村のお調子者のベリオール/肆
中心区の歩道は石畳で舗装されていた。
住宅も高級そうな一軒家や集合住宅が軒を連ねており、この区にはお金持ちが住んでいるんだ
な、と予想できる。シエラは北区に住んでいたのだから、家はあの神樹の辺りなのか。
花壇に植えられたシクラ・メンカの花が風にそよいで、香りが飛んできた。夫婦が好きな花だ。特殊な花に分類される紫色の五角形。庭の植木にも咲いている。
前方の公園で、ボール遊びをしている小さな子ども達が遊んでいた。何もない一面の芝生でも、彼らならあれだけの運動に利用できるのだ。蹴鞠のようだ。自分もやりたい。
小型の湖には橋が掛けられていた。5人の老人が、その橋の上から水面に見える『色鯉』を眺めて世間話に忙しそうだ。
こうしてみると……70歳を超えていると話していた、シュルツもミラも本当に若々しい。
時間が余ったのなら、ここいらを見て回るのもよいだろう。しかし、できればその前に昼食を取りたかった。空腹だと苛々してしまうもの。腹が満たされれば、人は細かいことなど忘れてしまうものだ。
シエラにも意見を求めたいところだが、依然として彼女は店で恥を掻かせてしまった一件を引き摺っているらしく、今も口を閉ざしている。二人の間には沈黙が居座っていた。
どうも羅衣の前では(年上だからか)お姉さん風を吹かせていたい様子のシエラには、自分とデートしている、なんて女性たちに囃された事が不服だったのではないか。
会話の糸口が掴めず、声を掛けられない。女性の幻術は凄まじい、と常日頃教えられれば、こんな凬に及び腰にもなろう。
仕方なく、羅衣はシエラの二つの紙袋を両手に持って歩道を直進するのみ。少女はその後ろから付いて歩くだけの構図だった。
——どこか行こうにも道もわかんないし……シエラは不穏な気配だし……。
後ろを歩くシエラの圧を感じ取った羅衣は、振り返って精一杯の愛想笑い。
すると、やっとシエラが口を開いてくれた。
「…………次はどこに行きましょうか。赤色好きのライ・セトーチ君?」
「瀬斗内です。こ、今夜俺のパン一個あげるから、それで許してください」
「あたしはそんな安い女じゃないわよ」
少年は愕然とした。
「2個も、持っていくの? そ、そんなに食べたら横に大きくなっちゃうよ」
「食べ物から、離れなさい」
シエラの紫眼が怪しく光った。
❂❂❂
尊敬する夫妻を見習って一時休戦とした少女は、次の目的地を彼と話し合う。
図書館にも行ってみたい。とはいえ、予想以上に少女の荷物が多くなって、なかなかの重量のため(シーダは、無料だよ、というようにウインクをして、購入したかった生理用品まで入れてくれた)、このままムイラランに寄って今日は帰ろう、という結論に達した。
これらの紙袋には、仕立て屋バンスターの社紋、シュカンの花びらのマークがある。
商店街の前から出店は並んでおり、串焼き屋の食欲そそるたれの匂い。羅衣の意識を捕らえた。
中心区の住宅街を抜けて足元がべたべたの地面に、足裏がくっ付いたかのように動かなくなった少年。そんな彼はここに置いて自分だけでパンを買って来ようかと逡巡するが、自分には店の場所が曖昧な上に、あとから文句でもいってきそうだと考え直す。
——そんなに食べたいのかしら。
……まあ、あたしの買い物に付き合わせちゃったし……お腹すいたのかも。
そんなに高い物でもないから、一、二本なら。
ミラに貰った小遣いはシエラが持っていた。通貨の扱いは、羅衣にはまだ不安を感じるそうだ。
「シエラ、どうしよう。足が……、足がこれっ。まったく動かないよ」
「もう。買ってあげるから、その下手な子芝居を止めなさい。また恥ずかしくなるじゃないの」
動かない筈のその足で、飛び跳ねて喜んだ少年。茶色の泥がベチャっと跳ねて、汚れた革靴に悲しい顔をする(彼の靴は、近所の家の物置にあった子ども用を何足かもらったそうだ)。
シエラは肩に掛けたショルダーポーチから、ミラに作って貰った長財布を取り出した。
