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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
序章:日出づる処
5/28

居場所/壱

 ——なんだろう、パチ、パチ、って、音が聞こえる。

 暖かい。


 羅衣は、ゆっくりと(まぶた)を開いた。

 幾何(きか)学的(がくてき)な模様が動いている、とまで見える木造の天井と、距離をあけての対面をはたす。


 ——ここは……どこかの屋内(おくない)なのかな。


 上体を起こし、居間らしき室内に視線をめぐらせる。

 歩いて五歩ぐらい離れた場所には年季の入った暖炉があり、ちいさく音をたてて薪が燃えていた。いやしかし、火や木炭(もくたん)の近くにいることで、人はこんなにも安心感をいだこうとは。

 雪山に行かないとわからなかったのなら、人間、人生で一度くらいは遭難するのもいい。

 当然見覚えのない所だ。少年は清潔で柔らかい寝具に寝かされていたらしい。それは部屋のかどに備え付けてある台に、布団(に、似た物)が乗っている家具のようで、あちこち触ってみながら、こんなのがあるのか、と目を丸くした。

 記憶は穴だらけであろうとも、自分は、(たたみ)に布団を()いて眠っていたと思うのだが……。

 ふわふわの白い(しき)()と枕に体重を預けて、長らくのんきに眠っていた、そんな体感だった。

 少年は黒い長着ではなく、(すそ)も袖も余る、青い上下の衣服に()()えさせてもらったようだ。

 天井の高い、広い部屋。 

 木を組み合わせた四角い机がある(羅衣の身長で(はか)るなら二人分)。(しょく)(たく)に使われているのか、食器、筆、(しょく)(だい)に立てられた蠟燭(ろうそく)から()()りの動物まで、様々な物品が置いてある。

 複雑な形状の(さん)(きゃく)椅子(いす)が、三脚。それらの脚と床辺りを、薄紫色の(こう)(みょう)が照らしていた。上の白い明かりはともかく、(ほの)かな紫の光は羅衣にしてみれば馴染(なじ)みのない光色だったのに、不思議(ふしぎ)と違和感は(しょう)じない。

 その光源は壁や机に取り付けられている、球根でもない物体の(うち)。細く曲がっている木の棒が、(いく)()にも折り重なり球体をなしていて、中央には(はかな)げな紫の炎がゆらゆら踊っていた。


 ——すごい……、おおきくなって、ちいさくなって、また——……、生きてるみたいだ。

 なんというか、すごい。


 どういった原理なのかさえ理解できずとも、()(あたら)しい()(そう)に羅衣の心も踊りだしている。

 きょろきょろ部屋を見回していると、カチャリ、どこかの鍵があいたらしい音が耳に入る。

 まをおいて、話し声と足音が聞こえてきた。

 この家の住人が帰って来たのだろう。ここで不安がないといえば嘘になるけれども、体にはこのように異常ないのだから、(最悪の事態までは考慮せず)楽観(らっかん)していればよい。

 そうはいっても、どきどきと鼓動する心臓のうるさいこと。顎を引いて、部屋奥を見つめる男子は、横に開いた戸からひょっこりのぞいた(きつね)(いろ)——縦長の耳と髪に目をしばたかせた。


「まあ! よかった。目を覚ましたのね。体はもう平気ですか? 痛いところはない?」


 花が咲いたかの如き満面の笑みをうかべた女性は、どうやら羅衣の体調を()(づか)ってくれているらしかった。50代前半かもっと若いかもしれない——笑顔がとてもとても似合う彼女の美は、老いを物ともしていない。

