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てんせヰのゑゐゆう  作者: 皐月雨皐月晴
一章:安寧の日々
16/28

少年と夫婦と狐獣と少女と/参

 ノスエルン邸はテテ村の北東の一帯、高級住宅街の一角を占拠するように建っていた。

 侵入防止用の鉄線が巻き付けてある、鉄柵に囲まれた広い庭。キースの誇称(こしょう)はあながち間違い

 ではなく、村一番の豪邸には違いない。とはいっても、『豪華』に飽き飽きしている者もいるのだ。

 それが、この家の一人娘である。勘当(かんどう)も覚悟して、いいや、むしろこちらからそうするのだと、家出計画を実行するために、足音を忍ばせて脱出の機会を図っている。

 柵を乗り越える案は現実的ではない。シエラの握力では不可能だろう。それでなくとも大荷物を抱えているのだから、たとえ背中から翼が生えても問題は解決しない。

 それなればこそ、彼女は堂々と正門の鍵を開けて、正面から脱出しなければならない。

 絵空事を頭から追い出して、近くの水道の水で顔を洗う。きんと冷えた山の湧き水でも、まだ焦りと不安で一杯一杯な彼女を震わせることはできない。

 からからの喉を潤したいが……、トイレに行きたくなってしまうと危惧して、このときにはどうしても飲めなかった。 

 心臓の音を小さくできないかと本気で悩みながら、汗を拭いた少女は身を屈め、これからやるべき事を(はん)(すう)する。


 ——まずは、鍵を手に入れないとね。

 管理人室に行くのよ。


 庭に二ヶ所造られた、石の噴水近くの木陰に荷物を隠す。濡れていない地面を確かめてそっと置いたが、これらの大荷物はもう一人の自分を背負うよりも重いと感じた。

 噴水の中央から伸びる石柱内には、耐水強化が施された魔法機を搭載している。

 魔力をとおして起動させると、吹き上げられる噴水の水から予め設定された水の鳥が形作られ、群れで辺りを飛び回る仕組みだ。使用者ごとの魔力の違いは、その鳥の大きさと種類の差となる。

 これがキースの自慢になったらしく、商談に訪れた富豪達や国の魔法機職人に鳥達が羽ばたく様子を見せて、鼻の下に薄く伸ばした髭を撫でながらご満悦な彼を、シエラは何度も目撃した。

 夜の強い風が体を冷やす。じわじわとシエラの体温を低下させていく。

 少女は気を張って歩いていたが、一度大きな石に躓いてしまい「う…!」と小さく声を出してしまった。ブーツではなく普段の靴を履いていれば、今頃爪先(つまさき)は酷いさまになっていただろう。

 狐火を呼び出せればそれが一番なのだが、家の者に見つかってしまう恐れがある。

 なけなしの勇気と決心を、台無しにする危険は(おか)せない。

 苦手な夜の闇に身を隠しながら、彼女はぽつりと点いた豪邸の灯りを目指す。

 正門の鍵は、管理室に保管されている二番の鍵束のどれかだ。

 昔よく忍び込んで間食をねだっていた一階のそこへは、裏口から入ると最短距離で侵入できる。彼女の予想だと、この時刻ならば……五人の使用人全員がそこで酒盛をしている可能性が高い。

 そして、相手が酔っぱらっているのなら、彼女の幻術も抵抗されずに効力を発揮する自信があった。主神に授けられた力の使い道として正しいか否か、それを決定するのは己ではない。


 ——信じるの……! あいつらを幻術にはめて鍵を奪うまで、2分も掛からないわ。


 住居人の父娘が生活する部屋以外、ここ大理石の豪邸は大抵の場所が土足だ。使用人にも、(優遇し過ぎだとシエラは不満だが)小さいながら居住場所が与えられている。

 廊下は真っ暗ではなく、燭台の間隔こそ距離があるとはいえ、使用人が灯していた蝋燭の灯りでぼんやりと明るい。抜き足差し足で進んでいると、それこそ泥棒にでもなった気分だ。 

