015
夜の海に浮かぶ豪華客船。
数百人を乗せた船内は複数のデッキで構成されている。後部は主に各種店舗や居住区。前部は音楽隊が美しい音色を奏で酒が振舞われる社交場だった。各企業の重役たちが若い女性から酒杯を受け取っている。それが求められている仕事だからか若い女性たちは過剰なくらい笑顔と色気を振り撒いていた。酒と美女。成功を手中に収めた男たちは己の偉大さに酔っている。
社交場は大いに盛り上がっていた。
二日間に及ぶ豪華客船での宴。
しかしそれもつい一時間前の話である。
現在、宴は佳境を迎えていた。しかしそれは本来予定されていなかった戦場としての佳境である。社交場はすでに血の海で死体の山を形成していた。どこまでも無残な光景が広がっている。事の発端は宴を開始する乾杯だった。社交場に集まった多くの乗客が同時に酒杯を傾ける。杯を手にしていないのは任務中の危険請負人くらいだった。
そして事件は起こった。
酒を煽った乗客が次々と倒れていく。そのまま立ち上がらない者、虚ろな表情で一点を見つめる者、気でも触れたかのように暴れ出す者、あるいは異形の生物と化して周囲の人間を襲い始める者までいた。地獄絵図のような風景が豪華客船を侵食していく。
しばらく誰も事態を飲み込めなかった。人が化物になる過程を目の当たりにして、平常心を保てる人間など存在しない。そんな中で逸早く対応したのがハンコック事務所の危険請負人たちだった。思考能力の残っている生存者を引き連れて社交場から避難する。合流よりも避難を優先させたため、複数の班に分割されたのは仕方のないことだった。
「一体なにが起こったんだ!」
居住区へ逃げ延びた十七名のうち一人が喚いた。確かハーベスト社の幹部であるが、今となってはなんの意味も持たない。戦場においては強者の意見がすべてに優越する。
「落ち着いてくださいとは言いません。ただし勝手に発言するのは止めてください。異形の化物たちに私たちの居場所を教えてあげる必要はありませんからね」
銀髪を二つ括りにした少女は冷静に告げた。事の重大さに気付き誰もが押し黙る。
「状況から考えてDDDウイルスによる生物兵器テロと断定して構わないでしょう」
「根拠はあるのか?」
重装備に身を包んだ他社の危険請負人が確認を取る。
「任務中で酒杯を持っていなかった私たちはもちろん、形式的に杯を掲げていただけで酒を口にしなかった人たち、さらに乾杯の合図で酒を飲まなかった人たちは正常ですからね。単純にDDDウイルスが酒杯へ混入されていたと考えるべきです」
「認めたくはないが――あの光景を見れば納得するしかないな」
重装備の危険請負人は深い溜め息を吐いた。金髪の青年が集まった顔触れを確認していく。
「戦えそうなのは五人だな」
事実、武装した危険請負人は十七名中五名だけだった。男が二人と女が三人である。
「俺とあんたで化物退治といきますか?」
「いいね。名前を売るには打って付けだ」
美貌の青年――ルザフの誘いに他社の請負人が乗る。
「俺はアルバート・ラドウィック。そっちは?」
「ルザフ・ジェラードだ」
手短に自己紹介を済ませて二人は互いに突き出した拳を軽く合わせた。
「私も行きます」
銀髪の少女――ミシェルが横槍を入れた。すぐさまルザフは疑問を呈する。
「ほかの連中がどうなっているかもわからない以上、無闇に先遣隊を増やすのは得策じゃないだろ? いつもならミシェルが俺に忠告するような内容だぞ」
銀髪の少女は左腕を突き出して反論した。腕には電脳端末内臓の革手袋が装着されている。
「逃走中に各危険請負人の位置は確認しました。避難している人数は私たちのほかに八名、位置から推測すると単独か二名構成が多く、護衛あるいは避難だけで精一杯の要救助状態と考えられます。できるだけ早く合流経路を確保するべきでしょう」
少女の処理能力に重装備の危険請負人が驚嘆する。
「そこまで把握しているなら実行に移すだけだな」
美貌の青年も驚きを隠せないまま首肯した。次いで耳から提げた通信機に告げる。
