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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
序章:日出づる処
2/28

小さき来訪者/壱

 日の出だ。

 徐々(じょじょ)()みわたる蒼天(そうてん)

 妹の夜空より世界を見つめていた『(ちゅう)(せい)』。去りぎわ、ひときわ鮮明に星座を写しだす(ほし)(ぼし)、夜明けを惜しむかの(ごと)く。名残(なごり)()きないのか(あわ)(またた)き、また別れて、おのが役目をはたすのみ。

 東天(とうてん)から『(あか)(ぼし)』が昇り始め、(うつし)()を照らしだした。

 (しずく)(くも)りなく、いといと(みや)びかなり。見事な(こう)(えん)(あま)(つた)旭日(きょくじつ)(まと)うは(れい)(そう)——(いつつ)(ぎぬ)(から)衣裳(ぎぬも)

 高天(こうてん)(かがや)紅色(べにいろ)。その陽光はこよなく生物を(いと)おしみ、力付け、(ふる)いたたせる明るい黄色。

 冬の(かん)()に身を震わせていた小動物たちが目を覚まし、少ない食物を求めて動きだす()(ぶん)

 夜を()(しの)んだ植物たちは、これでもかとばかりに重たい葉を目一杯広げて、魔素(まそ)の放出や光合成に(やっ)()となっている。

 双天神歴(そうてんしんれき)1991年・(まつ)(づき)1月1日・神ノ曜日。

 (こう)()燦然(さんぜん)と新年を()する、雲一つない空に在る朱曐。(あお)ぎ見れば、永劫(えいごう)を体現するかのよう。

 次週を心待ちにして昊衞(こうえい)を去っていった、どのはしらよりもきわやかに、どのはしらよりも壮麗(そうれい)に。

 (ほし)にとこしえを。固く守り続けている(いにしえ)の約束がため、ますます煌々と照らす必要はない。情け深い(ちょう)(よう)——清らかなる彼女が今昔(こんせき)、曜日に(かか)わりなく世界を支え、つつみこんで、等しく生命を(はぐく)みながら愛してくれた美擧(びきょ)を、神々はしょうめつの()きめに()おうとも忘れはしないのだ。

 生かし生かされる人々が(あが)(たてまつ)る、至高の存在。(くれない)正圓(せいえん)は、(また)の名を『大いなる母』。

 かの風光(ふうこう)(めい)()、やんごとなき日輪(にちりん)のみが邪惡(じゃあく)穿(うが)つ矛と成りて、世を(みだ)(はびこ)(けが)れを(はら)わん。

 

 ——大神(たいしん)のいさん、美々(びび)しき千代(ちよ)に咲き誇る阳炎(かぎろい)(はな)よ、真正(しんせい)なる守護、(せき)(せい)(おこ)(おん)(ちょう)よ。

 今のおつつ、貴方(あなた)()()()()()()()()欣幸(きんこう)の情にひたっているのでしょう?

 






 季節は冬。

 (ゆき)()(しょう)で精一杯着飾った山も、野も、朝日の反射で思い思いに輝く。

 生きとし生ける世界の誰もが新しい(とし)の始まりを歓迎し、未来に胸を(おど)らせていた。

 目覚め始めた山間の地。広域を薄白(うすじろ)(きり)(おお)ってゆく。そこまで濃いものではないにしても、蝕陲(しょくすい)(りん)を抱えてしまった土地には特異な気象である。(せい)(れい)たちがはしゃいでいるのだろうか。

 とうとう、白き衣は辺り全体に(かぶ)さった。(おぼろ)(かす)(だい)(せい)()(こう)見目(みめ)姿(すがた)はまこと心強く、崇敬(すうけい)せずにはいられない。()(はた)にも描かれた日ノ丸の美しさたるや、言葉につくせないほど。

 

 ——キタ! キタ!

 ——キテクレタゾ!

 ——ウレシイ! ウレシイ!

 ——ヤット! ヤットダ!

 

 (えん)(そく)にて見定めた(こと)()(だい)は、霧の精霊が、(いな)、集結しているのは霧の精だけではなかった。

 自然や事象に()()い見守る下級精霊たちが、互いの意識を共有し合って、歓喜()一本(いっぽん)を爆発させていたのだ。(れい)()は狂い咲き、ここに、紙吹雪()う劇場さながらの盛観(せいかん)(つく)()げている。

 皨の大半の生物は、彼らの(性別という概念は下級精霊にはないが)存在を視認できない。

 もしできていれば、さぞや目を丸くしたにちがいない。

 世界のあちらこちらで上を下への大騒ぎ。かつてないほどのたいへんな喜びよう。精霊たちは小さな(いろ)()()りの体に反して、その背に()えた大きく美しい三對(さんつい)の羽をはためかせ、空を飛び回りながら握り合った手を揺らして踊っている。そこここで類例のない自然現象となる。

