ⅩⅩⅩⅢ 勇者一行と懐胎の巫女
謁見の間に現れた勇者一行は噂通りの出で立ちだった。
髪を結い上げ尖った黒い帽子を被る勇者の身の丈は2メートル位になっている。大柄な体にゆったりとした上下黒の衣は威圧感がある。東の武人風の民族衣装で、斜めに合わさった襟には重ねた白い服も見え、腰に帯いた剣は細く反りがある。
巫女姫……であろうか、顔を隠していない。東の島の民であることを示す、ゆるく編んだ黒髪には薄紅色の花びらが散り、紗を重ねたような同色のボリュームのあるドレスには、花びらを散らしたような刺繍がある。一方身頃はピッタリと体に沿うデザインで、ウエスト下部分が菱形の様に尖っている。
謁見の間にいる者で、巫女姫の顔を見た事のあるものは殆どいない。眠そうな子猫のような目と小さい鼻、ドレスのような薄紅色の頬はまるで幼い少女のよう。キリリとした黒い眉や、首や腕の細さは少年のように。目元を黒く縁取るまつ毛やぽってりした唇、凹凸のある体は女性らしく。美しさは間違いないが、不可思議に捉え所がない。
賢者の顔を見た時、記憶が蘇った者は何人もいた。他でもない、巫女の祖母である王女の側近であった西の島の民、エルフの魔術師だ。現在クリサンセマムの城壁に施された、外部からの魔法を防ぐ結界は彼の手によるものだ。
美しく幼い外見、尖った耳、白銀の髪。彼を蔑むものは王女に物理的に痛い目に遭わされた。王女が置き手紙とともに家出した頃、いつのの間にか姿を消した偉大な魔術師カイロン。彼は王女の孫の後見人として、再びこの国に現れたのだった。
神官シモイは、謎に満ちた人物だ。青いマントから覗く赤い弓から、アーチャーであることは分かる。神兵としては今回が初の出陣で、その出自を知るものはいない。というか神兵と呼ばれるのは彼だけだ。
国々を巡る大神官が何処からか連れてきた者だった。大神官の使いに出ることが多く滅多に姿を見せず、黒い鳥を見ると、射掛けたくなる性質の持ち主だという事くらいしか、同僚にも知られていなかった。
「よくぞ戻った!大儀である。嬉しく思うぞ。」
国王に言葉を掛けられても勇者の顔色は優れない。
「勿体ないお言葉でございます。」
「吟遊詩人の歌が真であるか、話を聞かせてくれ。」
ワクワクした様子の国王に、勇者は現実的でつまらない話をした。飲まず食わずではなく休憩も取ったこと、山の上へはよじ登ったのではなく階段を上ったこと、誰も泣かずに、怪我の手当も迅速にしたこと。
重臣も侍従も護衛騎士も、扉に張り付く侍女たちも、歌を復唱しながら照らし合わせた。すると魔王の懸想も勇者との決闘も奇跡の治癒も否定していない事に気が付いた。結末がどうなったのかは全員、我が目で見たので分かっている。
王が尋ねた。
「シオンは大事無かったか?」
「はい。丁寧な扱いを受けていました。」
そこでいつぞやの大臣が空気を読まない発言をした。彼は娘を、アスターが勇者になる前から嫁がせたがっていたのだ。
「丁寧な……手籠めにでもされていたのではないのか?」
カチャっと、跪いていたアスター左手から音がした。シモイが矢筒に手を伸ばす。カイロンが、ドンっと杖を床に打ち付けた。
「この国では王の許可なく臣下が発言することが許されているのですか?それとも今の発言はこの国の総意なのでしょうか?」
大神官が代わりに冷やかな声を上げることで、勇者一行の激高を抑えた。
勿論国王も大臣に憤っていた。発言の内容にもだが、大神官を含めた実力者四人を怒らせたことにもだ。なんとか誤魔化そうと発言した。
「そのようなことが起こるわけがない。そうだな。」
「もちろんです。でも証明は出来ませんね。信じていただくしかありません。」
