悪魔の打撃
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いつもよりちょっぴり長いです。
それは突然、前触れもなくやってくる。若いから大丈夫、体を鍛えているから大丈夫、自分だけはそんな事にはならない、そんな考えは奴の前では無駄に等しい。
誰しもがその危険性に気づいていないだけなのだ。そうまさに、たった今、目の前の彼のように……。
「ぐぁっ!」
「えっ? フェルンバッハ殿?」
沿岸騎士隊舎の中庭からそんな声が聞こえ、私はどうしたのだろうかと様子を伺いに来た。ちょうどリーゼッテ達の様子を見ようと沿岸騎士隊舎の中庭に面した廊下を歩いていたのだ。
「あれ? ウドルフさん?」
ただならぬ様子のウドルフさんと、沿岸騎士隊の若者達。ウドルフさんは妙な中腰で固まり、動けないでいるようだ。どうやら落ちた模擬刀を拾おうとしているようだった。
「魔女様! お助け下さい!」
隊員達は私の姿を見るなり「これ幸い」とばかりに救いの目を向けてくる。一体何があったというのだろうか。見たところ沿岸騎士隊の若者達にウドルフさんが稽古をつけているようなのだが……。
「魔女様、悪魔です!」
「えっ? あくま?」
唐突にそんな事を言うものだから、間抜けにオウム返ししてしまった。「悪魔」と、そう答えたのはフェルンバッハ遠征隊の隊員だ。
「魔女様、悪魔の打撃です! 助けてください〜!」
「?」
何を言っているのだろう。意味が分からない。どうしよう、ここに悪魔がいるというのだろうか。
首をひねっていると、そこに救世主がやってきた。
「リリー、どうかしたのかい?」
優しげな声に振り返れば、そこにはクラウスさんがいた。
「クラウスさん、どうしよう……ウドルフさんが悪魔に襲われたってみんなが言うの。どういう事?」
そう尋ねれば、チラリとウドルフさんを目にし、「あぁ」と困ったように笑った。
「悪魔の打撃だね。昔からああやって突然に腰に激痛が起こることを悪魔の打撃って呼んでいるんだ。俺は経験がないから分からないが……ふとした拍子に突然やってくるらしい。何をどうしたらあの痛みがやってくるのか原因不明だから、悪魔が悪戯しているんじゃないかって昔の人は言ったみたいだね」
腰……あぁ、ぎっくり腰か! それは相当痛いはずだ。
恐らく落ちた模擬刀を拾おうとした瞬間にピキッ……となったのだろう。
ぎっくり腰は重い荷物を持ったからとか、歳のせいとかはあまり関係がないと聞く。本当に些細なことが原因で起こりうるのだ。しかも癖になりやすいとも。
「リ、リリー! たす……助けてくれ……動けん!」
「魔女様〜、何かいいお薬ありませんか〜」
若手隊員はウドルフさんを囲こみ、オロオロしている。自分たちも経験がない以上どう介抱して良いのかが分からないのだろう。
あんなにイケイケのおじ様がぎっくり腰で動けなくなる姿は少し新鮮だ。
って、そろそろ本当に助けないとウドルフさんが可哀想だ。
「クラウスさん、行ってきます!」
「あぁ、よろしく頼むよ」
クラウスさんに見送られ、私はウドルフさんの元へと走った。
それから私が到着すると、若手隊員が「支えましょうか?」「肩を貸します!」と次々と手をかそうとするが、その度にウドルフさんが「いだだだだ!」と苦痛に顔を顰める。
「みなさん、無理に支えようとすると逆に痛みが走るようなので隊長さんが動きやすいように私が支えますね。それじゃあ……はい、お手をどうぞ?」
変に体を支えるよりも、少し手を貸してゆっくりと歩けるように手伝ってあげるのが正解だろう。
私は手のひらを上にした両手をウドルフさんに向け、手を乗せるように促した。
「ま、マジか……」
