息を吐くルザフだった。重要なことを忘れているようなので警告しておく。
「とりあえず脇役らしく命の恩人である俺に礼の一つでも言ったらどうだ?」
「京介」
美貌の青年は神妙な表情を見せた。俺も真面目な顔を作りながら応じる。
「ここは肉体を負傷した患者が入院している場所なんだ。脳と精神に異常をきたしている京介がお世話になるべき施設じゃないぞ?」
「以上を持ちまして命の恩人へ対するお礼の言葉と代えさせて頂きます――という説明が抜けているみたいだが感謝しているのは伝わってきたよ」
「どれだけ前向きなんだよ! 俺は嫌味を言っただけだ!」
「まあ、それだけ吼える元気があるなら大丈夫そうだな」
「怪我人に心配されたくねえよ」
不服そうにルザフは口を尖らせた。やれやれという風に俺は肩をすくめる。
「俺は打撲と切り傷程度だからな。銃創と骨折で一人じゃ歩けもしない誰かさんと一緒にするなよ。あ、ちなみに誰かさんっていうのはルザフのことな」
「だったら最初から誰かさん言うなよ!」
「まったく――こんなところで油を売っていていいのか?」
怜悧な瞳が俺を捉える。赤髪の鬼神――ルルイエだった。
「なんのことですか?」
「キリアだよ。喧嘩中のお前を助けに来てくれたんだろ?」
俺は時計を確認する。どうやら友人の見舞いはここまでらしい。
「そうですね。迎えに行って来ます」
最後に一つだけ言っておく。半分本気で半分嫌がらせだ。
「もしルルイエさんが男だったら惚れていたかもしれません」
「ああ?」
きょとんとするルルイエに背中を向けて俺は病室をあとにした。
面会用の駐車場に停めていたミニワゴンに乗り込む。高くまで昇った太陽の光が運転席に射し込んでくる。操縦環を握る前に俺は携帯端末を取り出して連絡を入れた。数回の呼び出し音を経て通信が繋がる。
「遅い」
第一声がそれだった。俺は弁解する。
「死んだと思っていた友人が生きていたんだ。からかいに行くのは当然だろ?」
「どうして素直に『見舞いに行ってました』と言えないかな?」
「俺は正直者だからな。つまり『からかい』に行ったのを『見舞い』と称せないんだよ」
電話口で呆れている結衣の姿が容易に想像できた。
「キハラ社に向かえばいいのか?」
「お願い」
了解と告げて通信を切る。俺は深呼吸してから加速板を踏んだ。
大通りを快適に飛ばしてキハラ社へ向かう。
考え事をしたいときに限って信号は赤にならない。キハラ社の来客用立体駐車場が視界に入ってきた。同時に入り口で手を振っている人物を発見する。減速して近付くと停車の合図を出してきた。指示に従って停めると助手席側の窓を叩いてくる。施錠解除すると遅刻色魔と称賛の言葉を放ちながら乗り込んできた。
「ここが合流場所じゃなかったのか?」
「研究所はここから一時間ほど移動した場所にあるわ。こんな都心に研究所を建設するような非経済的な企業は倒産してるか悪事に手を染めているかのどっちかよ」
さらりと笑えない話を口にする。俺は苦笑しつつ加速板を踏み込む。
大通りから細い道へと入っていく。景色も超高層ビル群から住宅地へと変化する。さらに進むと昼休み中の準工業地区になった。仕事着の人々が敷地内を歩いている。職業柄なのか勤め人より労働者という印象が強い。準工業地区を抜けると緩やかな坂道が続いていた。加速板を踏み込んで一気に登っていく。
「あとは一本道みたいなものだから大丈夫かな」
「小高い丘の上にある研究所――もれなく非合法なことやってるだろ?」
「やってないわ! どんな偏見を持ってるのよ」
頂上が視界に映り込んできた。
白を基調とした研究所が悠然と聳え立っている。ある晴れた日の昼下がりだからいいようなものの、雷鳴が轟く薄気味悪い深夜なら怖過ぎて引き返していただろう。
正門で検問を受けてから敷地内へ車を乗り入れた。広大な土地の一角にミニワゴンを停車させて研究所へ向かう。入り口の認証は結衣の指示に従って済ませた。擦れ違う白衣の職員と挨拶を交わしながら地下へ降りる。
とある一室に案内された。
「おや、奇遇ですね」
「こんな偶然があって堪るか!」
俺は声の主へ言葉を吐き捨てる。
「喧嘩ならあとにしてよね。それと黒崎くんはここでなにをしているのかしら?」
結衣が声の主――黒崎に問いかけた。
「キリアさんの処分を保留してもらうための資料を、明日の昼までに用意しろと命じたのはどなたでしたっけ? その所為で一睡もしてないんですからね」
「あらそう」
