第13話 幸福な毒
「皇成君が望むなら、今ここで、全部捧げてもいい。だからお願い。私と、結婚して」
「……っ」
顔を真っ赤にして訴える姫奈に、皇成は目を見開いた。手の平に伝わる熱に、意識を全部もっていかれそうになる。
ドキドキと震える鼓動が、自分のものなのか、果たして、姫奈のものなのか、もはや判別すらできないほど、皇成は困惑していた。
全部捧げてもいい──そういった姫奈から、全く目が離せない。
ずっと、好きだった女の子に、こんなことを言われて、突き放す男なんているだろうか。
叶わないと思っていた初恋が実って、その好きな女の子に、結婚してほしいとまで言われて、本来なら、こんなに幸せなことはない。
求められれば、受け入れて、自分のものに出来るなら、このまま全部、自分だけのものにしたい。
そう──『矢印』で、決められてさえいなければ
──ドサッ!
「きゃっ!」
離してくれない手を、そのまま前に押せば、姫奈はあっさり後ろに倒れ、皇成が押し倒すような体勢になった。
誰もいない部屋に二人きり。覆いかぶさり、皇成が真っ直ぐに姫奈を見つめれば、姫奈が、今までにないくらい顔を真っ赤にしたのが分かった。
「……っ」
少し困惑して、そして、何かを覚悟したように、恥ずかしそうに頬を染める姫奈。それを見て、皇成は、目を細めた。
告白して、OKを貰えた時、すごく嬉しかった。
結婚してって言われて、驚きはしたけど、それでも、素直に両思いに慣れたことに、胸が高鳴った。
それなのに、今はこんなにも苦しい。
やっぱり、矢印様は正しかった。
こんなに、悩むくらいなら。
こんなに、苦しむくらいなら。
始めから───告白なんてしなきゃよかった。
「俺は、自分のことを好きでもない女の子と、結婚したいなんて思わない!」
「……!」
見下ろし、ハッキリとそういえば、その後、姫奈は大きく目を見開いた。それは、まるで信じられないとでも言うように
「な……なんで、好きじゃないって決めつけるの! 私は、皇成くんが好き! ずっと、ずっと好きで……っ」
「それも、矢印様に聞いたのか?」
「え?」
「言っとくけど、今の言葉が、本当か嘘かも、俺が矢印様に聞けば、すぐにわかるからな」
「……っ」
ぴしゃりと言い放てば、姫奈が目に涙を浮かべたのがわかった。
どうして、そんな傷ついた顔をするんだろう。
ひどいのは、そっちの方なのに……
「……今日は……帰る」
その後、お互いに見つめあったまま、暫く沈黙が続くと、皇成が重苦しく呟いた。
このままじゃ、ダメだと思った。このまま一緒にいたら、もっとひどい言葉をかけてしまいそうで。だから、帰って頭を冷やして、そのあと、改めて話をしよう。
俺の矢印は、君には向いていないんだって──
「……ごめん……今夜、電話するから……あとで、ゆっくり」
「いや、絶対に別れない!」
「!?」
だが、その瞬間、姫奈が言った言葉に、皇成は瞠目する。
「な、なんで……っ」
「なんとなく、そう思ったの! 皇成くんが『大事な話がある』って言った時は、いつも悪い話をする時だもの!」
「え? そうだっけ?」
「そうよ! だから私、さっき教室で矢印様に聞いたの。このまま皇成くんの話を聞いていいか、それとも、私の家にいくか」
「え?」
その言葉に、教室での出来事を思い出した。新聞部から逃げて、教室で改めて話をしようとした時、姫奈は唐突に皇成の言葉を遮った。
だが、あの時、姫奈は矢印様にきいて、自分を家に招いたのだと。
「ま、まさか……」
「やっと気づいた? そうよ。もうこの家に入った時点で、皇成くんは、私と別れられないルートに乗っちゃってるの」
さっきとは打って変わって、妖艶に笑った姫奈に、皇成はジワリと汗をかいた。
別れられない……ルート?
「ただいまー」
瞬間、一階の玄関から声が聞こえた。バタンと扉が閉まると同時に聞こえたのは、男の人の声――
「あ……お兄ちゃんだ」
「お、お兄ちゃん!?」
「うん。皇成君も昔、一緒に遊んだことあるでしょ?」
見上げたまま可愛らしく説明する姫奈に、皇成は改めて、幼い頃を思い出した。
姫奈には、二つ上に兄がいた。
名前は、碓氷 直哉さん。
確か、今は大学生で、姫奈に負けず劣らずな美形な、お兄ちゃんだ。
だが、皇成は、その直哉が苦手だった。なぜなら、よく姫奈と一緒にいると、めちゃくちゃ睨まれていたから!!
「ちょ、ちょっと待て! 今日は夜まで、誰も帰ってこないって!?」
「あれ? 私そんなこと、言ったっけ?」
(ッ……こいつ、確信犯か!!?)
最悪な状況に陥ってしまった。
彼女の部屋で二人っきり。しかも、姫奈の服は、少し乱れちゃったりしてるわけで
「皇成くん」
「うわッ!?」
すると、姫奈が皇成の首に腕を回し、無理やり抱き寄せてきた。押し倒した体勢から、そのまま姫奈の上に倒れ込めば、身体は自然と密着する。
「ちょ、お前、何やってんだよ!?」
「ねぇ、選択して」
「は?」
「これから、私のお兄ちゃんに『姫奈の彼氏です』って自己紹介するか? この体勢のまま私が悲鳴を上げて、駆け込んできたお兄ちゃんに殴られるのと、どっちがいい?」
「ど、どっちって……っ」
耳元で囁かれた言葉は、まるで悪魔のようだった。そして皇成は、その瞬間、激しく後悔した。
ああ、やっぱり矢印様のいう事は、聞いておくべきだった──と。




