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Shangri-La  作者: 鳥居なごむ
第四章
16/20

016

 乱暴に扉を蹴り開けて俺は室内へ銃口を突きつけた。ほぼ同時に正面玄関扉の開く音が聞こえる。計画通りキリアが表から突入したのだろう。こちらも素早く内部へ進入して状況把握に努めた。

「……おいおい」

 荒らされた部屋を眺めて俺はげんなりするしかなかった。弾薬や工具が散乱し、小物や衣類まで、床に投げ出されている。一抹の不安を覚えて開かずの扉を確認すると、案の定、そこに幻影である超高性能電脳端末の姿はなかった。

「よかった。キキョウは無事だよ」

 逸早く猫部屋を確認していたキリアが場違いな明るい声を上げる。それに合わせてキキョウは何事もなかったように「にゃあ」と鳴いた。

 呆然としていても仕方がない。俺は着物姿の少女をを促して部屋の片付けを開始した。

 弾薬の整備を終えて奥へ戻ると、部屋の片隅で座り込んでいるキリアの姿があった。ある程度は片付いているので、俺の指示を完全に無視したわけではないらしい。

「どうかしたのか?」

「これは?」

 言いながら少女は手にしていた写真を少し掲げる。笑顔の黒髪少女と呆れ顔の俺が写っていた。手を伸ばしただけの自我撮りなので、構図がおかしく出来のいい写真とは呼べない。しかしどうやら問題は別のところにあるらしかった。

「ボクに似ている」

「そうだな」

 独り言のような呟きに同意しておく。キリアは写真から顔を上げてこちらへ視線を移した。

「キミにしては珍しく素直に認めるんだね」

「愛している女だからな」

 着物姿の少女はなにも語らず写真を手渡してくる。だから俺もそれ以上の発言は控えた。黙々と部屋の整頓を終わらせて風呂と食事を済ませる。

 それから仕事だ。

 俺は電脳端末を操作して各方面へ犯人捜しを依頼する。幻影の存在は伏せたまま窃盗犯にしては割のいい報酬を提示しておく。もちろんハンコック事務所にも犯人捜しの要請を出しておいた。

 ふと大人しいキリアを見やる。相変わらずキキョウと楽しそうに戯れていた。

「明日は久しぶりの休暇だったのにな。ゆっくりしている余裕はなさそうだ」

「しっかりと働くといいよ。特に幻影を盗まれるような四流危険請負人はね」

「それなんだが……防犯装置が作動してないんだよ」

「整備不良もキミの責任だよ」

 キキョウの肉球を押しながら少女は無責任な発言をする。

「なんか嫌な予感がするんだよなあ」

 俺は天井を見上げて独りごちた。


 ◇◇◇


 昼下がりの公園。

 公園と一口で言っても大小様々な規模の公園がある。申し訳程度に遊具が設置されているだけの公園もあれば、噴水や花壇、さらには散歩道まで用意されているところも存在するからだ。キリアの訪れた公園はかなり規模が大きい。長椅子に腰を下ろして少女は目の前にある花時計を眺めていた。斜めに倒した大きな円の中に花が敷き詰められている。その上を長針と短針が緩やかに回り時を刻んでいた。

 長椅子の横には仰々しい荷物が置かれていた。画材である。カンバス、筆、油絵具、筆洗器、油壷、ペーパーパレット、およそ油絵に必要なものが用意されていた。カンバスは真新しい物ではなく、何度も描き込んでは消して作られた、絶妙な色合いの花時計が描かれている。しかし作品は完成していないようだった。

 キリアは花時計を見つめるだけだった。画材を手に取り描き始める様子はない。

 ぼんやりと着物姿の少女は考える。どうしてこの場所へ訪れると心が安らぐのか、どうして習った覚えのない油絵を描くことができるのか、世界最高峰の演算能力を持ってしても解答を導けなかった。わからないことがわからない。キリアという名の生物兵器甲種。十の四十乗の二乗倍という途方もない情報量さえ処理可能な能力が備わっている。それなのに公園で油絵を描く理由がわからないのだ。