気にする素振りも見せず結衣は黒崎から資料を受け取る。さすがに不憫な気がしないでもない。俺は簡潔に礼を述べておくことにした。
「助かったよ。黒崎にこの手の才能があるとは思ってもいなかった」
「それはどうも。じゃあ僕は用も済んだので病院へ向かいますね」
右手を軽く上げて黒崎は部屋を出ようとする。
「ちょっと待て。ハンコック事務所に残るのか? いや、というより残れるのか?」
「組織的にも個人的にも残ることはできません。ただのお見舞いですよ。上同士がどう手打ちにしたのかわかりませんけど、僕と事務所間での遺恨は残らないように配慮されたみたいですね。でなければ面会にも行けませんよ」
「もう会うこともないのか?」
立ち去る背中に問いかけていた。黒崎は携帯端末のようなものを取り出して口に添える。
「仕事だ。今すぐ港の倉庫へ向かってくれ」
くぐもった低い男の声だった。俺は驚愕のあまり声も出ない。
「そういうわけなので、会いたくなったらこちらから連絡しますよ。キリアさんのために偽造報告書まで作ったんですから、今度からは電話口で苛めないでくださいよね」
黒崎が姿を消したあとも、俺はしばらく呆然と立ち尽くしていた。黒崎が代理人とか悪夢に過ぎる。誰かの掌の上で弄ばれているような最悪の気分だった。
「いつまでキリアちゃんを待たせるつもりなの?」
その言葉で我に返った。黒崎が代理人であったという事実は、一時的に記憶から抹消しておこう。キリアとの再会に当たって精神衛生上よろしくないからな。
改めて室内を観察する。
形容し難い電脳機器が整然と設置されていた。それらを繋ぐ外装された電線が複雑に絡み合っている。危なっかしくて触れる気も起きないような電脳機器を結衣は操作し始めた。
電子音と同時に機器が稼働。前方にある円状の扉がゆっくりと開いた。
「処分保留の正式決定が下りるまで監禁拘束という条件だったの。気を悪くしないでね」
促されるまま俺は中へ進んだ。目眩を覚えそうな一面白の閉鎖空間。真っ白な部屋の中心に拘束着に身を包まれた少女が可動式の寝台に固定されていた。映画の一場面を切り取ったような現実味のない光景である。引力に導かれるように意識せずとも足が動く。少女の傍らに立った俺は固定器具を外す。
「おい、起きろよ」
肩を揺らしながら少女の頬を軽く叩いた。気だるそうに少女は瞳を開ける。
「……ここは?」
「キハラ社の研究所だ。もうすぐ手続きを終えて出られるらしい」
数瞬の間――俺は少女の思考が覚醒するのを待ってから告げた。
「一緒に帰ろう」
「気が乗らない」
ぷいと顔を背けられる。中等科の女子みたいな拗ね方だった。
答えを先送りにするのはここまでだろう。俺は覚悟を決めて感情を吐露した。
「キリアのことを恨まなかったと言えば嘘になる。それはもう言葉では表現できない憎悪だった。でもな、一緒に過ごすうちに感情が変化していくことに気付いたんだよ。でもその気持ちは奈々子の存在を否定しまうようで怖かった。だからそれを認めたくなくて、ずっと結論を先延ばしにして来たんだ。でも今なら答えられる。今キリアを失ったら俺は奈々子を失ったときと同じ喪失感に苛まれるはずだ」
少女は視線を逸らしたまま告げる。
「ボクの知らないところで勝手に死ぬのは許さない」
キリアは俺を必要としてくれる。
俺はキリアを必要としている。
それだけわかっていれば充分だ。
「俺もキリアも無事だった。問題ない。これからも今まで通りやっていけるさ」
上体を起こしてキリアの拘束着を脱がせた。
「さあ、帰ろう」
「おかえりは?」
キリアが詰問する。俺は深呼吸した。
「おかえり」
キリアがその風貌に似つかわしい少女の笑みを浮かべる。
そこまではよかった。
「とりあえず私の存在を思い出そうね」
結衣の呆れた声が聞こえる。これまでのどんな物理攻撃よりも効いた。
「着替えをしたい」
キリアの申し入れを受け容れて結衣が別室へ案内した。なんとなく二人きりで話したいらしいと察する。そのため「車で待ってるよ」と告げて俺は先に外へ出た。車に乗り込んで一息吐く。いろいろな想いが交錯する。気持ちの整理を付けるには、もっと時間がかかるだろう。それでも今だけは幸福を疑わなかった。
深呼吸。
今はなにも考えないようにしよう。幸せな気持ちが逃げてしまったら大変だ。
三十分ほどしてキリアが姿を現した。手には仰々しい荷物と菊一文字。しかし目を奪われた理由はほかにある。ロングスカートにブーツ、ブラウスの上にカーディガンを羽織っていた。それらは俺がしっかりと保存しておいた奈々子の衣服である。車から降りて俺はキリアを正面から捉えた。
