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ジャンヌの折り鶴

作者: 匙郎

 その少女はこの町の一番高い所にいた。長い長い螺旋階段で構成された見張り塔は、隣国からの脅威をいち早く察知する防衛の要だ。この塔からはこの町を360度見渡すことが出来る。白い家で埋め尽くされている居住区からは子供の笑い声が聞こえ、市場で発せられる商人のリズミカルな掛け声には思わず体が動かされる。そんな町の賑やかな様子など、まるで視界に入っていないかのように、彼女は何かの作業に没頭している。

「ジャンヌ・ローランさんですか?」

 彼女は作業を止めない。私の声が聞こえていないようだ。それならばと距離を近づけていくと、彼女が何やら紙を折っているという事実に気づく。

「何をしているんですか?」

 びくっと小さな身体を震わせた彼女が、恐る恐るといった様子で振り返る。どうやら一番最初の私の問いかけは本当に聞こえていなかったらしい。彼女は明らかに中途半端な状態の紙を、私の視界に入らないように自身の身体に隠した。その後、私が悪意を持って近づいている訳では無い事を悟ると、じっと私の目を見つめ、こう答えた。

「鶴を折っているの」

「鶴を、折る?」

 少女の言っていることが理解できず、思わず繰り返してしまう。鶴とは、あの鳥の事を指しているのだろう。その鶴に対して、折る、という動詞をあてはめている理由が分からない。しかし彼女は、私が首をかしげている様子こそがおかしいとでも言いたげな表情をした後に、何かを察し、自身の行いについてこう説明した。

「東には、紙を折って生き物を作る文化があるんだって」

 聞いたことがあった。以前仕事で外国に行った際、現地の情報屋が頼んでもいないのに話していた。この国では聞いたことが無い文化だから印象に残っている。最も、彼が話していたのは、紙を折るという娯楽が存在する、という端的な事実で、生き物の姿を真似て紙を折るという詳細については知らない様だった。彼女の行動については理解する事が出来たが、依然、こんな場所でそんな事を行っている理由の答え合わせは出来ていない。元々はただ一言彼女へ伝言を伝えるだけの仕事だったはずだが、予定というものはあくまでも予定に過ぎないらしい。

「なるほど。ところで、あなたはジャンヌ・ローランさんでよろしいですか?」

「よろしいよ。あなたは誰?」

 彼女の瞳は黒に染まっていて、感情を読み取ることが出来ない。私との会話を楽しもうとする意志は全くと言っていいほど感じられない。しかし、私を拒絶している様子では無い。陳腐な数式の答えを解くように、目の前の疑問を解決しようとしているだけなのだろう。

「私はデュラン。特殊作戦団所属の者です」

「・・・そっか」

 一瞬、彼女の瞳が色を帯びた気がした。私が問いかけようとした時には既に、彼女は私に背を向け、鶴を折る作業を再開していた。丁寧に、丁寧に、まるで誰かへの贈り物を作っているかのような手つきに、思わず見とれてしまう。自分の責務を思い出すために多少の時間を使ってしまったが、本題を済ませて早く帰ろう。あまりこの場所に長居はしたくない。

「ジャンヌさん。あなたにお伝えしなくてはいけない事があります」

「昨日は雨が強かったからかな?今日の市場は賑やかだね」

 そういう彼女の目線は自分の手元を捉えていて、市場の方など見ていない。私とのコミュニケーションを避けているかのような仕草に苛立ちを覚えるが、彼女の言葉でふと思い出す。確かに、ここまで市場が賑わっているのはいつぶりだろう。2年前、隣国との戦争が始まってからは、食事を取れない日々も珍しくなくなった。国の威信だとか、世界の平和だとか、大層な表現を用いて国王が演説をしている様子に、目を輝かせる国民はもういない。あの街角で顔をうずめている少年は、親を亡くしたのだろう。しきりに左手を触るあの女性は、愛する人を亡くしたのだろう。誰もが、どこかを痛め、泣いているのだ。今日のこの賑やかさも、目の前の現実から逃避するための知恵だったのかもしれない。

「デュランさんは、この国好き?」

 少女は私の目を見て、そう尋ねた。試すような、期待するような、その視線に嘘は通用しないであろう事は、容易に分かった。

「最近は、好きではありません」

「正直だね。大人なのに。出来た!」

 彼女が作り上げた鶴は、立派な物だった。かつて自分の知識をひけらかすように話していた彼の言葉からは想像も出来ない程、それは鶴の特徴をよく捉えており、尚且つ造形物として綺麗にまとまっていた。彼女は満足げに自分が生み出した鶴を眺め、尖った先端に人差し指を当てている。微笑みを浮かべる様子から年相応の無邪気さを感じ、そういえばと、彼女の年齢が13歳であることを思い出した。