「やっぱり、ここにいた」

 次の瞬間、キリアの菊一文字が空気を揺らめかせる。刀は声の主の鼻先を捉えていた。刀を突きつけられた結衣はその場にへたり込む。

「死ぬかと思った」

「京介の友人――確か桐原結衣だったかな」

 相手を確認した着物姿の少女は菊一文字を鞘に収める。

 しばらくしても美女に立ち上がる気配がない。

「腰が抜けて立てないの?」

「話しかけただけで刀を突きつけられるなんて初めての経験だもの」

「間合いに入られると反射的に警戒してしまうんだよ。そういう世界で生きている――なんてね。本当はこの前の仕返しがしたかっただけかもしれない」

「なんかここだけ物凄く空気が重いわ。世界ってこんなに混沌としてたっけ?」

「少なくとも数秒に一人ずつ死んでいく程度には乱れているよ」

 よろよろと立ち上がる結衣に、キリアは横の席へ座るよう促した。

「なんか京介と話してるみたいで心が病みそう」

 苦笑を浮かべながら美女は長椅子に腰を下ろした。キリアは当然のように話を進める。

「どんな話を聞かせてくれるの?」

「あら、察しがいいのね」

「わざわざボクが一人のときに接触してきたんだ。わからないほうがどうかしているよ」

「なるほど」

 一拍置いてから結衣は語を継ぎ足した。

「ただの昔話なんだけどね」

「ん?」

 昔話という単語を理解できなかったわけではない。意味深な発言に少女は一抹の不安を抱いたのである。その気持ちとは裏腹に昼下がりの公園には爽やかな風が吹いていた。

「京介の知り合いというだけでまったく信用ならないのだけど、ボクを貶めるために差し向けられた新手の嫌がらせじゃないよね?」

「さあ、どうかな」

 結衣は口の端を上げて微笑する。ややあって視線を花時計へ向けた。

「昔々というほど昔の話じゃないんだけどね。あるところに少年Aと少女Bがいました」

「まるで犯罪者扱いされている少年と少女の話みたいだね」

「二人は自他ともに認める仲のいい恋人同士でした。二人を三年間も見てきた少女Bの大親友――少女Cが言うのだから間違いありません」

「根拠が死ぬほど薄いよ」

「ある日、突然、二人に不幸が訪れました。少女Bが爆破テロの被害に遭ったのです。なんとか少女Bは一命を取り留めました。しかし脳の損傷が激しく『目を覚ます可能性は極めて低いでしょう』と医者に告げられたのです。少年Aは泣き伏しました」

 ここで言葉を区切り結衣はキリアへ問いかけた。

「続き――知りたい?」

「聞かせてほしい」

 ゆっくりと大きく首肯したあと、美女はまた遠い目をして語り出した。

 少年Aは身寄りのない少女Bを献身的に支えました。時間があれば病室へ通い昏睡状態の少女Bに話しかけたのです。同行していた少女Cが言うのだから間違いありません。いつしか少女Cは少年Aの純粋な愛情に惹かれるようになりました。ちょっかいを出してしまったのです。しかし少年Aの心が揺れることはありませんでした。少年Aは少女Bのことだけを愛していたのです。それを悟った少女Cは改めて少年Aを好きになりました。ただしそれは最高の親友としてです。

 少女Bが目覚めないまま、とうとう一年が経ってしまいました。

「目覚める可能性は――残念ですがありません」

 ついに医者は少年Aにそう宣告したのです。それを聞いた少年Aの表情を少女Cは今も忘れられません。

 最悪に時期が悪かったのでしょう。

「少女Bを救えるかもしれない」

 ただただ少年Aの喜ぶ姿を見たかった少女Cは、こんな甘言に踊らされて、少女Bをとある組織へ引き渡してしまうのです。その後、少女Bが少年Aの元へ帰ってくることはありませんでした。