 (あさ)の生地らしき、長い茶色の衣服。自分の(しん)()にも付いている服の(ぼたん)が前をとめていた。

 話がしたい。あえなきことと心していても、如何(いかん)せん会話が不自由だといじけたくもなる。


 ——そうだった。

 この人は、あのときの……。


 今更ながらに彼は、これまでの出来事をつくづく脳裏に(よみがえ)らせた。

 雪山で一人、途方に()れていたこと。

 目の前の女性を襲っていた『毛玉』に、死んでしまえと殴り掛かったこと。

 その毛玉を反撃さえ許さず成敗(せいばい)したこと。


 ——その後なんやかんやあって、勝者は空を飛んで、大きな樹に激突して——……。


「……よかったです。あなたが無事で」


 羅衣もまた、ほほえんで言った。

 きっと彼女にも、己の言葉はわからないと思う。それでもこの感情は伝わったはずだ。

 果たして彼女は、両目を()(れい)に潤ませ膝を付くと、羅衣の手を握りしめてから、(うなず)く。


「…………」


 羅衣はこちらを見上げる女性に()きたいこと、知りたいことが次から次へと()いてくるも、


 ——……ええっと。


 いっとき、無言にならざるをえない。

 伝達手段をどうしようか頭を悩ませていたら、もう一人、老人がこちらに歩いて来た。


「おお! 気が付いたようだな。なによりだ」

「ええ、見て。顔の腫れもだいぶ良くなったみたいですよ」

「うむ。うむ」


 安心したように破顔(はがん)するこの男性も、年配者でありながら肩幅(かたはば)は広い。短く()()げた髪にがっしりとした体格。おそらく日頃から、力作業に身をおいているのだろう。

 女性とお揃いの獣耳と長い尾。(おだ)やかながら真剣な(まな)()しで覗き込まれる。

 二人の頟には、共通の模様があるのだと気付いた。紫色のそれは、みようによっては手が届きそうな例の光源(紫の火)を表している——(しょう)(けい)と見受けられるが、そうであっても、


(この状況で、おでこばかりじっと見つめるのはどうだろう)


 少年は思い直し、老人の傷痕はしるそれから、下の()(れい)(ほん)(むらさき)(いろ)の両眼に目線を下げる。

 正面の男性も、己の怪我(けが)を気にしてくれているにちがいないが——……。

 なんとも。いっては悪いがおちつかない。 

 少々()(ごこ)()悪そうに体を揺する、羅衣の複雑そうな表情を見ると男性は笑った。


「はは……。いや、すまない。——さて、お腹はすいていないか? 儂らは今から……夕飯にしようと思っていたのだ」


 そう言って、左手に持っている木の(かご)を左右に動かす。羅衣の目玉も釣られて左、右。

 そのなかにあるのは、いい(にお)いの大小様々な。


「パン……?」 

「! ああ、そうだ。——そうか……! トート語、……いや、この場ではまだいいだろう。つうじる言葉もあるようだな。これは重畳(ちょうじょう)。きみも疑問はたくさんあるだろうが、ひとまず食事だ」


 立てるか? 男性は羅衣にも意味が伝わる言葉でそう(たず)ねて、手を差し出した。半ば無意識

 にその大きな右手を握ると、ごつごつとした胼胝(たこ)に意識がいく。


(どうやら、命を拾ったみたいだ)


 羅衣はようやく緊張をゆるめた。なにせ、遭難していたときから気を張り続けていたのだ。

 これまではいずこに隠れていたのか、どっと疲れが総身におしよせる。

 つい今しがたまで眠っていたというのに、もう一度横になれば、またすぐに眠りに()ける、なんて妙な自信があった。

 裸足(はだし)の足には、用意されていた(かかと)のない(うわ)()きを履かせてもらって(スリッパとよぶらしい)、(もう)()を上げるとおもむろに寝具から()りる。

 軽度の()(くら)みによろめき、二人に肩を支えられた。花のような香りに、彼の首が傾く。 

 ぐうっと伸びをすると、背中や腰がコキコキと鳴った。

 それと同時に空腹も自覚する。何日寝込んでいたのかは定かではないが、()(おく)喪失(そうしつ)とは(やっ)(かい)なもので、以前は何を食べていたのか、こんなことすらも忘れてしまうのである。

 ご()(そう)してもらえるなら、これほどありがたいことはない。

 しかし、まずはそのまえに。


「——あの……、お手洗いを貸してく、——もらえ、ないでしょうか?」






 生物は、切羽(せっぱ)()まると思わぬ力を発揮する。

 羅衣の困り顔と身振り手振りで、二人は男子の要求をおおよそ理解できたらしい。


(会話できなくても、思いは伝えられるんだ)


 危機をのりこえた少年は、満足げに首を縦に動かす。

 実際には、自分の情報伝達能力が、というよりも、夫婦はこの表情で(さと)ったようなものとはいえ、相手に伝えようと試みなければ意思の()(つう)(はか)れなかったのだから、これで問題なし。

 場所を訊き、洗面所まで行こうとするも、(そう)()がよくゆきとどいた(いた)(どこ)()げたスリッパを置き去りにしてしまった。二度。基本、足指に少し力をいれていないとすぐ離れていくのだ。

