洞窟の外
水琴が経験した地獄とくらべて外に向かうのはあまりに簡単だった。蛇型のモンスターだけは危ないと感じていたが、それ以降の敵はあまりにも弱かったのだ。
「簡単すぎる」
「ですが目の前は出口ですよ?」
二人は立ち止まっていた。水琴は罠なんじゃないかと呟いた。
「どうでしょう? 光が差し込んでますが」
目の前には壁画が描かれている石の扉。その隙間からは光が差し込んでいる。水琴はおそるおそる扉に近づく。
ガガガッと重い石が地面と擦れる音を出しながらひとりでに開いていく。暗いところに慣れた水琴の目は突然の明るい光に適応出来ず、瞼を閉じてしまっていた。それでも先を見ようと水琴は手で影を作りながらその先に視線を向ける。
涼しい風が水琴とアリスの体を通り抜け、洞窟内へと流れていく。水琴の髪、アリスのスカートがなびく。
水琴の目が明るさに慣れ、情報が飛び込んだ瞬間瞳孔が開く。
「これが、異世界」
日本にいた時のビルよりもあきらかに高い大木が森を形成していた。その先には見慣れた空。土の香りが水琴を落ち着かせる。
「罠じゃ……ないみたいだな」
ふと、何も言わないアリスを不思議に思った水琴は後ろにいるアリスを見るために振り返った。アリスは目を見開き、口をほんのすこしだけ開けてこの世界に見惚れていた。
「お前にとってもこの世界の景色は特別なものに映ったんだな」
アリスは胸の前で軽く右手を握り、こう答えた。
「はい……見たことがあるのは窓のない部屋。たくさんの人形。そして製作者リド。
私は……この世界を美しいと感じました。きっと合ってます」
「俺もそう思うよ。圧倒された」
感情を表に出す素直な言葉が水琴の口からこぼれた瞬間、水琴の肩が何かに撃ち抜かれる。アリスの目にはそれがスローモーションのように映り、その後に血しぶきが視界を覆い尽くす。
ふらついた水琴は片足を強く地面に踏み込んで体勢を崩さないように耐える。アリスの腕を掴んで全速力でその場から走りだす。
その後を追うように地面に着弾していく“なにか”
水琴は追いつかれる前に大木の裏に隠れ、自分の傷を確認する。
「再生はしない、か。やっぱ死なないとリセットはないみたいだな」
「洞窟を抜け出したのになぜ助けるんですか」
アリスは自分を連れて逃げてくれた事に疑問を持った。しかし水琴はアリスの相手をしている余裕はなかった。
「ちょっと今考えるの難しいから黙ってろ」
「……」
アリスはむすっとした顔をする。
空からマネキンのような人形が次々と降ってくる。水琴はつばを飲み込んで、剣を鞘から抜いた。マネキンのような人形は人差し指を水琴に向ける。その先から水琴達を襲った光の銃弾のようなものが発射される。
「二十体か。アリス、そこに隠れてろよ」
水琴は一瞬でその数を見極め、一体一体の相手をするように立ち回る。当然その間も攻撃が鳴り止むことはない。見えた光の位置や軌道、着弾点を常に確認していた。
敵のスキをついてマネキン一体の正面に近づいた水琴。向けられた人差し指から放たれる光の銃弾を急速にかがんで避けるとそのまま懐に入り、剣で切り上げた。灰色に変わったマネキンはその場に崩れ落ちる。
鳴り止まない光線の嵐。そんな中、アリスに向かっていく一体のマネキンがいた。足場の悪いこの森を颯爽と走っている。アリスの元まで数秒といった所で一つの剣先がアリスの目に映る。水琴が自身の持っていた剣を投げていたのだ。貫かれたマネキンは転ぶように倒れ、剣はアリスを避けてすぐ後ろの大木に突き刺さる。
それから時間にして二十分、水琴は動き続けていた。
「案外……死なないもんだな」
穴だらけになった水琴は最後となったマネキン一体の首をへし折る。
「これは死んだほうが楽、かな」
水のように流れる血が、小さい草花を赤く染め上げていく。
水琴はアリスの方へ歩き、大木に刺さった剣を引き抜いた。
「後ろッ!」
アリスがそう叫ぶ。水琴の背後に犬型のモンスター。だが、関節やちらほらと見える隙間、自然界ではないような配色からマネキンと同じように作られたものだと水琴は推測していた。
犬型のモンスターの口に光が集まっていく。水琴の行動は早かった。アリスを抱き上げ、最後の力を振り絞って端っこに投げ飛ばした。満身創痍の水琴はアリスに向かってなにかを伝えようとした。
「死んでなかったら――」
水琴の言葉を遮るように光線が放たれる。放たれた光線が少しずつエネルギーを失い、チリチリッとその面積を小さくし、消えていく。