 しかし、それも無理からぬこと。(こん)(ぎょく)越しにうちみている、己の心内(しんない)もそうであったから。

 ともに長い時を()た。およそ1000年間待った。たえずいつまでも、待ち望んでいた。



 この日を。



 この欣快(きんかい)を。





 ()()()()







 ——……寒い。

 

 少年は意識を取り戻した。

 体は(こご)え、手が(かじか)む。視界の先は圧巻の雪景色であった。この絶望感ときたら、ない。

 踏ん張らなければ、後ろに倒れてしまいそうなまでの吹き付ける強風を受けて、顔面が痛い。耳が痛い。近くの樹木ごと()(たお)さんとする冷気。全身に(とり)(はだ)がたち、ぶるぶる震えるばかり。

 肩まで伸びている黒髪は、とくに防寒の役割をはたしてくれるのでもなく。一度手で耳を(おお)おうとするも、指が()れただけで強い痛みが発生した。ぎゃっ。と悲鳴を上げ、(あわ)てて離す。


(ここは、どこなんだ)


 周りの樹々に、小さいなあ、と(はや)されている少年。内側から(うず)く頭で、ぼうっと考えた。


 ——なぜ、こんな所に一人で立っていたんだろう?


 ゆっくり息をついてから、()(なり)を入念に確認してみる。

 背には何かを背負っているようだ。さほど重さは感じないが、後ろを振り返っても黒い片面しか見えない。左肩から(あか)い、つるつるとした触感の(かた)()けで固定しているらしい。 

 自分のちょうど心臓部付近のそれには、白い三角形二つを組み合わせた文様(もんよう)があった。

 奇妙なことに、この荷物はほんのりと温かい。それでも凍える少年には、肩掛けを(はず)して、背中の荷を確かめる気力は残っていない。

 彼が着ている服は、足首まで届くかといった真っ黒の軽い(なが)()だ。(しゅ)(いろ)の翼らしき紋柄(もんがら)が、(そで)から(ひだり)()(ごろ)に広がる風流な薄物(うすもの)の着物を、(こし)に巻き付けた同じ色合いの角帯(かくおび)で結んでいた。

 足には足袋(たび)草履(ぞうり)()いている。履き物の唯一(あか)(はな)()をのぞいて、全て少年の長着の色。

 その下には一応(いちおう)、上下ともに襦袢(じゅばん)と下着を着用している感触(手をなかにいれて確認するも、冷たくて体温をごそっと奪われたと()やんだ)。とはいえ、(がい)して季節違いの(はなは)だしい服装に気がとおくなる。いうまでもないが、体感の寒さを(やわ)らげてくれる効果は期待できそうもない。

 どんどん危機感に(さいな)まれる、つまやかな男子思えらく、色の名前、服の名前をいいあてて、己の()(じょう)を何一つ思いだせないのは辻褄(つじつま)が合わないということ。 

 ただただ、不可解だ。   

 まぬけだ。


(なんで、こんなに薄着なんだろ)


 彼の疑問はもっともだった。雪こそ降っていないものの、寒風()(すさ)ぶこの土地で、こんな格好はないだろう。もしやもしや、死因は凍死とでもなる、お()(まつ)な自殺でも試みていたか。

 いちめん白一色。()せた樹木の(みき)まで白い地に、彼の着物姿は明らかにういて見えよう。

 理解できないことだらけである。

 自分はいったい、どこの誰なのか。季節感を度外視して一人、これまで何をしていたのか。

 そもそも、ここはどこなのか。


 ——どうした? 早く……! ——……忘れちゃったのか……!?


 彼は記憶を懸命に探る。(のう)()の暗闇、閉じられた場所の奥底に沈む、(かす)かな光を(すく)()げる。


 ——…………そう、だった。


 一つだけ確かなもの。


()()…………、そうだっ! (おれ)の名前。——……羅衣。羅衣だ」


 自分の名前だ。()()(うち) ()()

 これだけが、少年の——ただ一つのみだろうと——(おぼ)えている、過去の自身の記憶だった。

 間一髪(かんいっぱつ)、どこかへ消えゆくそれを(つか)みとれた感覚に、羅衣は胸を()()ろして(あん)()した。

 状況は何一つ好転していないというのに。そのような感情をいだく(みずか)らが滑稽(こっけい)だが、それでも変に動転たたって一つたりとも思いだせない、こんな最悪よりは、よい。ずっとよい。



 心底、ほっとした。



 ——こんな寒い場所で、震えていても仕方がない。

 どこか、暖かいところに……。

 

 わからない、わからないでは助からない。この冷気に長く(さら)されていたら命が危ない。

 (さいわ)いというべきか、羅衣の周辺にだけは雪が降り積もっておらず、上から球体を叩き付けられて穴があいたかのような——()きだしの地面に一人ぼっちで立ちつくして、彼はうんうんと考え込んでいた。

 広大な銀世界に一点存在する、雪が一切(いっさい)積もっていない焦げ茶色で半円の(くぼ)み。誰が見ても首を(かし)げる景観、であろうとも、正直なところ余裕のない少年には知ったことではなかった。

