36 牛若丸のストーカー退治
翌朝、すっきりと目覚めたアスターとシオンは、早朝鍛錬をすることにした。この国の騎士は朝食前に鍛錬する習慣がない。空いている訓練場で、準備運動をしてから手合わせする。
シオンはケンドーも嗜むが、今日はナギナタだ。義母上に習ったと言ってたが、祖母上も嗜んでいたようだ。しかし前世ではシオンがツバキ殿に教えたそうだから……前世の女子の嗜みなのだろう。
どうしてもシオンを怪我させたくなくて、打ち込みが甘くなってしまう。「内緒だけど……即死じゃなければ治せます」と耳元で言われ、漸く本気で挑んだが全然入らない。競技の際は打突部位を呼称するそうだが、ここではしない。フリースタイルだそうだ。
アスターが習ってから日が浅いのも、慣れ親しんだ剣と勝手が違うのもあるだろうが、とにかくシオンは動きが軽く、ひらりと躱される。打撃も軽いが次々と撃ち出す。たまに足がとんでくる。実践では刃に魔法を乗せるので、当たれば人間なら勝てるらしい。
今日はウシワカマルスタイルだといって、ヤマトにいた時のような少年スタイルで、髪を高く結んでいる。この姿で橋の高欄で横笛を吹くのだそうだ。危ないので真似しないでほしい。
「アスター様はベンケイみたいですね」と言われた。主を守って立ったまま死んだ武将だそうだ。シオンを守る為でなければそのような事はしない。
鍛錬を終えて部屋に帰ろうとした時、アスターが近衛隊長をしていた時の部下、サバティエリがやって来た。
「おや、これはこれは。巫女姫様の従者同士で訓練ですか?隊長は剣を捨て、その様なおかしな槍で戦うようになっちゃったんですね。折角手合わせ願おうと思って模造剣をお持ちしたのに無駄になっちゃったな。」
どうやらサバティエリはシオンに気が付いていないようだ。もしや門で引き留められた時に一緒にいたのが、シオンとカイではなく、シオンとその従者だったとでも思ったのか。咎めようと前に出た時、シオンに腕を引かれた。一瞬で回復魔法を掛けられたようだ。
「アスター様に構って欲しいからと言ってその様に絡まないで頂きたい。それにこれはおかしな槍ではない。」
「お子様は黙ってろ!騎士は剣で戦うものだ。アスター様は魔性に誑かされて剣を捨てたのでしょう。ここで実力差を見せ付けて、さっさと隊長を辞めさせてやる!」
「魔性だと?今シオンのことを魔性と言ったか?カイは襲い掛かって来たら殺しても仕方無いと言っていたよな。よしやろう。おい、今侮辱したな?手袋を投げろ。こちらからはやらんが殺ってやる!」
「アスター様、心の声が口から出ています。」
どうやら怒りのあまり、言うつもりなく考えていた部分まで口から出ていたようだ。
「ああ、汚い言葉を聞かせてすまない。あちらで見ていてくれ。」
「いいえ。ここは私にお任せを!……最初から見ていたくせに、鍛錬が終わってこちらが疲れるのを待って声を掛けてきたんですよ、この人は。こういうズルい人は、格下だと思っている相手に叩きのめされた方がいいんです!」
そういってシオンは模造剣を奪い取った。話を聞いていたサバティエリは頭にきた様子で熱り立った。
「大口叩くと痛い目に遭うぞガキ!」
そういって斬りかかるサバティエリの剣を、ひらりひらりと躱し往なし、まるで話に聞いたベンケイとウシワカマルのようになっていた。疲れているはずのシオンがいつまでもバテず、ムキになったサバティエリがどんどん消耗していく。
そうするうちに騎士たちが訓練場に出てきたが、サバティエリは気付いてもいない。ある程度の人数が集まった所でシオンがサバティエリの剣を派手に跳ね飛ばし、首に模造剣を突き付け大音声で言った。
「アスター様を侮辱したら、妻である私が許しません!」
