三人の生活へ/壱
羅衣はたっぷりと眠った。
夫婦は礼もそこそこに眠り込んだ少年を気遣って、今朝は好きなだけ寝かせてくれた。
昨夜はたしか、夜7時には二階で眠っており、さすがに今は睡眠のとりすぎで頭が痛い。いい加減寝すぎだ、なんて運動不足を強調して業を煮やす体に、こうも惰眠を叱られてはかなわない。手櫛で髪を梳いて、戸を引いて廊下に出た。スリッパを履き忘れて戻った。
一階に降りると、しかし自分よりも朝が早い(教えられたとおり時計を読めば、まだ早朝である)、おはようの挨拶を交わしたシュルツ、ミラ夫妻には僅かばかり緊張の色が見える。
どうしたんだろう、首を捻りながら身嗜みを整え、昨日と同位置に三人で席に着く。
早めの朝食を終えて、二人は羅衣にこれからのことを尋ねながら一つの提案をした。
「きみさえよければ、この家で一緒に暮らそう」
羅衣は一も二もなく頷いた。記憶をなくし、夫婦の配慮なしでは言葉さえつうじない、この世界で生きてゆかねばならない少年にとって、必要な衣食住を、この家の居場所を分け与えてくれる二人の提案は、まさに渡りに船だった。
彼は彼なりに平静を装いながらも、これまでは不安ばかり。
素性の知れない自分にここまでしてくれるとは、と羅衣は感きわまり泣きそうになったが、気の弱い子どもだと見られたくなかった。指を抓って堪える。
(男が泣いちゃ駄目だ)
何度も何度も頭を下げて、感謝の念を表した。どうやら、キテオン族には辞儀の慣習はないらしい。であればさぞ意味不明な挙動であったろうに、男女は彼の心を汲んでくれた。
優しい夫婦はちいさく首を振ったあとに、二人見つめ合ってふんわり笑う。
——早く言葉を覚えて……ちゃんとお礼を、この気持ちを伝えよう。
窓から朝の光射す居間で、羅衣はゆっくりまばたきをして、そう思った。
朝食後。食卓を奇麗に拭いて、ミラは紙と鉛筆を取りだすと何やら文字を書き始めた。
羅衣に言葉を、共通語の文字を教えようというのだ。
留学経験のある彼女は、キテオン族でも特別な経歴をもつ。勉強を人に教えるのも好きで、この家に移り住むまえになるが、数年村の学び舎の講師をしていた経験もある。
自分も学生だったころ、成績が芳しくなく、妻に勉強を見てもらっていた。
シュルツたちの一人息子は、幼少期はしばらく母親にべったりだった。
鉛筆の持ちかたを褒められて嬉しがる少年が、息子だけでなく、自身の過去までも映す鏡に思えて、その鏡を覗き見ていれば、このまま眺めていたい、一方ではなぜだかせつなくて下を向いていたい、曰くいいがたい心情の堂々巡りが胸中で始まってしまう。
羅衣とミラが隣り合わせに座って、白い紙の上で鉛筆を動かし始めた。シュルツも二人の後ろでときどき口を挿みながら、妻とともに少年の言語学習に時間を使った。羅衣が熱心に手を動かしてくれるので、夫婦はこれに伴い、教えてあげたい話や内容が増えていって、あとになって思えば本荕の勉強から脱線してしまった話も多くあった。
休憩時、三人は緑茶を飲んでまったりした(意外にも、羅衣は茶の苦みに拒否感を示さずおいしそうに飲んでくれた)。彼女たちは庭で収穫と、その次には昼食の支度をするそうだ。
しばらくして、時計の時刻を確認したシュルツは席を立ち、ミラに声を掛ける。
表情を固くする妻を安心させたくて、上着を着た夫はさも気楽そうな躰で外出した。
冬には雪や氷の下級精霊が遊び回り、玄関のみならず、家の屋根には尖った氷柱がよくできてしまう。外で遊ぶのなら頭の上に警戒しなさいと、冬がやってくるたびに教えられたもの。
これを寒い時期の名物だと心得ている彼は、山での日課ついでに毎日丹念に家周辺を点検して、それらが大きくなるまえに落としているため、扉をあけるときにも躊躇はなかった。
児童を家に迎えるのだから、いりような物は多いだろう。事前に書いてきた覚え書きを読み返せば、村への雪道(約2km)を歩きだす。近所の住民たちと協力して雪掻きをすれば、やればなんとかなるものだ——長い距離でも毎年、このような通路を引くことができる。