「これより前線に出て目標を各個撃破する。我々が合流経路を確保次第、居住区四一二地点へ避難せよ。以後の通信は居住区四一二地点の危険請負人が引き継ぐ」
宣言後、三人の危険請負人は部屋を出た。互いの死角を消しながら慎重に歩を進める。
居住区の出口付近に差しかかると引き千切られた死体や亡者が蠢く凄惨な光景が広がった。目視できる範囲に異形の化物が二体ほどいる。一体は全体的に肥満化しただけの鈍足そうな化物だが、もう一体はまるで獣のような姿に変化していた。前方に伸び出た口には鋭利な牙を有し、腕を前肢にして四足で徘徊している。
「社交場での戦闘は避けるべきですね。これだけ感染者の血液が撒き散らされていると、負傷したときに傷口から感染するおそれがあります」
「まずは居住区の通路に誘導だな」
ルザフが目配せするとミシェルは装備品から手榴弾を二つ取り出した。
「作戦は?」
アルバートが指示を仰ぐ。美貌の青年は端的に説明した。
「鈍そうな肥満から殺る。もう一体の化物が向かってきたときは牽制を頼む」
「了解」
ミシェルは安全栓を抜かずに手榴弾を投げ放った。ゆっくりと弧を描きながら肥満の化物へ向けて飛んでいく。機を逃さずルザフは発砲して中空を舞う手榴弾を撃ち抜いた。
盛大な爆発音。
右側頭部の抉れた鈍重な化物が大きく揺らめく。すでに投擲されていた二発目が弾丸によって起爆。轟音とともに標的の頭部を完全に消失させた。首なしとなった化物は爆風で煽られた方向へ崩れ落ちていく。
刹那――立て続けに三度の銃声が発生する。
「化物に捕捉された。居住区へ退避しろ!」
重装備の危険請負人は声を荒げた。三人は牽制の射撃を行いながら通路へ逃れる。獣人型の化物は俊敏な動きで放たれた弾丸を回避。どうやら追跡の手を緩めるつもりはないらしく、いつ捕らえられてもおかしくない状況だった。
銀髪の少女は逃走を続けながら手榴弾を手に取る。今度は安全栓を抜いて後方へ投擲。緩い曲線を描いた手榴弾は絨毯の上に落下して転がる。数瞬後に炸裂。轟音と爆風を発生させた。化物の生存を確認するとミシェルは再度手榴弾を後方へ投げる。その動作を繰り返すことでなんとか標的との距離を保つ。
「くそっ!」
空薬莢を排出して専用器具で六発を同時装填。
銃撃を含めた怒涛の波状攻撃を獣型の化物は壁や天井を利用して軽やかに回避する。
「化物が!」
堪らず美貌の青年も吐き捨てた。床に落ちた空薬莢が小さく跳ねる。
「糞っ垂れ! 壁や天井を地面のように駆けて来やがる!」
「仕切り直しましょう。振り返らずに走ってください!」
言うが早いかミシェルは閃光弾を後方へ投げる。一拍後に発動。強烈な光が化物の視界を遮断する。しかしこれは一か八かの賭けだった。しばらく後方確認ができなくなるため、化物に閃光弾が効かなかった場合、もれなく誰かが犠牲になっていただろう。
一定の距離を取ると三人は攪乱狙いで各部屋の扉を開け放っていく。そしてその中の一部屋に身を潜めた。扉付近に身を寄せながら作戦会議を始める。
「部屋の中を確認しようとしたら零距離射撃、そのまま通り過ぎた場合は背後から狙い撃ちしましょう。どちらに転んでも追われながら戦うよりは有利だと思われます」
「了解」
ハンコック事務所の二人は意思の疎通を完了させる。それに対してアルバートは否定的な見解を述べた。
「化物相手に心理的な揺さ振りが通用するのか? それどころか最悪の場合、嗅覚で俺たちの潜伏先を見抜くかもしれない。もしそうなら逃げ場がないぞ」
「あのまま交戦を続けるよりは勝率が高いさ」
美姫のような顔立ちに苦笑が浮かぶ。重装備の危険請負人は口を引き結んだ。
不穏な空気が漂う中、ミシェルは扉の外へ頭を出した。視線移動に伴い銀色の髪が揺れる。
「おかしいですね。待ち伏せを警戒して深追いしなかったのでしょうか?」
「あの身体能力に知性まであるとすれば、かなり危険で厄介な相手になりそうだな」
言いながらルザフは部屋の外へ出る。周囲を確認するが化物の気配はなかった。
「理由はなんであれ立て直せるのはありがたい」
