親子/肆
シエラがやって来た日の夜、四人(と一匹)は居間に集まって真面目に話し合った。
すでに夕食を終えて、このあとは汗を流して眠るのみだ。
「シエラはこの家で保護する。儂が責任を持つ」
「俺と、同じに、なるんだね」
「そうだな」
シュルツ作、鳥の木彫りを手に持って、回して飛ばしながら、羅衣はシエラに笑い掛けた。
「凄いでしょ。シュルツさんが、彫ったんだよ」
「ほんとね。これは……ピュワコー、かしら」
「ううん、鳥」
「——……そうね。うん、鳥だわ」
羅衣はアテウにも自慢したかったのか、左腕に抱えた彼女の尻尾の付け根部分につんつん嘴を当てている。
二階での一件同様、尾で手をばしっと叩かれる。
「嫌われた!」
「ライ、構いかたを考えねばならんのだ。そばには寄って来てくれるのだから、ただそこだけを改めれば——……、……うん? しかし、昨日は随分べったりだったか。昨夜、夕食後に何かあったのか?」
「まあ、あった、というか~、やったというか~」
少年は不承不承、昨夜の蒸し風呂内での痛い体験を伝えた。
「ライったら。……この子は、人の言葉が理解できるぐらい賢い子なのよ。駄目じゃない、そんな、そんな、あの……」
シエラは咎めてこそいるが、いまいち笑いを堪えきれていない。頭突きを受けた裸の少年が、地に伏す光景を想像したのだろう。
対してシュルツとミラは、夫婦は2人揃って卒倒しそうになっていた。
——ライ……! なんてことを、ああ、さぞやお怒りだろう——……謝罪を……!
「駄目ですよ、ライ! こちらの」
「え?」
「んんっ」
ミラは噎せたように見せ掛けて、こほんと咳払いをした。
「と、とにかく。まず……は、アテウ、に謝るのです。悪い行いをしたのですから」
「そんなぁ! だって一緒に、入って来たのは、こいつですよ?」
「だからといって、女の子をひっくり返していい理由にはなりません!」
弁明をきっぱりと否定するミラの剣幕にたじろいた少年は、アテウを机にそっと下ろすと目を合わせて頭を下げた。
「ごめんなさい」
「……クー……」
耳を垂らしたアテウがいつもより高い声で鳴きながら、左前肢を羅衣に伸ばす。
「ひっくり返して、性器を、がっつり見ちゃって、ごめんなさい。てっきりアテテンは、雄だとばかり、思ってた。だってたくさん、噛んでくるから。それが雌だってわか、だごおおぉぉあ!」
羅衣の顔にビタッと飛び付いた彼女は……彼の鼻に『がっつり』牙を立てている。
ついに、夜中に騒いでしまった少年。昨夜は「耐えきった」と誇らしげにしていたというのに。
仕方ないと目を伏せる夫婦を見習って、シエラも静観しようと決める。
「今のは、同情の余地はないですよね」
「そうですね。とても残念です」
女性陣は完全にアテウ側だった。
——許せ、ライ……儂には何もできん。
もしも、今朝の朝食時に君が助けてくれていたら、今頃は儂とて……いやあ、あれは無理だ。
歯を剥き出したアテウの形相は鬼気迫るものがあり、下手に手を出せば自分も噛まれかねない。
椅子から転げ落ちて呻く羅衣をほっぽいて、シエラが一つ提案する。
「考えたのですが。あの子の名前です」
「おお、いい名が見つかったのかな?」
「はい。あたしはその、『テテラ』って名前はどうかな、と」
「あら。その御名前」
「そうです。女神様の神名、上三文字を頂きました。この子も、女の子ですから」
「素敵だわ。——そうね、テテライヤ様もきっと許してくださいますよ」
シュルツも笑顔で頷いた。
神の名を拝借する。それを畏れ多いとする風潮は、至極真っ当だろう。
(この方の御名前には、それでもきっとふさわしいのだ)
折檻を終えたアテウ。羅衣の顔の上で高く跳ねて、最後に一度四足の足裏で踏み付けたあと、椅子に座っているシエラの脚を登って来た。
シエラが緊張しながら「テテラちゃん」と呼ぶと、アテウは目を細めながらシエラの撫でる手に頬擦りした。
「ち、違う……その子は、アテテ、いってて……」
息も絶え絶えな少年は、立ち上がっても鼻を押さえてよろけている。
シュルツの見る限り、噛み跡こそ残っているものの、少年の噛まれた鼻は出血していなかった。
——羅衣を無理にでも、傷付けたりはなさらない。
きっと、加減してくださったのだろうな。
シュルツとミラは、このアテウの——テテラの『正体』にあたりを付けていた。
少女に甘えているアテウを見て、(シエラに嫉妬しているようだ)不貞腐れていた羅衣だが、椅子にもう一度座るとシュルツとミラに話し掛ける。
「あの、俺。学び舎ってとこに、通いたい、です。できますか?」
「ライ」
ミラは緑茶を一口飲むと、少年の要求に笑みを零した。
シュルツにも、反対する理由はどこを探しても見当たらない。
「儂らも今から、そう提案しようとしていたのだ。だが……君からその話を聞こうとは。何か、学びたいことがあるのか?」
「はい。この村の……ってより、この世界の常識と、キテオン語を、話せるようになりたい」
「キテオン語を?」
彼には疑問だった。
——確かに、現地の言葉を学べば楽になるだろうが……。
だが、この子は共通言語を話せるではないか。
村で生活するにしても、そこまで困ることもないだろうに。
学び舎でも生徒達との交流には支障が出るだろうが、シエラが近くで世話を焼いてくれる。
魔法語を扱える時点で、この子は十分努力したのだ。
他言語を学ぶのはとても困難な挑戦だと、ライ自身もわかっていよう——……。
