表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Shangri-La  作者: 鳥居なごむ
第四章
17/20

017

 キキョウに牛乳を与えようと室内を探してみたが見当たらなかった。どうやらキリアが連れ出したらしい。これは本気で家出したなと心が軋む。しかし落ち込んでいても仕方がないので気持ちを切り替えることにした。ミニワゴンに乗り込んでグリッドの店へ向かう。

 それにしても傷心中に出会う最初の人物が中年のおっさんとは、俺の不幸もそろそろ誰かが表彰してくれてもいいところまで到達したな。疾駆する車の中で俺はどうでもいいことに思考を巡らせていた。くだらないことを考えているときだけはくだらない気持ちになれる。

 駐車場にミニワゴンを停めて店に足を踏み入れた。

「おう、随分と早いな」

 どういうわけかグリッドの機嫌がいい。俺が出発してから到着するまでに、花嫁候補でも見つかったのだろうか? いや、それはないな。グリッドの嫁になりたいなんて奇特な女は極東の山奥を探しても見つからないはずだ。

「その笑顔は俺に対する称賛の表れか?」

「お前を称賛するくらいなら自殺してる」

 盛大に俺は肩をすくめた。

「あれ、なんで京介がここにいるの?」

 不意に店の奥から勤め人の格好をした結衣が姿を現した。

「それは俺の台詞だ。キリアを追跡してたんじゃないのか?」

「今もしてるよ」

 そう言って結衣は小型端末を差し出した。そこには対象の座標が明確に表示されている。移動速度と経路から当てもなく彷徨っている感じだった。

「どうやってキリアに発信機を付けたんだ?」

「隠れ家に行ったときよ。抱き付きながら着物にちょっとね」

 片目を閉じて美女は微笑む。とんでもない友人だった。

「結衣ちゃんと京介が本当に知り合いだったとはな」

 店主が腕を組んで唸っている。信じてないのに権利を買ったのか?

 ともあれグリッドの機嫌がいい原因は結衣の存在らしい。

 俺は煩わしい説明を回避するために軽口を叩いておく。

「それで結衣はどうしてこんな店にいるんだ? 借金の返済でもしてたのか?」

「仕事よ仕事。それより借金ってなによ?」

 わけがわからないという表情の結衣。反対に大慌てなのがグリッドだった。

「京介、商品の荷造りも済ませてあるんだ。車に積み込むのを手伝ってやるよ」

 言いながらグリッドは強引に俺を店の外へ連れ出した。途端に態度が豹変する。

「商品を積んだらすぐ消えろ。できればこの世から消えろ」

 呼び出しておいて酷い言い草だった。しかし無理を聞いてもらったという恩もある。今回の一件に関しては手打ちで構わないだろう。

「ところで三週間と十二時間のうちどれだけ回収したんだ?」

「お、おまっ、なんてことを言い出すんだ!」

「おっさんのくせに照れるな。気持ち悪い」

「う、うるせえ!」

 顔を赤くしながらグリッドは倉庫へ向かった。しばらくすると台車を押して戻ってくる。

「検品はいいだろ。俺と京介の仲だ」

 台車に積まれた荷物を軽く叩いて店主は商売用の笑顔を作った。

「俺とグリッドの仲だから検品は必須だと思うんだけどね」

「まあ、今日はそう言わずに帰れ。できれば地獄へ帰れ」

「残念だが俺は地獄へ落ちるわけにはいかない。死んでからの夢が女神と天使を抱くことだからな。もっとも今のところ死ぬ予定はないけどね」

「そこまで変態な発言をされると逆に清々しいな。死んでからの性癖まで語られるとは思ってもいなかったぜ。今すぐ頭蓋骨を切り裂いて脳が入っているか調べたほうがいいんじゃないのか? もし入っていたら以後の商品はすべて無料で提供してやる」

