エゴ
「ちっ、ルークの奴……邪魔しやがって」
イツは自分の屋敷で並べられた食事を食べていた。他の侍女もいる手前マキは話しかけてこない。
「水琴、あいつ力を隠してるのか? 一瞬だった。魔素を通してる俺の手を”肉”ごと捻りやがったぞ。すぐに治療出来たから良かったが……
あれだけの能力があれば……だが、あいつの対戦相手は……」
「ごめんにーちゃん。僕寝ちゃってて今から食べるよ」
扉を開け、入ってくる弟のサクにイツは笑いかける。
「そうか。今日は疲れる事でもあったのか?」
「うん、母さんが家庭教師を雇ったんだ。にーちゃんにもつけてたって言う……し」
イツは血相を変えてイスから立ち上がる。そして弟のシャツの裾をめくり上げた。そこにはムチの後、魔法による火傷の後が見える。侍女達がすぐさまポーションを持ち出し、応急手当を始めた。
「マキ」
イツは幼なじみの名前を呼ぶ。
「母さんは今どこにいる?」
「自室でお休みになられています。鍵はかけられていません」
イツはずかずかと足音を立てながら母親の部屋へと向かう。強めにノックし返事を待つ。返事が帰ってきたと同時にイツは扉を開けた。
斜めがけのイスに座りながらワインを嗜む母親に話しかける。
「失礼します。サクの件です」
「サクがどうしたの」
「なぜ訓練をさせているのですか。まだ早いでしょう」
「あなたがモタモタしているからよ」
「私はッッ!」
「――エルスクラスに落とされたそうですね」
「ッッ」
「なぜ黙っていたのです」
「そ、れは」
「どういうつもりか知りませんが使い物にならないものの為に時間をさくつもりはありません。食事もこれからは一人でとりなさい」
「それは構いません。ですがサクにはもう少し時間を」
「どの口がいいますか」
「お願いします。どうか。
もう少しで御前試合が行われます。どうかその日まで。結果さえだせればそれでいいはずです」
「ええ。その通り。
我が家の目的は階級を上げること。爵位が変わらないというのは許さない」
「必ず達成してみせます」
「あなたの言葉に信頼性などないのですよ。行きなさい」
「……はい」
イツは部屋を出た。自室に向かうとマキが紅茶を淹れていた。イツはイスに腰掛け大きなため息をついた。
「ふぅ……ついに名前も呼ばれなくなったか」
「寂しいですか?」
「マキ」
「分かったわよ。これでいい? 寂しい?」
「いや、お前がいるからな」
マキの紅茶を運ぶ手が揺れる。
「突然そういうこと言わないの。どうするの?」
「本当にどうするべきなのか分からねぇ」
「勝てばいいじゃない」
「どちらの方が勝算あるのか分からないんだよ」
「難しい事は分からないけどあなたらしくすれば?」
「そういうわけにもいかねぇんだ。どうしてもな」
「はい、考えるのは一旦後」
イツは出された紅茶を口に運んだ。
次の日、スフィールは誰にも見られないように下を向きながら歩く。目立たないために、速度を一定に保ち溶け込むようにして歩く。
が、目の前をエリーに塞がれる。
「こんにちはスフィール」
「私みたいな田舎者になにか用ですか……」
「そちらの対戦表をお伺いしたいのよ」
「他の方にお願いします」
「そう?」
エリーは下からスフィールの顔を覗き込む。
「あら、きれいな顔してるじゃない。なんでうつむいているの?
