三 呪文翻訳ミスまでの道すじ
この世界の転移者には翻訳チートがあります。母国語、日本語以外は翻訳されないけれど、和製英語は翻訳されます。その線引きも結構怪しいところですが……。
転生者はこちらの共通語を覚えた頃に前世の記憶を思い出すので、翻訳なしのバイリンガルです。島の人たちも共通語を話すのに、何故大陸と付けて区別するのかといえば、この国における日本語の存在が大きいからです。
そしてこの国では日本文化の保存を国家事業としています。十数年に一度現れる転生者には覚えている限りの情報を、ありったけ大陸共通語で書き写してもらいます。このパタンの情報は、あまり多くなく曖昧なことが多いです。
それから、数十年単位で現れる転移者にも、お仕事として同様に書き記してもらいます。このパタンは鮮明で情報も多いですが、翻訳がイマイチ上手くいかないことも多いです。
苦労して作ったその折角の記録も紙が劣化していくので、過去の文書も転移・転生者が書き写し、得意分野の情報は書き足したり修正したりします。そういった作業をし、また文献を保管維持するのもこの神社の役割なのです。
サイーデが落としていったメモには
『悪魔召喚{Eloim, Essaim,frugativi et appellavi.}✕3』とあります。
そのメモにも他の文献同様、一行目とは別人が下に書き込みをしています。
『悪い魔方招待交換{Eloim, Essaim,frugativi et appellavi.}三回繰り返す。』
異世界転移者は、日本語を大陸語に変換して書きます。が、自分の書いた大陸語それ自体は理解できません。大陸語を日本語にチート変換して読むので、大陸語の微妙な言い回しの違いは解らないのです。
そしてまた次に別人がそれをチートで読み、変換された大陸語で書く。その都度微妙に齟齬が出ます。途中で転生者が言い回しに修正を入れると、全く違う内容に変貌します。
通常の内容であれば、常識的に正誤を判断することもできるでしょう。しかし悪魔召喚については常識は通用しません。私が思うには、呪文は原語で唱えるべきですが、悪魔召喚においてはどうなのか分かりません。前半部分、エロイムエッサイムは前世のアニメで見たような気がしますが、後半は何語かも分かりません。
最終的に{}の中を読めた人間が、日本語で書いたのが
『招勧黒魔法{エルワムイッサム 質素名前付けた
神よ、悪魔よ 質素で魅力的
エロヒムエサイム 活動的なfrug訴える}』
これに大陸共通語で読み方を全部振ったものをサイーデが読んだのです。明らかに翻訳がおかしいと思います。三回繰り返すはずなのに全く違いますし。まるで翻訳ソフトみたいです……。最初に呪文を書いた日本人も、昔を懐かしんで面白い可笑しく書いたのかもしれません。それを悪魔召喚呪文だと本気にしたサイーデが、自分で古語っぽく最後に願いを付け加えたのが
「エルワムイッサム シッソナマエツケタ
カミヨアクマヨ シッソデミリョクテキ
エロヒムエサイム カツドウテキナフラグウッタエル
太陽神よ月の女神よ
生贄を対価とし
あるべきところにあらせ給え」
閃光が収まった時、あるべきところにあったのは、質素で魅力的、且つ質素な名前を付けた、活動的なフラグを訴える人間、すなわちアスター・サーシス・フィリペンデュラでした。
名前が質素?アスターは菊でしょうか。菊……質素は地味という意味でしょうか。地味で魅力的は、薄顔のイケメン?体が大きく紫の髪では地味はないですね……。紫の菊とか?野紺菊かもしれません。
サーシスは裏切り的な花言葉だったような気がします。質素な花言葉?フィリペンデュラは分かりません。……なんにしても、アスター様のあるべきところはヤマト国ということなのでしょうか?
私の推理を聞いたアスター様は考え込んでしまいました。あるべきところについて、思うところがあるようです。どうやら母国では色々と問題のある日々を過ごしていた様子です。
親が決めた婚約者。それを奪おうとする男性たち。アスター様を奪おうとする女性たち。嫡男の座を奪おうと画策する弟や従兄弟。ダブル不倫に忙しい両親。騎士団の隊長の座を奪おうと姑息な真似をする同僚たち。
アスター様の周りはトラブル続きで、自分を疫病神のように感じていたらしいです。二十四歳なので立派に成人はしているけれど、前世の私の感覚からするとアスター様は、若い頃の苦労は買ってでもしろ、を地で行っている気がします。さすがは活動的なフラグを訴えるもの。
ついにアスター様の婚約破棄が成立して「今度は私が!」の大修羅場に、王女様までが乱入してきた地獄の現場で、突然アスター様の体が光りだして転移したのだそうです。
……一応ここに来る前に身辺整理はついているようですね。仕事も家督も投げ出してしまった形だけれど、後任希望者は腐る程いるみたいですし。
黙って話を聞いていた神主が、この社にはお咎めがあるのかを確認してきました。私は咎めはなさそうであること、その代わり、巫女たる私がアスター様の世話をするよう言われたこと、それはこの社の主の意志でもあること、礼として加護をくれること、役目を果たした後は社にとらわれず、好きに生きていいと言われたことを説明しました。
しばらくうんうん唸っていた神主はアスター様に、私を側仕えにするので好きに過ごすようにと告げました。そしてこのヤマト国の常通り、契約書を作り互いにサインをしました。
神主は父親の顔で、今日中に港の家に移ること、手当のこと、もしも出国する際には必ず挨拶に来ることを私に言い含め、勤めに戻って行きました。
私たちは部屋に戻り、荷造りを始めました。旅に出ることも考慮して、最低限のものを揃えねばなりません。アスター様は着の身着のまま召喚されたので、彼用の細々とした日用品も揃えます。着物は着丈が足りな過ぎます。父より20センチくらい……。
それぞれに荷物を持って、建物を出ました。鳥居を出てから振り返ると、見える扁額は空輝陽社。祭神はソラカグヒ様。ここにも翻訳のズレが見られるような気がするけれど、昨日の話では分社として認められているらしいです。
大陸と同様、太陽信仰です。昨夜来たのは大陸の太陽神様。……ということは肩にいたのが月の女神様?朔の夜だったし、人型には成れなかったのかもしれないですね。
翻訳のズレがあろうと、伝承が移り変わろうと、今日ここにある感謝を向ける先はいつでも空にあります。ズレようも間違えようもありません。私が一礼するとアスター様も見よう見まねで礼をします。感心感心。これからのことを思うとワクワクするぞ!微笑み合って私たちは歩き出しました。