「質問への回答その一、調べる必要はない。なぜなら脳が入っていることを知っているからだ。回答その二、回答その一によって以後の商品はすべて無料だな」

 くだらない論戦を続けながら俺とグリッドは商品をミニワゴンへ積み込んでいく。商品を大量購入したときの、いつもの買い物風景である。

「例の依頼だが面白い名前が出て来たぞ」

 唐突に店主は仕事人の表情になった。俺は沈黙で先を促しておく。

「ほとんどは裏社会の小さな組織だったんだが、一社だけ表社会でも有名なところがあった。聞いて驚くなよ? なんとバルザック社だ」

「信憑性は?」

「十中八九間違いない。もちろんまだ判明してない偽名会社に、もっと大きな組織が関与している可能性は捨て切れないが、規模的に相当な地位にあったはずだぜ」

「大きな借りだな」

「死ぬまでに返してくれればいいさ」

 今回はその言葉に甘んじておく。二人揃って黙々と作業を進めた。

「お、いたいた」

 店から結衣が出てくる。袖を捲くりながら凛々しい表情を浮かべた。

「手が空いたから私も手伝おうか?」

「いや、もう片付いた。気持ちだけ受け取っておくよ」

 俺は美女の申し出を丁重に断る。実際に荷物は大方ミニワゴンに運び終えていた。

 見計らったように携帯が鳴る。取り出して番号表示を確認するとミシェルからだった。

「抱いてほしいときだけ連絡しろと言ったはずだが?」

「そんなことを言われた憶えはありません。それより今すぐハンコック事務所に来てくれませんか? 電話では話せない重要な内容だそうです」

「交際の申し出か?」

「いつにも増して病んでますね。でもまあ、それもいいかもしれません。この大仕事が無事に片付いたら、お茶くらいなら付き合いますよ」

「わかった。今から向かう。俺から話しておきたいこともあるからな」

 肯定の意を伝えて通信を解除。俺は結衣とグリッドを一瞥する。

「悪い。急用が舞い込んだ」

 事情を説明しながらミニワゴンに乗り込む。手早くエンジンを起動させる。

「あ、そうだ。結衣、グリッドに感謝しておくんだな」

「ん、どうかしたの?」

 話の矛先を向けられた結衣はきょとんとしている。真相は闇の中に隠しておいたほうがいいだろう。

「理由を話してもいいが誰も幸せにならないからやめておくよ」

 俺は加速板を踏み込んで車を駆動させる。後方確認用の鏡には「気になるーっ!」と叫んでいる美女と鬼の形相をした店主が映っていた。

 橋を越えて入り組んだ街路を安全運転で進める。二十分ほどでハンコック事務所に到着した。

 こちらに気付いたルザフが軽く右手を上げる。俺は迅速に車を停めて運転席から降りた。

 眼前には美観より安全性を重視した十階建てのハンコック事務所が聳えている。

「出迎えとは殊勝だな」

「それだけ洒落にならない状況に追い込まれているということだ」

 移動しながら会話を重ねる。

「そういう台詞は十階建ての自社ビルを手放してから言えよ。俺なんて相方に気を失うほど本気で殴られても健気に生きているんだからな。普通なら自殺してるぞ」

「ん、そう言えばキリアちゃんの姿が見えないな」

「愛想を尽かされた」

「賢明な判断だな」

「そうかもしれない。俺なんて路傍に放置された犬の糞より価値のない存在だ」

「おいおい……そこまで酷くはないだろ。犬の糞は悪臭を放つが京介はそれほどでもない。それに犬の糞は踏めば靴底に絡むが京介は踏んでも無害だ」

「なるほど。つまり俺は犬の糞より優れているわけだな?」

「そうだ。京介は犬の糞より優れている」

「犬の糞より優れているならミシェルを抱いても問題ないな」

 一瞬でルザフの様子が激変した。歩調まで狂い始める。

「きょきょきょきょ京介? お、お前、な、なにを言ってるんだ?」

「ミシェルとは半年前からそういう関係なんだ。互いに欲しくなったときだけ連絡を取って行為に及んでいる。煩わしい恋愛感情を持ち込まないから楽なんだよ。ミシェルから連絡があるのは稀なんだが、なにがあったのか知らないが今回は――」

