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 高い塀に囲まれた学び舎の正面にしかない門を潜ると、石畳の向こうにある簡易的な山城を彷彿(ほうふつ)とさせる学び舎が見えてくる。


 左近がこの学び舎での生活を終えたのは、およそ六年前。

 この乱世の時代、人手が足りないこともあって、次々と任務が舞い込んでくる。十六の年を迎え、一人で任務に出ることを許されるようになってからは長崎など遠地にも向かうようになり、里をほとんど留守にしていたのだ。ここを訪れるのも随分と久しぶりのことで、だいぶ足が遠のいてしまっていた。



(こんな形で学び舎に戻ってくるなんて……)



 かつての師が仕事部屋として使っている部屋へと続く廊下を記憶を辿(たど)りながら歩いていく。存外まだ覚えていられるもので、その部屋の前で跪坐(きざ)で控え、戸越しに中へ声をかけた。



「先生。和泉(いずみ)です」

「あぁ、戻ったか。入りなさい」

「はい」



 静かに戸を開けると、師である(さかき)が何やら紙に書きつけているところだった。頭を一度軽く下げてから中へ入り、そのまま閉めた戸の横隅へ座った。



「翁から話は聞いている。以之梅の連中は任せたぞ」

「はい。……その、先生。間に合わず、申し訳ございませんでした」

「いや、お前は任務で遠地にいたのだ。仕方あるまい」

「ですが。もっと早くに情報を掴んでいれば」



 今さら悔いたところで何が変わるというわけではないが、左近はそう口にせずにはいられなかった。


 大名達が群雄割拠するこの戦の世で、いくつかの領地で何やらきな臭い動きが見られるということで、動ける中でもそれなりの者達を間者として向かわせていた時に起きた突然の襲撃事件。


 学び舎を出たものの、一人前の八咫烏として認められる四年目にまだ満たない齢十五までの者達が学び舎の周囲を、そして任務が割り当てられていない非番の八咫烏が里の周囲を、雛達に忍びのいろはを教える師達が学び舎内を哨戒(しょうかい)するという三重網を敷いていた。そこまで念には念を入れていたからこそ、雛()全員無事であったのだ。



(その武将達の策だとして、各地に散らばせ、集団からそれぞれ個にして手薄な時を狙う。戦術として確かに間違ってはいない。でも……)



 次々に()いてくる怒りが身体を巡る血潮を、瞳を逆に冷えさせる。


 しかし、廊下の向こうからおそらくこの部屋に向かってくるパタパタと軽快な足取りが聞こえた瞬間、その瞳の仄暗い影色はすっと目蓋(まぶた)の裏に隠れた。



「しつれいします!」



 それからすぐに予想通り部屋の前で足音が消え、元気な声がかけられる。榊が許可を出すのも待てたか待てなかったかぐらいの速さで部屋の戸をあけ、ひょっこりと顔を覗かせたのはまだ幼い少年の二人組だった。



「せんせー! しゅくだいもってきましたー!」

「あれ? おきゃくさまでした?」

「……あっ! あっ、あっ!」



 不思議そうに小首を傾げて聞いてくる少年の隣で、利発そうな顔つきの少年が慌てた様子で頭をさっと下げた。隣に立つ友が頭を下げるのを見て慌てて表情を改め、背筋を正してその少年も頭を下げる。それに左近は笑みを浮かべて応えた。



「丁度良かった。宗右衛門は顔を知っていたようだな。彼は長期任務に出られた高槻先生の代わりに明日からお前達を受け持つ和泉(いずみ)左近先生だ」

「えっ! ほんとうですか!?」

「あぁ」

「わっ! わわっ!」

「ね、ね。さこんせんせいって、あの、さこんせんせいかな? あの、わなづくりがじょうずだってせんぱいたちがおっしゃってた」



 榊と左近の顔を交互に忙しなく見る少年の顔は喜色に満ちている。そのどこか夢心地な少年の肘を小突いた少年が小声で耳打ちした。といっても、その小声は子供の感覚での小声で、その実、たいして小声にはなっていない。左近にも、もちろん榊にも筒抜けである。