 少年が着ているぶかぶかの青い服は、上はともかく下の——両脚を通して穿()く——ズボンが問題だった。尾の大きさで調節させる意図(いと)からか、着用者が後ろの一部位を細い(ひも)で固定する特別な衣服らしく、脱ぐにも穿くにも苦労した。水を流そうとうろついた、ここ、羅衣ならば両腕を伸ばせる手洗い場の便座は小さな()(かぶ)に見え、()(てい)(こつ)より上部に薄い板、(とつ)の曲線(木の(はり)にしては場所がおかしい)が、()(もた)れでもなかろうに——背骨に当たりそうだった。


 ——あれって、尻尾を、こう——……。

 やめよ、なんか失礼だし。


 少年が、(もっか居場所は不明な)着物の下に穿いていた、ズボンだか下着だかわからない七分丈の真っ黒衣服には、こんな紐はとおっていなかっただろう。

 帯よろしく(どう)で固定させるべく、夫婦はベルトという道具を貸してくれた。使いかたはこれで良いはずだ。上から巻いただけの不格好さは(ぬぐ)えまいが、文句などあるわけがない。

 下着は以前から履いていた物らしい、短い黒のゼトンだ。と、男性から名前は聞いていた。

 (じゃ)(ぐち)を捻って(これもなんとかという樹木が用材(ようざい)か)水を出すと、(だいだい)(いろ)(せっ)(けん)でしっかり両手を洗う。汚れがどこにもないと、しぶきが僅かでも洗面器外へ()ねないよう慎重になる。

 紫の火が室内に灯っているのは、目にとめていながらも()(ぜん)現実感がない。冷たい水で顔も洗って(うがい)をすれば、ようやっと目が覚めた、そう感じられて気分がすっきりした。 

 手拭いをもとの場所に掛け直した、これをはたして手拭いとよぶのか確信がもてない羅衣。背伸びの必要な位置にある、壁に()()まれた丸い形の鏡で何げなく自身の容姿を眺める。

 あの激闘を越えて……想像よりも痕は目立たず、腫れもほとんど引いて、折れたと予感していた白い歯も全部歯茎に引っ付いており、あとは歯並びも、昔を忘れたが良いままだった。

 案じていた(がく)(こつ)のずれも、念入りに見て触って点検済み。別状はないと自身に納得させる。

 己の顔など別段興味もありはしない。が、彼が着眼したのは、鏡を直視する二つの眼球だ。


 朱い。 


 だからどうというわけでもなく、ただ漠然(ばくぜん)と思う。


 ——()()()()()()()()


 なぜだろうか、たったこれだけの事実に(うれ)しくなったのである。






 羅衣が居間に顔を出すときには、老夫婦がすでに食事の準備を始めていた。てきぱきと動く彼らなら、料理にとどまらず家事(かじ)全般(ぜんぱん)における役割(やくわり)分担(ぶんたん)もできていよう。(げん)に、とても()(ぎわ)が良い。

 その背中を見ているだけでも、二人の(なか)(むつ)まじさがこの家に優しい印象を与えていると窺い知れた。もうなん10年もずっと……、夫妻はあのように並んで、同じ時を重ねてきたのだ。


(お二人は鴛鴦(おしどり)(ふう)()なんだな)


 ちょっとでもお手伝いできないか、ぼさぼさ頭は考えて、後ろをうろうろ、手をぶらぶら。

 そんな子どもに二人は優しく()(しょう)して、座って待っていなさいと椅子を指差すだけだ。

 恐縮するが、今の羅衣にできることはほとんどない。紫の光源へ顔を近付けてみても熱さを感じない発見に驚いたのち、三脚の椅子に座って勝手に主張する腹部を押さえる。

 しばらく待つと()(たく)が終わったらしい。とにかく彼の食欲を()(げき)する、パンの(こう)ばしい匂いに()(こう)(くすぐ)られた。選んでいいのなら、あの大きいパンを食べたい、厚かましく期待する。

 赤い(なべ)(つか)み(女性用に見える)というのをした男性が、石で作られていた容器を食卓中央の五角形——鍋敷きにどんと置いて。

 こちらを一瞥(いちべつ)してから悪戯(いたずら)っぽく笑うと、勿体(もったい)()るようにして(ふた)をあけてくれる。

 少年が身をのりだして覗けば、ぶわり白い湯気をたてる、とろとろに煮込(にこ)まれた料理が目にとびこんできた。美味(びみ)ぞ、食べてみろ! なんて、料理自ら彼に勧奨(かんしょう)している凬であった。