 見つかった際のいいわけなど決めていない。成功する未来だけを信じていたかったのだ。本音を白状すれば、焦りでそんなところまで気にする余裕もなかった彼女は、武者震いをすると灯りがもれるドアに近寄る。

 意を決して、そっとドアノブを捻った。


 ——……嘘……。


 2cmもない隙間から内部を確認した少女は、その目を覆いたくなるような『痴態』を目撃した。

 それなりに広い管理室内の机には、酒瓶と、使用人が勝手に持ち込んだ食べ物の数々。それも小魚の揚げ物や肉の燻製といった、いかにも酒の肴に好まれそうな料理が小皿に乗っている。

 使用人がこの部屋で堂々と飲食を行うなど、あの情けない男でも絶対に許可しないだろう。

 当初の予想に違わず、内部にいた五人の男達は。不真面目で、無規律で、


 ——なんて——……淫猥なの……!


 管理人室に設置された大型奥の置時計。

 その隣の壁に接している横長のソファーは——同じ型の物がシエラの部屋にも一つ置いてあった——村の革職人達の手で作られた特注品だ。とても座り心地が良く、腰を落とすと沈み込んで、そのまま眠ってしまいそうだった。

 そんな上質なソファーに。

 俯せで裸体を預けた『女その二』に覆い被さって、下半身を露出した男がひたすら腰を打ち付けていた。


 女を犯していた。


 二人の淫行を鑑賞する残りの四人は、厭らしい表情でにたにた下品に笑っている、ように見える。彼らもほぼ全裸だった。

 覗き込むシエラから見て正面を向いていた、一人の男にぶら下がっている性器が視界に入り、彼女の精神を深く削った。

 彼らの音が聞こえてこないのは、自分にとってせめてもの救いに思えた。机上の魔法機が作動しているに違いない。彼女がドアを押してあけたその音も、かきけしてくれたのだろう。

 静穏の魔法機は、シエラの第一印象で説明するならば『木の筒が真ん中で両断された形』をしており、中央部にある『魔球石』には、魔力がまだ半分以上込められている。

 あれが室内の音を吸収しているからこそ、彼らは家主が寝静まった夜明け前に、あのような多淫な行為に没頭できるのだ。

 シエラも男女の性については勉強しており、知識だけはあると自負していた。それでも、


 ——頭がおかしいのね…………狂ってる。

 あたしは今から、あんな所に……!


 挫けそうになる心に鞭を打つと、ドアから離れて顔を背け、少女は大きく酸素を吸った。室内の空気を吸うだけで身が汚されてしまうようで、彼女はずっと息を止めていた(夕食時にシエラを止めようとしたあの男は『満足』したらしく、今度は近くの二人が女にとびついた)。

 このまま回れ右をして立ち去りたいのはやまやまだが、少女の帰る場所はもう、木造の小さな離れではない。

 逃げ込む場所は、ない。女は度胸。やるのだ。覚悟を決めたはず。

 室内の広さは一度、大体は目測した。厚いドアを見つめて、部屋の範囲と人数を指定する。

 震える腕を額まで上げた。神は、この行いを許してくれるだろうか。

 霊玉の発現のために意識を——……。


 ——っ……! ……これは何!?


 脳内に突如、紫色の縁で囲ってある映像を送り込まれた。あまりに異常な感覚に心臓がはねる。

 かくん、と前の扉に激突しそうになった頭を、少女はすんでの所で支えた。

 日常にはない、この感覚はよく覚えている。練度は段違いながらも、まるで学び舎の授業中、講師にキテオンの幻術を掛けられたときとそっくりだと、そこまで考えたシエラは身を凍らせた。

 すなわち、自分は一瞬でも、誰かの幻術に掛かってしまったのだ。


 ——なんでっ!? なんでなの! どうしよう…………ばれてしまったの?

