ラムズイヤー
「さてさて、いよいよこの日がやってきたわね」
両隣にはロジーとスノー、目の前のテーブルには全体が白い産毛に覆われたシルバーリーフが置いてあり、その先端には淡い赤紫の花を咲かせている。
触ってみると肉厚で、白い産毛のおかげでフェルトのような触り心地。
そう、目の前にあるのは☆六の【ラムズイヤー】だ。その名の通り、白い産毛に覆われ茎から垂れ下がったその姿が子羊の耳に似ていることからその名が付けられた。
「ふ〜ん、確かに羊の魔獣の耳っぽいね」
口元を緩ませ、ラムズイヤーの耳をフニフニと触るロジー。でしょ? 触り心地たまらないでしょ?
「あ、羊の魔獣いるんだ」
「ナイトメアシープと言って、危険を察知すると、近づく者に悪夢を見せる厄介な魔獣だ。その毛はどんな高級毛皮にも劣らない最高品質のウールを生み出すと聞く。最近ではナイトメアシープを飼育する変わり者もいると聞いたな」
ロジーと同じく柔らかなその葉を指で撫でるスノーがそんな事を教えてくれた。
「悪夢を見せられるのに?」
「言っただろ? 危険を感じると悪夢を見せると。要はこちらが敵意を見せなければいいんだ。まぁ、それでも時々失敗して悪夢を見せられる人間はいるがな。それ故にナイトメアシープを飼育する人間はほんの一握りしかいない」
ナイトメアシープね。ちょっと怖いけど人間が飼育できる魔獣だなんて、面白いわね。機会があったら見てみたいけど、そんな厄介な魔獣を飼育してる人は僅からしいから望み薄ね。
「まぁ、雑談はこの辺りにして、そろそろ始めますか。どんな効果が現れるか分からないから、二人共頼んだわよ」
「まっかせて‼︎」
「どんな事があっても守ってみせるさ」
心強い二人の言葉に、ニッと笑って葉っぱ一枚ちぎった。
鑑定では、『一枚ちぎって咥えれば……』としか表示されなかった。試してみなければ分からないって事よね。
好奇心と、緊張で胸の鼓動が高鳴る。
「それでは、いざ‼︎」
思い切って、パクッと葉っぱを咥えてみた。ふわふわとした柔らかい触感が唇に当たる。
「………………」
「……何も……起こりませんね……」
「何だよー。何も起こらないじゃん」
「何か発動条件でもあるのか?」
発動条件……ね。試しに魔力でも流してみたが、変化なし。ん〜なんだろ……。
葉っぱを咥え頭を傾げると、ドライハーブが入った瓶に自分の顔が鏡のように映った。
ふふふっ。葉っぱを加えるなんて忍者みたいね。あ、それ巻物か。……葉っぱって言ったら狸だっけ? あれ? 狐か。そしてドロンって……
ふと、そんな事が頭をよぎった……次の瞬間‼︎
ボフン‼︎
「ぎ……ぎゃあーーーーーーー‼︎」
「リリー‼︎ お、おい‼︎」
ロジーの叫びとスノーの慌てた様子が、何故か上の方から聞こえる。あれ? なんか目線低くない?
キョロキョロと周りを見回せば、キャビネットのガラス扉にあり得ない姿が映し出されていた。
まぁ、なんという事でしょう……
ガラスに映し出されたその姿は、狐と狸を足して二で割ったような珍獣だった。
「げ。もしかしなくてもこれ私?」
「リリー⁉︎ やっぱりリリーなの⁉︎」
「なんて……なんて事だ……リリーが魔獣に……私が付いていながら‼︎」
ロジーは目を点にし、スノーは青ざめた顔でフラフラとテーブルに手を突いている。
「あ、あはははは。なんだこれ……」
「笑い事じゃないって‼︎ どーすんだよリリー‼︎ このまま一生なんて事ないよね? ないよね⁉︎」
「あー。多分大丈夫だと思う……」
そう言った直後、ラボの扉を強く叩く音がした。
「リリー‼︎ どうかしたのか⁉︎ さっきの叫びは何だ⁉︎ 大丈夫なのか⁉︎」
クラウスさん……。きっとさっきのロジーの叫び声が聞こえて飛んできてくれたのだろう。
そして、ガチャ……と扉のノブが下がった。
「ダメ‼︎‼︎」
そう叫んだが、時すでに遅し……
「魔獣か‼︎ リリーどこだ⁉︎」
そう言って剣を抜くクラウスさん。いやいやいやいや待って待って‼︎
「はぁ〜……おい、大丈夫だから剣引っ込めろ」
ため息を吐きながらスノーがクラウスさんの剣を押さえた。
「だが……」
だよね。叫び声を聞いて飛んできてみれば、私はいないし魔獣(?)はいるし。戸惑うのも無理ないわよね。
そうこうしてる間にも、他のみんなもラボに駆け込んできてしまった。
もう仕方がないよね……私はおずおずと口を開いた。
「みんなごめん……これ私なの……」
そう言葉をかけるとシン……とその場が静まり返り、キョロキョロと私の声の出所を探すみんな。その目線はやがて珍獣たぬきつねへと向けられた……。
その五分後……私はロジーに抱き抱えられ、みんなの視線を浴びていた。
「リリー? どういう事? 俺たちにも分かるように説明して」
ディランさん……目が怖いです。ごめんなさい説明します。
「みんな驚かせちゃってごめんなさい。実はね、さっきラムズイヤーの効果について三人で検証してたんだけど、どうやら変身の効果があったみたいで、地球にいた動物を頭に思い浮かべた瞬間、こうなってしまいました。それで、驚いたロジーが叫んじゃって……ね?」
「ね、じゃないよ。本当に驚いたんだから……それに、スノーなんてショックのせいでテーブルに頭打ち付けてたんだからね。流石に僕もスノーに同情したよ」
ご、ごめんなさいっ!