二人の言葉の意味はわからずとも、道歩く人々や串焼き屋の店主はほほえましそうにしており、5歳児ぐらいの少女が羅衣を指差して母親とくすくす笑い合っている。
(ほら、さっそく笑われているわよ)
気遣いができる子だとミラに褒められていた少年だが、このときばかりは周りを気にしていない。
羅衣に団扇で香ばしい匂いを届ける店主に、羅衣は互いの額にある鉢巻を指して「こんにちは! お揃い!」と、キテオン語で元気に話し掛けた(少年は最近、女の子と間違われないためか、意識して低い声で話す)。
日に焼けた顔の目皺を深くした男性。話題の坊主か。異種族人だってぇのに大したもんだ! 楽しそうにそう返した。
「凄い?」
「おう。勉強してんだな」
「すこし!」
「ぶはっは! よぉし、ならご褒美だ。二本おまけしてやる。彼女と食べてくんな」
呆気にとられた表情で差し出されるまま受け取った羅衣は、シエラの通訳で彼の厚意を知るといたく感激し、たくさんの感謝の言葉を再びシエラに訳してもらった。
商店街の石柱アーチを目印に、歩いて南下する。
食べ歩きはシエラも初だ。ましてや男の子と二人並んでとは、1月前の自分なら考えもしなかった。頑なに泥道を避ける少女。洗えば落ちる、と闊歩する少年とは正反対である。
「美味しいね。この串は一番でっかいのだし、これが200円だってさ。太っ腹だよ」
無料で奢って貰えたし、やっぱり語学は大切だ~。上機嫌の羅衣は、頬にたれを付けて高笑いしている。
「人誑しなのね、ライは。キテオン語も、それなりにわかってきたんじゃない?」
「んん、まだまだ勉強は足りないよ。間違えたり、変なこといったりしたら恥ずかしいし」
(今だって結構、恥ずかしい挙動してたけどね)
鶏肉が残り二つになった串をじーと眺め、彼は何を思ったか——……それをシエラに、食べて、と渡した。
「——……」
少女は困惑して、訝しげに理由を問う。
「どうしたの? あたしのはここにあるから、自分で食べなさいな」
「これ、あげるから。下着のことを許してくれぃ」
実のところ、仕立て屋の件はとうに彼女本人も忘れていたが……。
いつまでも羅衣に『食べ物で機嫌を直す女』だと認識されている事実に、ぷっちんする。
羅衣から串をぱしっと奪い取って、はむっ、と二つ一遍に食べた。
「おお……男らしい」
悪気はないのだとわかってはいた。しかしなんだろうか、この台詞も癪に障った。
飲み込んだシエラは悪い顔をして、期待顔の羅衣に宣言する。
「許さないけどね」
「なんでだよう!? 食べたのにー!」
返された串を頭上より高く振りながら、羅衣はぶーぶー抗議の声を上げる。
往来で騒ぐ二人。商店街の入り口近く。
村の住民達、通り過ぎる大人たちはシエラの身の上を知っていただろう。クエンカ協会の取締役、キース・クエンカの娘——シューヴィル家の預かり人となった少女だと。
彼女には。それこそ、あの豪邸に捕らわれていたころからの心配事があった。
魔法機の利益をほぼ独占する、嫌われ者の村役員の娘。自分はそのように認識されていて、人々から内心嫌われていたのではないか。
それでも、現在は——それが事実であろうとあるまいと——羅衣のそばにいるだけで、注目が二等分される。彼らの嫌悪の視線ではなく、好奇の視線が、だ。
頭から追い出そうとしても、縁を切った父がここからそう遠くない家に住んでいる事実は、否応なしにシエラの気分を沈ませてしまう。これを自ら鼓舞しようなど、土台無理な試みであろう。
少女の灰色の心中も、彼との掛け合いで労せずして浮かれ出す。
共同生活を送るようになった。毎日顔を合わせて、食事をして、勉強して、会話をする。
シューヴィル夫婦に対するそれと同じように、シエラには何も尋ねない。踏み込まない。
嫌がらせも、汚い言葉も発しない。口下手な彼との口喧嘩では全勝中だ。
——きみと一緒にいると、気が休まるわ。
でも、あたしが悩みを相談したら——隣に座ったら、必ず一緒に悩んでくれるんでしょう?