 あたしは、——あたしはどうしたら。


 今や半泣きの少女は叫びだしてしまいそうな恐怖感を押さえつけ、必死に頭を回転させた。幻 

 術の効果としては一瞬だったが、見せられた内容は頭に焼き付いている。


(誰がこんなのを)


 『それ』は、これから術を掛けようと、精神を集中させて特大の紫炎を呼び出した少女の肩を、廊下を歩いて来た『女その一』が掴んだ光景だった。

 あれが現実であるのなら、このあと1分も経たずに、廊下の左右どちらからの突き当たりから姿を現すのだろう。

 そうなってはもう遅い。少女の冒険もここで終わりだ。

 淫行の衝撃が見せた、自分の幻覚だとは思えないぐらいにはっきりとした映像を、しかしその衝撃からか——……彼女は信じた。

 ほぼ無意識で、管理人室全体にかけようとした大幻術ではなく、練度を高めた両手に収まるほどの狐火を二つ生み出すと、廊下突き当りのかど、二ヶ所に移動させる。

 キテオンの狐火で惑わすのならば、相手の眼前を覆うことが望ましい。物を燃やす性質をもたないその火を『女その一』の目線ぐらいの高さに固定したその瞬間、まるで示し合わせたかのように右の角から彼女が現れて、狐火に顔を突っ込んだ。


「——あ」


 小さく声を上げたが、術の効果は発動した。

 シエラが指を振った。左の廊下にも浮かばせていた狐火が、ひゅーんと空間を滑るように動いて対象にまとわりつく。幻を込めた二つの炎は、ふらふらとよろめく女を幻術世界に(いざな)った。

 シエラは急いで(念のため足音を立てない速度で)近付き、今にも倒れそうな体を支える。


 ——やった……! 同族相手では、術の掛かりは良くないと習ったけど……。


 痩せた『女その一』は、シエラがスープで汚したほうの女性だ。匂いから、酒を飲んでもいないらしい成人女性を惑わせたのは上々だと、呼吸を乱しながら歓喜する。

 あの幻影が、幸運が、この身を助けてくれたのは間違いない。狐人が灯りにも利用する明るい紫炎を始めから漂わせていたのなら、少女はその光で見つかって、こんな時間に廊下で何をしていたのか問い詰められていた未来しか見えない。

 まさに、絶好のタイミングだった。


「まだよ。気を抜かない……! ふぅ~。——これから、よね」


 500mを全力で走ったかのような疲労感を感じながらも、シエラは自らを叱咤(しった)する。

 シエラの術【紫火渦・操忘(そうぼう)】はまだ完成していない。女の額に指の腹を押し付けて、操るべく幻覚と意識を刷り込んでゆく。

 その内容は……。


 ——こんな時間に起き出したキースが、外出したいと言いだした。

 面倒臭いから、二階の部屋に鍵束ごと持って行く。

 ……あいつらをそう言い含めたそのあとに、なぜか裏口にいるシエラにこっそりそれを渡したら、あなたは家の大金を独り占めできる……。


 本紫色の眼がとろんとして、術者のシエラであっても息をしているのか心配になる様子で虚空を見ていた女は、すくりと立ち上がって歩き出した。

 扉を開けて尾まで中に消えたところを見届けてから、シエラは裏口へと走る。

 室内の音は聞こえないため、彼女には上手くいったか否かを確認する手段はない。



 成功を、ただただ天に祈るのみ。








「はぁー。これで、やれることはやったわ。偉い! 私。可愛い!」


 裏口の扉に背中を預けて、手で顔を煽ぎながら少女は呟いた。嘘はついていない。一つも。

 心臓の鼓動も緩やかになった。

 落ち着きを取り戻してからは、知ったつもりになっていた、この家の人々を思う。

 長い付き合いの者、短い付き合いの者。例外なく全員、今でも嫌いだ。

 とはいえ——……シエラの胸にあった怒りは、すでに消えた。


(ただ、かわいそうよね)


 『哀れ』だ。


 ——あんな二人にいいように利用されている『男』も、利用している女狐二人も、汚らわしい使用人たちも、みんな同じだわ。

 お互いを愛してなんかいない。

 理性も尊厳もない。

 一時の快楽だけを(むさぼ)って、誰かを(ねた)んで、利用して、蔑んで、好き勝手して、良心が痛まない。

 神様に愛されているのに、大変な思いをしてお母さんが産んでくれたのに、この村で平和に生きていられるのに、どうして?