さらさらと粉雪が舞っているが気にもならない。キテオン族は体質的にも寒冷には強いとはいえ、それをさしひいてもこの日の彼ならば、たとえ上着を脱いでもへっちゃらだったはず。
——あの子は、これから儂らの家で暮らす。
家族が増えるのだ。
しわが増えた、目尻のしわを濃くして笑む。美容に熱心なミラの夫であっても、彼女にあれがいい、これがいいと勧められても、齢を重ねるとああいうのは日々の努力が物をいうのだと思い知った。それはともかく、帰りもわくわくしているこの気分、このままでいたい。
民唄でも口ずさんでみようか——……、などと、普段は夢のなかでもでてこないような発想がうかぶぐらいには心を弾ませている。
果樹園で収穫する際、羅衣はあの実を食べてすごい顔するだろうな、と、変な期待をする。
中央村を囲う巨大な木柵が見えてくるころには雪はやみ、雲の合間から朱星がのぞいた。
郷愁心さえ湧いてくる村の入り口。南門には、現在はロランダンが組長を務める防衛部の男たち、二人の警吏が退屈そうに話をしながら立っていた。シュルツの姿を目にすれば、信じられないといった様子でうろたえる。すぐにあけます! 慌てながらわきにのいて、手を胸に置いた。己の若いときの記憶からか、自然とシュルツも心臓の位置をトンと叩いていた。
一人が詰め所の中に入って行く。扉の前で、彼の警吏隊の帽子が風にあおられ頭から落ちてしまったのに、振り返って拾い上げる時間すら惜しんで内部の開門レバーを操作してくれた。
——そんなにまで、急いでもらう必要はないのだが……。
あの行動を見るに、自分はまだ村の者たちから慕われているようでありがたく思う。そうでないのなら——……先達の機嫌を損なわないようにしているだけの、二つに一つだろう。
ここの門番を担当する若い二人とシュルツの間に面識はないが、彼らの両親からでも、南郊外で暮らしている老人の容姿と、過去の身の上を聞かされていたにちがいない。
木の幹を横に並べて隙間なく組み上げた、頑丈な村の門が、ギギィ……、と重い音をたてて左右に開く。魔法が付与された、頼もしい村の五つの守り手だ。
頭の横に手を斜めに当てて敬礼する二人の若者へ、ねぎらいを込めて腕を上げた。手の平を見せる彼は、意気に反してこわばる身体を、頭部を前方に倒すようにしてやっと門を通った。
(村の住民たちの顔を見るのも、いつ以来だろうか)
活気にあふれる喧騒。テテ村中央村南区は、食品を扱う店が多く出店している商業区域だ。
よってこの区域を利用しない住民のほうが珍しく、買い物に足を運ぶ人々の往来も激しい。
1月前の『あの事件』がおこってから、防衛部は警戒を強め人員も増員したのだろう。帯刀した見回り組が住人を、村全体を監視している。亜人捜索の依頼にも手を貸してくれた。
その男たちが、村人全般から好ましく思われていない現状には、すぐに察しがついた。嫌悪感を覚えるのはやむなし、ではなかろうに……、シュルツは凝り固まった隔意を残念に思う。
雪が革靴を掴んで離すまいとする、歩きにくい箇所をよけて、通行者の無数の靴跡でできた道、なるべく顔を見られないよう俯きがちに進む。大勢の買い物客や商人と行き違った。
そのまま北を目指す道すがら、南区名物の商店街へと足を踏み入れた。人ごみのなか、子どもたちが彼のズボンに腕をこするように追いぬいて行く。視界の両端、飲食店や雑貨屋で、キテオン族の女性店員が元気に客引きをしていた。
あれを、これを、人が懐かしめるのは幸せである。小遣い片手に友達と、彼女たちのもとに向かって行った日々。それがそのまま残っている。自分だってあんなに幼かったのだ。
この村はシュルツが生まれ育った土地。あの日おいてきたものがたくさん光る、宝箱のなかにいた。隅々まで知っている場所だというのに——久しく訪れていなかったからか、まだ心の整理が付いていないからか——上着のフードで狐耳ごと顔を隠して歩く男は、南門の前で尾を揺らしていたときから多少の心細さ、自身の足取りを重くする息苦しさを自覚している。
