35 乙女心は永遠に
応接室から直接庭に出て、庭師と相談の後、王の私室から見える所にサクラを植えた。
通常、種からではなく刺し技で増やすそうで、休眠状態で持参した小枝を、カイの魔法で一気に育てた。花見のために忍ばせてきたものだそうだ。
黒い枝と薄紅の花は、まるで今日のシオンの髪とドレスのようだった。夜中にでもカイが町にも一本生やしてきてくれるそうだ。街頭でシオンを見た市民たちも、明日その花を見ればきっと、アスターと同じように思うに違いない。
滞在は、あの日この城を警戒して三人で泊まるはずだった部屋ではなく、ここぞとばかりに来賓で王の姪孫と侯爵子息に相応しい部屋に移された。
だが、カイは嫌がり魔術師長の家に行ってしまった。後から梟の使い魔が飛んで来て、読書に没頭するとカイの声で言った。シオンのシキガミと同じ仕組みだろう。ゆっくり二人で話せとも言った。やはり何でもお見通しだった。
侍女も侍従も、食事の給仕も断り久し振りに二人きりで過ごしたが、薄紅色のドレスと黒のスイカンの洗濯は任せてやった。これも印象を良くする作戦の一貫だそうだ。状態保存は掛けてあるし、きっと城でデザインを写し取るのだろうとシオンは言った。
そういえば、大陸の者が属性外と思っている魔法も、シオンは元々使えたそうだ。どのような複合なのかと思い惑っていたが、考えないで感覚で!と言われてしまった。難しい。そんな何でもできるシオンたちですら持たず、加護として与えられた空間の魔法は、本当に特別なものだったのだと言うことが分かる。
バグ塊……だけではなく神の花もだったが、それを取り出し神に還すという勤めを果たした今、加護の力を持ち続けていていいのだろうか。それをアスターとシオンは思案中だ。レコードにしてサルタに渡すという予定も、そこから魔力を取るという予定も実行不可になってしまった。
あの大スペクタクルの前に、サルタが雇用主に確認した時、花の種の事や、胎のものをレコードには出来ないことは聞いていたらしい。だがレコードはなくとも、音楽を奉納している間に加護を与えるという案は、なんと女神様が請け負ってくれるそうだ。
だがまさか、花が天使になるとはアスターには思いもよらなかったが……。シオンは言う。
「前の世界での生物の条件は確か、外界と膜で仕切られていること、代謝を行うこと、自分の複製を作ること、でした。バグ塊は、バグごとに概念化していたので、圧縮されていてもひと塊ではなかったかもしれませんが、宿主から分離した時点で外界とは仕切られていたでしょう?私たちとも同化はしていません。」
「そうだな。」
「こじ付けかもしれませんけどね。アスター様と共にあった時には複製していましたよね、自力とは言えないかもしれませんが。そして私とあった時には、バグを食べて魔力に代謝していました。そこに花の要素が加わって、生き物みたいになったのではないでしょうか。……魔法といえども生命は産み出せないでしょうし。」
「そうだな……。天使か花の精霊かわからないが、本当に俺たちの子供みたいだ。あの子が女神様の手伝いをするのだろう?一人で世界中は大変だな。」
「吟遊詩人の歌で宣伝もしちゃいましたしね。圧縮されていたバグの数だけ、分裂とかできないのでしょうか。……猿田さんが沢山サボっていたことを願うなんて、笑っちゃいますね。」
加護でサルタの仕事は減るが、予定していた動力の一部は手に入らなくなった。代案を考えると言っていたが、どんな無理難題を言われるか……。アスターは気が気じゃなかった。
山の移動はシオンの魔法。照射はサルタ。エキストラは社員たちとイカロスの友人たち。サルたちにはヤマトでもてなして精算するが、全体として時間も労力もかかっている。吸収体の回収だけでは費用対効果がつりあっていないかもしれない。
楽観視はできない。何しろシオンは体で払うと言ってしまったのだ。……代わりにアスターが魂を売ればすむのだろうか?