「上手かどうかは分からないけれど、罠や絡繰りを考えて仕掛けるのは得意かな」

「ほら、お前達。ちゃんと挨拶をしなさい」

「お、じゃないっ。わ、わたしはいのうめのそうえもんです!」

「おなじく、こたろうですっ」

「うん、覚えたよ。よろしくね、二人とも」

『はいっ』



 ちゃっかり隣に腰を下ろした二人の頭を左近が両手を伸ばして撫でてやる。すると、二人とも一瞬きょとんとした後、どちらからともなく、くすぐったそうな笑みを見せた。



(……この笑顔、作られているものではない、かな?)



 雛達には襲撃の事実はあれど、返り討ちにして被害も建物などの破壊のみだと伝えられた。幸い里出身の雛の親で命を落とした者はいない。葬式にさえ出なければ、襲撃に遭ったという恐ろしい想いはするだろうが、その先の感情を知ることはない。


 いくら明日命を落とすことになるかもしれない世とはいえ、この里、この学び舎で数多の親鳥達に護られるうちは紅に染まる敵も味方も見せはしない。甘さとも取れるかもしれないが、こんな世であるからこそ、だ。見ずにいても許される間は見なくていい。どうせいつかは(それ)と隣り合わせになるのだから。


 左近は笑顔に真意を隠してじっと二人のことを観察した。が、二人の言動を鑑みて、きちんと子供らしく(・・・・・)数多の翼で目を覆われていたのだと胸を撫でおろした。


 たまにいるのだ。酷く勘のいい子が。そんな子は自分の今の状況と、自分達が許される範囲の外出で見た外の状況との差に疑問を覚え、真実を知ろうともがくのだ。そして、いざ全てを知った時、(なげ)くことになる。せっかく大人達が真綿でできた(から)でその身を丸ごと(くる)んでいたというのに。



「先生と話があるんだが、まだ何かあるか?」

「あっ、いえ!」

「しつれーしましたっ」

「しつれいしましたっ!」



 二人は手を取り、もと来た道を引き返していった。


 その足音と、先ほど見せてくれた笑みに、大切なモノはまだ手の内にあるとようやく実感することができた。まるで春の木漏れ日のように、荒んだ心を雪解けの役割を果たすかのように、子供達の存在がいつもの自分を取り戻してくれるのを、左近は自分でも自覚した。



「元気な良い子達ですね」

「まぁ、な。……ちょいとばかり好奇心が過ぎる所もあるが、お前達ほどではないし」

「え?」

「いや、こっちの話だ。なんでもない」



 それから残りの以之梅の雛達の情報や、これから左近がこの学び舎内で過ごすにあたっての必要事項などの申し送りを受けた。



「そうだ。伊織達ももう戻ってきているぞ。今どこにいるかは知らんが」

「そうですか。なら、探しに行こうかな。荷物も片付けなければなりませんし」

「行く途中で絡繰りや罠を仕掛けるなよ?」

「……ふふっ。いやいや。さすがの僕も帰ってきてすぐに仕掛けられるほど準備してません」

「……帰ってきてすぐじゃなかったらするのか。準備できたら仕掛けるのか」

「あ。僕、もう行きますね」



 場に(ただよ)う懐かしい雰囲気に、この後起こることが容易に想像がつき、左近は素早く腰を上げた。そして、素早く戸を開け放ち、タタッと戸の裏手まで回る。そのまま軽く頭を下げて部屋を去っていった。

 それを文机を飛び越えて追いかけ、榊は戸を掴んで廊下の角に消える左近の背に向かって声を張り上げた。



「今のお前は指導する立場だということを忘れるなーっ! ……まったく。相変わらず逃げ足の速い」



 口では悪態をついているものの、その口元には緩やかな微笑がのせられている。かつての教え子がこうして元気に戻ってきてくれたことに、榊は少なからず安堵していた。


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