四人の子どもたちが小物屋のなか、青珊瑚の装飾品を握りしめ、何やら店の主人と値引き交渉の真っ最中。アガララス地方は内陸寄りであるため、紺海で採れる素材は全て交易品だ。
商品の値が張る以上、彼らもあの手この手で交渉しているのだろう。
——売り手には気の毒だが……。
小さな子どもが、一生懸命に自らの考えを伝えて、交渉する姿は頼もしくも感じるな。
彼らもまた大人になる。争いたえぬこの世界を、各々(おのおの)生きてゆかねばならない。
神地で暮らしていられる幸福を、今の若者たちならきちんと自覚できていると信じたい。
彼らの成果を祈りつつ、シュルツは大股で通り過ぎ、古い記憶を頼りにずんずん進む。
南区をぬける辺り、大鍋が目にとまった古い屋台で、腰の曲がった店主に村で近年流行しているという衣服の話を聞きながら(服の良し悪しはわからないので、彼の愚痴にただ相槌をうっていた)、卵と肉の入った麦粥を食べて昼食にした。腹八分目でちょうど良い量であった。
「さあて。まずは、今時の子が好きそうな服、靴下と……ゼトンだ」
(衣服は尾を出すための切れ込みや、穴があいていない物でなければ、な)
この村の人口は約4万1千人ほどだが、そのほとんどがキテオン族であり、ここで暮らしている異種族人は非常に稀有である。ひるがえって、キテオンもテテ村を離れて生活している者は少ない。ミラのように、留学する学生であってもおおきな話題になるほどだ。
山々に囲まれたこの土地は、土地神の恩恵に護られているキテオン族の領域だ。
危険とは無縁の田舎村。数10年前は種族の族長が、代々今の村長の勤めを兼任していた。
「何事も、かわりゆかねば、腐るのみ、か」
訪ねる店は決めている。村の役場すぐ近くにある、中心区の仕立て物屋だ。
過去、自分もよく来店していたその店は、尖った屋根に煙突の付いた煉瓦造りの建物。テテ村では一般的な様式の二階建て。その煙突からは、灰色の煙がもくもくとはきだされていた。
今回用があるのは、ここの頑固な店主である。
曇りの昼時。玄関前で体に薄く積もった雪を払うと、シュルツは呼び鈴を鳴らした。
しばらく待てば、膨らんだ古い毛皮のコートを着込んだ、年老いた老人が扉をあけて、欠伸をしながら出て来た。衣服に携わる職人でありながら、自身の服装にはてんで無頓着な男。
(年寄りに変化はこたえるのか、儂だけでなく、こやつも数年前とかわりない)
「あぁいよ。どちらさんだい? こちとら、今は昼寝の」
「久しぶりだ。トカル」
薄くなった頭をペシッと叩き、トカルと呼ばれた老人は目を見開いて声を張り上げる。
「なんと! シュルツじゃあないか! 村に来ておったとは、知らんかったぞ」
「そうだろう。ついさきほど到着したのだ。それよりお前は、あいかわらず昼食をとると眠くなるのか。小さな少年ならそれもかわいらしいものだが、いやはや……」
「いいじゃろうが。誰に、迷惑を掛けておるわけでもなし」
「客に、掛けておるだろう」
とりとめのない立ち話を交わしながら、彼の作業場兼自宅に入る。
ここに隣接するトカルの店は、おもに男性用の衣服販売店だ。向かいに建つ、女性物の支店と合わせたこれら二店舗を、彼と娘夫婦で共同経営していた。
——あの性格正反対夫婦も、元気にやっているのか。
……む、そうだ。あの日はこの椅子に座って——……。
シュルツはこの部屋で、今は亡き友人に、ミラとの結婚式に着る衣装を依頼したのだ。
「……かわってないな」
「このあと時間があるんなら、儂らの店にも来ておくれ。もっとかわっとらんぞ」
二人は旧知の仲だった。
一階は応接間と作業場に分かれており、仕立ての依頼はここで、トカルが相手と直々(じきじき)に話しをして受けるか断るかを決める。ほかの従業員に任せることはない。