 俺は恭しく携帯端末の着信履歴画面をルザフに提示した。

「京介……ミシェルは……お前のことが好きなのか?」

「さあな。俺たちは必要なときに求め合うだけの関係だからな」

 美貌の青年は完全に思考停止状態だった。あまりに滑稽なので種明かしをしてやる。

「履歴が残っているのは今しがた呼び出しを食らったからだよ。少し考えたらわかるだろ? それにミシェルを抱いた事実もない。誰もが幼女体形を愛でる特異な趣向を持ち合わせているわけじゃないんだよ。ルザフはまずそれを理解するべきだ」

「訂正を求めたい発言が多すぎるぞ」

「でもまあ、迫られた事実があるのは確かだけどな」

 息を吹き返したルザフに華麗な騙し討ちを繰り出しておく。もちろん偽りの鉄槌だ。

「やややややめてくれ! これ以上、俺の精神を陵辱するな」

「一人でも多くの傷心仲間を増やしたかったんだよ。そんなことより俺を事務所に呼んだ用件をそろそろ教えてくれないか?」

「まあ待て」

 神妙な面持ちでルザフは自動昇降機を指し示した。前まで移動すると鈴の音を響かせて扉が開いた。美貌の青年に倣い俺も自動昇降機へ乗り込む。

 五階で降りると一室に案内された。

「どうした? 今しがた女に愛想を尽かされたような景気の悪い顔をしてるぞ」

「会う度に同じことを言わないでください」

 三十歳前にして先代より所長の座を受け継いだ赤髪の女性――ルルイエ・ハンコックが口の端を上げる。

「寂しいなら一緒に寝てやろうか?」

「遠慮しておきます。それとこれはあくまで善意からの忠告なんですが、ルルイエさんの性的嫌がらせで所員が辞めていることを自覚すべきです。会う度に迫られたらおかしな気分になるときもあるんですからね」

「ほう、今夜なら落とせそうな気がしてきた」

 席を立ったルルイエが近寄ってくる。咄嗟に距離を保とうとしたが手遅れだった。首に腕を絡まされ獰猛な瞳がこちらを捉えている。これではどちらが女かわかったものではない。

「口説くならルザフにしてくださいよ」

「一度経験した男は興味がなくなるんだ」

「嘘だーっ!」

 横でルザフが悲鳴を上げている。本当に三枚目感の抜けない奴だ。

「冗談を言うために俺を呼び出したのなら帰りますよ?」

「怒るなよ。冗談でも言わないとやってられない心境なんだ」

 赤髪の美女から解放された俺は改めて周囲を確認した。電脳端末の群れと山積みにされた紙束。この無機質な空間は資料室といったところだろう。少なくとも客人をもてなす部屋ではなかった。机の上には無造作に新聞が広げられている。紙面には「豪華客船の悲劇」と題された特集記事が組まれていた。

「怪しげな部屋に誘い込んでどうするつもりなんですか?」

「景気づけに三人でするか?」

 後ずさったルザフが椅子に足を引っかけて派手に転んだ。

「安っぽい冗談はそれくらいにして本題を聞かせてください」

「たまには付き合えよ。人数は多いほうが楽しいぞ?」

 立ち上がろうとした美貌の青年が机に頭をぶつける。

「どれだけ変態なんですか!」

「ん? お前たちはなにか勘違いをしていないか? 私が言ってるのは札遊びのことだよ。一勝負の賭け金を一万エンくらいに設定すると、終わる頃には阿鼻叫喚な地獄絵図になっていて笑えるぞ。まあ、お前たちが勘違いしているほうの行為でも私はいいけどな」

「あからさまな嘘を吐かないでください。話の流れからして札遊びなんて発想は、どこの引き出しを開けても出てきませんよ。とにかく本題へ移ることを希望します」

「つまらない男――って寝台の上でよく言われるだろ?」

 ルルイエは卑猥な微笑を浮かべる。

「なんで寝台の上に限定されてるんですかっ! というか寝台の上の俺は世界で一番愉快な男ですよ?」

「それはそれで煩わしい」

 言葉を区切りルルイエは高さの合う机に腰を下ろした。それに倣い俺は壁に背中を預けて身体を休める。ルザフも身を起こして椅子に座った。

「事務所の連中にはすでに伝えているんだが、ほかにも信頼のおける危険請負人に協力を求めているところなんだ。京介も手を貸してくれないか?」

「明確な返答は詳しい話を聞いてからですね。それに内容を知っているはずのルザフがこの場にいるのはなぜですか? キリアが来ることを想定して力の均衡を保とうとしていたのなら要請ではなくて強要ですよ」

