転移と理不尽な死
「……なんで、我慢してるんだ」
すでに朝日が差し込んでいる部屋の中で水琴は考えを巡らせていた。寝ることが出来ず、ただ起こりうることに逆らわずぼーっと天井を見上げていたのだ。
「啓太。決めたよ。お前に助けてって言う。今日から新しい世界に行く気持ちで部屋を出るって決めたわ」
水琴は体を起こした。制服に着替え自分の顔を鏡で確認する。
「ひどい顔だな」
そう笑いながら家を出た。暗転。陽の光などない。ほとんど真っ暗な視界に水琴は戸惑った。しかし、ゲームで培った状況を確認するという行動を起こした。
「……本当に新しい世界に来ちゃったよ。なんて冗談言ってる場合じゃないよな。まずは何が起こったのか確認しないと」
視界は暗く、まだ目が慣れていない。地面を触ると手に土がついた。音が反響していることからここは洞窟のような場所だと推測する。
明かりがないわけではない。点在する青い鉱石が少しだけ周りを照らすように発光している。全体の構造を掴めるほどではない淡く弱い光。
水琴から少し離れた位置から複数人の話し声と喜びの声があがる。
「で、出来た。召喚、でき……ました」
「出来たじゃねぇかノルア。見直したぞ」
水琴は目を凝らし、声の方向を向いた。
アールピージーゲームのような服を着た四人組。
男性が一人、女性が三人。歳は水琴とあまり離れているようには見えない。剣や盾、杖を持っている。水琴は召喚というワードから自身が召喚されたのだと思った。
にわかには信じがたいが事実、水琴は異世界へと転移していた。
ノルアと言われた女性は学校の制服らしきものを着用している。シャツの胸ポケットにエンブレムのような刺繍。本を手に持ち、魔女のような帽子をかぶっていた。腕を通すタイプのマントがひらひらとなびいている。
ノルアが男性に言った。
「あ、ありがとうございますグリッドさん」
グリッドと言われた男性は戦士だろうか、肩当てや盾、剣を装備している。身長は平均より高く、筋肉は細めである。
グリッドは水琴に話しかけた。
「お前転移者だろ。この迷宮を攻略してくれよ」
「あー、えーっと悪いんだけど話が見えないな。俺は水琴だ。よろしく」
ある程度の状況は理解していたが、なぜ迷宮を自分に攻略させようとしているのかは分からなかった。水琴は自分の手を差し出す。
「ここは世界に点在する迷宮の一つ。俺達じゃ手に負えない状態だ。脱出する術も限られてる。だからノルアっつー召喚士にお前を転移させたんだよ。
つーわけでその強い力ってので一発頼むわ。仲間に入れてやるからさ」
水琴が差し出した手をグリッドは取らない。水琴は手を引っ込めるとグリッドに聞いた。
「どうやって……?」
「なんも感じないのか?」
「ああ」
「ちっ、外れじゃねぇかノルア!!」
ノルアがビクッと体を反応させ、ごめんなさいと怯えながら何度も謝る。
水琴は場を収めるために慌てて話し始めた。
「待て待て。そりゃ今はなにも分からないが」
「つえー奴はすぐに力に目覚めんだよボケ。それに手遅れだ。
まぁいい。そこの入り口の扉に書いてある文字、読めるか?」
「いや、読めない……」
「そいつはいい。行くぞノルア、リリッタ、リオ」
「ま、待ってくれって。何が何だか」
グリッド達が入り口と呼ばれる空洞の手前で止まった。
「これに書いてあること教えてやるよ。
この迷宮最深部は無人を許さない。つまりだ。
”一人でも居れば他のやつは逃げたっていい”」
グリッドは空洞の向こうへと進んだ。ノルアという少女は躊躇し、立ち止まっている。グリッドが低い声で言った。
「来いノルア。お前のほうが価値がある。力のない転移者よりな。そもそも預かってる身としちゃあ死なれたら困るんだよ」
「で、でも。こんなの、酷いです。わたっ、私」
「早くしろカス」
ノルアは肩を掴まれ、空洞の中に引きずり込まれる。短い悲鳴が聞こえたその瞬間、岩が隙間を閉じた。たった一人になってしまった水琴。
「どういう、ことだよ。あいつら……俺を置いて」
背後で風圧が発生する。水琴は瞬時に振り向く。青い鉱石が光をさらに強くし、その内部を照らしていた。
大きな洞窟のような場所。それは間違いない――ただ自然にできたものではないというのはあきらかだった。装飾が掘られ、きれいな円を描いた床と天井。その天井までの高さが異常だ。二百メートルはあろうかという高さ。
壁に埋まるように四体の石像。百メートルをゆうに超える高さを持つ石像が動いていた。 風圧の正体は斧の石像が狙いを外してしまった為に起きたものだった。水琴の真横を斧が掠めていた。
それだけではなかった。ゲームの世界でしか見たことのないような魔物がわんさかいた。ガーゴイル、エキドナなどに酷似している。
その時点で水琴は理解した。
「生贄ってことか。いや殿、身代わりかな。
夢、じゃないんだろうな。
まだ俺は吉田に何も言ってねぇよ。啓太に助けてくれとも言ってない。
心を入れ替えて決心しただけでまだ何も行動を起こしちゃいない。やっと踏ん切りついたっていうのに――死ぬのかよ」
先程の斧が振り上げられる。
「――なんで、俺だけこんな目に合わなくちゃいけないんだ。
どうして入学初日、隣の席が吉田だったんだ。運命やらなにやらがあるのなら恨むぜ世界」
そして斧が振り下ろされる。水琴は死への恐怖を抑えるためにとにかく叫んだ。
ぱちっと目を開けると水琴は仰向けになって天井を眺めていた。青い光に照らされ、夢でないことを突きつけられる。
「俺、死んだはずじゃ……すげー痛かったんだけど」
水琴は上半身を起こす。体を確認すると傷一つない。上を見上げると石像が斧を振り上げている。脳みそにこびりついた痛みが何も考えさせず水琴に逃走という行動力を与える。
入り口へ向かって走る。そして岩の扉を強く叩く。
「た、助けてくれ! なんでもするからっ! 死ぬんだって! 痛いんだよ! あ、あけっ! 開けてくれ! 助け」
肩に手を置かれる。後ろを振り向くと、紫色に変色したゴブリンだった。水琴はゴブリンの腹部を蹴る。多少揺れた程度でゴブリンは何事もなかったかのように水琴の肩を掴んだ。そして腹に顔を近づける。
水琴は嫌な想像をしてゴブリンの頭を蹴り続ける。ゴブリンは鬱陶しかったのか水琴の頭をその手に持った棍棒で強めに殴る。
鈍い音がした後、水琴は頭から血を流してずるずると背中を扉に押し当てながら尻もちをついた。意識はあった。ぼーっとする程度。ずきずきと頭が痛いと思った。
水琴の嫌な想像はあたってしまう。そのままゴブリンは水琴の腹を食いちぎり内蔵を食べ始めた。その瞬間水琴の意識は覚醒し、悲痛の声を上げる。
「あああああッッ! 痛い! 痛い痛い痛い!! は、なせっ!」
意識が遠のきながらもゴブリンの頭を殴り続ける。次第に声が小さくなり手も動かなくなる。声は自身の血が喉を塞いで出ない。
「ごぼっ……ぼ」
呼吸も出来ない。苦しみに耐えながら水琴は二度目の死を迎えた。