最初、あたしたちが出会った、あの夕暮れどきみたいに。
羅衣にとって、頼り甲斐のあるお姉さんでいたい、いつもそれを望んでいるが、それよりも、
(一度甘えてみたい)
ぽかぽか温かく、しかし胸の奥がきゅっと痛むような、ぴかぴかの、新品の想いが。
シエラの胸中で新たに生まれた。
——これって……そうなの、かしら。
あたしもお母さんと同じなの? 種族の違う、小さなこの子を——……。
「——っ……。ほ、ほら、ムイラランに行くわよ。あたしは道わかんないから、君が連れて行ってくれないと」
「……俺の、胸肉が~」
「……えっち。二つ、やっぱり君はえっち! えっち!」
「どういうわけ!?」
シエラは、しどろもどろになって混乱している少年の手を握ると、頬に桃色を広げながらぐいぐい引っ張って、商店街に向かって歩いて行く。
羅衣の左腕にハンドバックよろしく掛けていた、シエラの二つの紙袋が擦れてガサリと音がした。中身は絶対に見ないでね! なんて厳命せずとも彼は、自分が嫌がる行いはしない。
信頼している。
「いてて……、腕にくいこむ」
「道は覚えてるんでしょ?」
「任せとけぃ! ——……商店街に入れば、なんとなく思い出すよ」
「それは、覚えてないって、い、う、の!」
わやわや言い合いながら進む、二人の表情はゆるんでいた。誰が見ても楽しそうだった。
手を繋いでいる彼らを、憎々しげに睨み付ける少年。
シエラがその者を確認した時には……すでに商店街の入り口を担当する巨大アーチの影から、前方で二人を取り囲んだ男女を従えながら姿を現していた。
誰も彼も変梃りんな容姿で、みっともない。
「シエラ! 何してるんだ、こんな奴と」
「……! ベリオール」
シエラは『毒蛾』の大群でも見てしまったかのような表情で、握っている羅衣の手を再び固く握り締める。その後、ぴたりと彼の後ろに隠れた。首後ろの髪紐は、紫色で自分とお揃いだ。
それを呆然と見たベリオール。赤と黄色の縞模様に染めた自身の髪を掻き毟り、吠えるように声を荒げて言う。
「なんで、そんな異種族の手を握っている! そいつは、男だろう!? きみは今までっ、どんな男にも媚びず、触れず、汚れていなかったのにぃ!」
歯軋りの音が、それなりに離れた位置にいるシエラにまで聞こえてきそうだ。
髪型だけでなく、彼らは服装まで奇怪で(『決まっている』と、彼らは漏れなく誤認しているに違いないが)、シエラには見苦しいとしか思えない。
「僕の想いは袖にしたくせに! 女男に尻尾をふるのか! くそ、うううううぅ」
その剣幕はシエラと羅衣の周りを陣取る、ベリオールの取り巻きたちまでもたじろかせた。
男女問わず、シエラ、ベリオールと同年代の彼らも『髪染め』をしており、狐耳に開けた穴には指ほどの太さの『ピリンデ』ピアスを通している。
通行人達は地団駄を踏む14歳の少年を視界にいれないように、関わらないように避けて行く。シエラはその行動に幻滅するが、彼らにも——……そうせざるを得ない理由がある。
これには理解の余地があった。
村に滞在している劇団が配っているらしい、風船の持ち手を握っている小さな子どもが彼らの挙動の意味を父親に尋ねていたが、脇を抱えられて路地に去って行った。
苛立ちを隠さず、周囲に自身の感情を見せ付けるベリオール。
取り巻きもシエラも、学び舎で同じように学んでいたのだ。彼の突飛な行動には慣れていた。
シエラは、羅衣の肩口から大嫌いな少年少女を睨む。取り巻きは性根の悪そうな笑みを再度浮かべ直して、こそこそと何かを打ち合わせしているようだ。
——あの家の連中と瓜二つね。
こんな連中と一緒の教室で学んでいたなんて、臆病な過去のあたしはなんて愚かだったの。
もっと早く逃げだして……、いいえ、そうしていたら羅衣には会えなかったのよね。
今もキースの次、二番目に会いたくなかった男を前に、シエラの弾んでいた気持ちはどこかへ消えてしまった。
ベリオール・ササパオは、シエラに告白して来た40、50人目の男子だ。
とうにシエラには、正確な人数など覚えてはいない。
彼の実家はキテオン族の間では高名な魔法使いの家系で、魔法機に須らく内蔵されている魔石に、付与の魔術を吹き込める、村の数少ない魔術師だ。
