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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
一章:安寧の日々
18/28

親子/壱

 二階の羅衣を自分が起こしている光景が、寝不足の脳内におしこまれた。

 ミラの無言の要求に従う夫は、階段を上りきって少年の部屋の前に立つ。

 扉の近くで大人しくしていたアテウが鳴いた。彼を一瞥(いちべつ)すると、尾を振って場所を譲る。

 彼はそのアテウに対して、両膝を床に付いて両手で額に触れると、しばし目を閉じていた。

 妻の術は昨日から解かれておらず、昨夜は寝ていない。ここ数年は彼女の幻に掛かる機会がなかったからか、今回はかなり堪えた。


 ——なんの、嬉しい出来事が続けば、人は元気になれるものだ。

 願わくば——…………あの少女もそうであってほしい。


 妻には一階でも一向に抵抗できず、睡眠が足りていない夫。作業着のままでスリッパを履き忘れながらも、今朝の見回りもなしになるなぁ、と諦めておおきく伸びをした。


「ふう。しかし」


 ——きっと、シエラ君にはのっぴきならない事情があるのだろう。

 一人中央村からここまで……『この御方』に導かれて、こんな朝早くから歩いて来たのだから、よほどの事態だったのだ。

 たしか、キースの家は北区だったか。

 一等地なら中心区寄りではあるが、それにしてもここまで来るには最低2時間は掛かろう。

 それをあの子は、あんな大荷物を背負ってまで。

 …………昨日出会った役場でも、ライは彼女には悩みがあると、そんなふうに言っていたな。


 前の扉をノックしようとした腕を、そのまま組んで(しば)し考え込む。

 足元のアテウが、開けないの? といわんばかりに見上げている。

 視線を意識の隅で感じながらも、シュルツは依然思考の海に沈んでいた。


 ——儂では、あまり力にはなれんだろう。

 女子(おなご)の悩みは、やはり女性でなくてはわかるまい。

 うむ、ミラに任せよう。


 気配りの良い妻なら適任だと、夫は愁眉(しゅうび)を開いた。


「それに、ミラは」


 昔からずっと、娘も欲しいと言っておったからな、シュルツは胸を打つ懐かしさにひたりながら微笑して、そのまま扉を開けた。 

 それが悪かったのか。



「あがあ!」









「シエラが?」

「そうだ。今は一階で、ミラと一緒だ」


 眠たそうに目を擦る二人。羅衣はシュルツが言葉にした名前を聞き返していた。

 寝惚け頭が覚醒しても、彼女がこの家にやって来た理由をいいあてられるとは思えない。


(ま、なんかあったんだな)


 それはともかく、と少年はしゃがんで、部屋にするりと入って来たアテウを抱き上げる。

 足や腹を黒色の体毛で覆う彼女は、そこまでの抵抗はしなかった。


「お前は、どこに行ってたの? 朝起きたら、いなかった、から、心配したよ」


 昨日の機嫌の悪さは直ったのか——羅衣の親指辺りに小さな鼻を擦らせていたアテウは、目の上と口元の黒い(どう)(もう)を細かく動かしながらで少年をちらっと窺った。


「まあ、お手洗、だよな。そうなると思って、寝るときに、あれ。ベランダの窓を少しだけ、開けておいた、から」


 気配りができる、でしょ? 羅衣は同意を求めるようにそう聞いて、シュルツに笑い掛ける。


「あー……、ライ」

「ぷは!」


 手から跳ねて、尾で羅衣の頬を(奇麗に)(はた)いたアテウが、つんっと部屋を出て行った。


「——……うう…………、シュルツさん。あいつ、俺の言葉、理解してるよ……」

「そうだろうなぁ」

「?」


 しゃがみ込んだままで自分の足元から疑惑を伝える羅衣に、彼はしみじみと答える。







 ❂❂❂


 ——儂も『気配り』ができるようにならんと…………。










 二人が一階に降りると、台所に立つミラとシエラは朝食の支度に忙しそうだった。

 教え子が一代で大きくしてみせた家——クエンカのお嬢様だという認識はあったが、お洒落な部屋着に着替えた少女は(よど)みない手付きで野菜を盛り付け、ミラの仕事を助けている。