それが彼の拘り、らしい。
上着を来客用の木の篭へ無造作に放って、シュルツはゆっくり肩を回す。そんな彼の様子を見ることなく、トカルは作業場の扉を閉めると、台所で用意した湯気立つ緑茶と砂糖菓子を机に置いた。布と裁縫道具の山をはじにやって、二人分の卓上の隙間を確保している。依頼を訊く机でなくとも、ごちゃごちゃしている室内が目に付けば、訪客の信頼低下に繋がるのでは。
トカルの手によって、机の上に無彩色の川が引かれた。シュルツに席へ座るように促す。
「わるいな」
「うん? わはは、かまわん、かまわん。どうせ、今日この時間に依頼はないさ。新年飾りの片付けさえ終わってないのを見たろう。子どもから老い耄れまで、未だ年明けにうかれとる」
「だが、……それは『悪いこと』ではなかろう」
「そう。悪いことではない。だがの、いつまでもこれでは困るぞ。最近はあんな事件もあってからに……。この村も、物騒になったのう」
友人は茶をぐびりと飲む。彼の耳にはまだ、家内の身におきた大事が届いていないらしい。
「シュルツ、知っとるか。先週シーダたちが、パプラの用具店まで織り機の買い替えに行ってな。——ああ、魔機のもんではないぞ。当然じゃ、知っておろう? 儂は自分の手で、技で織ってこそ——……、ええい、わかっておるわ。……二人はそこで、最近のユグダムにまつわるきなくさい話を聞いたらしい。村役場でも、リチャードがいよいよ警戒しとった」
「……むう……」
『ユグダム』とは、テテ村が所属している国家——パプラ連合王国の、政策や方針を決定する機関の名前だ。この国の連合とは、パプラ王家から自治を許可されている村や町の集合国家という意味合いで、国に所属している町村からそれぞれの代表者が一人ずつユグダムの会員に選出され、パプラ王族や貴族らと国家の様々な課題、ないし今後の国のありようを議論する。
現在、連合加盟町村は九つ。
「あの国とも長い付き合いじゃ。連合に加わってから……200年ぐらいになるかのう。この村も、あの国と戦争なんざできんかった。昔は今よりももっと軍拡を続けていたと聞いたぞ。儂らの爺さん、曽爺さんは国に税と食料を納めるようになり、その代わりに平和を手にいれた。そう思い込もうとしておった……」
——そうだ——……平和になった。
そして、これは偽りではない。ある一つの見方をすれば、正しいだろう。
キテオンは血を流さず、主神の幻につつまれる盆地で生きてこられた。誰だって戦争はしたくない。たとえ傲慢な軍事国家の傘下におかれようとも、同族の命には代えられなかったのだ。
当時の族長は、苦渋の決断を下したのだと思う。
「しかし、世を乱すのはいつだって戦じゃ。あの国の王族も貴族も、口では平和を謳いながら頭のなかは国土の拡大ばかり。平気な顔でユグダムの決定をも覆すようになって、くそう、けしからん! 今回の議院で」
『領土奪還の戦争案』を可決したのだ! トカルは語気を強め、湯呑みを爪で弾いた。
❂❂❂
菓子を摘まんだ指が、口もとまで運ぶ力さえも込められない。シュルツが顔を覆う。
「もう一度、戦が始まるというのか」
ふりしぼるように、悲痛げな声がはきだされた。
「当然相手はミステールじゃ。草原が血で染まるぞ。——すまんのう。おぬしにこんな話を聞かせるのは、酷だとわかっておるのじゃが……」
トカルは知っている。シュルツとミラ、夫妻の痛ましい過去や苦悩を。
それでもこの場で現状を理解させねばならない。自分にきつくいいきかせ、心を鬼にする。
手遅れになっては遅いのだから。現下の情勢をわからせるべく、冷徹な『鬼』にもなろう。
トカルはこの家で向かい合えるとは思いも掛けていなかった、友人の澄んだ瞳を見つめた。
作業場に篭り、機織りにうちこむ自分とは正反対だったのに、なぜだろう、うまがあった。
家柄は村の誰よりも立派だったというのに、幼いころから体を動かす仕事が好きだった男だ。
