28 御力と忌諱とラーメン
「シオン!」
「あ、アスター様。……あのこれは違うんでぐっ!」
アスターによる急圧迫で、圧がかかったシオンは変な声を出した。アスターはシオンを丸まった横抱きにして、出来るだけ両腕で包む。
「何故こんな格好を?戦闘でもあったのか?脚だけでなくお、お尻まで形が顕に……。何故!?」
「あ、あのこれはスーツで。仕事着で。……この服を用意した責任者の方、出て来てくださ〜い!」
サル頭の男だけでなく、小ザルたちまで蝋のように固まっている。その状態で、赤くおかしな鼻の面をつけた、何やらみすぼらしい格好をした男が声を掛けてきた。
「ああ、アスターか。よく来たね。カイロンも元気そうで何よりだ。下井、ご苦労だった。通常業務に戻ってくれ。」
「何故ずーっとフリーズしていたのに、この状況で普通にインしてくるのでしょうね。」
シオンが平坦な声でそれに答えた。
「シオン、アスターが不憫じゃから、二人で部屋に行って着替えてこい。直ぐには戻らずとも良いぞ。風呂でも入って仮眠してこい。」
何でもお見通しのカイのありがたい提案に、アスターは乗り気で答えた。
「お言葉に甘えます。シオン、部屋はあるのか?案内してくれ。」
「キャリアウーマンも夫には形無しですね。今日はもう終わりにしましょう。食事は部屋の前に置いておきます。」
サル頭の男にからかわれ、シオンがいつかのように頬を膨らす。あれから何日経ったのだろう。一日千秋の思いだった。
シオンが指差す方に向かい、シオンが掌紋認証すると、奥への扉が勝手に開いた。廊下を歩きながら「裸踊りなどさせられていないか心配だった」と言うと、シオンはきゅっと口を引き結んで、アスターを見上げて言った。
「心配してくださってありがとうございます。でも世界には色々な国や文化があって価値観があります。アスター様が心配するそれも、ここでは別の意味を持つ事もあります。私の国でも色々な意味があります。戻ったら神話をお話してあげますから、これ以上この山でその話をしないでください。」
「ああ。でも……。」
言葉を続けようとすると、唇に指を当てられた。シオンの目を見るととても真剣な様子だ。部屋に付き、シオンを下ろす。戸を締め鍵を掛け、タタミにセイザする。この部屋は絨毯敷で隅に小さいベッドが設置されているが、タタミもある不思議な部屋だった。
「神は独立独行。まつろわぬものです。神々同士はご夫婦であられたり協力したり従わせたりと、神話は色々ありますが、決して人間と同じ様に考えてはならぬのです。お姿をお見せ下さったり、ご加護を下さったりしても、お考えが変わればどうなるかは分かりません。……ですから初めにアスター様が神主と交わした契約は、神の意思に反しない限り娘を大切に扱う、でしたよ。覚えていらっしゃいますか?」
「そんなっ!俺はいつだって必ず!」
「はい、大丈夫ですよ。私たちは約束しましたね。ずっと側にいると。これは私たち自身の約束です。そして家と家、今回は国家と国家でも婚姻の契約を交わしました。それらは手続きにより解除でき、手続きを踏まなければできない。しかしアスター様が神主たる父と交わした契約は違います。恐れ多くも『我らの代わりにしばしこの憐れな男の世話を頼む。これは社の主の意志でもある。』と御言葉を賜ったからこその契約で、神々より『これ以上の世話は罷りならぬと』賜ればそこで終了なのです。」
「そんな……そんなこと、起こり得るのか?」
「アスター様に対しては、サイーデに対してのような、ただのお世話は神社での夜だけでしたけれどね。神々の言いつけによるそのようなお世話が、途中で終了する事は十分ありえました。ですがあなたは約束をし、認められて家族になりました。……それでももし、アスター様が神々を怒らせて、サイーデのように鉄槌を下されることになったら……。私もお供したいとお願いしますが……。」
「俺は神々を怒らせるようなことを……してしまったのか?」
「私は、こう思います。御力は天候のごとし。降って欲しい所にだけ雨を降らせる事はできない。もう充分だ止めてくれと言っても雨は止まない。無慈悲なまでの大雪、日照り、そして恵みの雨、実りの雷。それらは人の意思では左右されず、ただあるがままにある、御力なのです。どうしてそうなったかは人の知るところではありません。」
「……では雨乞いは?」
「例えば高名な雨乞い士は、雨が降る直前にそれを行う、ということもあります。優れた気象予報士なのかもしれません。本当に明日雨が降ると託宣を受けたのかもしれません。真実祈りが通じ、神が雨を恵んでくださったのかも。……でも止まなかったら?
……前世の世界のように、科学の力で一時思うままに操れたと感じても、その帳尻合わせがいつ来るか、どう来るかまで操れてはいないと思うのです。驕り高ぶり、制御できない力を手にすれば、後戻りは出来ません。あとは倫理観、社会性、抑止力でなんとかするしか。……まるで荒御魂をお祀りし宥め奉るとか、封印された悪霊が破って出てくるのを恐れ続けるかのようです。」
「……シオンは本当に巫女姫なのだな。」
「いいえ。私はただの人間です。これは私が感じ、思っているだけの事です。……ただ、畏れ多くも図らずも、神々の近くで生活をすることになったアスター様が、神の忌諱に触れることがないよう願っているだけです。」
「そうか。……つまり……分かった。あの事について、この山では言及しない。」
「ここの方々は通称で通していらっしゃいます。だから御名を告げられず、一緒に仕事をしている間はそれ程気にしなくてもいいとは思うのです。私も余りにも前世の職場と雰囲気が似ていたのでガミガミやってしまいましたが……。やはり逆鱗というものはあると思うのです。」
「ああ、分かる。……あの面のこともだな。」
「……それは、教えてくれました。赤い鼻の天狗面の猿田さんと緑の羊面の小堀さん、後は下井さんと霧人さんはお面だそうですよ。後の羽沼さんは猿頭が、禿鷹の寒茶さんは丸ごと自前だそうです。面を取ってくれと頼むのはNGだと、駄目だと思います、はい。」
「シモイとキリヒトがお面?さっき一緒に来たのがシモイだが、面など……。それにカイ殿は、大神官様をキリヒトと読んでいたぞ?」
「え?キリヒト?何かイントネーションが……語感がヤバい感じが……。まあ名乗られてないですしね、はい。下井さんも霧人さんも、社員として活動する時は面を付けるのかもしれませんね。傍から見たら人拐いに殺人未遂ですしね。」
「……面が面である事は知っていいとすると……巨、小堀殿の趣味だという蛇の耳飾りについては聞いてはいけない気がする。」
「ああ、確かに。弓も、面の角もそれっぽいですしね。……みなさん蛇退治が得意だそうですよ。――――さて、その辺りもお話しますが、まずアスター様はお風呂に入ってしまってください。私はお食事を受け取ってきます。驚きますよ、日本食ですから。」
風呂から出て、何故かあったアスターのサイズのユカタを着ると、シオンが微妙な顔でちゃぶ台でつぶやいていた。
「私にパジャマはわかるけど、アスター様にユカタと箸とラーメン。ヤマト国に馴染んでることを知っての事なら……。でも麺類をワゴンで廊下に放置。……やっぱり怒ってるかも??」
「……いただこう。」
ウドンは食べた事があるが、ラーメンは初めてだ。シオンが食べるのを見てから食べ始める。すするようだ。そして不思議と冷めても伸びてもいなかった。……神罰ではないのかもしれない。堪能した。