クエンカ協会と連携して、ササパオ家はさらに魔法機で一財産を築いた。10年ほど前には当主ワイルが村役員会の内の一人に選ばれて、ベリオール自身がいうところの『上級市民』の仲間入りを果たした。
シエラがこの少年と初めて顔を合わせたのは、学び舎に入学できる年齢になった9歳の冬であった。それこそ今、彼女が肩に触れている羅衣の歳ぐらいだろうか。5年ほど前になる。
商談の顔合わせに、ベリオールは父親であるワイルに連れられてクエンカ邸に来訪した。
母エリーの闘病の日々で落ち着かない、雪がしんしんと降っていた昼下がり。
高級品だと一目でわかる黒いローブの裾が、地面の雪を擦って湿っていた。くしゃくしゃに乱れた髪同様、身形には一切構わないワイルは、出迎えたキースと固く握手をして席に着く。
シエラの第一印象は、興味のある事象以外にはなんら関心を示さない人。
カナナポスの匂い。利を追求する、筋金入りの魔法使い。
魔法機の種類、要求される魔術、報酬。内容を耳にいれようともせず、出された紅茶を飲み干して、けだるそうに父親に付いて来た息子は暇をもてあましている。
この当時は彼はキテオンの髪色で、耳にも顔にもピアスをしていなかった。
ベリオールは退屈そうに邸内を見回していたが、視線はすぐに動かなくなる。
キースの話に興味があった(以前は髪を腰まで伸ばしていた)シエラが、隣の大机、一番遠い椅子に座って——……二人の商談に聞き耳を立てていた姿を発見したからだ。
「……やあ、可愛い子だなあ。僕はベリオール。名前を教えてくれないかなあ」
キースの視線にも物怖じせずに、馴れ慣れしく話し掛けて来た。
シエラはすぐに彼の性根を見抜き「ごめんなさい。用事があるから」と断って、部屋に戻ろうと腰を上げる。このときにわかっていたはずもないが、陰湿でしつこい男がこれで、はい、さよなら、と引き下がるわけがなく。
「まあまあ。少しだけ僕と話をしよう。僕らのお父さんもそれを望んでいるだろう。子ども同士で、親交を深めなさいってね」
唇には薄ら笑いを張り付けているが、眼の奥のぎらぎらとした情欲には寒気がした。
見向きもせずに立ち去って、その日はもう会わずに済んだが——……。
入学を心待ちにしていた学び舎では、同じ学科を専攻してしまった。
彼が自分に執着している災難にうんざりしたシエラは、渋る女性使用人を説得し、髪を肩辺りまで切ってもらったというのに、なんの効果もなかった。
露骨に避けるシエラにめげず、何度も何度も擦り寄って来て「その髪型も似合ってる」「話がしたい」「声が聞きたい」よくもそこまで舌が回るもの。
手入れに時間が掛かる狐耳が腐り落ちてしまったら、どう償うつもりなのか。
シエラは恐怖心さえ覚えて講師に相談するも、役員の子どもと関わりたくない心情が見え見えであった。教育者の責務を放棄した大人の言い分は、当人同士で話し合え、だ。
酷い日には——帰宅するまで、正門の前までずっとあとを付けて来た。
クエンカ家当主、キースの機嫌を損ねてしまえば自分の家に不利益だと考えられる頭はあるのか、彼の前でだけは大っぴらにちょっかいを掛けてくる挙動はなかった。とはいえ。
授業中も、耳障りな声で取り巻きとお喋りに夢中だ。シエラのような真面目に勉学をしに通学している学生からしてみれば、彼は何をしにこの教室にやって来るのか、疑問の一語。
倫理観も破綻している。取り巻き達の女性比が多いのは当時も今も偶然ではなく、彼は彼女ら『全員』と付き合っており、ジュリオールは、この子たちとキスをした、それ以上も云々、とまで公言していた。とはいえ、テテ村の為来りでは重婚は認められている。
好きにすればいいだろう。
欠片も関心がない。
(お金に釣られて体を許す、彼女たちが馬鹿だと思うだけ)
ただ。
彼女の二つ前の席で固まって、騒いで、嗤って、嘲って。シエラには講師の声が聞こえない。
『親の七光り』には恥がないのか。何をなしえたのでもない、人に優しくできない男。
(誰が、好きになるものですか)
約2ヶ月前に告白されて……これまでと同じように、にべもなくシエラは拒絶した。
少女が檻の中で苦しんでいた、あの日の夜に回想した『最悪』とは、この日の不幸であった。