「マジです。ほら、早く手を乗せてください。このまま医務室までゆっくり歩いていきましょう」
「うぐぐぐぐ……。すまん、手を借りる」
「はい。じゃあゆっくりと行きますよ」
私はそう言ってそのままバックでゆっくりと歩く。ウドルフさんは時々「いっ!」とか「うっ!」とか言いながらも少しずつ前へ進んだ。
傍から見れば老人を介護しているようにも見えるが、そこは我慢してもらおう。
「いいなぁ、フェルンバッハ隊長。魔女様に手を引いてもらえるなんて」
「だよなぁ。なぁ、俺達も怪我したら魔女様に優しくしてもらえるんじゃないか?」
「俺も優しくされたい!」
「だよな、だからさ……」
先程までウドルフに稽古をつけてもらっていた若い騎士たちは、そんな事を口にしながら盛り上がっていた。しかし……
「君たち、楽しそうな話をしているね。私も混ぜてくれないか? 何と! 怪我するほど稽古がしたいのか! それは是非とも私にも協力させてもらおう! フェルンバッハ隊長殿に変わり私が稽古をつけてやろう!」
騎士たちはその声に「ギギギギギ……」と振り向く。そこには笑顔の、しかし目は笑っていないクラウスが立っていた。
そこからはご想像の通り、夜が更けるまで地獄の稽古が続いたのだった。
ちなみに怪我人は一人も出なく、騎士たちはただただ満身創痍、疲労困憊に陥ったのであった。
✻ ✻ ✻ ✻ ✻
「よく頑張りました。はい、ゆっくりと座りましょうね」
ウドルフさんと私はようやく医務室にたどり着き、診療ベッドにようやく腰を下ろしたところだ。
「ウドルフさん、体を支えるのでゆっくり横になりましょう。きっと横になれば楽になるはずです」
「すまない。リリーにこんなみっともない姿を見せるなんて……腰痛如きで情けない……」
ウドルフさんはだいぶ落ち込んでいるようだった。
騎士として鍛え抜いた体に自信があっただけにその落ち込みようは酷かった。
しかし、体を鍛えているから予防できるということでもないので、そこはもう諦めてもらう他ないだろう。
「情けなくなんてないですよ。誰にでも起こりうる症状ですからね。原因だって不明だし。私の故郷でも「ぎっくり腰」って言って、それはそれは多くの人がなるんですから。大丈夫、すぐ良くなりますよ。それじゃあそのまま少し待っていてくださいね。腰痛に効くお薬を用意します」
「ああ。リリーの薬ならば良く効いてくれるだろう。リリーは優しいな……クラウスが羨ましいよ」
ウドルフさんを診療ベッドに寝かせた後、医務室内の調剤コーナーで薬の調合を始める。
ぎっくり腰の場合、まずは炎症を起こした部分を冷やしてあげるのが正解だ。そして痛みが消えてきた頃に、今度は患部を温め血行を促すと良い。
まずは冷湿布からね。さてさて……どのハーブが最適か。メディカルハーブの知識をフル稼働させ、鎮痛作用などの効果があるローズマリー、ラベンダー、ユーカリ、ペパーミントのエッセンスを取り出した。
湿布薬に関して前から考えていたことなのだが、貼ってひんやりする【ひえ〇タ】みたいな物を作れないだろうかと考えをめぐらせる。ジェル部分に薬効成分を付与出来れば、理想の湿布薬になるだろう。
ウドルフさんには丁度いい被験者となってもらうことにした。
まずはジェル部分になるを作ろう。あのプルプルした感じはゼリーのようだから、マシュマロウを使って再現してみようと思う。
マシュマロウは粘液成分が豊富なハーブだ。薬効成分を混ぜて冷やせばきっと再現出来るはずだ。
ガラス瓶にマシュマロウの粘液を溶かし、ハーブエッセンスを入れてガラス棒で混ぜる。それを下から炎で熱していけば、段々とトロリと液体が変化し、ガラス棒ですくい上げると蜂蜜のような濃さにまで変化した。
それを今度はガーゼを折りたたんだものに厚めに塗布し、魔法で冷却する。
「出来た!」
