学園長
ある朝、屋敷に居た侍女に見送られながらノルアは一人で外出した。数十分ほど歩き、大きな噴水の前で立ち止まる。顔を上げ、時計の針を気にしていた。
「間に合ってるはずだけど……」
それから五分が経過した。道の先に待ち合わせの相手、リィーナがうっすらと見える。走ってノルアに近づき、謝罪を入れる。
「待たせたなノルア」
「リィーナ様! そんなことはありません!」
しかしノルアの顔が曇り始める。
「どうした? 何か心配事でもあるのか?」
「いえ……今から学園長にお会いになるのですよね」
「そうだ。ただある程度の事情も話す必要がある。もしノルアが、かの原初相手に嘘を突き通せるのなら嘘をつくという選択肢もあるが」
「うっ……無理ですよぉー……」
ノルアはリィーナにしがみつく。
「着くまでに考えておけよ?」
リィーナは苦笑いしながらそう言って学園に向かって歩き始めた。
「あっ、待ってくださいー!」
賑やかな石レンガの通路を歩いて行く二人。だんだん人通りが少なくなっていく。警備の兵士が増え始める。リィーナは立ち止まり学生証を管理人に見せる。ノルアも同様学生証を提示した。
管理人が学生証に手を触れると小さな青い魔法陣が浮き上がり、それを見た管理人はにこっと笑って入っていいよと言った。
「ありがとうございます」
リィーナは頭を下げる。ノルアもぺこっとよそよそしく頭を下げる。すたすたと進んでいくリィーナの後を駆け足で追った。
厳重なコンクリートで出来た壁を進んだ先は辺り一面に芝が生えていた。しかし人が通るように整備された部分にはコンクリートで舗装がなされている。街にあった街灯も等間隔に並べられている。
ノルアの屋敷が霞むほどの巨大な校舎が手前に位置している。その校舎の奥に、もう一回り小さい校舎があった。その間には大きなグラウンドがあり、周囲にも様々な施設が建てられていた。
二人は手前の大きい校舎の中に入っていく。魔法陣の描かれた昇降口を通り、中央にはたくさんの椅子と本が置かれたスペース。横にだだっぴろい廊下。それに沿うように階段が左右から中心に向かって二つ。地面は赤いカーペットだが靴のままリィーナとノルアは歩いて行く。階段を上り三階へと向かう。その一室に理事長室がある。
リィーナは扉の前に立ち、ノックをするとすぐさま入りなさいと言われる。二人は中に入り一礼する。
大きい机に椅子、黒いソファに合わせた机と棚に飾られたトロフィーの数々。一人の女の子が椅子に座ることなく外を眺めていた。そして顔をこちらに向けると座りなさいと声をかける。
二人は黒いソファに腰を下ろす。リィーナは理事長に顔を向けて話を始める。
「今回はお願いがあり、ここまで参りました。シェフィ様」
一国の王女であるリィーナが様付けをする人物。
シェフィと呼ばれた女の子は文字通り容姿が十六歳ほど。メイドのような白と黒の服。胸元には大きなボタンが左右に三つずつ。足元まで伸びる長いスカート。
耳の上に布で出来たフリルのついたカチューシャをつけている。耳は尖り、目は赤く、赤みがかった銀髪が太陽の光に反射している。
「私にお願い? どんなお願いかしら」
妖美かつ恐怖を感じるその存在感。ここを苦手とする者は多い。シェフィは二人の向かいにあるソファに腰掛ける。
「二人の人間を生徒として受け入れてほしいのです。後ろ盾はノルア・フィストライアとその一家が請け負います」
「二人? 事情は説明してくれるのかしら?」
「それは……ノルアがお話します」
話を振られたノルアは中々声を出せずにいる。シェフィはリィーナに退室を促した。
「退室、ですか」
リィーナはその意図を聞く為にそう言った。リィーナはノルアが心配で側について居たかったのだ。
「ええ。あなたに非があるわけではないわ。でもこの子は極力話したくないようだし、一度二人きりにさせてもらえる?」
「分かりました。では」
リィーナが退室したことを確認するとシェフィは前かがみになり、肘を膝に乗せ、手の上に頭をのせた。不敵な笑みでノルアに話しかける。
「大丈夫よ。誰にも言わないから。どんな事情があるのか言ってみなさい?」
「……でも」
「でも? 話すのは不安?」
「はい……」
「あなたとは縁もあるし贔屓はするわよ。
召喚士のあなたが家を後ろ盾にして二人の人間を生徒として受け入れて欲しい」
ノルアはビクッと体を揺らして反応する。
「そう怖がらないの。怒っているわけじゃないんだから。
事情も話せない。話したくないのはなぜ? あなたは自分の為に行動を起こすような子じゃないから……きっと召喚してしまった転移者に口止めされているんでしょう?」
「あ、あのっ」
ノルアは慌てて静止しようとするがシェフィは言葉を続ける。