 少年Aが危険請負人になったのはそれからです。

 そして一年後、裏社会を揺るがす出来事が起こりました。

 生物兵器研究所の崩壊です。その日を境に少年Aは行方不明になりました。

 やがて都市伝説のような噂が流れ始めます。単独行動を好む少年Aに相方ができたらしい。

 公園に数瞬の沈黙が訪れた。

「……それがボクの誕生秘話……」

「私のことを恨んでもいいのよ?」

「そんなことに興味はない。それより京介はキミに対してなにも言わなかったの?」

「言わなかったんじゃなくて、言えなかったんじゃないかな」

 結衣の表情が曇る。

「私の気持ちもわかっているみたいだし、キリアちゃんがいることで、ある種の納得をしてしまったのかもしれない。今の状況が破綻するくらいなら現状維持で構わないみたいな感じかしらね」

「つまりボクは少女Bの身代わりということだ」

 ぽつりと着物姿の少女は呟いた。美女が言葉を引き継ぐ。

「誰か一人を好き過ぎて、ほかの人を好きになれない。まったく成長してないんだよね。あの日のまま京介の時間は止まってる。私の話はこれでお終い」

 結衣はキリアを見つめた。キリアも結衣を見つめる。

 重なる視線には複雑な感情が帯びていた。

「あなたは奈々子じゃない。それが京介を苦しめている理由」

 さらに結衣は言葉を紡いだ。

「そしてあなたが苦しんでいる理由」

 着物姿の少女はなにも答えない。黒髪の美女は独白するように告げる。

「終わりにする方法を教えてあげる」


 ◇◇◇


 荒々しく隠れ家の扉が開いた。帰ってくるなりキリアは不機嫌そうな声を出した。

「京介」

「なんだよ?」

 空き巣事件の犯人探しに奔走していた俺は、淡い光を放つ電脳端末の画面を眺めたまま返事をする。すぐさま足音が近付いて来て、部屋の中心辺りで停止した。普段なら気にも留めないのだが、どうも嫌な予感がしたので、俺は少女がいるであろう方向を振り仰ぐ。

 酷く儚げな顔をしたキリアがそこにいた。

「……なにかあったのか?」

「キミはボクに無関心だ」

 その一言で室内の雰囲気が一変する。やがて少女は地団駄を踏むように感情を吐露した。

「ボクはボクだ。ほかの誰でもない」

「一から順番に話せ! キリアらしくないぞ。いや、ある意味キリアらしいんだけどさ」

 なにかあったことは明白だ。まずはそれを聞き出すしかない。

「キミにとってボクは奈々子の身代わりなの?」

 疑問符を奏でるキリアの声音は真剣だった。怖いくらい哀愁を帯びた瞳をしている。

「結衣に聞いたのか?」

 こちらも自然と場に相応しい口調になっていた。ここで軽口は叩けない。許されない行為に感じられたからだ。眼前の少女は俺に歩み寄ろうと努力している。それを一方的に拒絶すれば、なにもかも失って終わりだ。

「ボクが誕生するまでの昔話を聞かせてもらった。キミが苦悩していることは知っている。だけどボクはキリアで奈々子じゃない。どうして目の前にいるボクを見ようとしない?」

「もちろんキリアはキリアで奈々子じゃない。そんなことはわかっている」

「わかってない!」

 床を踏み付けてキリアは怒鳴った。かなり感情が昂ぶっている。

「ボクを誰かの身代わりにしないでほしい。奈々子という人はもう存在しないんだ」

 それは。

 それだけは。

 絶対に言ってはいけない。

 触れてはならない傷痕。俺の中でなにかが崩れ落ちた。理性が完全に消失する。

「お前になにがわかる! 奈々子の身体に知らない奴が棲みついて、その口から耳慣れた声音を出して俺を苦しめる。奈々子じゃないとわかっているのに、その身体に触れてみたい衝動に駆られて苛まれる。仕種や癖、趣味や趣向、すべて一緒だ。奈々子でなければ知り得ない行動を取られたとき、俺は狂いそうなくらい胸が締め付けられる。その身体には奈々子の魂が宿っているんだ。お前が勝手に奈々子の存在を否定するな!」