 ——おいしそう……。


 羅衣は我知らず、唾液をコクンと飲み込んでいた。


「これは、グーロアといってな。儂ら種族の伝統料理なのだよ。肉や野菜を、牛獣シュププの(ちち)やバター、()(むぎ)()などをいれて煮込むのだ。香辛(こうしん)(りょう)の味付けは薄いかもしれんが……、寒い冬にはまっこと(うま)い。ぜひとも、きみに食べてもらいたい」


 グーロア。グーロア。羅衣はそう、覚えるように料理名を唱える。

 女性はよく焼けているパンを皿に切り分けながら、羅衣にいきいきと話しだした。


「あなたが唯一作れる料理ですものね。うふふふ。ねえ、聞いてくださいな。この人ったら、今朝から君のために張りきって作り始めたのはいいけれど、慣れない料理に苦戦して、途中で材料が足りていないのをやっと察したみたいだったの。そうしたらね、この人『しまったー』なんて頭を抱えて、急いで近くの」

「ミラ。そこから先は()(そく)だぞ……」


 蝋燭の火だって元気にさせるような——彼女のあかるい笑い声が食卓に弾ける。

 二人は話す言語をかえてくれたらしく、羅衣にもなんとなくだが話の内容を理解できた。温かい夫婦の(だん)(らん)は心を(なご)ませてくれる。()いてそうしようとせずとも口角(こうかく)が上がる。


「さあ、食べよう。きみも腹がすいたろう」

「あら。ごまかした」


 数分で、卓上には透明(とうめい)な水差しと、人数分の(しょう)()(うつわ)(訊けばグラスという)が()った。

 それだけではなく、容器につぎわけたグーロアに、焼きめが付いたたまらない匂いのする

 パン、緑、赤、黄色の野菜の盛り合わせ。 

 これには少年も笑顔になって「わぁっ」と感嘆する。

 二人も席に着いた。両手を同じように肩に、頟に。彼らのこの挙動(きょどう)ときたら、向かい合って注目したのに(いっ)()(みだ)れぬものであった。前腕(ぜんわん)を顔の縦と平行に上げて、男女は目を閉じた。


「「我らが神。キテオン乃神。煌炎(こうえん)従えし幻炎(げんえん)(しん)よ。本日も(めつ)(やく)なく、(すこ)やかにあります我らを見守り続けてくださること。そして安らかなる日々の、恵みに、心より感謝いたします」」


(お祈り、みたいだ)


 彼らにとっては食前の挨拶(あいさつ)らしい。それなら、と羅衣も姿()(せい)を正し、彼らの真似(まね)をしてそれぞれに触れると、袖をまくって出した両手を合わせて。


「いただきます」


 と、言った。


 ❂❂❂


 食事中は静かだった。

 静かといっても、三人の飲食の場には、顔合わせ当初のどこか気まずかった沈黙はない。

 羅衣はとうに会話をしなくなった。もっさもっさとパンを口に運んで、グーロアを味わい、喉に流し込む。動作が固定されて、ここまでくると坦々とした作業でもこなしているようだ。

 最初こそ、子ども用でない、少々使いにくい大きさだった木製のスプーンですくって食べていたのが、今では『(ぎょう)()なんて知らないです僕』とばかりに、皿に口を付けて(すす)っている。


(よほど、すき腹だったらしい)


 シュルツとミラは、少年のそんな食べっぷりがほほえましく、食欲には目尻を下げていた。


 ——無理もないよなぁ。

 この子は、およそ2日間も寝込んでいたのだ。


 シュルツはその(せつ)を思い返していた。


 あのあと。

 自宅までシュルツが(いき)()ききって、彼を背に乗せて帰って来た。だのに、30分は経過していたその(かん)、少年の体温は急激に低下しており、玄関(げんかん)にて服を脱がそうとも目を覚まさない。