食事をしながらそんな不安をつらつら語ると、シオンがふふっと笑った。キリヒト経由で新しい情報も伝えたし、サムチャたちの出張にもあのドアを使えるし、それにシオンにも考えている事があるそうだ。
「そう酷い事にはならないけれど、体で払う事にはなるかもしれません。けれど一緒に払ってくれるでしょ?」と。シオンに苦労は掛けたくないが、逃れられないことならば共にあるだけだ。否やはない。
……ずっと聞きたい事があった。暗黙、に抵触するかもしれないとアスターはずっと聞けずにいた。けれど、今ならば聞いてもいいかもしれない。カイもその為に遠慮してくれたのだろう。
その、口に出そうか出すまいかと逡巡している様子に気付いたのか。シオンの方から話し出してくれた。
「私のお祖母様。アルテミシア・プリンセプス……クリサンセマム。神主である父の母親。このカメリア……椿の簪をくれた人。前世の名前は大田椿。全部の色を混ぜたら黒くなる、という前世では取り立てて特別ではない言葉。だけど多分……多分、椿は……私の孫だと思います。」
「……孫。」
「前世では結婚してたって言ったでしょ?孫もいたの。」
「子供、ではなく?」
「そう……。子供は男。その子供が椿です。共働きだったからよく預かっていたの。前世でも私たち、くせっ毛だったわ。生まれ変わりの順番は、死の順じゃないとは分かっていたけど驚きですね。……お祖母様が生きてるうちに確認できなかったから、絶対じゃないけれど。
……絵の具で色水を作って遊んだ時にね、片付ける時にひとまとめにしたら、暗い汚い色になって泣かれたの。だから教えたのよ、黒は全部なんだって。まだ小さかったのに覚えていたのかしら。それとも美術で習ったのかな。
そう思うと言動も似てたような気がしてきて。記憶の姿と年も全然違ったのに、おかしいですね。それでも……庭の椿をあの子の髪に挿してあげたのよ。だから……」
ハラハラと泣き出したシオンを、アスターは直ぐには抱き締めなかった。辛くて流している涙ではなかったから。シオンは微笑みながら泣いていた。タオルを渡し、茶を入れ、隣に座った。紅茶しかなかったが。
「ありがとう。……ごめんなさい、ずっと言えなくて。初夜に夫がいた事は言えても、自分がおばあちゃんだった事は言えなかったの。おかしいよね。」
そこでアスターはシオンを抱き締めた。
「夫がいた事を聞かされるより、全然大したことはない。……それに俺も家の事は言えなかった。何でもないつもりだったけど、家も家族も嫌いだったし、既に捨てたつもりでいたから。……それに王女の夫としては王子か公爵家が妥当だから、身分が釣り合わなかったというのも本当だ。言い訳に過ぎないが……。」
「ふふっ。私、ヤマト国に戻らない覚悟はしてたのに、上級貴族婦人になる覚悟は出来てなかったの。それなのに、侯爵家嫡男って聞いて驚いただけ。……舞踏会に出るくらいは大丈夫よ。侯爵家の社交は弟さん、タナセタム様の奥様にお任せしましょう。出しゃばらない方がいいと思うの。」
「そうだな。大神官様によると、従兄弟にはバグがあったが弟には無かったそうだ。元より家督に野心があった上に、兄より向いていると従兄弟に唆されていたらしい。その妻であればまあ……任せておいた方がいいのかもしれない。」
「じゃあ問題解決ね。そろそろ寝ましょう。」
「シオン……」
アスターは孫がいても気にしていない事を行動で示そうとしたが、シオンはアスターに優しくキスをして言った。
「今日だけは……。花とあの子が別物だというのは分かっているのですが、旅立って行った今日だけは、まだ新しい子を迎えずにいてあげたいの。」
「ああ……。そうだな。」
王宮での茶番という名のスペクタクルの上に、とんでもないサプライズがあった今日は、本当に二人とも疲れ果てていた。布団とも魔の山での狭いベッドとも違う、キングサイズの上質なベッドに、むしろ落ち着かない二人であったが、明かりを落とせばあっという間に眠りに落ちていった。