「折り鶴ってね。平和とか、健康を願う意味があるんだって。」

 私は思わず目を見開いてしまう。

「大人がどんどんいなくなって、友達も皆悲しそうな顔をして、毎日が少しずつ嫌になっちゃってると思うんだ。」

 頭でかけるべき言葉を考えるも、口からは出ていかない。

「何で、こうなっちゃったのかな?」

「・・・申し訳ありません」

「何で、謝るのさ」

 さらりと。残酷な一言を彼女は添えた。私の謝罪には何の意味も無い事を、私はよく分かっている。それでも彼女の純粋で無垢な問いに対して、これ以上の回答を見つける事が出来ない。その場で固まってしまった私を一瞥し、彼女は大きな伸びをしながら立ち上がった。塔の端へと歩みを進めながら、鼻歌を歌っている。この国の子供であれば皆が通る、おとぎ話の童謡だ。白い服に身を包み、長い髪を揺らしながら歩くその姿からは、まるで物語の登場人物かのような錯覚を覚える。

「私、昨日誕生日だったんだ」

「そう、なんですね。おめでとうございます」

「えへへ、ありがとう」

 海から吹いた風が私と彼女を揺らす。彼女の印象的な金色のツインテールは不規則に踊り、やがて静かに動きを止めた。私と彼女は向かい合う形で立ち尽くしている。視線を逸らしがちな私とは対照的に、彼女の瞳は私をまっすぐに射貫いている。どのくらいの時間が経ったのだろう。かけるべき言葉を、かけるべき相手の前で、かけられずにいる私に対し、彼女は何も言わない。痛いほどの沈黙に思わず汗をかいてしまうのは、どうやら私だけらしい。

「私のね」

 彼女の一言はよく響いた。

「お兄ちゃんは、かっこいいの」

 その一言は頭を揺らした。

「去年までは、お兄ちゃんに毎年誕生日を祝ってもらってたんだ。私の家、ビンボーなのに私の誕生日だけ豪華なご飯が出てくるの。お兄ちゃんが頑張って準備してくれてたんだよ?すごいよね?」

 彼女の体は、私では無く、この町に向けられている。

「私が風邪ひいちゃった時は、私をだっこして隣町にまで行ったんだよ?そのせいでお兄ちゃんにも風邪を移しちゃったの。あれは本当悪かったなぁ」

 彼女は円を描くかのように、周囲をゆっくりと回っている。私に対して、というよりも、独り言のように淡々と話すその姿からは、彼女の感情を読み解く事は出来ない。

「お父さんとお母さんが死んじゃってからは、お兄ちゃんが親だったんだ。私がご飯を食べられていたのも、この町で暮らすことが出来ていたのも、全部お兄ちゃんがいたからなんだ。こんな恥ずかしい事、お兄ちゃんには言えないんだけどね。」

「・・・お兄さんが、大好きだったんですね」

「うん」

 振り返った彼女は、とびきりの笑顔に見えた。と同時に、どうしようもないほどの泣き顔にも見えた。彼女はすぐに顔を町の方へ向け、続けた。

「私、王様の言ってた事が良くわかんなかったの。お金が欲しいなら、良い暮らしがしたいなら、戦争へ行って勝つことが大事だってずっと言ってたけど」

 この国の王は領土と資源を常に求めていた。交渉で和平を目指す隣国に対して工作を行い、攻め入る大義名分を得てからの進撃は隣国を震撼させた。最も、大した経験を積まずに、血と環境のみで上り詰めた彼の采配にはすぐにボロが出て、気づけばこの国が侵される状態に陥ってしまっていた。

「私には、お兄ちゃんがいれば、それで最高の暮らしだったのに。」

 溢れ出そうになる涙をとっさに堪える。私なんかに泣く権利は無い。しかし、思わずにはいられない。こんな少女に、こんな言葉を言わせるために、私は戦っていたのか。

「ジャンヌさん」

 私はもう一度彼女の名前を呼ぶ。私が今日ここに来た目的を、果たさなくてはいけない。たとえそれで彼女から恨まれる日々を送ることになろうとも、この瞬間から逃げた後悔は一生私につきまとう。

「私は、あなたのお兄さんと、同じ部隊で働いていました。」

 彼女の顔を見る事が出来ない。目線の先には、均等な大きさのコンクリートブロックで作り上げられた世界が広がっている。辛うじて目に入る彼女の小さな足は、その場で静止していて、動き出そうとする意志も感じられない。

「特殊作戦団は、先日、国境付近で大規模な反転攻勢を行いました」

 上手く言葉を紡げないのは、唇が張り付いているからだろうか。連日の疲れから来るものだろうか。

「その戦いの中で・・・あなたのお兄さんは・・・」

「折り鶴は、平和とか健康の象徴なの」

 彼女は私の告白を遮った後、会話の主導権を奪うかのように、言葉を続けた。

「だから私は鶴を折るの。戦争が無くなりますように、平和になりますように・・・」

 彼女は祈るように、手を組む。

「無事に、帰ってきますように」

 そう言ってほほ笑む彼女から、初めて、明確な悲哀を感じた。それと同時に、先ほどまで抱いていた疑念が確信に変わった。彼女は既に、気づいていた。おそらく、同じ部隊である私が訪ねてきた、あの瞬間から。

「だから、聞きたくないんです。」

 彼女は体を螺旋階段がある方角に向ける。

 「聞いたら、もう、どうしようもないじゃないですか。」

 歩き出した彼女を引き留める事は出来ない。

「いのることすら、ゆるされなくなっちゃうじゃないですか。」

 塔を降りていく彼女の足音は、もう聞こえない。風に流された折り鶴の行く先は、もう誰にも分からない。

 

 

 











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