その瞳のせいかしら」
スフィールは目を閉じる。そして震えた手で本を抱え込む。
「そんなに怯えなくてもいいじゃない。褒めてるんだから」
「こんなの、褒められるものじゃないです」
「エルスクラスで私が気に入っているのは水琴とアリス。
そしてあなた。強さだけで言うのならノービアも入れたい所だけれど臆病者は入れてあげない」
「なんの、話ですか」
「あなた戦わないの? おもしろそうじゃない。
私は面白いのが好きよ。面白くなりそうなのも」
「私は戦えません」
「なら、なぜこの学園にいるの?」
「居場所が、ないから――失礼します」
エリーの横をすり抜けるようにしてスフィールは去っていった。
「ふーん。あの子……私と同じ訳ありか。多いわね訳あり。エルスクラスは。
私がフィードなのはやっぱり、大した理由じゃないからかしら。まだ掴めないわねークラス分けの真意。
ま、どうでもいいわね。楽しければそれでいいのよ。楽しければ」
――最悪、最悪最悪最悪。見られた。見られたこの目を、この忌々しい赤い目を。
スフィールは心の中で何度もそういいながら歩いて行く。どこに行こうとしていたのかすらも忘れて歩く。
「こんなの、こんな目、死にたい」
突然肩を掴まれ動きが止まる。
「スフィール。行きすぎだ。教室はあっちだぞ」
スフィールが振り返ると水琴が自分の肩を掴んでいた。教室を二つ分超えてきてしまったらしい。
「す、すみません。考え事してて。大丈夫です」
スフィールが踵を返そうとすると水琴に止められる。
「待てスフィール」
「な、なんですか」
「死にたいってなんだ」
――聞かれた。今日は最悪な日だ。目立たないように、見られないように過ごしているのにどうして私は見つかってしまうんだろう。
スフィールは恐怖のあまり震えだしてしまう。水琴はその様子に気づいた。本来はここで手を離して聞かなかったフリをするのが正解なのだろう。しかし水琴はスフィールの両肩に手をおいた。そして逃げられないように壁に軽く押し付ける。
「っ」
「スフィール」
水琴はあえて踏み入ることにした。逃げさせない。おそらく何もしなければスフィールはずっと下を向いたままだろうと感じたのだ。たとえ自分がうざがられても、嫌われたとしても自分がスフィールを知りたい、前を向かせたいという理由で――自分勝手な理由で水琴はこんな行動をとった。
「は、離してください!」
顔だけは絶対に上に向けない。水琴は落ち着いてと呟いた。生徒はみんな教室に入ってしまった。二人だけの廊下。
「……落ち着きました。離してください。死んだりしませんから」
「あぁ。そうしてくれ」
水琴は手を離した。スフィールが安心した瞬間、スフィールのメガネを奪いとった。
驚いたスフィールは顔を上げる。真っ赤な瞳が水琴を魅了する。恥ずかしさなのかスフィールの顔は赤みがかり、瞼を大きく開く。髪は揺れ心臓は高鳴る。水琴の心臓もまた高鳴った。瞳を見て心を奪われたのは二回目だ。
スフィールはすぐに下を向いた。
「ごめんなスフィール。俺の事を嫌いになってもいい。
いや、俺の事だけを嫌いになって構わない。なんで人を避けるんだ」
「私の勝手じゃないですか……」
「あぁ。勝手に踏み込んで悪いと思ってるよ」
「なんで、なんでこんなこと」
「自分の欲だよ。知りたいと思った」
水琴はメガネを返す。そして続けてこう言った。
「俺のことなんかいないものだと思えばいい。この事を誰かに話すつもりはない」
「そんなの、どうやって信じればいいんですか」
「……スフィール」
「はい」
「これから俺の秘密を一つ話す。誰にも言わないでほしい」
「……そんな秘密知った所で信用なんか」
水琴はスフィールが腰に差していた短剣を抜き取る。そしてスフィールの目の前で自分の首を切りつけた。
スフィールにとってそれは衝撃的な出来事で、感情が表に出るのは珍しいことだった。
「そこまでするなんてバカなんですか!!」
メガネをかけることすら忘れて倒れた水琴に駆け寄る。首元に手を当て傷口を探した。
「あれ……傷が……」
「スフィール」
「ひゃあッッ!」
「あー、驚くのも仕方ないんだが聞いてほしい。俺はどうやら不死身らしい」
「そ、んなこと」
「本当なんだよ。ただ、なんでこうなったのかは知らないしいつまで不死身なのかも分からない」
「本当に死ぬかも知れないのに自分の首を斬ったんですか? 勝手に私の剣で?」
「……すごいトラウマになりそうな事してるな俺。
でもこれで信用には足るだろ?」
「……バカみたいです。秘密を守ってくれるかどうかに関しては信じます。でも、今後私に近寄らないでください」
「ひどすぎない?」
「それぐらいの事をしてます。ほっといて」
「……」
メガネをかけ、スフィールは教室へと向かった。水琴は自分の首を洗い、それから教室へと戻った。