重装備の危険請負人は腰を下ろして銃器を組み立てる。砲身が大筒状の銃にグレネード弾を装填。さらに粘着型強化爆弾を室内に貼り付け始めた。
「こちらA班。現状報告をお願いします」
銀髪の少女も立て直しに奔走する。無駄にできる時間は存在しなかった。
「こちら居住区。数名の危険請負人が合流を果たし、生物兵器を警戒しながら居住区へ向かっている模様。ただし護衛を最優先するように伝えています」
「了解しました。こちらは社交場にて生物兵器二体を確認。一体を撃破後もう一体と交戦していたのですが取り逃がしました。獣のような肉体に変化した俊敏な乙種生物兵器です。遭遇しても交戦しないよう各自に通達してください。未確認ですが発光弾や催涙弾は有効なので、参考としてこちらも併せて伝えてください」
「了解」
そこで通信が終了する。最悪の状況だが絶望ではない。
グレネード弾を装填した銃を担いで重装備の危険請負人は凛々しい表情を浮かべた。
「それじゃあ、行きますかね」
「船上であることを忘れるなよ。生物兵器を殲滅しても船が沈んだら意味がないからな」
「百も承知だ」
「もちろん作戦を成功させるために最善を尽くすことが最優先ですが、最悪の場合、ラドウィックの仕掛けた粘着型強化爆弾で船を沈める必要があるでしょうね」
ミシェルは極めて平静に宣告する。三人は部屋を出て隊列を組んだ。
「捜索経路はどうする?」
銀髪の少女に金髪の青年が問いかける。
「二一五地点を経由して商業区へ向かいます」
DDDウイルス感染者の数を考えれば、おそらく社交場で遭遇した二体以外にも、危険を孕む乙種生物兵器は存在するだろう。現時点で作戦参謀たるミシェルはそう考えていた。
「知性のある化物に徒党を組まれたら厄介ですからね」
三人は慎重に捜索を開始した。
豪華客船の面影はどこにもない。華やかな衣装に身を包んだ人々が優雅な時間を過ごすからこそ、豪奢な装飾品や最新鋭の設備に意味と価値が生まれてくるのだ。静まり返った船内はまるで幽霊船のみたいで不気味に過ぎる。
隊列を崩さず三人は通路を突き進んでいく。
角を曲がったところで先頭を歩くルザフが急に足を止める。
「どうかしたのか?」
「いや、なんでもない」
その声音には深い哀しみが帯びていた。訝しがりながら後続の二人が角を曲がる。
そこには絶命した仲間二人の姿があった。周辺を観察すると豪快に壁へ投げ捨てられた痕跡がある。どうやら乙種生物兵器と交戦していたらしい。床や壁は銃弾で削られ相当数の空薬莢が床に転がっていた。
敵の再来に備えて男二人は周囲を警戒し、ミシェルが遺体の様子を確認する。
「致命傷は頭部の強打か内蔵破裂ですね。強烈な力で壁に叩き付けられたと思われます」
「妙だな。さっきの化物とは質が違い過ぎる」とアルバート。
「ほかにも化物がいると考えればおかしなことじゃない」
「仮にもハンコック事務所の連中が逃げることもできない化物がいるってのか?」
それは鋭い指摘だった。そして嫌な事実でもある。
「想定の範囲内だ。完成された生物兵器が出てくる可能性さえある」
美貌の青年は淡々と告げる。今は仲間の死を悼んでいる余裕はない。それは戦場において最も危険な感情だからだ。銀髪の少女が死者の見開いた瞳をそっと閉じる。
「生まれて初めて人を傷付けたいと思いました。私は首謀者を絶対に許さない」
銀髪少女の瞳は憤怒に満ちていた。仲間を殺した化物も元は人間なのである。
豪華客船内に憎むべき敵など存在しないのだ。
強制的に救いようのない生存競争を開催されたのである。
生き残るためには戦わなければならない。負の螺旋は止まらない。
やり切れない思いを胸に三人は索敵を再開した。商業区へ向かう階段に差しかかる。上方を一瞥してルザフが顔を顰めた。
「上層から物音が聞こえる」
「ちょっと待ってくださいね」
ミシェルは素早く革手袋に内蔵された端末を操作する。
「あ、身内ですね。ちょうど真上に反応があります」
「ふーっ、冷や冷やさせるなよ。おーい、いるなら返事をしてくれ」
重装備の危険請負人は能天気な声を上げる。同様にルザフもミシェルも油断していた。