 くすくすと赤髪の美女は笑う。美貌の青年は居心地の悪そうな顔をしていた。

「考え過ぎだ。ルザフが同席している理由は私が女で京介が男だからさ。つまり男女二人きりによる密室での会話は後々訴訟問題になったら困るからという部下の助言に従っただけだよ。でもまあ、そういう小賢しい思考は嫌いじゃない」

「笑っている場合じゃないですよ! 信頼のおける危険請負人に協力を求める前にルルイエさんが一番信頼されてないじゃないですか!」

「なぜだ?」

 ルルイエは頭の上に疑問符を浮かべた。

「俺が力尽くでルルイエさんをどうこうできるわけがありません。それは周知の事実です。ということは必然的にルルイエさんが俺にちょっかいを出さないためにルザフはここにいることになりませんか?」

 口を半開きにしたまま赤髪の美女は視線を移動させる。ルザフは光の速さで明後日な方向へ顔を逸らしていた。時間だけが浪費されていく。仕方がないので俺は話を進めた。

「そろそろ内容を聞かせてもらっていいですか? あるいは帰ってもいいですか?」

 一拍後、こちらへ向き直ったルルイエは鋭い眼光を放つ。

「ようやく事の真相が掴めてきたんだ」

「真相?」

 突飛な発言に俺は言葉を繰り返していた。

「宝生麻耶追跡任務のからくりだよ」

 その言葉に俺は生唾を飲み込む。急激に室内の酸素濃度が低下したような息苦しさを覚えた。

「協力してくれるな?」

 所長が念を押してくる。ここで拒否はできない。俺は静かに首肯した。

「ルザフ」

 表情を引き締めたルルイエは美貌の青年を促す。ルザフは薄型電脳端末の画面をこちらへ向けた。なにやら取調べらしき光景が映し出されている。

「二時間前に捕まえた窃盗犯の映像だ。警察へ引き渡す前に情報収集をさせてもらっている」

「なるほど。最初に俺を引き込む理由がわかりましたよ」

 同業者として暗黙の了解となっている側面もあるが、やはり違法行為を身内以外に見せるのは躊躇してしまうものだ。美貌の青年は皮肉を気にすることもなく話を進める。

「そんなことよりこの男に見覚えはないか?」

 端末を操作して犯人の顔を拡大表示。俺は画面を一瞥して首を左右に振る。

「知らない顔だ。それに窃盗犯が今回の事件に関係あるのか?」

「ただの窃盗犯じゃない。幻影を使った不正侵入でハンコック事務所の情報を盗もうとしていた。幸い原始的な罠に引っかかって逆探知されることになったんだけどな」

「幻影だと?」

 俺は驚きを隠せなかった。その様子を見てルルイエが苦笑する。

「ようやく理解したか? 京介のところから幻影を盗み出した犯人を捕まえたんだ。本当に見覚えがないかよく確認してみろ」

 促された俺は電脳端末の画面を注視する。やはり見覚えのない顔だ。いや、単純に思い出せないだけかもしれない。こういうとき絶対的な記憶力を持つキリアがいてくれたら、正確な解答を一瞬で導き出してくれたことだろう。なにもかも悪循環になっている。港倉庫の一件に関わってから特に顕著だ。

 そこでふと記憶が鮮明になる。俺は食い入るように画面の中の青年を確認した。

「間違いない。バルザック社の秘書に付いていた部下の男だ」

「ふむ。うちの渉外担当より京介が交渉したほうが面白そうだな」

 赤髪の美女は悪戯な笑みを浮かべる。


 案内されたのは依頼相談を受けるための個室だった。装飾品のない殺風景な小部屋なのだが、警察の取調室とは比べものにならない快適さである。前任である中年の男が席を空けて、代わりに俺が椅子へ腰を下ろした。眼前の項垂れた青年に挨拶を兼ねて軽口を叩いておく。