「どこでそれを?」
「家出するときに部屋から持ち出したんだ。『開けるな危険』と書いてる扉の向こうに衣服や画材、それに少女が使っていたと思われる、小物や生活用品が保管されていることは知っていたからね。むしろ見つからないと思っていたほうがどうかしているよ」
「いやいや、『開けるな危険』と書いてあるんだから開けるなよ。もし本当に危険だったらどうするつもりだ? 異世界に通じているかもしれないだろ?」
「通じてるわけないよ!」
「それでも『開けるな危険』って書いてあるんだから開けるなよ」
「京介は嘘吐きだからね」
悪戯な笑みを浮かべるキリアだった。それを見た俺は自然と口を衝いてしまう。
「似合ってるよ」
「素直だね。そんな京介にはこれをあげるとしよう」
言いながらキリアは荷物の中からなにかを取り出した。
「なんだそれは? 爆発物や劇薬毒物に指定されている物ならいらないぞ」
差し出された品物を眺めながら俺は送られてくる可能性が高い不用品の種類について説明した。キリアはなにも答えない。ただ差し出した手をさらに突き出してくるだけだった。嘆息を漏らしつつ俺は梱包された品物を受け取る。
「開けてみるといいよ」
「こっちの質問は無視しておいて開封しろ宣告かよ」
「秘密の贈り物というやつだからね。中身を教えると意味がなくなるんだよ」
「俺を喜ばせたい気持ちがあるなら効果的な方法を教えてやる。まず首に贈呈用の飾りを巻いてだな。次に肘まである長手袋と膝上まである長靴下だけ着用して、会心の微笑むを浮かべながら『贈り物は私だよ』と抱き付くだけでいい。簡単だろ?」
「遺言は聞き届けた。安心して逝くといいよ」
神業としか思えない速さで菊一文字の切っ先が俺の喉を捉えていた。あと半歩踏み込まれていたら死んでいたかもしれない。というかキリアの瞳が本気だ。
「待て待て待てっ! なぜ全裸ではなく長手袋と長靴下を着用させるのか理由を知りたくないか? 男の美学を知りたくないのか?」
「一秒でもいいから早く呼吸を止めなさいよ!」
逆効果だった。わかっていたけどな。
「わかったわかった、素直に開けて中身を確認する。それでいいんだろ?」
「最初からそう言えばいいんだよ」
不機嫌な表情を崩さずキリアは菊一文字を鞘に収めた。
梱包を解くと中には額縁が入っていた。油絵である。見覚えのある風景が描かれていた。立っていられなくなって、俺は地面に額縁を置いて座り込む。
「……これは?」
疑問が口から零れ落ちる。
「奈々子が描きかけの油絵をボクが完成させたんだ。その場所で絵を描いていると気分が安らぐんだよ。だからボクはボクのために描き続けたのだけど、完成した作品はキミが持っていたほうが正しいような気がする」
「あのさ、奈々子の作品に手を加えることを俺が望むと思ったのか?」
「わからない。ただ京介はボクと違って忘却することができる。大切にし過ぎてほかのものが目に入らなくなってしまうくらいなら、時間をかけてでも折り合いの付くところまで忘れるべきなんだよ。想い出を大切にするのはいいけど、過去に囚われて、現在を大切にできないなんて悲劇だからね」
止まっていた時間が動き出したような気がした。
「そうか、ありがとう」
見上げるとキリアは大きな瞳をさらに大きく見開いて丸くしていた。
「なんて顔をしてやがる。俺は当たり前のことしか言ってないだろ?」
「キミからお礼を言われるとは想定していなかった」
「俺は礼節を弁えた紳士なんだよ。非常識と書いてキリアと読む人物とは違うのさ」
俺は油絵を抱えて立ち上がった。今度はこちらがキリアを見下す形になる。
「帰ろう、俺たちの隠れ家へ」
キリアは嬉しそうに微笑む。
俺は少女の荷物と額縁を車の荷台へ運び入れた。それから運転席へ乗り込む。助手席には女の子らしい服装の少女が座っている。
「なにかしらの要因で突然奈々子の人格が戻るにしても、あるいはDDDウイルスの中和剤が完成するにしても、それまではボクがこの身体を守ってあげるよ」
「結衣になにか吹き込まれたのか?」
「そうじゃない」
「ふむ」
「京介」
呼びかけられたので首だけ声の主へ向ける。キリアの妖艶な唇が言葉を紡いだ。
「ボクはボクのことが大好きだよ」
「奇遇だな。俺も俺のことが大好きなんだ」
少女が微笑む。それを見て俺は苦笑した。
「ボクたちは両想いだね」
「言ってろ」
俺はゆっくりと加速板を踏み込んだ。