日に焼けた精悍な顔付き。子ども時代となんらかわりない、がっしりとした風貌。
——この男は昔からこうだったが……、さしものこやつも、あの結婚式の日にはのぼせあがってしまりのない顔をしていたのう。
しこたま酔っぱらい「俺がミラと結婚するんだぁ!」なんて、皆に嬉々(きき)として話して、突撃して来た男どもに殴られていた。
妬み嫉みをぶつけるやつらとの取っ組み合いになろうと、鼻血を出して無双しながら、腫れた頬をゆるませるだけゆるませて、嬉しそうに、にまにまと——……。
……、ああ、そうじゃった。
儂も殴った。
すぎし日の一幕が、トカルにふくんだ茶を吹きださせようとした。
❂❂❂
風が窓を叩いて、カタカタと鳴き声を上げる。薪が燃える音が聞こえなくなる。
「かまわぬよ。長い付き合いだろう。あと、最近はやっと心境の変化があってな。いつまでも塞ぎ込んではいられない、と、発揚するにいたったのだ」
机を挟んだ、シュルツの目の前に座る老人。よく村中を歩き回った、かつての悪友。
布に慣れ親しんだその指先は、老いて骨張った見た目からは想像できないほどに細かく動き、繊細に、かつ正確に商品を仕立て上げる。
トカルは、針山に生えた突起をいじくりながら「そうか……」と一言返した。
「——『少年』と、言ったな」
「む……!」
「だろう? お主は『あの日』以降、息子に関することや村の子どもらの話を一切しなくなった。あやつの死を思いおこす、かわいい子どもたちに出会わぬようにと、ここを離れた」
「…………」
「それだけなのかは、儂にはわからんがな」
そう言って、己を意味ありげに見遣るトカル。胸が痛い。何もいえないに決まっている。
「そんなお主が、今日はおよそ30年ぶりに村を訪ねて来たのじゃ。——『心境の変化』か。儂は知ってのとおり、仕立て屋といっても気に入った仕事しか請け負わんぞ。それに、普段は仕事も遅い。日用の衣類なら、わざわざ心軋ませて中央村まで来ずとも、近所にある出張市場の生産品を買えばよいではないか」
「……そう、だな」
「傷は、…………多少は癒えたか」
(敵わないなぁ)
シュルツは目を閉じた。天井に魔機の明かり。これだけの光源では心が寒々として、燭台がない机にだってついつい火を求めてしまう彼が、他者の心遣いにこんなにも胸が熱くなる。
この頑固者ながら情に厚い職人は、普段は昼寝好きなぐうたら屋だというのに、人の機微には妙に聡い。だからこそ、妻の死はとてつもなく哀しかっただろうに、おくびにもださない。
(もう少なくなくなった、儂の友人だ)
トカルは菓子を口に放り込めば、少年時代を彷彿とさせる笑顔を見せてくれた。
「さて、どんな子じゃ。おぬしらをかえてくれた子は」
「……ああ。聞いてくれ。あの子の名前は——……」
この日は旧友と、自分でも驚いたが計2時間もの間、話に花を咲かせた。長話は女性だけの特技だと思っていたが、どうやらこの認識は改めなければならないらしい。
——今日、村に来て正解だった。
しかし、あの子のためだと己に活をいれなければ、儂は……。
もう二度とここには来られなかった。ミラに先立たれていれば、迷いなく自刃していた。
眉間を指で押す。夜に撫でられて辛気くさくなっている。すっかり日も暮れている。
念のためにと持参した、杖型の狐火提灯に紫炎を点けて前方を照らす。キテオン族ならば誰でも利用できる代物とはいえ、狐火を扱えない彼ら以外の種族には、先端に木の枝が丸まった球体——木丸が付いた、ただの折り畳み式の棒だ。とくに有効な使いみちはなかろう。
傘は持って来なかった。あれから雪は降っていない。
何気なしに、光の精霊はあのような姿なのだろうかと、遠目に見える家々の灯りに考える。彼はおもむろに開く南門の前で、この村の発展と、過ぎ去った年月を沈思した。
(二人を心配させてしまうな)
マフラーで鼻下まで覆い、帰り道を急ぐシュルツの鞄のなかには、妻への土産と。
十五枚近くある紙の注文票が揺れていた。