「どうも。空き巣に入られた九竜京介と言います」

 びくっと反応して青年は視線を上げる。俺のことを覚えていたのか「あ」と小さな声を漏らした。

「バルザック社は社員に盗みを推奨しているのか?」

「違う! これは俺が勝手にやったことだ。会社は関係ない!」

「そう言えと上司に脅されてるのか? 違うなら本当のことを話してくれ。危険請負人にはこの上なく目障りな存在だが、依頼や取引をする立場ならハンコック事務所は最も頼れる存在だぞ。情報と引き換えに保護を提案してくれてるんだろ?」

「…………」

 青年は押し黙る。もう一押しかもしれない。

「俺が幻影を所持していることを知っていたのか?」

「…………」

「隠れ家の場所と幻影所持を誰かから聞いたんだな?」

 俺は語調を強めて詰問する。険しい表情で青年は沈黙を守り続けた。

 しかしここまでくれば的は絞れている。隠れ家の場所と幻影所持を知っている人物は限られているからだ。俺は回答を引き出すために鎌をかけてみる。

「それなら俺が情報提供者を当ててやろう。脚線美と形が良い尻を持ち合わせた綺麗な女だろ?」

 眼前の青年は明らかに動揺し始めた。挙動不審と表現してもいい。

「話す気になったか?」

「言えない。話せば僕だけじゃなく家族にも迷惑がかかる」

 男は震えながら答える。尋常ではない畏怖だった。

「安心しろ。その女は俺の知り合いだ。キハラ社に勤務している一介の会社員だよ。心配しているような報復を行えるような奴じゃない」

 青年は目を白黒させた。ややあって真相を語り始める。

「いつまでも使われる立場でいいのか? ハンコック事務所の有するララフェルの研究資料を得れば幹部候補になれると唆されたんだ。最初は半信半疑だった。でも幻影の所在と留守になる時間を聞かされた辺りから本気になったよ」

 渉外担当に引き継いで俺は個室を出た。待ち構えていたように声をかけられる。

「九竜さん」

 銀髪の少女が奥の大部屋から手招きをしている。息を吐く暇もないとはこのことだろう。不承不承呼びかけに応じて入室すると、所長のほかにも上級幹部らしき人物の姿があった。現場で見かけたことのない顔ばかりが総勢で五名並んでいる。

「なにか掴めたんだろ?」

 豪奢な椅子に鎮座した赤髪の美女は不敵に微笑む。内装からしてVIP用の応接間なのだろう。装飾品や設備の質が個室とは一線を画している。

「俺たちは大きな勘違いをしていたのかもしれません」

「どういうことだ?」

 幹部の一人が当然の疑問を返してきた。俺は情報を整理しながら一連の流れを説明する。

「バルザック社の如月はララフェルの情報を得るために宝生麻耶を尋問すると言っていました。ところが警備を依頼していたハンコック事務所の一個分隊は、テロ組織の生物兵器によって全滅した挙句、最後の切り札となる宝生麻耶の奪還さえ許してしまった。責任の所在はともかくバルザック社としては是が非でも宝生麻耶を捕まえたいと考えている。なぜなら一連の事件で宝生麻耶が生物兵器と繋がっていることが確定したからです」

「我々もそう認識している」

「その前提が間違っていたんですよ。バルザック社は最初からララフェルに関与していました。資金提供の見返りに研究資料を受け取っていたのでしょう」

 ざわめきが室内に巻き起こる。

「ちょって待て。話が飛躍し過ぎている」

 にわかには信じられない内容に制止が入る。俺は譲らずに言葉を紡いだ。

「宝生麻耶は囮です。バルザック社の目的はハンコック事務所への復讐だ」

「馬鹿な! 理由がない」

「我々の不手際を責めるなら交渉で事が足りる」

「そもそも不法行為を犯そうとしていたバルザック社にも責任があるだろう。港倉庫の一件でハンコック事務所を恨むのは筋違いだ」

 俺は慌しく議論が交わされている場へ一石を投じる。

「だからその前提も間違っている」

「なんだと?」

「目的は生物兵器研究所制圧作戦に対する報復です。おそらく港倉庫の一件もハンコック事務所の戦力を削るためにバルザック社が仕組んだものでしょう」

「――――」

 幹部連中は完全に沈黙する。所長が代表して疑問符を投げかけてきた。

「なぜ今さら?」

「あくまで推測ですが研究を進めるための施設建設に時間を要したのでしょう」

「研究所の復興と我々への復讐に繋がりがあるのか?」

「生物兵器研究所を制圧したとき政府との取引材料として研究記録を持ち帰りましたよね? それは今でもハンコック事務所で厳重に保管されている。世界でただ一つララフェルの研究成果が示された情報媒体です。研究施設の準備が整った今、それを欲しがるのは当然だと思いませんか?」