「皆は気を遣って、俺の前ではトート語を話して、くれるけど。でも、やっぱり、受け入れてもらう、には、そこの言語を話せるように、ならないと、って」
夫婦は(特にミラは心打たれたように)羅衣の話に深く感じ入って、賛同した。
早速明日から、ミラが教える運びとなった。
羅衣はアテウに構うシエラを眺めて、一言静かに呟く。
「それに……思うことも、あります」
「——ま」
これに、両指で口元を押さえたミラがにまにまとシエラの顔を覗き見る。
少女はあたふたと頬を紅潮させて、夫婦を気にしながら——……満更でもないらしく。
「あ、ええ!? ちょ、いきなり、ほんとに……? え、え」
「ええわね。——若いって」
「い、嫌です、ミラさんったら」
盛り上がる二人には聞こえなかっただろうが、シュルツは「シエラにばかり、いい格好は、させない……!」そんな少年の独り言をしっかり耳にいれていた。
「…………」
——まあ、男に苦手意識が生まれてしまったシエラ君には、ライぐらい鈍感な男子の方が気楽でよいのではないかな。
すっかり悪乗りしてしまっているミラにたじたじになった少女も、つい見せてしまった今の反応を誤魔化したかったのか「わ、私も羅衣と勉強したいです!」と言いだして、今夜は普段以上に賑やかだった。
蒸し風呂に入る前には、もう一悶着あった。
話は長くなり、時間も遅いからと、男性と女性で二人ずつ利用することになったが。
「正座なさい」
「「はい……」」
正座の文化は、あるんだ。ぽつりともらす羅衣は女性二人の表情を窺うと、しゅんと神妙な顔を作った。
廊下はひんやりしていた。正座自体は自分には苦ではないが、シュルツは両手を付いて早くも「きつい」と泣き言をもらしている。年を取ると、あの辺りが痛みだすと覚えた。
二階の部屋を用意されたシエラは、役場で初めて出会ったときに着ていたワンピースではなく(訊くと「あたりまえでしょ!」と言われた)、桃色のトップスに、花柄のゆったりとしたロングスカートを穿いていた。上はトップスとさえいっておけば、間違いではないそうだ。便利だ。
少女の白い足首と脛が覗いている。多少気恥ずかしくなって、すぐに目線を下げてしまう羅衣。
「どうして洗濯していないのですか? 男女の洗濯物は、分けて洗いましょうと、決めましたよね。シュルツ」
「はいー」
「…………」
「ごめんなさい。俺が、シュルツさんに、洗濯してもらうの、当然だと思ってた、から」
「ライは悪くありませんよ。ここに来て日も浅いですし、洗濯の仕方もまだわからないでしょう?」
(それなら、なんで俺も正座させられてるのかな)
このような不満をまったく表にださずに、ひたすら『反省してます僕』の表情を維持する。
この顔が、ミラにはよく効くのだ。
事のおこりは、女性陣が先に入るまえ。
シエラが持って来た、今は二階の彼女の部屋に運び込んである荷物のなかに、乾いていない洗濯物があったことを知ったミラが(シエラは遠慮して、荷解きを手伝ったミラに事情を問われるまで隠していた)、蒸し風呂の用意をするときにそれらを一度洗おうとした。
洗濯桶を脱衣所に取りに行った折に、もう一つの桶に昨夜二人が脱いだままの服と下着が、そのままで入っていた桶を発見したのだ。
男性陣には、即座に『正座命令』が発令された。
「ええっと、ミラさん。急におしかけたあたしの洗濯物なんて、あとでも」
「いいえ。シエラ、女の子の服は慎重に、洗濯にも気を遣わないといけません」
ついでに、男性にも気を遣っていただかないと。ミラは二人を見下ろして言った。
「これからは、うら若い乙女と共同生活するのですから」
(その『うら若い乙女』は、恥ずかしそうにしてますけど)
要するに、彼女に男物の下着を見せてはならないのだと納得する。
「すまん。昨日はいろいろとあったのでな。すっかり忘れてしまったのだ」
少々皮肉っぽい物言いで、隣のシュルツも謝罪していた。
「むー」
ミラが小さく唇を突き出した。シエラがそれをほほえましそうに見つめている。
「——そうですね。シュルツはまだしも、ライ。あなたには教育が必要だと考えていました」
「…………え? 俺、ですか? 教育?」
シュルツが責められていた状況に安心していた。なぜ脈絡なく自分に。
「女の子についての、教育です」
「ミラさん! 俺は、男です!」
髪は長いけど、それは忘れないで! 黒髪を振り乱して必死に訴える。
「男の子だからこそ、あなたはこれから女性についての知識を身に付けなければなりません。それから髪のお手入れも……い、いえ、君が普段不潔にしているだとか、そんな主旨ではなくて」
「体の違いを知ってほしいの。知識があるないではおおきく違います。——女はとても繊細な生き物ですからね。村ではそれを教えないから、逆に風紀が乱れてしまう要因になるのです」
この意見にはシエラも納得してしまった。確かに学び舎の授業では、そのような男女の知識を一切教えていなかった。
「うええ~」
少年はあまり興味が湧かないようで、シュルツを横目で見るが。
「教えてもらいなさい、ライ。内容をノートに書きとめるだけでいいのだ」
彼もすでに『教育』されていたらしい。
「わかりました。まあ、それなら」
「筆記試験があるがな」
「え」
それは、聞いてない……! 羅衣は焦るが、エプロン姿のミラは満足そうに頷いていた。
羅衣の学ぶ分野が、一つ増えた。