 ()(しげ)る樹木が空を、辺りをそれなりに包み隠している。あちこち(わず)かな日の光がもれているのを見るに、いっても現在の時刻は日中らしい。多少なりとて安心感を覚える、明るい光だ。

 日中、というより午前中か。ここらはまだ薄暗くとも、時間が()てば気温も上昇するだろう。

 時折(ときおり)、ゴゴゴ……、という、大気を震わせるかといった不気味な地鳴りが(ひび)く。 

 雪崩(なだれ)——……だろうか。

 彼は、判断力が(にぶ)りだしている脳を必死に働かせた。周囲のあちこちに生える樹々、今の音。そして、それなりに傾斜(けいしゃ)のある斜面。

 これらを(かんが)みて、ここはおそらく山のなかではないだろうか。

 それならば、その山を(くだ)ればよいのだ。

 一生懸命考えて導きだした結論は、まだまだ子どものそれなのかもしれないが、自分は間違えてはいないはずだ。


 ——行こう……、歩こう……。 

 ()()()()()



 迷える黒髪黒服の少年は、数回鼻をちいさく鳴らしてから、よろよろと(あゆ)み始めた。







 ザク。ザク。ザク。白い大地を踏みしめる。胸先(むなさき)で交差した腕に、雪風の相手をさせている。(ねこ)()は直せずも、この山林に入るまえまで細めた目で(めい)()していた、空色のみを思いおこす。

 天然の(てん)(じょう)は枝樹で形作られた物だ。足を前方へ出すたびに、(やわ)い床は羅衣の(ひざ)(した)まで(へこ)む。

 謎めいているのは足袋と草履か。雪を何度踏もうと湿(しめ)らない。足裏の体温で雪が()けないのだから、特別な素材でできている一級品の可能性大だ(冷気までは遮断(しゃだん)してくれずとも)。

 これで天気が荒れていたならば、強風と遊ぶ吹雪にくるまれて、羅衣はとうに息絶えていた。

 当初は皮膚(ひふ)を刺す()吹雪(ふぶき)に歯をくいしばって耐えていたのに、ここにきて、もはや感覚がなくなってきている。(うつむ)いて()(せい)(てき)に足を動かすうち、いつからか肌悴ける痛みも覚えずにいて。

 気象に順応(じゅんのう)してみせた、と思い込む。このまま雪の()(とん)に身を投げだしても、死にはすまい。

 それならばむしろ、休息をとる案としては悪くない思い付きではなかろうか。

 休むだけだ。泣きたい気持ちをおしころして、ひたすら歩いて来て、こんなにも疲れている。

 行き場もないくせに、どこへ向かっているのか。眠い。ほんの少しだけ横になって……。


 ——なにくそっ!


 羅衣は激しく首を振って、空を(にら)んだ。(あん)(じょう)(しも)に包み込まれた木の枝ぐらいしか視界に入らないにしても、彼は胸を張ることで『猫』をやめたのち、ぎゅうっと目を(つぶ)る。

 ここまで、歩いてきたのだ。

 諦めるのは(ぞう)()なかった。どこかの樹木に寄り掛かって腰を下ろし、体を丸めて座り込めば、体力の消耗(しょうもう)(おさ)えられた。別の手段もあった。雪を掘って、雪洞(せつどう)でも(つく)って(こも)るべきだった。

 もう一人の自分はひどく怠慢(たいまん)で、(ささや)いてくる心の声は現在の(きょう)(ぐう)をぐずる内容ばかり。

 これをじんじん鳴く耳で聞こえないふり。(なか)ば開き直って、羅衣は前へ進むみちを選択した。

 仮に——……あの場にとどまったとて、それから何がどうなったというのだ。

 困難にへこたれて、奇跡に(すが)っても救われやしない。遅かれ早かれ凍え死ぬのが『おち』だ。

 どうせ、そのような最期がやってくるのなら、と。

 少年は(ふん)()し、霜焼けで()れた両手の指先を丸め、何かに襲われないかとびくびくしながら一人、のろのろと、されど着実に、一歩一歩足跡を残して来た。口を(つぐ)んで歩いて来たのだ。


(死にたく、ないんだ俺は) 


 たった一人で、こんな右も左もわからぬ山の中、孤独に死に果てるなどまっぴらごめんだ。

 幼い少年の意地。今日この日をもって、この地でこの生命、尽きてしまうのだとしても。

 反骨(はんこつ)の意志は盛んであった。見栄(みえ)、負けん気……、こんなものでも身体(しんたい)に力を与えてくれる。

 心に(とも)るは決意の火。行けるところまで行ってやれ、そう虚勢(きょせい)を張ると不敵に笑んでみる。

 鼻息荒くもう一歩、踏みだそうとした、そのとき。





 甲高(かんだか)い悲鳴が、()(まく)(つんざ)いた。




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