 ——無理をして気を張ってはいないようだし、動きも手慣れている。

 キースの娘さんとは思えんな。

 あの手に負えなかった悪餓鬼の娘が、あんなにも奥床(おくゆか)しく礼儀正しい女の子とは。


 二人は楽しそうに言葉を交わしながら料理を続けており、男性陣が降りて来ても気が付いていない凬だ

った。羅衣が起きて来たと伝えてやるべきかと思案するも、すぐに気が付くと思ってやめる。

 木箱に入れた愛用の彫刻刀に触れてから、椅子に座ったシュルツが食卓にある蝋燭の灯を見つめて感慨にひたっているというのに、近くにいる羅衣はといえば。

 二階から、右脇に両手で抱えて持って来た玉手箱を、席に座ったシュルツから見て右奥の柱にぐるぐる縛り付けていた。

 その奇行を目にして、シュルツは呆れ声で尋ねずにはいられない。


「ライ、何を、しておるのだ……?」

「縛ってます」

「…………それは、見ればわかるがなぁ」


 シュルツの顔も見ずに一言で答えた少年は、彼が貸した長紐を巻き付け、蝶々結びできつく留めた。帯、という物の結び方を見せてもらった際にも、手先の器用さには目を見張ったもの。

 少しの間、二人で箱の様子を観察していた。この時間はなんの時間なのか。何もおきない。


「あの、いまから顔を洗って来るので、見張ってて」


 髪を手で撫で付けている彼はどうしてか小声になって、親指を立てるとシュルツに頼んできた。


「——かまわんが、あれはやり過ぎではないか? あの箱は神様からの」

「それでも、駄目です。俺達の足の小指、狙ってます、から」


(いや、きっとそれは、違うと思いたい)


 羅衣は油断ならないといいたげに、スリッパを履いていながらも警戒を解かず、『柱に縛り付けられた箱』を横切り洗面所へ向かった。


「なんだかなぁ……」


 少年が帰って来るよりも早く食事の用意が終わったらしく、シュカンの食膳(しょくぜん)にサラダと()り卵の皿を乗せて、少女がはにかみながらシュルツの前に料理を持って来た。

 妻曰く鈍感な夫にも、彼女の目元が少々腫れていることには触れない利口さはあった。


「シュルツさん。ど、どうぞ」

「ああ、ありがとう」


 照れながら両手で差し出してくれる皿を、彼女以上に照れながら受け取る。

 娘もいいな、と、心から思う。

 シエラの「席順は皆さん決まっていますか?」という質問に「いや、毎日好きな所に座っておるよ」と答えると、彼女は一瞬何かを思案する素振りを見せた。

 見せたが、すぐに五人分を(夫婦の取り決めで、これからはアテウの分も用意することにした)机に並べると、また台所へ。

 その前に、ぎこちなく顔だけで振り返って。


「えと、そういえば。ライは、どこに……?」


 あくまで『別にさほど気にしていませんけど感』を(かも)しだして、小声で聞いてきた。

 それが、シュルツにはすこぶる面白い。笑いを噛み殺し「洗面所だよ。そのうち戻って来るだろう」そう返すと、向かって左の廊下を指差した。


「そ、そうですか」


 少女は頬を桃色に染めて、縁が丸い板を胸の前に抱えると、そそくさと奥のミラの元に退散し

 た。

 動揺からか左右に何度も動く彼女の尾を眺め、顎に手を当てて表情を崩す彼を、しょうがない、とでも思ったのか——……窓から指す日光を浴びるアテウが大欠伸をしていた。


 ❂❂❂


「昨日、二人が買って来てくれたパンだけでは足りませんね」


 フライパンを持つミラはそう結論付けると、昼食に出す予定だったらしい羊獣ラパパのウインナーソーセージをかりかりに焼いて大皿に乗せた。肉汁が表面から吹き出し、ジュウジュウ油が跳ねる音が聞こえる。

