つばめ色の自由
九時四十五分の瞳に魅入られて、すっかり蝶になってしまったように、私は夢の中でまどろんでいた。入れ子のようにまどろんでいた。
起き抜けにボトルから飲む水はレモンの香りがつよい。体内が消毒されるような気分になる。そして明かりを点けて階下へ降りた。
昨日枕元で読んでいたはずの本が、下りきった足元に落ちている。銀河鉄道の煙の色をした、ドレープカーテンの隙間から差し込んでくる光にあてられて、表紙は宝石屑のきらめきを見せた。
「おはよう」
白テーブル上の、返しのついた鍵にそう声を掛ける。返しがついている鍵に話しかければ、それはもう返答の確約されたものなのだ。持ち手のところの金メッキが少しはげて、鉄色の本性がのぞいている。一度差し込んだら外れない。だから私は寿里が置いていったあの箱を開けられない。
バルコニーのプランターで綿花が咲いている。軒先につばめの巣があり、雛はまだ生まれていないのか、鎮まっており、親鳥も見当たらなかった。毎年この時期になると決まって同じ場所につばめがやってきて営巣するのだった。
網戸を開けると、綿花に水をやった。ついでに、支柱がきちんと立っているか確認する。知人から戯れにもらった種からこの習慣は始まった。完全に惰性である。しかし種は撒かねばならない。私に私の使命があるように種には種の使命があり、私は私のそれと同様に、彼らのそれを無視してはならない。
私は朝食を作り始めた。寿里が書いた手順に沿って。字体は図書館にはさまれたままの見知らぬ人のものに似ていた。たった三日間だけ、住まいを共にした彼女。
一週間前、泥まみれの女性を家へ招き入れた。それが寿里だった。何かから逃げてきたようだった。
毎食、寿里は食いかけを残した。それを私が食べた。食べていない時彼女は眠っていた。純白のネグリジェ一つで、タオルケットにくるまり眠り続けていた。私が起こさなければ水も飲まなかった。頬に血色はなかった。しかし明け方、まだ誰も起きぬほどの早朝、夜の顔を持つ絶妙な朝に、布団の隣の温もりは一度消えた。私は初日、彼女が出ていくのかと思った。咄嗟に声を出して引き留めようとしたが、出なかった。そうして二時間ほどすると彼女は戻ってきて、何事もなかったかのように眠り、私に起こされないと朝食にも間に合わないのだった。
三日後、寿里はついぞ、自分を匿った男の名すら聞かずに、頭を下げた。
「ありがとうございました。出て行きます」
「もう、行ってしまうのか」
思わず、本音が出た。もう行って良いのか、そう尋ねるべきだったのに。全く下心がなかったといえばウソになる。私は薄着一枚で眠る彼女と布団を共にしてきた。風呂に入れた寿里が見違えて清楚になった瞬間から自分の中の情欲が、湯につかりこんだ石鹸のように少しずつ染み出すのを自覚していたのだった。仕事も三日間、突発で休んだのは、憂慮だけが理由と胸を張っては言えなかった。
見透かしたように、いや、見透かすまでもなかった。私のその台詞が全てを白状していたのだろう、寿里はつばめの風切羽のようにやわらかい、あの細長い黒色のまなこに笑みを浮かべた。濃い色気をまとって、優美に。
「あなたを恋人にはできません。あなたには大きな恩ができた。それは恋人になることで返せる軽い恩ではないのです」
私は言葉もなくただ頷いた。私に芽生えた若い女へのこの心は、寿里から見てどんなだっただろう。私はその瞳の中に軽蔑を探した。見つからなかった。そこには少しうつろな諦めがあるばかりだった。
「ありがとう。大変お世話になりました。きっと返しに来ます。恩を返しに来ます」
もし私に何かあったら、あの箱を開けてください。これが鍵です。返しがついています。一度さしたら、つっかかって抜けなくなります。左に回してください。きっと左に回してくださいね。念押しをして寿里は走り去った。私の家から。