巫女姫シオンが発言すると、両脇に騎士に立たれて連行直前の、焦った大臣は更なる墓穴を掘った。
「ほらやはり!きっとすでに腹に魔王の子を孕んでいるのですよ!」
その時、突然現れた茨がぎゅるるると、大臣の体に巻き付き、爪先から鼻の下まで隙間なく締め上げた。
「デンドランセマ・グランディフローラム・クリサンセマム!犬の躾がなっておらぬ。耳障りだ、消してもよいか?」
「ま、待ってください先生。申し訳ない!おい、連れていけ!!」
慌てた国王が騎士に指示を出す。そこで意外な人物から意外な制止が入った。
「お待ちになって、大叔父様。折角ですから大臣殿にもご確認いただきましょう。」
「確認?!よいのだシオン。不快な思いをさせてすまなかったな。もう部屋で休みなさい。」
「いいえ、大叔父様。他の皆さんも口に出さないだけで同じ様に考えているはずです。どこかで不用意に口にした方を、聞いたアスターやカイが手に掛けてしまっては大変ですわ。それにシモイは神官ですのに手が血で汚れては大事です。」
居並ぶ重臣たちがゴクリとツバを飲んだ。
「そうは言っても確認など……」
「そうですね。無体を受けていない証明は出来ませんが、誰の子も未だ宿していない事は証明できます。この場でよろしいですか?」
国王が訳も分からず頷くと、シオンが一行の少し前に立った。
「アスターが私の元に降り立ち、太陽と月の夫婦神様方が顕現された時、私は太陽神様から憐れな生贄の世話を言いつかりました。そして月の女神様からあるものを預かったのです。……ここに。」
そう言ってシオンはドレスの身頃の尖った先のところに手を当てた。
「それはつまり……」
「はい。子宮に。花の種を。アスターと夫婦になる前のことですので、まあ処女懐胎になるのでしょうか。今日まで育ててきましたので、他のものが育つ余地はありません。……本日この場で、花を女神にお返しします。」
そう言うとシオンはもう一方の手のひらも重ねて腹に当て、目を閉じ息を吐いた。国王も重臣も勇者一行も、拘束された大臣でさえ固唾をのんで見守った。
薄っすら体が光り出したと同時に、シオンは両手のひらを返して天に向けた。するとその手の上にはこぼれそうに大きい、赤い花弁で黄色い雄しべの美しい花が咲いていた。そのまま顔の高さまで手を上げたシオンが呟く。
「椿……」
それに呼応する様に、花弁がどんどん開いて手のひらからこぼれていく。不思議と床に付く前に消えてしまった。そうして残った黄色い雄しべと雌しべが膨らみ光り、人の形の羽が生えたものに変化した。
「天使?」
シオンが言葉をもらすと、謁見の間の高窓から天使の梯子と呼ばれる光が、丁度シオンの手のひらに落ちる。全員が窓を見上げればそこには金と銀、二羽の鳥が寄り添って止まっていた。
「夫婦神様……」
国王が呼び掛けると、二羽はシオンに向かって滑空してきた。守る様に立ち上がるアスター。その肩の左右にファサっと一度羽ばたいて掴まった。
「ピピピッ」
「チチチッ」
鳥神が黄色く光るものに呼び掛ける様に鳴くと、それはパタパタと飛び上がり、シオンの頬にキスをした。そして二羽と一つは天窓に向かう。
「待って!」
シオンが呼び止めると光るものは旋回する。シオンは涙を流しながら声を詰まらせ、手を振り言った。
「元気でね!椿!」
キラッと体を輝かせ、そのまま飛ぶものたちは天窓を擦り抜け、空の彼方に消え去ってしまった。
しばらくの間、誰も口を開かなかった。シオンを背後から抱き締めていたアスターが、涙を拭いてやる為に服の合わせに手を入れた時、やっと国王がシオンに問い掛けた。
「シオンの言うツバキとは、一体何なのだ?姉上の名前と同じ様だが……」




