表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Shangri-La  作者: 鳥居なごむ
第四章
18/20

018

 五階建てビルの地下駐車場。

 電動シャッターを開けて中へ侵入する。車から降りて居住区へ移動。電気を付けて俺は手狭な室内を確認する。当たり前のことだがキリアの姿はなかった。ミニワゴンの荷台から部屋へ商品の搬入作業を進める。作戦内容に応じて装備を変更できるよう整理しておく。

 ついでに清掃と片付けも済ませた。

 やることを終えると部屋が広く感じた。

 孤独――ただし痛みは少ない。

 奈々子が意識不明に陥ったとき、いなくなったとき、そして戻ってきた彼女が彼女でなくなっていたとき――俺は言い表しようのない孤独感に苛まれた。あのときに比べれば今回の決別はどうにでもなる範疇だ。

 携帯端末を手に取る。意地など捨てて平謝りすればいい。

 押し慣れた番号を呼び出す。留守番電話に繋がった。

「寝る場所に困ったら以前に教えた単身用の隠れ家を使ってくれ。簡易寝台と非常食しか置いてないが危険は少ない。特に明日は――わかっているだろ? ああそれと、いろいろ悪かったと反省している。謝罪する機会をくれないか?」

 俺は端的に伝言を残した。寝台へ移動して仰向けに寝転がる。

 なにも思考できないまま眠りに落ちていた。


 朝の街道。

 陽光が俺の網膜を執拗に刺激する。通勤時間が訪れて道は雑踏と化していた。その中に紛れながら食料品の買出しへ向かう。携帯端末にキリアからの返信はなかった。いつもの店で適当に買い込んで隠れ家へ戻る。精神面が盛大に破綻しているので、せめて肉体面だけは正常を維持しよう、つまりはそういう打算的な試みだった。

 食欲を充たしていると携帯が振動した。

「キリアか?」

「残念ですがミシェルです」

 即行で通信を切る。大きな溜め息が出た。携帯が再び震える。

「どうしていきなり切るんですか! 作戦が決まったらすぐに連絡しろと言ったのは九竜さんじゃないですか! それとも昨日の記憶が残らないほど病んでるんですか!」

「……あ……」

 微妙な間が生まれた。

「今ひょっとして『あ』って言いませんでしたか?」

「言ってない、言ってない! 俺は昨日切った啖呵を忘れるほど記憶力に乏しくないよ」

「あからさまに嘘臭いですね。でもまあ、今回は別件が重要過ぎるので余計なことには目を瞑りましょう。九竜さんには前線の支援を遂行してもらいます。また本日の護衛任務は通常通りこなす予定です。下手に詮索されても困りますからね」

「そうだな」

「それと幻影の返却はどうしましょう?」

「この件が片付くまで事務所で保管してくれないか? 車内の荷物が多くて載せる場所がないんだよ」

「わかりました。その代わり幻影の使用許可を頂けませんか?」

「どうぞ。好きにして構わない」

「ありがとうございます」

 通信終了。

 基本装備と支援に役立つ特殊品だけミニワゴンに追加で積み込む。軽口を叩く相手がいないと仕事が捗る。ただし調子は出ない。俺は苦笑を浮かべながら仕事現場へ車を走らせた。

 今は余計なことを考えても仕方がない。準備と任務を順当にこなすだけだ。

 決戦までの時間は刻一刻と過ぎていく。


 夜の街に車を疾駆させる。

 月明かりを無視させるほどの照明が大通りを彩っていた。キハラ社ビルの前で停車させる。都合よく旧友と遭遇する可能性に賭けたわけではない。事前に桐原結衣が社に残っていることを確認している。

 いよいよ作戦開始だ。

 勤め人を装うためハンコック事務所で借りた背広を着込んだ俺は、キハラ社ビルの受付に爽やかな笑みを浮かべながら近付いていく。仕事用の微笑みを返して受付嬢は用件を尋ねてくる。