「復讐に実益があるわけだな」

 ルルイエは鷹揚に首肯する。

 妄想に近かった仮定が現実味を帯びていく。しかし一つだけ解決できない疑問があった。それは俺が報復計画に巻き込まれた理由である。確かに後方支援として生物兵器研究所の制圧メンバーに加わったが、もし報復をその範囲にまで広げるつもりなら仇だらけになってしまう。つまり偶然にしては出来過ぎていて、故意に招き入れられたと考えるほうが自然なのだ。

「ただ俺が巻き込まれた理由がわからないんですよね」

「お前も持っているじゃないか?」

 疑問を口にすると赤髪の美女が即答した。怜悧な瞳が俺を捉える。ララフェルの生み出した現代科学を超越した代物――幻影の存在をすっかり失念していた。

「幻影を二つも所持していることを忘れていました」

「違う」と大袈裟に否定された。

 思考が混乱する。いや、ただ単純に認めたくないだけなのだろう。

 本当は最初からわかっていたことだ。

「俺が巻き込まれた理由は――キリアの存在ですか?」

「ようやく冴えてきたみたいだな。キリアは研究記録そのものだ。世界最高峰の演算能力――まさにララフェルの置き土産だろう。連中は喉から手が出るほど欲しているだろうな」

 なにか反論を絞り出そうとしても声が出なかった。

「身柄拘束を機に宝生麻耶がバルザック社を唆したのか、あるいはバルザック社が宝生麻耶を誘い入れたのか、それともそれぞれの組織が単独で動いているのか、裏を掻いて別の組織が巧妙に絡んでいるのかそれはわからない」

 巧妙に仕掛けられた罠ね。予感ならいくつかあった。

 その一つが久しぶりに接点を持ってきた旧友の存在である。

 ララフェル関連の依頼を一方的に申し込み、こちらの隠れ家まで発見し、そして俺とキリアの関係に亀裂を生じさせた。ぐるぐると思考が捩れる。どこかで桐原結衣という人物を信じていたのかもしれない。

 隠れ家を暴く狡猾さ。幻影を盗ませた悪質さ。俺とキリアを分断させた張本人だ。

 もし結衣が組織に汲みしているとしたら目的はなんだ?

 いや、動機は後回しでいい。問題はキリアが狙われているという事実だ。

 計画的な単独行動なら問題ないのだが、現状は家出少女並みに危険な状況である。もし結衣が絡んでいるなら間違いなく誰かに監視されているだろう。つまり完全停止の状態が訪れた瞬間に詰みが確定する。

「くそっ!」

 俺は脳内のありとあらゆる引き出しを解放して思考する。

 答えは一つしかなかった。

「待っていても埒が明きません。こちらから仕掛けましょう」

 ルルイエが悪鬼の如く笑みを浮かべる。

「見解が一致したな」

「ララフェルの研究のためにキリアは渡せませんからね」

「だがどうする?」

「問題ありません。一つ方法があります」

「聞かせてくれ」

「その前に現状をどう考えているか教えてもらってもいいですか?」

 俺は丁重に尋ねた。赤髪の美女は大袈裟に肩をすくめる。

「手遅れに近いだろうな」

「それなら一発逆転の勝負手も放てますね」

 俺は計画の内容を伝えた。苦悶の表情を浮かべる幹部連中。ルルイエだけは冷静に聞き入っていた。

「装備の準備と細かな作戦や人員配置は任せます。決まったら連絡してください」

「随分と焦っているように見えるが大丈夫か?」

「明日中にすべてを終わらせる必要があるんですよ」

 完全停止の前にすべてを終わらせるしかない。

「頼りになりそうな顔だな」

 赤い髪を掻き上げてルルイエは立ち上がった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