訃報は彼女の夫から届けられた。一本の電話。「何かあったら」と別れ際に伝えた固定電話に、一か月後に。私はその時留守にしていて、音声記録には、「一条寿里の夫の、一条カズヒロと申します。月原様のお宅でお間違いないでしょうか。妻の寿里が身まかりました。病でした。寿里の電話帳に記録のあったものですから、ご連絡いたしました。生前きっと大変お世話になったことと思います。ありがとうございました。葬儀は家族葬で執り行いました。お世話になりました。留守電にて失礼いたします」という、手本を読んだかのように流暢で起伏のない伝言と、九時四十五分という時間が残っていた。
もし私が在宅だったら、と私は考えざるを得なかった。見知らぬ発信番号を不審に思い受話器を取っていたら。私は何かを知ることができただろうか。知ったところで、何かできただろうか。夫と名乗る人物の声音は、私と似たような年齢に思われた。それは寿里には不相応に年上だった。寿里は齢二十ほどに見えた。いやもっと幼かったかもしれない。夕飯の席で酒を、飲むかと一杯すすめたら、戸惑ったように飲めませんと小声で断られたことを思い出す。一方私はもうすぐ四十に手が届く年だった。
パイプオルガンのパイプのように整った段差を描く過去への憧憬。三日間への片道切符を探す手が止まない。何にも聞かずに置いてください、三日で良いですからと、初夏の泥の臭気に溢れた彼女の、口から出た言葉に、私はあらがうべきだったのか。聞いてくれるなというのを押してでも、聞くべきだったのか。誰のために?
「おやすみ」
私は五分も経たぬうちに、鍵に再び挨拶をした。寿里が死んでから、いつだってまどろんでいる。寿里の永遠の眠りに感染したように夢心地でいる。起きてもすることがない。話す相手がない。寿里がいない。からからに乾燥しきった樹液になった気分だ。小鳥たちよどうか削っていってくれ、このだるい甘さを己の養分として、夏の世を生き延びてくれ。私はもういい。
朝陽の中、私は再び目を瞑る。――物音に、再び目を覚ます。
窓が開いていた。ひとりでに。
その向こうに、純白のネグリジェ姿の彼女が現れた。私は知っている。あの触り心地はシルクだった。繭ごと茹でられて、成虫になれず死にゆく犠牲の上に作られた、滑らかな肌着。上は鎖骨の部分まで布があり、レースでふちどられていた。下は長く、しかしチャイナドレスの様にスリットが入っていて、そこから惜しげもなく青白い腿が見えていた。見えるたびに私はタオルケットをかけなおしてやった。かけなおすと幼児の掌握反射のごとくタオルケットをかきあつめ、うずくまるような姿勢を、彼女は取り直すのだった。
なあ本当に病だったのか。どんな病だったんだ。医者にはかかっていたのか。あの日何があったんだ。どうしてよりによってこの私の家を選んだのだ。寿里、お前が選んだのか。それとも、神が選んだのか。私たちが信じているふりをしている、見ないふりをしている、あの、神が。
問いかけると彼女の背から翼が広げられた。羽根が六つ、上から下に連なっただけの、飛ぶにはおぼつかない大きさ。飛び続けるにはこころもとない薄さ。ほんのり紺を混ぜたような、限りなく黒に近い、絶妙な色合い。それは軒先に飛来するつばめの翼そのものだった。
私を連れて行ってくれ。飛べるのなら。その翼で飛んでいってしまうのなら。飛んでいくだけの自由が、お前にはあったのか? 寿里……。
夢の中で私は手を伸ばしていたらしかった。本当の覚醒をむかえると、腕が引き攣れたように痛かった。私は布団から這い出るとボトルから檸檬水を一口飲んだ。酸味にぶるりと身を震わせる。頭を振ると、少し視界がはっきりしてきた。確かに寿里はいなかった。
白いテーブルの上に、箱がある。ヒノキの芳香ただよう、白木製の箱。両手に収まるほどの小さな箱。その錠前に、鍵が差し込まれていた。