 最悪、凍傷や、なんらかの病気に(かか)ってしまったのでは、こんな心配しかしていなかった。

 天に祈りがつうじたのか、現実には老人の()(ゆう)だったといっていい。

 雪で()れた黒い衣服を着替えさせて、ベッドに寝かせたころには彼の体は発熱し、多量の汗をかくことができていた。暖炉のそばで毛布を何枚も掛けた、理由はそれだけにとどまらず、近くに置いていた——あの()(たい)の知れない黒い荷が、内からじんわりと熱や光を発して部屋の室温を上げるとともに、所有者の体温も上昇させたのだ。翌日(よくじつ)には傷が(なお)っていた(家に着くと箱はこの状態になって、両手に持ったシュルツは暑いやら寒いやらで混乱しそうだった)。

 (きつね)()(しょう)(めい)とは異なり、(しょう)(おん)(れい)にて灯す光明ではない。薪を燃やす火の熱とも()(いろ)が違う。

 1日經つと顔の腫れが引いていたゆえ、いつかしら漆黒に戻っていた箱は、洗濯(せんたく)した彼の衣服と合わせて二階のあき部屋に保管している。それ以降、熱も白光も放つことはなかった。   


(まず、あれが『(じん)()』なのは明白だろうな)


 少年の首元の汗を()きながら、自身も汗ばむシュルツは看病时、そう推測していた。

 神器。種神が生みだした『種族』に祝福を与えるように、神々が物体に加護を授けたことでその恩恵に(あずか)った(ほう)()(しん)(がく)(しゃ)らのあいだでは、それらは持ち主を選定すると囁かれる。

 裏付けになるかは別にして、シュルツが黒い荷の肩掛けを外す目的で触った折、ぴりぴりと静電気が流れたかの如く刺激がはしった。あたかも少年以外の手を(こば)んでいるようだった。


 ——まさか、実在するとは……。


 看病を始めたころは気が気でなく、これ以上悪化する(さい)には(くす)()を——バニラをよぼうかと悩むも、傷の回復目を見張るほど早く、これなら、あとは民間の薬で(じゅう)(ぶん)、こう判断した。


 ——この子はきっと、儂ら種族とは根本的に、体質から何から(こと)にしている。 


 食事にむちゅうな少年の、前髪の下に目を向けても。 

 肌色だけ。

 この世界に生きる『人』は、例外なく種神の奇蹟によって誕生した祖先の血を引いている。男神、女神問わず、主神には生命を生みだす(たっと)()(わざ)、『(めい)権能(けんのう)』が()るという。

 民族間の(そう)()なく、(みな)(産まれたそのときから)頟に各々(おのおの)の主神の紋様、『(しん)(もん)』を宿(やど)す。加護を与えられた確かな証明だと周知されているそれは、老夫婦の頟にも、本紫の(うず)()く狐火——主神テテライヤの神紋として存在する。


(この子のでこには見つからない) 


 万一、種族が神紋なくして生まれ落ちれば、(しゅっ)(せい)哀切(あいせつ)な大事件として書に(しる)されよう。このほど資料をあらいなおしていた男は、(じゅう)(ぜん)にも、キテオンにそのような(あか)()が誕生したという(でん)(しょう)、記録ともに知らなかった。もしこれが迷心深いあの民族ならば、天が見捨てた『()()』と決め付けるばかりか、恐らくすぐにでも手にかけてしまうだろう。

 されどシュルツには、そんな凶行なんて頭の片隅にもうかばないこと、いうも(さら)なり。


 ——この子は神器に選ばれた少年であり、理性の(ひょう)(ちょう)(せっ)(けつ)めぐるともがらであり……。


 夫婦『二人』の命を救ってくれた相手。返しきれない恩義を受けたのだ。


 ——しかし、思いもよらなかった。 

 まさかこのような日が。


(けれども、ほぼ確実に)


 ぱんぱんに膨らんだ少年の両頬。喉に詰まらせたのか、苦しそうに机をぺしぺし叩いている。クロワッサンを二口で食べきろうとして、それでいて目算(もくさん)は外れていて、ああなった。

 あらあら、たいへん! ミラが水の入ったグラスを持って、机を()(かい)しつつ駆け寄った。


 ——この子は、『人間』だ。

 神紋のない前額(ぜんがく)に垂れ流しの魔力、『定人(ていじん)』の耳の形、容姿……、伝わっているとおり。

 過去、伝説に生きた男もそうであった。(てん)()——()()(ぼし)ではない、別の星で誕生した生命。

 善行か(あく)(ぎょう)か、はたまたどちらもか、いずれのみちを歩もうと、時代の転換期に現れて。

 世界に変革をもたらす。





(らい)(ほう)(しゃ)』との、邂逅(かいこう)の夜であった。





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