 どうして、あんな悲しい生き方しかできないの?


 愚かしい元父親は、今このときも、二階の自室で(いびき)でもかいて眠っている。

 あの管理人室では、今このときも、彼らが如何わしい行為に夢中になっている。

 シエラは静かに天井の夥しい照明魔法機を数えていたが、しばらくすると胸の奥からこの上ない虚しさが込み上げてきて、ぶわりと涙が溢れでた。頬を流れた雫、昌石の床にぽたぽた垂れる。

 蝋燭の灯りが点々と点いている廊下で、呼吸が乱れてしまうぐらい、深い悲しみに(ひた)っていた。


「うう——……う、うぅ~…………」


 どうして、なのだろうか。

 こんな家の恥部など、彼らの(ただ)れた内情など、すぐにここを去る少女には関係ないというのに。

 生き辛い、おもぐるしい環境、あれやこれやから解放されるというのに。

『脱獄』できるというのに。

『どうして』ではない。自分にはもう、どうでもよいではないか。

 されど、抑えきれない涙、止めどなく溢れて。


 ——お母、さん…………。


 未練はないと強がっても。この家は亡き母との思い出残る、シエラの『帰るべき場所』だった。

 夏のあの日、庭では母娘で星を見た。

 神様が見守ってくれてるよ! 若い母はシエラの手を握って、一人娘を励ますように笑った。

 噴水の鳥は、エリーには見せてあげられなかった。

 彼女が亡くなって、若い女性の石職人三人が他村からやって来た。お母様には、お世話になりましたから。少女の手を一人ずつ握ってそう話した彼女たちが、噴水の石柱内部を()()いて、のちに調べてみたら50万円近くする貴重な魔法機を埋め込んでくれたのだ。

 心を許していたあの使用人と二人、水の鳥が羽ばたく下で、少女は横笛の音色を響かせた。

 その笛を吹く日も、少なくなった。

 自分の部屋に飾っていた、綺麗な三つの石は、まだ机の引き出しの中にあるだろうか。勝手にもう誰かが入って来て、ごみだと決め付け、捨ててしまっただろうか。

 自分が熱を出した日、大雨が降った日に。開けていた窓から大きな虫が入ってきて、シエラは隣室の母をびっくりさせた悲鳴を——……。


 ——そうだわ! あの黄色い紐の巾着……、椛の模様がかわいかったお気に入り。

 お母さんと二人、手を繋いで買いに行った物よ。

 …………そんな、なんで忘れてたの……?

 お母さんとの思い出までも、捨て去りたかったわけじゃ、ないのに!



 ——こんなあたしを見て、あの人はなんていうのかしら。



 のろのろと、女が歩いて来た。

 よく見えない。鍵束を差しだしているのか。

 涙が。記憶が。

 最後の『檻』が、少女の素朴な心を閉じ込めて、おしつぶす。

 ここまで頑張ったというのに、心がいうことを聞かない。腹を据えた、あの覚悟はどうしたのか。

 腕も動かなくなってしまった。



 ——もう、駄目ね……。






 ——あたしは。












 潤んだ世界が、不意に移り変わった。

 どこかの部屋の中に思える。紫色が、部屋を薄く照らしている。殺風景な夜の室内であった。

 光源は見つからない。というのに、豪邸の照明機よりもよく見える、本紫色の光の荕。

 その部屋には机と椅子、あとはベッドが置いてあるぐらいで、ここのあるじの特徴を推察できる物は見当たらない。だが、そのあるじは。

 ベッドの中で、暖かそうな毛布を顎まで押し上げて熟睡していた。

 『彼』の顔に近付いてゆく。


 ——ライ?


