08 舞踏会前日
「……ふむ」
コツコツコツ、と、誰もいない廊下で足音を響かせ、
「……ふむ」
コツコツコツ、と、誰もいない同じ廊下を何度も往復し、
「……ふむ」
と、何度も一人で頷いている男がいた。
「来る。来てしまう。……ルビイさん、がッ!!」
カッと目を見開き、そうひとりごちているのはルビイ大好き人間のシルヴァ・オルブライトその人である。
明日にはついに王都での舞踏会を控えた今日。
朝っぱらから服装を整え、髪型も整え、部屋中を侍女たちだけでなくシルヴァ自らも念入りに掃除し、二回も風呂に入り、彼女の為に用意したプレゼントや食事の準備も入念に行なった。
ルビイに喜んでもらえるように、と。
だが、シルヴァは自分を見失っている。
ルビイが今晩オルブライト家の屋敷に泊まるのは、明朝、馬車で王都に向かう前の準備をオルブライト家の侍女にしてもらう為だ。
決してシルヴァと何か良い事があるからではないのだが、シルヴァは自分を見失っているので、まるで最愛の花嫁がやってきてしまうかのような錯覚に陥っていた。
ゆえに過剰なおもてなし準備をしてしまっているのである。
「まずは彼女が屋敷についたら、私がしっかり屋敷内を案内し、その後、応接間で父と母に軽く挨拶、その後、私と二人でテラスに赴き最高級のハーブティーと茶菓子で彼女を喜ばし、それから……」
こうして朝っぱらからぶつぶつとずっとシミュレーションしているのである。
「そうだ、夜は最高級のワインをあけよう。いや、待て。そういえばルビイさんはワインが好きなのか? 不味いぞ、私とした事がリサーチ不足すぎた。そもそも彼女は何が好きなんだ? 不味いぞ、何故私は何も知らないッ! くそッ! 間抜けすぎるだろ、常識的に考えてッ!!」
ルビイ大好き人間のシルヴァは、今、自分を見失っているので許してやってほしい。
彼は基本的には計算高く、冷静で、物事を慎重に運びつつも、大胆に実行し、なんでもそつなく熟せる。
しかし、こと好きな女性に対する時のみ、彼の知能レベルは恐ろしく低下してしまうのである。
「なん……だ? この、恐ろしく下手くそな絵画は……?」
廊下を何往復もしていたはずなのに、その小さな絵画に今更気づく。
「おい、誰かいないか!? おい!」
シルヴァは声をあげ、侍女か使用人を呼びつけた。
「はい、シルヴァ様。どうなされましたか?」
「この絵画は一体なんなんだ!? 下手くそすぎるだろ、常識的に考えてッ!」
「シルヴァ様……それはシルヴァ様ご本人が描かれた水彩画では……?」
「わかっているッ! そしてこんな下手くそなものを飾っておいてくれと命じたのも私だッ!」
「は、はい。それが何か?」
「今すぐ燃やしてきてもらえないだろうか!?」
「え!? も、燃やすのですか!?」
「うむ。こんな品性の欠片も感じられないゴミは即刻焼却すべきだ」
「いや、そんな事はないかと思われますが……」
「頼む、後生だエリー。こんな恥をルビイに見られたら私は生きていけない。頼む……急に呼びつけてこんな事を頼んで申し訳ないが、頼む……」
「わ、わかりましたわかりました。そんな涙目で訴えられては逆にこちらが困ります!」
「すまない……ありがとうエリー」
「……はあ。全くシルヴァ様、ルビイ様の事になると本当に見境がないですね……」
エリーと呼ばれた侍女は苦笑しながらも、シルヴァの指示通り、その絵画を取り外し運んで行った。
「そういえば思い出したぞ……他にも談話室、応接間、執務室、書斎と書庫にも私の黒歴史の痕跡があった気がする……」
シルヴァは顔を青ざめさせたが、
「まだ時間はある……! 今すぐ全て闇に葬らねばなるまいッ! この私の名誉と誇りにかけてッ!!」
思い出せた事をこれ幸いと、屋敷中を暴走馬の如く駆け巡るのだった。
●○●○●
「なんだと? オルブライト家が?」
フランシス家の執務室。怪訝な表情でそう答えたのはルビイの父、エメルド・フランシス伯爵。
「ええ。明日の王宮での舞踏会に出席なさる予定だそうです。それと旦那様、これを」
その事を伝えにきた執事のジョバンニは、一通の書簡も同時にエメルドへと手渡す。
「これは?」
「カタリナお嬢様からです」
「カタリナから? 一体なんだと言うのだ」
「明日の舞踏会についてでは? 招待状かと」
「ふむ……」
エメルドは書簡の紐を解き、中身を確認した。
「……ッ」
「旦那様、いかがなされましたか?」
手紙に目を通していくエメルドの表情に変化があったのを、ジョバンニはすぐに察して尋ねる。
「どうにもきな臭くなってきた」
「明日の舞踏会がですか?」
「うむ。明日の舞踏会への招待については当然私たちも受ける。だが、どうもその舞踏会で良からぬ事が起きそうだ」
「一体何が……」
「カタリナの手紙によれば、王家内部で軋轢が生まれているらしい。主に王位継承に関する事のようだ」
「ガウェイン殿下以外にも可能性がある、と?」
「どうであろうな。そこまではわからぬが、どうやらガウェイン殿下を陥れようとしている者たちがいるらしい」
「となると第二か第三王子殿下でございましょうか」
「おそらくそうだろう。カタリナの手紙にはこうある。明日の舞踏会で大きな断罪が行われるかもしれない、と」
「断罪……何の事でございましょうか?」
「わからんな。だが、カタリナからの手紙にはその断罪を私たちにも見届けてほしい、とある」
「エメルド様とディア様に?」
「うむ。何故私たちなのかよくわからないが……」
「カタリナ様はご不安なのでは?」
「どうであろうな。だが、これまでルフィーリアに陰で散々に虐め抜かれてきながらも密かに耐え忍んできた強かな娘だ。多少の事では挫けぬだろう」
「そうですな。それにしても私はいまだに信じられませぬ。あの心優しいルフィーリア様がそれほどまでにカタリナ様を虐めていたなど……」
「……ふん。ルフィーリアは元より魔石師としての才能が無い落ちこぼれであった。その事で強く劣等感を抱いていたのだろう。カタリナの才能に嫉妬し、そういう行為に及んでいたのだろうな」
「確かにルフィーリア様には魔石師としての才能は皆無でございましたからな」
「ルフィーリアの奴が行なった下劣な行為の数々はフランシス家の恥だ。あのような落ちこぼれは大人しく王族の一員になってもらえばまだ意味があったというのに」
「……そうでございますな」
「ディアは最後までカタリナの言葉を疑っていたが、カタリナはセレスの娘だから、そういう目で見ていたのだろうな」
セレス、というのはフランシス家に仕えていた侍女で、エメルドとセレスの間に出来た不貞の子がカタリナである。
「……そうかもしれませぬな」
「なんにせよ明日の舞踏会には私とディアは出席する。カタリナの様子も気になるからな」
「かしこまりました。ではスーツとドレスの準備、つつがなく整えておきます」
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