なにかを引き摺るような音が近付いてくる。本来なら嫌な予感を見逃さなかっただろう。
陽気な呼び声に釣られて姿を現したのは獣型の化物だった。口で獲物の腕を咥えて引き摺っている。下方の三人を視認すると化物は獲物を捨てて唸り声を上げた。
「糞っ垂れが!」
怒号とともに重装備の危険請負人は引き金を絞りグレネード弾をぶっ放した。獣型の化物は俊敏な動きで奥へ引っ込む。グレネード弾は上層階の天井に被弾して爆裂。轟音と衝撃に加えて粉塵を撒き散らした。その隙に三人は戦略的撤退を試みる。狭い通路での戦闘を避けるためだ。
しかし進行方向の通路に立ち塞がるように巨大な化物が立っていた。身の丈三メートルはありそうな巨人と呼ぶべき乙種生物兵器である。
「的は大きいほうがいい」
移動しながらアルバートはグレネード弾を再装填。間を置かず巨人へ向けて発射する。胸部に命中したグレネード弾は派手に爆ぜた。衝撃で大きく揺らぐものの標的は倒れない。ルザフの頭部へ向けた発砲も着弾するがやはり倒れない。正面突破を果たしたかった三人だが仕方なく足を止める。周囲を見回してみるが籠城できそうな部屋も見当たらない。
「挟撃されたら洒落にならんぞ」
アルバートは再度装填し終えたグレネード弾を前方に聳える巨人へ放つ。
「グォオオオオオッ!」
咆哮しながら巨人は振り回した腕でグレネード弾を粉砕する。もちろんそれで起爆するのだが戸惑う気配はない。憤怒に身を任せたまま距離を詰めてくる。三人は銃撃を続けながら後退していく。じりじりと元来た場所へと押し戻される。
「今日が命日になるかもな」
不意に美貌の青年の表情が歪む。視線の先には上層から降りてくる獣型の化物。さらに反対側の通路からも印象の違う獣型の化物が唸りを上げて近付いてくる。
万事休す。
「最悪だが――今ここでこの三体を道連れにすれば生き残れる奴らも出てくるだろう」
アルバートは粘着型強化爆弾を取り出した。量的に船ごと沈めるつもりはないらしい。
「それは最終手段だな。まだ手はある」
ルザフの発言にミシェルが首肯する。
「装甲の厚い巨人は放置。催涙弾を使用したあと銃弾で道を切り開きながら通路を突っ切りましょう。互いに視界の利かない状況なら、あの俊敏な動きも脅威になりません」
「博打だねえ」
「それに勝ち続けたからこそ俺たちはここにいる」
凛々しい表情で美貌の青年は金色の髪を掻き上げた。周囲を囲む化物が各々の間合いで距離を詰めてくる。否応なく三人の緊張感が高まっていく。
そこへ上層から筒状の物体が複数投下される。即座に白い煙幕が噴射。居住区の狭い通路を煙が覆っていく。視界を確保するのが不可能な濃度だった。
自動小銃と思われる派手な乱射音が鳴り響く。やがて戦闘用長靴が奏でる独特の足音が三人のもとへ近付いてきた。自動小銃の乱射音以外に硬質な金属音が入り混じる。
どれくらい経ったのだろう。
「待たせたな」
そう女の声が告げた。三人は目を凝らして声の主を確かめる。
微かに晴れた煙の中から殺戮の女神と化したルルイエの優雅な姿が現れた。返り血を浴びて肌や服装の一部が朱に染まっている。手には自動小銃と鉈のような異国製の小刀。相変わらず戦闘に不向きな露出の多い服装は健在だった。後ろから暗視装備をした危険請負人たちが雪崩れ込んでくる。
「ルルイエさん!」
「所長!」
ルザフとミシェルは驚きを隠せない。赤髪の美女は苦笑を浮かべる。
「京介に感謝するんだな。あいつの嫌な予感は本当によく当たる」
悠然と赤髪の鬼神は周囲を確認した。二体の獣型乙種生物兵器と巨人が絶命している。
「実際に酷い有様だな」
「こいつらを……一方的に倒したのか?」
にわかには信じられないという表情で重装備の危険請負人は呻いた。
「所長は少し変わった――いえ、かなり特殊な方なんですよ」
銀髪の少女が微笑む。ルルイエは舌打ちした。
「まあ、いいさ。無事でなによりだ」
悪鬼の如き笑みを口許に湛えて赤髪の鬼神は告げる。
「ようやく真相が見えてきた。本番はこれからだぞ」