 バンダナを巻いていないと、随分印象が変わって見える。暗い室内に溶ける長い黒髪。仰向けで万歳をしている少年の薄い唇は閉じられて、鼻でゆっくりと呼吸している。

 その寝顔がとても幸せそうで……、羨ましいのか、小憎らしいのか。

 シエラはなぜだかわからないが、一人ぷふっと吹き出しそうになった。


(もうっ、この子は)


 のんきに人の気も知らないで~。と、八つ当たり気味に不満をはきだす。

 鼻をつまんでみようか。

 勿論睡眠中の羅衣にとっては、なんのことやらさっぱりだっただろう。

 シエラはこの景色も幻だと考えた。が、もう少しだけ、幼い少年の寝顔を眺めていたかった。

 ほどなく曇り空を連想する、紫の雲がもくもくと出てきた。それらは視界を妨げ始めている。

 ややあって、シエラは再び、羅衣の耳にも聞こえるように言葉を(つむ)いだ。


「待ってなさい」


(今から、会いに行ってやるんだから)



 現実に戻ってきた。

 涙は流し終えた。

 シエラの心は、うってかわって晴れ晴れとしていた。

 鍵束を差し出す女は虚ろな表情のままで目の前に(たたず)んでおり、無言でそれを受け取ると(きびす)を返して去って行く。行ってしまう。

 黄色いレースの寝巻が、廊下を曲がって見えなくなった。

 自分の、この胸の感情に合点がいかない。

 まさか、彼女との別れを、寂しい、なんて感じているのではないだろう。

 だのに、あたしが汚したあの服の染みは落ちるかしら、それを気懸りにさえ思う。

 あの二人はシエラを見下して、しょっちゅう顔を寄せ合っては陰言を口にしていた。それで、

 それがなんだというのか。少女はもう、そんなものに心を沈ませたりはしない。


(これで、最後)


 シエラのこれからの未来に、彼女らはいないのだ。


 ——せいぜい贅沢をして、皆さんで仲良くお幸せに。

 今夜は自分の部屋に戻って、よく眠ってね。

 これでお終い。




 シエラは走らない。根拠はないが、これで大丈夫だという自信があった。

 以前は毎晩怖がった暗闇も、歩みを進める彼女の懸念たりえない。

 変わらず置かれていた荷物を背負い、手に持ち、胸を張って進む。

 雪が解けて水溜まりになった場所にも、構わず革靴を踏み入れた。小さな水音を置き去りに、小さな狐火を纏った少女は小石の道を進む。

 重くない、とまではいえずとも、憂いがなくなったからか——中に詰め込んだ物が消えてしまったのかと錯覚するまでに軽い。

 両脇の噴水を一瞥(いちべつ)して僅かな時間立ち止まった、ほんのりと本紫色に輝くシエラを、高い植木に止まって目立つ青い鳥が首を動かしながら観察していた。

 親子だろうか、数匹のアテウが茂みから顔を出している。夜目の効かない少女にも、彼らの光る双眼が見える。自分の頬を触ってにこりとした。最近は、あの動物がかわいく思えてしょうがない。

 鍵を開けて、門が音を立てる。冬には開きが悪い日ばかりだが、今日はそうではないらしい。

 心穏やかに鍵束を正門付近に置くと、シエラは淡々と鉄門を閉めて前を向いた。

 見慣れた家並みが、彼女を音なく出迎えた。


「さようなら。お世話になりました」


(お母さん)




 ——いってきます。







 この世の不可解な現象を、神の行い——奇蹟と云う。それは……神の祝福なのだろうか。

 シエラが振った手の指先から、明るく美しい紫の光が(ほとばし)り、胸元でパンッと弾けた。小雨の如くシエラの頭から全身に降り注ぎ、白い肌へ吸い込まれたように消えた。  

 彼女は今夜、自分が主神テテライヤに助けられたという現実を直感していた。額のくっきりと表れている神紋に両手を翳し、主神に深く感謝の意を伝える。




『檻』は開いた。








 シエラ・ノスエルンは、望んだ自由を手にいれた。



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