臆病者
「イツ様?」
「マキか」
イツが自宅の庭で空を眺めている。
「本日は稽古が立て込んでいたはずですが」
「今はサクについてる」
「そんな……」
「俺はどうしたらいい。迷っている。
兄さんも兄さんだ。
何が――俺は死ぬだろう。そのしわ寄せはお前に行く。許してほしい。お前はお前らしく生きろイツ。
ふざけんじゃねぇ。こっちだって弟背負ってんだよ」
「でも、それがイツのやりたいことでしょ?」
「……ったく。もう母さんは止まらねぇ。サクへの訓練は続くだろう。今は教育による誇りだのなんだので耐えられるだろうが嫌になる時がくる。第一傷だらけなのが見てられねぇ。
御前試合だ。あそこで結果を出すことに全てがかかってる。期待していいのか、自分のクラスによ。それとも」
「期待してあげたら? たまには自分ひとりじゃなく、他人に期待を持たせてもいいんじゃない? そもそも自分が負けないようにね」
「誰に言ってんだ。負けねーよ」
「負けても私は気にしないよ」
「負けねーって!」
「結果で見返してくださいね。イツ様」
「魔法訓練するから離れてろマキ」
「はい」
――時は進み、御前試合まで一週間となった頃。水琴はヴェートに話しかけていた。
「目、悪いのか?」
本を読んでいたベートはまだ強い朝日の光を窓から受けながら答えた。
「片目だけね。不思議でしょ」
「まぁモノクルなんて見たことなかったからな」
「いいもんだよ」
「なぁ、ヴェートって本当に戦えないのか?」
「なんで?」
「なんつーか、そんな感じしないんだよ。弱者って雰囲気じゃない。大人しく、どんなことがあっても冷静。まるで何かを全て見透かしているような行動」
「いやいや。諦めてるだけだよ。じたばたしても死ぬものは死ぬからね」
「じー」
「懐疑的みたいだね。
そういえばいつも一緒にいるノービアとノルアは?」
「リィーナに用事があるってさっき三年の教室に向かったぞ」
「見に行かなくていいのかい?」
「なんでだ?」
「なんとなく嫌な予感がするからさ。僕はこういうの当たるんだ」
「……行ってくる」
「いってらっしゃい」
水琴はアリスを連れて走り始める。ヴェートはつぶやいた。
「間に合うかな」
――その頃、ノービアとノルアは人気のない廊下に立っていた。目の前にはビークラスの男性が三人取り囲むようにして立っていた。ノービアとノルアは壁を背にする。ノービアはそいつらに向かって言った。
「なによあんたたち。あたしらになんか用?」
「前々から思ってたんだけどお前かわいいよな」
「きっしょ。口説くには人数多すぎじゃない?」
「口説く? ちげーな。脅してんだよ。
うちのエリーは編入生にお熱だ。つまりあいつらが殺されないために相手してくれよ」
「そんなん聞くわけ無いじゃん。エルスだからって舐めないでよ」
「いいのかぁ? エルスの癖にフィードに逆らってよ」
「ちっ……めんどくさいわね」
ノービアは手に力を入れるがすぐに緩める。どうしたらいいと。力は使いたくない。筋力でさえも。かといってノルアは固まっている。
「それによ。横にいる女も使えそうじゃん」
「わたっ、しですか」
「あぁ。お前が相手してくれんならあの編入生の事は見逃してやるってエリーは言ってるぜ? なぁ」
「……私でいいなら」
「おっいいねぇ分かってんじゃん」
手をノルアの胸に伸ばすビークラスの男性一人。
「俺はジルってんだ。よろしくな。イク時は俺の名前を呼べよ」
その手はノービアによって掴まれた。
「触んなよ。あたしらの体は立場で変わるほど安くないわ。
ノルアも簡単に体差し出してんじゃないわよ」
「私が我慢するだけで水琴様に被害が及ばないのなら」
「ばっかじゃないの?! 約束を守ってくれる保証なんてないでしょ?」
「ですが守らないという保証もないです。水琴様の為なら私」
「逸脱してるねノルア。あんたそんな子だったかな。
あんたが自分のせいで汚されたって知ったら水琴どんな顔するだろうね」
「……私なんて」
イラッと来たのかノービアはジルの手を強く振り払う。そしてノルアの顔を両手で掴む。
「水琴の何を知ってるの。知ったつもりになってんじゃないわよ。どんな事があったのか知らないけど、水琴から聞いてもいないのに自分は無価値宣言?
――終焉魔法を使い、英雄の一人と数えられた転移者カンナの末裔とは思えないわね」
「カンナ様は関係ないです! だって私は」
「妄想垂れ流したいなら水琴の前ですれば」
「何も知らないじゃないですか! 私がどんな思いで」
――ジルは怒鳴った。
「てめぇらで喧嘩始めてんじゃねーよ! 時間がねーんだ。ノービアがやらねーんならそこの女残してさっさと」
「――黙れ人間如きが」
ノービアの魔族の目、それは狩る側だと主張するような攻撃的な目だった。
「臆病者の、癖に!!」
ノービアは仕方ないかと覚悟を決めて戦おうとした。その瞬間、横からドロップキックをかます水琴。
「初めてやったけどうまくいくもんだな!」
「水琴!!」
ジルは立ち上がって怒りに震えていた。
「ぶっ殺す」
「殺されるのはあなたよ」
水琴の後ろにエリーが立っていた。
「随分楽しそうなことしてるじゃない。私もまーぜーて?」
ノービアが不思議そうな顔をした。
「あんたが指示したんじゃないの?」
「そんなつまらないことするわけないじゃない。ただあなたを抱きたかったんじゃないかしら。さて、行くわよバカども。
――私の獲物に手を出していいのは私だけよ」
「ッッ」
彼らは怯えた表情でエリーについていった。
水琴は二人に言った。
「大丈夫か?」
「うん大丈夫。ノルアも無事」
ノルアはうつむいたままだ。
「ノルア、怖かったか? 何かされたのか?」
「いえ、別に」
思わず水琴はノルアを抱きしめた。切羽詰まった状況だった為に水琴は大胆な行動に出てしまったのだ。
「良かったノルア。無事なんだな」
「え、え?」
ノービアはため息をついた後、すこし笑った。
「中々追いつけないなー。いったい何があったんだか」
我に帰った水琴はノルアを離す。ノルアは逃げ去った。恥ずかしさのあまり。
「あっおいリィーナに会うんじゃ」
「いいのいいの。あたしら親戚だから定期的に会おうってなってるだけだから」
「そうか……」
「あたしさ。戦えないんだ。強いのに」
「どうしてなんだ?」
「怖いから。相手がじゃない。自分が。本当にね、びっくりするぐらい強いんだけど……
抑えられないかもしれない。もう後戻りできなくなっちゃうって感じるんだ」
「俺が勝ってくる。ルークもイツも勝つ。だから戦わなくていい。もし今後も戦わなきゃならない状況になったら俺が代わりに戦う。一秒は持たせる」
ノービアはアリスがいるにも関わらず水琴に抱きついた。そして水琴の匂いすーっと嗅いで言った。
「口説いてる?」
「く、口説いてない!」
アリスはその横でズキンと胸が傷んだ。
「これは、嫉妬というものでしょうか」
その独り言が他の誰かに届くことはなかった。