 俺は余すことなく感情を吐き出した。キリアの表情は深く沈んでいる。

「言いたいことはそれだけ?」

「キリアはキリアだ。何度も言わせるな」

「キミはなにもわかってない!」

 少女は吼える。俺も大声で反論した。

「わかってる! 一体なにがわかってないって言うんだ!」

「鈍感」

 キリアは右腕を大きく後ろへ引いて撓らせる。

 次の瞬間、小さな拳が俺の左頬を振り抜いていた。あまりの衝撃に意識が遠退いていく。

「嫌いな奴と寝食をともにできるほどボクは変態じゃない」

 そんな声が聞こえた。

 幻聴だろうか? よくわからない。

 それから慌しく部屋を動き回っているキリアの足音が耳に届いた。

 これも幻聴かもしれない。そして完全に意識が闇へ落ちた。

 どれくらい経ったのだろう。

 携帯端末が鳴り響いた。その音で目が覚める。

 とても出る気分にはなれないので放置することにしたのだが、無視するほうが面倒臭くなるくらい呼び出し音は止まらない。仕方なく俺は身体を起こして手早く携帯端末を拾う。

「九竜だ」

「どうしたの? この世の終わりみたいな声になってるよ?」

 電話口から零れ落ちたのは結衣の声だった。

「いつから人の心が読めるようになったんだ?」

「いやいや、人の心なんて読めないよ。ただね、昔話を聞いてからキリアちゃんの様子がおかしかったから尾行してたの。そしたら亡霊みたいに街を彷徨ったあと、今度は勢いよく隠れ家に戻っちゃうからさ。これはなにかあるだろうなあって思ったんだよね」

「……原因を作った張本人のくせに気楽だよな」

 深い溜め息が出る。しかしそれほど深刻に考えてはいない。

「なんでも人の所為にするのは感心できないなあ。むしろ今まで隠し続けてた京介に問題があるんじゃない? というか後を追わなくていいの?」

「携帯が鳴るまで気を失ってたんだよ」

 情けない話だ。

「追跡してるから場所なら教えられるけど?」

 本当に用意周到だな。嘆息を漏らしながら俺は素直な気持ちを告げた。

「かける言葉が見当たらないんだよ」

「後ろから優しく抱き締めるとか?」

「無理」

 一言で切り捨てる。今の俺にそれはできない。

「隠れ家まで慰めに行ってあげようか?」

 電話口から甘い囁きが聞こえた。俺は冷静に真実を伝える。

「いや、今慰められたら惚れそうだからやめておく」

「それは重症だね」

「ああ、そうだな」

「戻ってくると思う?」

「わからない」

「大丈夫?」

「わからない」

 本当になにもわからない。ただ一人になりたかった。

 通信を切って寝台へ寝転がる。うつ伏せになって瞳を閉じた。

 再度、携帯が鳴る。すぐに通信を繋いだ。

「結衣、今日は本当にそっとしておいてくれ」

「お前、結衣ちゃんになにかしたのか?」

 聞こえてきたのは中年男の野太い声だった。急いで身を起こして携帯の番号表示を確認する。どうやらグリッドの店から発信されたものらしい。俺の人生は毎日のように最悪の日を更新し続けている。

「なにもしていない。むしろ抱かれに来ようとしたのを拒んだところだよ」

「京介、話す度に殺したい順位が上昇しているぞ。しかも歴代記録一位の早さでな」

「そりゃどうも。それで用件はなんだ?」

 電話口の雰囲気が改まる。

「例の装備が滞りなく揃った」

 グリッドの声は達成感に充ちていた。

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