私は目を疑った。テーブルの上にあったはずの鍵が、何故。決してもう開けられないと心に誓った箱に、何故。
「おい」
鍵は返事をしなかった。私は震える手で鍵の柄をつかんだ。きれいに塗装された金色が光る。剥げているところは見当たらない。あれも夢だったというのか。いつだ。いつ差した。差した夢は見なかった。夢ばかり見ていた。現実を見落としたのか? 私が己の手で……決定的瞬間を。
差さってしまった鍵。もう抜けない。私は反時計周りに回した。
きい、と小さく呻きながら、蓋がひとりでに開く。中を覗きこもうとして、私は何度も目を瞑った。次の瞬間に放たれるであろう銃弾に怯える、少年兵のように。決定的な行為のように思われた。
いよいよ意を決して私は箱の中身に視線を注いだ。
中には、なにかふわふわしたものが数個あった。つまんで取り出すと、綿花を摘む時に似た感触があった。限りなく近く、しかしどこか違う。私はカーテンを開け、一円玉ほどの綿のようなものを陽光に翳した。
それは一枚の綿毛だった。布団を干して叩いた時、稀に出てくる、手触りの良い羽毛。色は薄いグレイだった。拍子抜けするほど見覚えのあるそれを前に、私はどんな顔をしていいのかわからず、立ち尽くした。
ふと窓の外に小さな影が二つ三つ現れた。バルコニーの手すりにつばめが二羽、留まっていた。いずれ飛び去ってしまうその姿に、私は私の使命を重ねた。
まさかと思うほど簡単に、つばめは私に捕獲された。餌とつっかえ棒とザルという、まさに原始的な手法によって。
私は物置から古い鳥かごを持ち出して、その中につばめを幽閉した。鳥かごには昔飼っていた桜文鳥のにおいがしみついているのか、つばめは不愉快そうにかごの中で飛び回っていたが、やがて止まり木にあしをかけてじっとこちらを見つめるようになった。
つぶらな瞳だ。感情は読み取れない。私は最後に寿里の眼に見た諦めを疑い始めた。軽蔑のなかったことも一緒くたに疑い始めた。何もかも、私の思いたいようなまなざしにとらえていただけだったのではないか。しかしどうでもよかった。寿里には寿里のエゴイズムがあり、私には私のエゴイズムがあり、つばめにはつばめの、綿花には綿花のエゴイズムがある。それが庇護されるとしても、されぬとしても、もう咎められない。寿里はいない。私の未来は寿里が残した羽毛の色に靄がかってもう見えない。機械のように働くために、私はつばめに餌をやると、通勤列車に乗った。
列車ははじめの方は空いている。徐々に混雑していき、最終的に身動きが取れなくなる。私は空いている時と身動きが取れない時の中間を最も嫌った。変に身体の自由があるといけない。互いの自由が互いの不快となる。隣人の新聞紙の角が鼻孔に入りそうになるのを我慢しながら私は思う。
おはようございます。おはようございます。呼び声に返事。電話の鳴る音。受話器の置かれる音。あの日私が在宅だったら。書類が印刷されて出てくる。私はそれに判を押す。私はいつ鍵を差し込んだのだろう。営業が外回りに出ている間冷房の設定温度は経理の年配女性によって少しだけあげられる。スーツの上着を脱ぐ。営業が帰って来る。報告書が提出されるまで手持無沙汰である。冷房の設定温度は若く汗ひかる青年によって下げられる。経理の女性がまず帰った。次に営業。事務。人事の私、最後に私は私のデスクライトを消す。
外へ出ると雨が降っていた。置き傘を取りに階段を昇る。階段を降りる。手にはこうもり傘がある。これで濡れずにすむ。そしてなんでもない晴れの日にこの傘をまた置いていくのだ。くだらない用意のために、奇妙な目で見られながらも。