「桐原結衣さんを呼んで頂けないでしょうか? 事前に約束したわけではないのですが、九竜京介が訪ねて来たと伝えてください」

「少々お待ちください」

 多少警戒しながらも定型句を返してくれる。下手な詮索をされないために嘘は混ぜない。突然の訪問に違和感を覚えても結衣は面会に応じてくれるだろう。案の定、しばらくすると女性用の背広に身を包んだ旧友が姿を現した。

「どうしたの? 変な行動を取ると思ったら変な格好までして?」

「背広姿が変な格好だとしたら大抵の勤め人が変な格好をしていることになるぞ」

「いやいや、京介が着てるからだよ」

 そこでなにかを思い出したかのように結衣の顔が綻ぶ。

「ひょっとしてキハラ社に来てくれる決心が着いたの?」

「少しだけ時間をもらえないか?」

 外を指し示して二人きりで話したい意思を伝える。

快諾して美女は俺の腕に絡み付いてきた。この光景を目の当たりにしたであろう受付嬢を一瞥する。案の定、戸惑った顔をしていた。印象付けるために一礼しておくと、向こうも慌しく礼を返してくる。これで結衣の帰りが遅くても強引に連れ出されたという結論には至らないだろう。

「京介が来てくれるのは嬉しいんだけど、キリアちゃんとはどうなっているのかしら? そこが上手くいってないからなんて理由だったら哀しいな。その辺はどうなの?」

 能天気に下世話な質問を飛ばしてくる。俺はあくまで曖昧に答えて車へ向かった。

 乗り込んだ瞬間に俺は結衣に銃口を突きつける。

「力で捩じ伏せて強引に従属されるみたいな行動に興奮するの? もしそうならできるだけ希望に応じてあげたいんだけど、いくらなんでも、なんの脈絡もなしに銃を突きつけるのはどうかと思うよ? 事前に打ち合わせくらい済ませるべきだわ」

「戯言はいい。お前は誰と繋がっている?」

 くだらない劇を終わらせるために、俺は俺を巻き込んだ連中の名を告げていく。

「如月か? 宝生麻耶か? あるいは別の組織か?」

 美女の表情が恐怖を象る。俺は慎重に言葉を紡いだ。

「知っていることをすべて話せ。結衣を拷問官に手渡したくはない」

 しばらくして結衣は訥々と語り始めた。

「目的は以前に話した通りよ。私は奈々子の人格を取り戻したいと思ってる」

 時間稼ぎをしているようにも感じるが話す速度は結衣に委ねる。

「京介が危険請負人になったとき――私も政府の一員となってララフェルを追いかけたの。そのあとの流れは当事者である京介のほうが詳しいよね?」

「続けろ」

「政府としてはララフェル問題は終わった事案だった。ところがバルザック社は宝生麻耶と結託して第二の生物兵器研究所を造ろうとしている。バルザック社は膨大な資金を提供し、宝生麻耶は名もなき戦士たちを集めた。これがどれほどの脅威か京介はわかる?」

「…………」

「政府はバルザック社とテロ組織を分断する作戦を考えた」

「ちょっと待て。俺からすれば結衣が最も疑わしい存在なんだぞ?」

「エトペリカ川に隣接するインフェルノ社の工場跡地。そこで今夜零時過ぎに政府とバルザック社で取引が行われる。内容は宝生麻耶とキリアちゃんの身柄交換よ」

 俺は戦慄した。

 旧友のおかしな行動の意味を理解する。取引の機会を作るために、取引材料を確保するために、キリアを孤立させるために、結衣は俺に近付いてきたのだ。

「バルザック社がララフェルの遺産を独占するために宝生麻耶を裏切ったとなれば、テロ組織とのあいだに軋轢が生まれるのは明白だからね」

「それならバルザック社も取引に応じないだろう?」

「それぞれに思惑があるということよ」

 凛とした表情で結衣は宣言した。俺は携帯端末でハンコック事務所に目的地を伝える。

「最後に一つ聞かせろ。俺は結衣を信じていいんだな?」

「……わからない」

 結衣は瞳を伏せた。なにかを隠しているようだったが問い詰める時間はなかった。


 下弦の月が暗闇の中に浮かんでいる。

 ぼんやりと空を見上げていた視線を下へ落とす。完全武装のルザフが最終調整を行っている。傍らに立つルルイエは自動小銃を担いで帯状にした弾薬を両肩から交差してかけていた。戦闘用の長靴以外は軽装で太股や二の腕などを露出している。信じ難い装備なのだが誰も疑問を呈さなかったので問題ないのだろう。