「それで? 何をどうやってそうなったのさ?」
フレドリックさんは完全に面白がってふわふわの尻尾をにぎにぎしている。
「えっと、鑑定でラムズイヤーの葉っぱをちぎって咥えると、何かが起こるって出てたから試してみたらこんな事に……。それで思い出したんだけど、新しいスキルに【メタモルフォーゼの心得】ってあったよね。ラムズイヤーは変身の効果があるって事みたいね」
まだまだ実験してみないと分からないけど、おそらくそうだろう。今回は頭に浮かんだ狸と狐がミックスされた姿に変身してしまったが、その前にチラッと忍者の姿も思い浮かべたはず。だが、忍者には変身しなかった。そのことも含めこれから要実験ね。
「この姿って、リリーの元の世界の生き物なの? 随分と可愛らしい生き物だね」
一緒に暮らすようになって分かった可愛い物好きのアニーさんが、ニコニコと私の背中をさすりながら聞いてきた。
「それがね、狸って動物と狐って動物を同時に考えたせいか、二つの生き物が混ざった姿になっちゃったの。だから、こんな動物はいないわよ」
「リリーの世界には魔獣がいないんだったな。こんな愛らしい動物ばかりなら、襲われる心配もなさそうだな」
この姿に興味があったのか、ガウルさんは私の姿形を興味深そうに見ている。
次から次へとたらい回しに抱き抱えられ、一頻り撫でまわされた後、ふわりと体を包まれた。
「リリー、そろそろ元の姿に戻ってくれないか?」
クラウスさんは私の肩口に顔を埋め、私の頭を撫でる。その優しい手付きがたまらなく心地良い。目を瞑り、その心地良さにほんの少しだけ甘えてしまった。
「ん……やってみます」
正直どうやって元に戻るか分からないが、取り敢えず『元に戻る』と強く願った。
すると、変身した時と同じく、ボフンと白いモヤに包まれ、元の姿に戻る事ができた。掌をギュッと握って開く、それを数回繰り返し、手の感覚を確かめた。
「良かった。ちゃんと元に戻れた」
キャビネットのガラス扉を鏡替わりに確認すれば、何もかも元どおり。周りを見れば、あからさまにホッとする面々。
「どうも、ご心配をおかけしました……」
それからは数日をかけて実験の日々。用法用量は正しく使わなければならないので、安全に使う為にひたすら実験した。
例の如く、アシスタントにはロジーとスノーにお願いしたのだが、そこに追加でディランさんの監視も付いてしまった。でもまぁ、散々みんなに心配かけてしまったので、大人しく監視される事にした。
それから数日の実験で、ラムズイヤーの効果がある程度分かってきた。
まず、変身できるのは私だけという事。ディランさんが試しに使ってみたが、どんなにイメージを思い浮かべても変身する事は叶わなかった。期待していたディランさんは、残念そうな顔で肩を落としているのを後から見かけてしまった。
次に、変身できる対象について。様々な姿に変身してみたが、変身出来るのは動物に限定されているようだった。それも、魔獣ではなく魔力を持たない動物に限る。だったらあの時変身してしまった珍獣は何だったのだろう……などと思ってしまったが、そこは私の中途半端な想像力の賜物だったのだろう。
それと物は試しと、監視役のディランさんをじっと見つめながら変身してみようとしたが、それは叶わなかったので、人間は対象外という事が分かった。
「以上が実験結果になります」
現在、午後のひと時をハーブティーとマドレーヌをお供に、集まってもらったみんなに実験結果を聞いてもらった。
「……それで? なんでうさぎの姿な訳?」
そう、今私の姿は白いうさぎさんだ。可愛い物好きのアニーさんによって彼女のお膝で撫でられまくっている。
「あ、言うの忘れてました。変身解除には変身してから三十分は元に戻れないんです。なので、あと五分ほどですかね」
「そんな事言わずにもう少しこのままでもいいわよ!」
アニーさん……デレデレですね。
そんなこんなで、ラムズイヤーの実験は終了した。もしかしたらまだ調べきれていない効果があるかもしれないが、それは追々研究していくとしよう。
その後、うさぎから元の姿に戻った後、クラウスさんから頭をなでられ「やはり元の姿が一番可愛い」などと耳元で囁かれれば、顔面が沸騰したかのように真っ赤になってしまった。
それを他のみんなに生暖かい顔で見られるのだから恥ずかしくてたまらない。
ちょっと恥ずかしくて未だに慣れないけど、クラウスさんに優しく触れられるたびに胸がキュンと締め付けられる。
今、一番幸せかも……。この幸せがいつまでも続きますようにと願ったある日の午後だった。