つばめはそこにいた。鳥かごの中に。私は夕食を作った。寿里はどうして朝食の手順だけを書いて寄越したのだろう。それは三日目の朝、寿里が出ていくと言い出す直前に手渡されたものだった。朝食は健康そうな色合いのものが作れるようになった。一方、私がつくる夕食は大抵茶色い。申し訳程度にネギやニラやパセリなんかで彩を作ろうとしてみるも空しく、全体的に茶色い。今日にいたっては帰りがけに肉屋で買った肉をたれで焼いただけである。玄米と一緒に食べる。寿里が玄米を物珍しそうに見ていたのを思い出す。つばめは仮睡を取っていた。
その眠りを、かごごと揺らして覚ます。練った餌を小さじに入れて与えながら、私はもう片方の手でピンセットを掴んだ。
胸の綿毛が引き抜かれた瞬間、つばめはキッと鳴いて、あちこちぶつかりながらひとしきり暴れ回った。
つばめは日に日に衰弱していった。バッタなどを捕まえてやってもすぐ腹がすくらしくせがまれる。私は捕り物は得意でなかった。幸い隣の家の庭がバッタに荒らされているとのうわさ話を聞きつけ、頼み込んで入らせてもらい、大量のバッタを捕ったが、殺して置いておくと一日いできれいになくなっていた。ペットショップで売っている餌もやったが、飼いつばめに長生きは難しいと、販売員に言われた。寿里が残した箱の中に私はつばめのダウンを入れた。いっぱいになるのを待たずに、つばめの胸は痛々しくはげていった。少し経つとチクチクととげのようなものが生えてきた。私は箱の中とつばめの胸とを比べて、もう充分だと思った。
一か月後の朝、私はつばめを放った。つばめはよろよろしながらなんとか飛行した。数秒も経たないうちに別のつばめがやってきて、寄り添うように飛行し始めた。私は涙が溢れるのを自覚した。灰色のドレープカーテンをしめると、私は箱の中のわずかな羽毛に指をさしいれた。もうどれが寿里が残したもので、どれが私の採取したものかわからなくなっていた。それでよかった。私の未来はこれがすべてだった。
そして私はペンを執り、連絡先の少ない電話帳を開いた。
一条寿里。連絡先、不明。そのページを開いたまま、しばし眺めた。
それから私は書店へ行き、画の描き方指南の書籍をいくつか購って帰宅した。女の裸体。小鳥の骨格。羽根。衣類。腿。肢。筋肉。
画の心得など全くない。一から始めるのだ。私は、彼女を救えなかった。彼女を引き留められなかった。あのつばめは生きているだろうか。あれだけ弱っていたら――あれだけ弱っていたら、寿里が病だと、私はどうして気づけなかっただろうか。すべては手遅れだった。私は永遠に寿里の眠りと、実在しない切符に憑りつかれて未来を創る。
一条寿里の連絡先が書かれたページをひとつめくり、真新しいページに、鉛筆でゆっくりと、女のボディラインを模写し始める。眠気と戦いながら、時折気を失いながら、私は描き続けた。寿里の教えてくれた朝食を作り、出勤し、判を押し、帰宅し、雨が降ったらこうもり傘を差し、帰宅したら茶色い夕飯を摂り、画の練習をする。電話帳の最後のページを残して、私は画帳を揃えた。来る日も来る日も、習作が増えていく。なかなか上達しなかった。それでも誰かに教えを乞うには、時間は余り過ぎている。
私のつばめ色に染まった未来。玄色の未来。
私は寿里に惹かれた過去を紡ぐようにして、その未来のために己の意識を現実へ留め続けるのだ。
いつか自由に羽ばたくつばめ色の有翼の寿里を、電話帳の最後のページに、完璧に描けるその日まで。
九時四十五分、ご臨終です。お疲れさまでした。寝台に横たわる私に、医師がそっと囁くのが聞こえた。
月原聡――私の診ていた末期癌患者は、私の目の前で静かな眠りについた。
またの名を、月条里志。日本中にその名を広く知らしめた数々の絵画。私は後の日、遺作となった『つばめ色の自由』を、美術館で目にした。それは、純白のネグリジェ姿で、紺色の翼を広げて空を飛ぶ、若い女性の姿の優雅な自由だった。画の一部には、本物のつばめの羽毛が、画の羽毛に交じって数枚散らされていた。