「それに今は実習期間だったわね。でも一人なのはなぜかしら。
そしてグリッド、リリッタ、リオの死亡という報告が私の耳に届いているわ」
「ま、待ってください!」
「昔の知り合いからエルフの森、迷宮付近で巨大な魔法が使われたと泣きつかれたわ。復興する人材が欲しいってね。
一人は転移者で確定でしょうね。ではもうひとりは? そうね、あの場所には確かガディの作った迷宮があったはずよ。八百年も攻略されなかった。いえ、本人が攻略することをよしとせず、誰も入らないように森の守護者に任せてた最高傑作の迷宮がね。
その迷宮誕生と共に眠っていた仮初の報酬が存在していたはず。
たしかその名前を”アリス”と言ったかしら」
ノルアは涙目を浮かべ、ほっぺを膨らませながらシェフィを見つめる。
「うぅっ、私言ってません、言ってませんよぉぉぉ」
水琴との約束を破ってしまったのではないかと不安になるノルア。
「ふふっ、ごめんなさいね。意地悪するつもりで言ったんじゃないのよ。ただ全部分かっていたというだけの話よ」
「ひどいですよぉ。代わりに迷宮の事を教えてください! 何も知らずにグリッドさん達に連れて行かれたんですから!」
「ダメよ」
ぴくっ、ほんのすこし魔素の流れが変わる。シェフィは真剣な声でそれを断った。
「なぜ、ですか」
「迷宮についてはただ……神の塔に憧れたガディが自分なりの迷宮、作品を作ったにすぎないわ。でもアリスについて話すことは出来ないわ。
それがリドのコンセプトなのよ。それがルール」
「ルール……」
「話を変えましょう。自立心は身についたかしら」
「反抗心が芽生えましたっ!」
ぷくっとほっぺを膨らませて怒るノルア。ふふふっとシェフィは笑う。
「グリッドにして正解だったわね。というと怒られるかしら。私の想定以上に意地悪されてしまった?」
「ひどい扱いを受けました」
「それを受け入れていたでしょ」
「でも、迷宮で水琴様を召喚してしまって……私はっ……
罪の意識からパーティーを抜けて殺されようとしてました」
シェフィは席を立ち、ノルアを後ろからやさしく抱きしめた。
「私のせいね。ごめんなさい。つらい思いをさせたわね」
「迷宮の最深部では死なないこと、知ってましたか?」
「ええ」
「私は、私達はそこに水琴様を!」
ノルアはバッと立ち上がり目に涙を浮かべながら自分の言葉に感情をのせて訴えた。
シェフィは優しく言った。
「まだ許されたという気持ちにはなれない。だから自分が主人なのに様とつけて敬愛し、自分を下にすることで少しでも自分に罰を与えようとしているのかしら。
私からも罰を与えるわ。勝手に外で転移者を召喚する魔術を使った罰を」
「はい……」
ノルアはソファに座り直し、目を閉じて震えていた。
「ちゃんと二人の責任を持ちなさい。口だけじゃなく。
二人が悩めば知恵を貸しなさい。答えがわからずとも一緒に背負いなさい。あなたが苦しいのなら背負ってもらいなさい」
「わ、私が楽になっては」
「あら? 本当に”楽”かしら」
下を向き、スカートを両手で握るノルア。
「っ……分かりません」
「まぁいいわ。
二人の件は私に任せなさい。後日二人をこの学園に連れてくること。始業の三十分前には連れてくるのよ。分かったかしら」
「はい……
あ、あの……リド、とは」
リドの単語が出た後、シェフィはノルアから離れ、背中合わせの状態で話し始めた。
「リドは私と同じ原初よ。歪の原初。ちょっと頭がおかしい……と言うと怒られるかしら。
言える立場ですか? なんてね」
ふふっとシェフィは人差し指で唇を隠す。続けて自分を悪魔と言ったシェフィ。
「今でこそ人と魔族は一緒に暮らしている。けれど私は悪魔よ。
人を食い物にする悪魔」
ノルアを見下ろしながらシェフィは続けて言った。
「人に理解されない狂気に満ちているのよ」
ノルアはその言葉に萎縮しながらも、もう一つの疑問をぶつけた。
「エノア様の行方は……ご存知なのですか」
「あら、気になるの?」
「興味は、あります。この国を作った方でもありますし、シェフィ様の主人でもありますから……」
ノルアは部屋を出るとリィーナに声をかけられる。
「大丈夫だったか?」
「……」
「ノルア?」
どこか心ここにあらずという様子のノルア。問いかけられた事に気づいたノルアは急いで記憶を遡り、返事を返した。
「あっはい! 大丈夫でした!
後日二人を連れて来るよう言われました」
ノルアは俯きながらシェフィの言葉を思い出していた。
「知っているわよ。加担した者の一人だもの」
それはどういう意味だろう、とノルアはずっと気になっていた。それ以上シェフィがエノア・ルーヴェストについて語ることはなかった。