表面をツンツンと突いてみれば見事な弾力を発揮している。薬効成分も均等に混ざりあい、効果は期待できそうだ。
「よしっ、か……鑑定!」
ロジーとスノーとの約束『作ったものは必ず鑑定をすること!』を忘れずに行う。
これを端折ってしまうと後から二人に説教されてしまう。
【魔女の湿布薬】☆☆☆☆
打撲、捻挫などの炎症部分に貼り付けて使用する湿布薬。ペパーミントの冷却効果で患部を冷やし、ローズマリーなどのブレンドハーブで鎮痛作用が期待できる。
「よしっ、完璧!」
変な効果も付いてないて常用できる。ウドルフさんの様子を見て調子が良ければ、怪我の多い騎士隊の皆にも分けようと思う。
出来た湿布薬を持って早速ウドルフさんに貼ってあげれば、予想以上の冷たさに「うおっ!」と驚いていたものの、冷たくて気持ちいいと好評だった。
「さて、ウドルフさん。今日、明日は安静にしてもらって、痛みが引いてきたなら少し動きましょうね。少し動けるようになったら今度は患部を温める別のお薬をお渡ししますね」
「何? たった二日だけか? リリー、悪魔の打撃はな……十日は安静にしなければねらないと言われているんだぞ? リリーは若くて分からないかもしれないが……」
ウドルフさんがそこまで言うと私はその言葉を遮るように話を被せた。
「あのね、ウドルフさん。私の故郷にも悪魔の打撃と同じ症状の腰痛があるんです。私の故郷では【魔女の一撃】なんて言われてるんですよ。少し前までは絶対安静なんて言われていましたが、最近では痛くても無理をしない程度に動いた方が治りが早いと言われてきてるんです。大丈夫、ウドルフさんならきっと直ぐに動けるようになるわ。治るまで私がちゃんと診てあげますから、ね? 一緒にがんばりましょう」
うつ伏せのウドルフさんの腰をさすりながら励ます。この「さする」行為、これも最近の研究で痛みを和らげる効果があることが実証されていた。難しいことは分からないが、確か【ゲートコントロール】と言ったはずだ。
要は、「痛いの痛いの飛んでいけ〜」とさする行為は理にかなっているのだ。少し恥ずかしいがこの魔法の言葉をウドルフさんに掛けてあげよう。
「痛いの痛いの……飛んでいけ……」
魔法の言葉はやはり恥ずかしく、小声になってしまった。
しばらくウドルフさんの腰をさすりながら治療計画を話していると、ウドルフさんが静かになったことに気が付いた。
「ウドルフさん?」
静かに声をかけたが、反応はない。どうやら、痛みが引いて眠ってしまったようだ。
「また明日来ますね」
私はそう言って医務室を後にした。
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「クッ……あれは無意識なのか!? 落ち着け! 俺!」
リリーが医務室を出た後、ウドルフは身悶えした。眠ったと思われたウドルフは眠ってなどはいなく、単にリリーの行動に衝動を抑えるのに必死だったわけだ。
リリーのことは年の離れた妹の様に思っていたウドルフだったが、さっきのリリーの行動で一瞬で理性が吹き飛びそうになった。
「動けないほど痛くて良かった……」
先程さすられた腰は湿布薬のおかげで冷やされているはずなのに、じんわりと温かさを感じる。
「タチが悪すぎる……」
違った意味で「魔女の一撃」を食らってしまったウドルフの顔は、年甲斐もなく真っ赤になっていた。
しばらく更新が空いてしまいましたが、今回の投稿が全ての理由ですね。はい、わたくし「ぎっくり腰」をやらかしてしまいました。
掃除機を……かけようとしたんです。掃除機のノズルを持とうと屈んだのです。そう、落ちた模擬刀を拾おうとしたウドルフさんのように。
ようやくパソコンに向き合えるようになりましたので再開です。