アリスの目に映ったのは下半身だけで立っている水琴。アリスの心に生まれたのは。
「――――こわ、い」
それは失う怖さ、一人になり、水琴が傷つくという怖さ。主人が居なくなるという恐さ。唯一心を感じさせてくれる相手の無惨な姿がアリスの心に靄をかけていく。
犬型のモンスターの近くから声が響く。それはアリスのものでもなく、水琴のものでもない第三者の声だった。
「あっ、こら! そいつが報酬かもしれないんだ。無くなったらどうするんだバカ犬」
魔法によって生み出された遠隔で発せられた声の為か、音質が悪い。声の主は独り言らしき言葉を続けた。
「まぁいいや。とりあえずそいつだけ……」
アリスの瞳孔が揺れ、息が乱れていく。
「なんだ? 様子が……」
――――大木も、土や石も見る影はない。迷宮への入り口も消失。巨大な黒い光が柱のように現れた後、地面には円形の大穴が空いた。空に漂っていた雲は消失し、太陽の光がより一層その森を照らす。しかし深すぎる大穴の底にまで光を届けることはできなかった。
そんな大穴の横、被害のなかった土の上で水琴はアリスに膝枕をされていた。アリスは元に戻った水琴が目を覚ますのを静かに待っていた。
「生き返るかも分からないのに、なぜ私のようなただの人形を守るのですか。あんなに嫌がっていたのに。
でも私はあなたを理解するまで、あなたに本当に捨てられるまで私は離れませんよ」
――――とある一室にて。
暗く、散らかった部屋。明かりはパソコンのような機械から放たれる青い光だけ。その前に座っていた青年は呟いた。
「ビンゴ……やっぱりこいつが報酬だ。
伝説の名匠ガディの迷宮をクリアしたのか。残念ながらこの世にはもういないけどね。
さて、遠隔魔法ごと消し飛ばされて状況は把握出来ない状況か……」
砂糖を大量に入れたコーヒーを一口飲む。
「にしてもなんだあの魔法は。
規模からして周囲にある魔素じゃ到底足りない……噂に聞く終焉魔法ほどではないにしても、それに届きそうな破壊力」
ぶつぶつと呟きながら考察をする青年だったが、ノックの音が邪魔をする。
「なんだよ!」
邪魔された青年はノックの主に怒りをぶつける。
「計画は上手くいったんだろうな。この国が世界をとる手順の一つだ。
ミスなどするなよ」
「所有者は殺した。残ってる見張りや予備の兵士を当てろ」
「森の守護者にばれないよう動くのは難しいぞ」
「今なら自由さ。ずいぶんと大きな魔法を使われたからな。そっちに気を取られるはずだ」
「失敗したら分かってるだろうな」
「……」
青年は黙る。扉の向こうの人物がいなくなったのを待った。一人になった事を確認すると歯ぎしりの音が部屋に響く。
「そっちこそ分かってるんだろうな。僕もその手段の一つだってことを。異世界の遅れた技術しか持たないボンクラ風情が……」
目の前の機械を地面に叩きつける。
「全部、人頼みだ! 所詮自分達じゃ何も出来ない雑魚のくせに! 僕は僕の目的の為に動いてるにすぎないんだよ!!
僕を下に見て、バカにして、あいつらみたいにッッ!」
機械のファンの音が部屋の静けさを演出する。
「ああ、僕も……同じ」
胸を強く抑え、青年は小さな泣き声を押し殺した。
――――鳥のさえずり。
目を覚ました水琴は影ができたアリスの顔をじっと見つめる。
「そうか、死んでなかったんだな」
小さく息を吐いて新鮮な空気を吸い込む。するとアリスの甘い香りが交じる。アリスは水琴のセリフに小さく”はい“とだけ返事をした。
「膝枕か……正直飛び起きたい所なんだけどな」
恥ずかしさや照れで。という言葉は胸の内にしまう。アリスはやさしく微笑みながら水琴の頭を撫でる。
「そうしないんですか?」
「……悪くない」
水琴はアリスから目を逸した。アリスは思っていた疑問を口にした。
「――あの時、なんて言おうとしていたんですか」
「なにがだ?」
「死ぬ直前。もし死んでなかったら」
「ああ、あれか」
水琴は目を閉じた。深呼吸の後、優しく言った。
「アリスって呼んでやるよって言ったんだ」
アリスは頬を赤くして水琴の頭を撫でた。
「なんとお呼びすれば」
「水琴のままでいいよ」
「水琴……」
それは、一緒に居てもいいという証明のようなもの。水琴の心境の変化。復讐に囚われつつも、水琴は心細かった。何百回も死に続けた一人の青年の弱さ。
死の直前、それを認めてアリスを連れて行くことにした。
復讐の為の旅に。