 それぞれの配置を確認し、あとは突入の時間を待つだけになっていた。

「工場の跡地を利用ね」

 赤髪の美女は苦々しい表情でそう漏らした。

 ルザフは準備に集中しているので、仕方なく俺が聞き役を引き受ける。

「外観は廃墟ですが敷地を囲う塀には最新の警備機能が使用されています。それに地下を含めた内部に至っては要塞化されているらしいですよ」

「異変に気付けなかった過去の私を殺したくなるな」

 おそらく宝生麻耶を追ってきたときのことを指しているのだろう。過去の自分を殺しても意味がないので俺は情報を追加しておく。

「いつでも本格的な研究が行えるように設備は整っているそうです」

「すべて破壊だな。お持ち帰り禁止」

「なんですかその私は持ち帰ってもいいわよ的な視線は? 作戦前に俺の士気を下げてどうするんですか? 目的は空気の読めない嫌がらせですか?」

 悪鬼の笑みを浮かべるルルイエだった。

「そうやって軽口を叩いているときが一番頼りになるからだよ」

 俺は盛大に肩をすくめた。ルザフが整備を終えたらしく顔を上げる。

 赤髪の美女は用意した工場時の設計図を広げた。簡単に進行手順を説明する。

「内部へ侵入するまでは以上の経路で攻め込む。それからは地図通りにはいかないだろうからな。位置と状況から適時攻略手順を変更していく」

「了解です。そろそろですね」

 腕時計を一瞥して美貌の青年が告げる。俺はルルイエへ視線を向けた。

 仁王立ちの鬼神が厳かに宣戦布告する。

「戦争開始だ」

 音を立てないように西門へ移動する。ルルイエを先頭に俺とルザフが続く。自然と三角を描く隊形になっていた。塀に背中を預けたところで赤髪の美女が言葉を紡ぐ。

「眼前にある三階建ての建物と、その左隣の建物には生命を感じない。ここからだと二つの建物しか確認できないが、この様子なら、機械任せで警備に人員を割いていないのかもしれないな」

 そのときだった。

 左手の革手袋に組み込んだ端末が電子音を奏でる。動作不良の警告音だ。

 それは定刻の合図を意味していた。先陣を切ったルルイエに追従して俺も西門を抜ける。そのまま身を隠せる位置まで疾走した。九十秒後に端末が復旧の電子音を奏でる。局所的に妨害電波を流す作戦は、どうやら上手くいったらしい。

 回復した通信機で状況を報告し、それから三階建ての建物に侵入した。

「寂れたままだな」

 赤髪の美女が鉄屑を蹴る。俺とルザフは回転式拳銃を構えて周囲を警戒。流れ作業用の長大な機械がそのまま放置されていた。ほとんど錆びていて使い物にならないだろう。この建物は一階から三階まですべて作業場だった。

「誰もいない」

 三階から外を眺めながらルルイエは呟いた。その瞳にはどのような映像が視えているのだろう。俺には想像すらできない。思案顔を引き締めて赤髪の美女は指示を飛ばした。

「索敵速度を上げよう」

 俺とルザフは顎を引いて首肯し、一階に下りて次の建物へ移る。アスファルトが敷かれていない地面は雑草で荒れ放題だった。建物の入り口へ到着する。侵入時はルルイエも細心の注意を払う。俺が扉を開けてルザフが銃口を突き出して突入した。

 その背中を赤髪の美女は援護しながら追う。

 ただの食堂だった。長机と椅子が整然と並べられている。

「空振りだな。罠もないし人の気配もない」

「人がいないのは最初からわかっていたんじゃないですか?」

「万が一ということもある。相手は生物兵器かもしれないからな」

 正論を返される。

 もっともな意見だが場で一番緊張感の足りないルルイエに言われると腹が立つ。勢いに任せて捜索していると、長年蓄積された大量の埃が舞い上がる。後方へ回避。さすがにここは白だろうと判断する。