その時のサバティエリの顔は良かった。今までしつこく付き纏われ、嫌味を言われ続けた事がどうでも良くなる様な、驚愕と悔恨と落胆した顔だった。
その上シオンは、アスターが従者ではないことを周囲に示した。
騎士たちが見ているのを分かった上で、タオルでアスターの汗を甲斐甲斐しく拭い、飲み物を渡し、自ら籠を持ってアスターと手を繋ぎ移動した。もちろん籠はアスターが取り上げたが。
そして今気付いたかのように、唖然と見物する騎士たちに手を振り、部屋へと戻ったのだった。……アスターも含めて、全員が転がされたようだ。
「あの人、構ってちゃんを拗らせ過ぎてストーカー化してましたので、少しズルして懲らしめちゃいました。」
サバティエリが早朝、アスターたちが部屋を出た時に廊下で見張っていたこと。その姿が王都の門を潜る前に何度か見た不審者と同じだったこと。門で会った時から、仲良くしたいけど素直になれず、打ち負かす事で下に見て、存分に構い倒したいという願望が漏れ出ていたことをシオンに言われた。……物凄い洞察力だ。魔法か。
ああいうタイプはぐうの音も出ない程叩きのめすか、わざと負けて花道を作ってやってこちらが消えるか、一生付き纏われるのを我慢するかしかないらしい。
だから、ただでさえ疲労した子供で楽勝の相手、シオンが叩きのめした。のみならず、自分が罵倒した魔性の女であるシオン本人に、魔法でなく剣で負けたのだという現実を、公衆の面前で突き付けてやったそうだ。
その為に回復魔法を使い、自分を加速し、剣が折れない様に強化を掛けたそうだ。その程度、体格差のハンデと思えばズルと言う程の事もない。ヤツには普通に隊長になれるだけの実力はあるのだから。
「シオンのところに仕返しに来ないといいが。」
「大好きなアスター様に、殺ると言われてショックを受けていましたから大丈夫でしょう。冷静な状態でしたら私は勝てませんでした。アスター様絡みでなければお強いんでしょ?殊勝な態度で戻って行きましたよ。」
「シオンの強さが周囲に知れ渡り、手を出そうというやつがいなくなればいい。……一応、退団手続きついでに、騎士団長には話しておこう。既に野次馬から話が行っているとは思うが。」
「そうですね。……ふふっ。友達みたいな夫婦もいいですけれど、夫を立てる妻もアピールとしてはいいですよね。」
「自慢の妻だ。名を呼んで抱き締めるのを、我慢するのは大変だった。」
遅い朝食をすませると、侍女たちが今日の舞踏会の準備をしたがったが断った。それよりもアスターは、準備に時間の掛かるはずの舞踏会が、何故昨日の今日に開催されるのかを不審に思っていた。実は、噂を頼りに斥候を出し、いつ勇者一行が帰って来てもいいように準備をしていたのだそうだ。
アスターは、未だ勇者と呼ばれるのには慣れない。……戦ってなどいないのだから不本意だ。差別撤廃のためとはいえ、いたたまれない。
もっとも、実はサルタは、誰も見ない魔王と勇者との一騎打ちまで茶番で再現しようとしたのだ。しかし刺される役のハヌマが嫌がり、なしになった。……そういえばあれ以来シモイを見ていない。大神官と共に新しいデヴァルグ山、改めデバッグ山に行ってもう戻らないのかもしれない。
アスターが今夜着るのは異空間バックに入れていた騎士服だ。こう何度も着ることになるとは、ヤマトを出発する時には思いもよらなかった。
シオンが着るのはデヴァルグ山で作ったドレス。吸収体の回収で魔力を使い果たした場合を想定して、予めハヌマと一緒に山で、具現化の力とスケッチブックを駆使して作成していたらしい。帰還時の薄紅色のドレスもそのうちの一枚だ。
あの日見られなかったシオンの洋装が、こう何度も見られるとは、こちらは嬉しい誤算だった。