 その大皿を持って行く途中、小さな音がシエラの腹部からも鳴ってしまい、彼女はまたしても恥ずかしくなった。


 ——で、でも昨日は夕食だってほとんど食べなかったんだから、今朝はそれなりに食べたっていいわよね。

 あ、でも、大食いだって思われちゃったらどうしよう。

 ああでも……いい匂いだわ……。


 おまけに豪邸のシェフが作った高級料理よりも、この家の(こんな言いかたは失礼かもしれないけれど)ごく一般的な村の家庭料理のほうが、数倍美味しそうなのである。

 食べることは好きだ。食べた分だけ律義に増える——この体重さえどうにかできれば。

 着替えたといっても、汗の匂いもかわらず懸念している。ミラは「いい匂いですよ」と言ってくれたとはいえ、香水の香りだけでは完全にごまかしきれないだろう。


「おー、シエラ。おはよう」

「……ライ、——……うんっ」


 頟にあのバンダナを巻いている、これまでも目では探していた少年が、にかっと笑って見せた。

 昨日は意識せずに接することできたというのに、幻術で見た寝顔や、先ほどの笑顔が原因なのか知らないが……心臓がとくんとくんと歌いだして、朝の挨拶さえ続かなくなってしまった。


「これは、なんだろ。変な形、だけど。おいしそうな匂いが」

「あ、あら。これ、知らないの? ソーセージっていうのよ。お肉」

「お肉!? こんな、動物が…………!?」


 目を見開いて愕然とする羅衣に「そんな訳ないでしょう」と頟を押さえた少女は、忍び笑いをおさえながら食卓に大皿を置いた。


(よかった、もうおちついたわ)


 シュルツが人差し指を動かして羅衣にソーセージの解説をしているうちに、シエラは奇妙な柱を発見して首を捻った。


「——は~…………動物の、腸? ん、腸って、どこの部位、ですか? 腕?」

「いや?」

「……脚?」

「……いや?」

「ねえ、ライ。あの変なのは、なんなのかしら?」


 腸を知ろうとする少年の、黒い服の裾をくいっと引っ張る。


「変なの、いうな。あれは、すごい物なんだ」

「すごい物にあんな仕打ちをしてるの!? どんな意味があるの?」

「俺は、……君の、足の小指を——……守りたいのさ」


 きりりっと真剣な瞳で、神妙に珍妙なことを呟く羅衣。

 彼のトート語を脳に伝える、自分の耳がおかしくなったのか心配になって、シエラは二つの大きな狐耳を触って確認した。


 ——問題なく、左右ともに付いているわね。

 それじゃあやっぱり、この子が変になっちゃったんだわ。


「おはよう。ライ、顔も洗って来ましたね」

「はい!」

「うふふ。よろしい。さあ、皆さん。まずは食事にしましょう」


 昨日のパンを温めて来たミラが、食卓中央にトンッ、とそのバケットを置いた。

 居間には三脚の椅子が三つある。以前はそれらに三人が座り、羅衣の膝上にはアテウが丸まっていたそうだ。

 だが、羅衣は年上の少女に自分の椅子を譲ると、背もたれのない丸い四脚椅子に腰を下ろした。

 遠慮するシエラに「いいから、いいから」と彼女の向かい側、シュルツの隣で手の平を見せる。


 ——気を遣わせちゃった…………、あら? この子ったら。


 アテウがシエラの膝に乗って来た。食卓から目の上だけを出して、鼻先を動かしている。

 向かいの少年は、自分ではなくシエラの膝を定位置にしたアテウにしょんぼりしていた。


「反抗期かぁ」




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