 そんなときだった。

「本部より各方面。三一五地点にて地下へ降りる自動昇降機を発見。工場が捨てられたあとに新設されたものと思われる。また工場敷地内で武装した危険請負人の姿を確認した模様。迅速な行動とともに警戒を怠らないよう気を付けてください」

 通信機からミシェルの声が響いた。俺の視線にルルイエが口の端を上げる。次の目的地は聞くまでもなかった。

 

 三一五地点は資材置き場のような所だった。すでに閉鎖されている工場なので実際のところはわからない。だだっ広い倉庫の中には仕切られた空間と業務用の巨大な金属の棚がある。その一角に報告通り自動昇降機が設置されていた。

「どうかしましたか?」

 地面を凝視しているルルイエにルザフが問いかける。

「地下へ降りた瞬間に撃たれては適わないからな。どうやら昇降機の周辺には誰もいないらしい。まあ、先遣隊が襲われたという報告もないから当然なんだろうけどな」

 まさに化け物級の能力だ。改めて生物兵器の怖ろしさを実感させられる。

 辟易しつつ俺は昇降機に乗り込んだ。

 等間隔に設置された間接照明から微量な光が零れる。白を基調とした床や壁がそう思わせるのか、それとも無機質で寂しい雰囲気がそう感じさせるのか、地下は病院を連想させる造りだった。ルルイエを先頭に前進していくと分かれ道に行き着く。

「ルルイエだ。先遣隊は最初の分岐点を左右どちらへ進んだのか教えてほしい」

 耳から提げた小型通信機にルルイエが告げる。

「報告では左右ともに広い場所へ出たとあります。そこからの分岐は無数。先遣隊の情報を基に地図を作成していますが未だ全体像は把握できていません」

「まるで地下迷宮だな」

 赤髪の美女は苦渋の表情を浮かべる。ややあって語を継ぎ足した。

「これから私は単独行動に移る。ほかの二人には直接指示を与えていく」

「了解しました」

「聞いての通りだ。私は単独で右へ進む。お前たちは左へ進め」

 言い終わるが早いか戦闘用長靴が床を蹴っていた。猫科の動物を思わせるしなやかで身軽な動作、十キロを超える弾倉を身に着けた状態であの動きは反則だろう。残された俺とルザフは顔を見合わせる。どちらからともなく苦笑が漏れた。

 とりあえず分岐点を左に曲がる。

 通路は床と天井までの距離と両側の壁が均等な正方形を成していた。まさに地下迷宮である。閉塞感がないことは唯一の救いだろう。しばらく進むと報告通り開けた場所に出た。

 広い空間と多数の扉が現れる。これまでの通路と異なり人の気配を感じられる場所だった。いつ誰かと鉢合わせてもおかしくない雰囲気がある。順番に扉を開けていくが未使用の部屋ばかりだった。設置された電脳端末と薬品類が禍々しい光景を蘇らせる。

 不意に通信機から悲鳴が漏れた。すぐさま音量を上げる。

「な、なんだこれは――」

 畏怖を帯びた声はすぐに途切れた。さらに現場の狂乱と凄惨さを伝える叫び声の連鎖。

「総員退却! 散開しろ!」

 銃声と悲鳴が止まらない。通信機の向こうでは壮絶な交戦が繰り広げられている。走り出した複数の足音が次第に小さくなっていく。美貌の青年が俺の肩を揺さぶった。

「どうなっている! なんだこれは!」

「誰かが同じ周波数の通信機に電波を垂れ流したんだ。交戦中でまともに状況報告できないときに使う常套手段だよ。状況から察するに――相手は生物兵器だろうな」

 ほどなくして本部から入電。

「先遣隊のB班が七二五方面で消息を絶ちました」

「私の班で調査に当たる。ほかは研究所の破壊に徹しろ。小型記録媒体一つ残すな!」

 がなり声が通信機を通さずに聞こえてくる。振り向くと赤髪を掻き乱したルルイエの姿があった。結局、三人一組で調査することになった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